哲学的な意味などない


 寂れた廃ビルの一室。
 コンクリートがむき出しになり、あちこちに埃が溜まっていることから長い間誰もこの場所に出入りしていないであろうことは容易に推測できた。

 そんな中、コナンと哀は窓から差し込む西日に照らされながら、静かに会話をしている。

「間違いないわ。彼女は貴方の正体に薄々感づいてる。これ以上彼女を欺き通すのは無意味よ」

 傷付けるだけだわ。視線を伏せて哀が言う。少々うろたえた様子でコナンが問いかけた。

「ど、どうしてお前がそんなことを俺に……?」
「あら。悪の心を見抜くあなたの正義の目も、女心はわからないのね」
「女心?」

 哀は穏やかな笑みを浮かべて、コナンに向き直る。

「貴方を愛してしまったのよ。最初に出会った時から……」

 ふっと、息を漏らすように笑い、目を細めた。

「気付いてなかったのね、仮面ヤイバーさん」
「……」

 驚く表情を浮かべたコナンに、「カット!」という声がかかった。途端に先ほどまでの真剣な表情は何だったのかというほど気の抜けた顔をする。

「ダメですよコナンくん! もっと驚いてくれなくちゃ!」

 台本を丸めて右手に持った光彦の演技指導が飛ぶ。不満そうに眉を寄せながらコナンの方に歩み寄った。

「このシーンは悪の組織を裏切った女スパイから、仮面ヤイバーが愛の告白を受ける衝撃的なシーンなんですから!」

 だが対するコナンは面倒そうだ。学芸会の出し物なんだから普通の劇にしよう、とコナンが言ったところで私がここぞとばかりにブーイングを飛ばす。

「だって普通じゃつまんないじゃん! どこかでみたことあるお話よりも、こっちのほうが面白いよ!」
「ほら! 脚本担当の葵ちゃんも言ってるじゃないですか!」
「絶対こっちのほうがいいよ!」
「そうだぞ!」

 腰に手を当てて胸を張る私の周りを、他の3人が固めて囃し立てる。そう、何を隠そうこの脚本を書いたのは私なのだ。普段書いている話よりも少し文体を子供っぽく……それに加えて程よい意外性とわかりやすいストーリー構成を意識したシナリオだが、手を抜いたつもりは決してない。故に、面白くない訳がないのだ。
 だからげんなりした顔をしてこちらに白々しい視線を寄こすコナンなんて、マルッと無視だ無視!!

「折角気分を盛り上げるためにこの廃ビルに潜り込んだんですから」
「だったら刑事ものにしようぜ!」

 廃ビルに逃げ込んだ犯人とドンパチやる話なんかいいんじゃないか? と提案するコナン。するとどこからか「待て!」という声が聞こえる。続いてドアが開き、見知らぬ男が部屋に駆け込んできた。

「止まれ!」

 鋭い声が飛ぶ。男を追い掛けていたのは佐藤刑事だったようで、その手には拳銃を構えている。男はびたりと足を止め、おそるおそる背後の様子を窺う。両手を上げてその場から動くなという佐藤刑事の指示に反して、近くにいた歩美を人質にとった。佐藤刑事は悔しそうに拳銃を下ろす。

「来るな……来るなよ……!」

 そう言いながら男は歩美を抱えたままじりじりと後退する。そして背後にあった階段へ向けて勢いよく駆け出した。

「コナンくん!」

 今にも泣きそうな歩美の声に居てもたってもいられず、私たちもその後を追う。体力の限界を感じながらも階段をしばらく上っていくと、踊り場にぽつんと佇む歩美を発見した。男は歩美を途中で置いて屋上に行ったらしい。
 まだ上るのかとひいひい言いながら階段を上っていると、途中で下から見覚えのある人物がやってきた。

「高木刑事!」
「君は探偵団の……子どもたちはどうしたんだい」
「あおいよりも先に行っちゃった……」

 滝のような大汗を流しながらなんとか答える。すると高木刑事は少し考えた後、私のことをひょいと抱えて階段を上り始めた。

「いいの!?」
「今回だけ特別だよ」
「やったー! ありがとう高木刑事!」

 お礼に今度高木刑事をモデルにした小説を書こうと心に決めているうちに屋上にたどり着いた。

「佐藤さん!」
「高木刑事! と……葵ちゃん!」

 みんなの近くに下ろしてもらうとばきゅん!と拳銃の音がする。慌てて柵の向こうに視線をやると、佐藤刑事が隣のビルの建物の外階段から中へ入っていくところだった。

「高木くん、あなたは下から回って!」
「は、はい!」

 言われたとおりに踵を返す高木刑事。その背中を追い掛けながら、コナンが何があったのかと問いかける。高木刑事はちょっと困ったような顔をしつつも事情を教えてくれた。なんでも、連行中の犯人に逃げられてしまい、それを追っているのだという。

「本庁に連行する途中でバイクとトラックの接触事故があって……気を取られているうちに僕の隣にいた被疑者がいなくなっていたんだよ。大人しい男で、まさか逃げるなんて思わなかったから……」

 やってしまったとばかりに気落ちした顔をする高木刑事に「ドジ〜!」と歩美が追い打ちをかける。光彦も心配そうに尋ねた。

「逃げられたら始末書だけじゃ済まないんじゃないですか?」
「そうなんだよ〜!」

 高木刑事は今にも泣きそうだ。うーん、こういう憎めないキャラもいいよなあ、なんて疲労でぼーっとした頭で考える。
 指示を受けた通りに建物の下から入り、佐藤刑事の姿を探す。呼びかけながら探す高木刑事には悪いが、私はそれよりもこの奇妙な建物の方が気になって仕方がなかった。

「妙ね」
「え?」

 不意にぽつりとつぶやいた哀に、高木刑事は目を丸くする。彼女も私と同じことに疑問を持ったらしい。

「ここ、美術館でしょう? ならどうして絵が一枚もかかっていないのかしら」
「そうだな……」

 きっと模様替えしてるんですよ!という光彦に、高木刑事は一喝する。でもまあ、危険だから帰りなさいと言われて帰るような奴らじゃないんだよねえ、私たち。
 するとどこからか「高木くん!」という声が聞こえてきた。佐藤刑事の声だ。

「高木くーん、ここよ!」
「どこですか佐藤さん!」

 声の聞こえる方へ進んだ先には男子トイレがあった。なんでこんなところに、という顔をしながら入っていく。私たちはその様子を見守るためにトイレの外から顔を覗かせていた。

「それであの被疑者どうしました?」
「え、ええ……。捕まえるには捕まえたんだけど……ちょっとドジっちゃって」
「なっ! 何やってるんですか!」

 照れくさそうに笑う佐藤刑事に高木刑事が驚愕する。こちらから詳しい状況は見えないが、「手錠は被疑者の両腕にかけるのが常識」「自分の腕にかけちゃった」という発言からおそらく、犯人と佐藤刑事を手錠でつないだはいいものの、そこから出られないような繋ぎ方をしてしまったのだろう。しかも鍵を落としてしまったと。確かにそれはドジだな……。
 合鍵を取ってくるように頼んだところで、ずっと黙っていた被疑者の男の声が聞こえてきた。

「犯人は私じゃない。何故だかわからないけど、朝起きたら村西さんが死んでたんだ!」
「さっきからこの調子なのよ……」
「本当です! 信じてください!」

 犯人の悲痛な訴えに、高木刑事は困った様子でなだめはじめた。そして改めて事件の様子を教えてくれる。

 被疑者の東田さんは同じマンションで職場の上司の村西真美さんを殺害した容疑で逮捕されたらしい。現場は彼女の部屋のバスルーム。絞殺遺体が発見された時、東田さんは彼女のベッドで酔っぱらって寝ていたのだとか。入り口の扉の鍵もチェーンロックまでかかっており、部屋は完全な密室。おまけにその扉の鍵やチェーンロック、彼女の首に巻き付いていたコードにも東田さんの指紋がついていた。その上東田さんは仕事上よく村西さんとぶつかっており、その日も飲み屋で『あの女にガツンと言ってやる!』と友人に息巻いていたらしい。

「あなたが酔って彼女の部屋に行き、口論になって殺してしまったとしか思えないでしょう」
「鍵をかけたのは、彼女を逃がさないようにするため……。そして殺害後、酔いつぶれてそのまま彼女のベッドで寝ちゃったって訳よね」
「でも私には、全く覚えがないんです」

 東田さんは弱ったように言う。確かに事あるごとに難癖をつけてくる彼女のことを恨んでいたが、殺したいほど憎んではいなかったのだ、と。

「じゃあなんで逃げたりしたのよ」
「行かなきゃいけないところが、あるんです」
「どこよ、それ」
「シカゴにいる娘から……離婚した妻に引き取られた娘から、結婚式の招待状が届いたんですよ!」

 東田さんは涙声になりながら続ける。ずっと恨まれていると思っていた娘から結婚式の招待状が来た。これに私が行かなくてどうするというんだ! 東田さんの顔は見えないが、声だけでも十分に真実だと信じてしまえるほど感情に訴えかけるものがあった。部屋に行けば娘の手紙も同封された航空券もあるのだという東田さんに、高木刑事は「そんなこと言われても」と困ったように返すしかない。
 するとたまらず歩美が3人の元へ飛び出していった。慌てて私たちもそれに続いて中に入る。

「そのおじさん、悪い人じゃないよ!」
「え?」
「だってそのおじさん、歩美を放してくれたし、そのとき『ごめんよ』って言ってくれたもん! ほんとに悪い人ならそんなことしないもん!」

 歩美の必死の訴えに、でもねえ、と高木刑事は困惑している。するとずっと黙っていた佐藤刑事が口を開いた。

「ねえ、その便明日のいつ?」
「成田に12時30分ですけど……」

 おずおずと答える東田さんの言葉を聞いて、高木刑事がそっと振り返る。佐藤刑事の顔は真剣そのものだ。

「高木くん。今から私が言うこと、よーく聞いてくれる?」

 そしてとんでもないことを言い放った。なんと『明日の昼までに真犯人を挙げろ』というのだ。それを聞いた高木刑事は流石にうろたえた様子で「僕がですか?」と自身を指さしている。佐藤はしっかりと頷いた。

「私はそれまでこの人を見張っててあげるから。どうせこれじゃ動けないしね」
「じゃあ鍵をとってきますから、この人を一旦本庁に連れて行ってそれからふたりで……」
「駄目よ! 鍵をとりに本庁に戻ったところを見つかりでもしたら、上司にこってり絞られて始末書書かされてるうちにフライト時間を過ぎてしまうのがオチよ」

 佐藤刑事の言い分ももっともだと思いながら私は話を聞いていた。現在佐藤刑事と高木刑事は被疑者を追跡中ということになっている。そう見せかけて高木刑事が真犯人を見つける。これしか東田さんのフライトに間に合う方法はないだろう。

「検察庁へ送検される前なら容疑の晴れた被疑者を警察だけの判断ですぐに送致前釈放できるしね」
「しかし……」

 佐藤刑事の言い分に高木刑事は不安げだった。それもそうだろう、これからひとりでいるかどうかわからない真犯人を、明日までに探し出さなくてはいけない難題をいきなり課されてしまったのだから。

「タイムリミットはこの美術館が開館する明日の午前10時頃。トイレに入ってきた客に気付かれたらどのみち警察に通報されてしまうから……それまで、あなたを信じてあげる。これでどうかしら」

 同じ手錠に繋がれた東田さんへ佐藤刑事は視線を向ける。東田さんは涙目になりながら顔を輝かせ、「ありがとうございます」とつぶやくように言った。
 だがしかし高木刑事の表情は晴れない。

「で、でも僕ひとりじゃとても……」
「あら、ひとりじゃないでしょ? 彼らはやる気満々みたいよ」

 そういって佐藤刑事がにっこり微笑みかける。あらら、私たちがすごく乗り気なのはバレバレだったか。


***


 外階段から建物外に出る。空はすっかり暗くなっていた。
 先を歩く私たちの後ろで、高木刑事は何やら物思いにふけっている様子だ。

「さっきから照れたり落ち込んだり」
「変なの」
「ひゃくめんそーだね」

 不思議そうにする子どもたちに便乗する。まあ大方佐藤刑事のことについて考えているんだろう。確か彼は佐藤刑事にホの字だったはずだから。
 すると「コラ!」と階段の下から声がする。ヘルメットをかぶっているところからするに、どこか工事現場で作業をしている人なのだろう。

「この階段の下に書いてあったろ、『立ち入り禁止』ってよ」
「緊急事態だったので……」

 困ったように後頭部に手をやりながら高木刑事は言う。みんなで犯人を追ってたんです!という光彦の言葉に、男の顔は訝し気なものに変わる。

「何が犯人だ、刑事じゃあるめえしよ」
「あの、僕はこう見えても警視庁の……」

 と、そこまで言いかけたところでふと言葉を途切れさせる。そして再び困ったように笑った。

「すみません、ちょっと刑事ゴッコを……」

 高木刑事の言葉に男は呆れたように「ったく」と眉を寄せた。
 建物を離れて夜の町を歩く。行く先々でパトカーを見かけ、その度に私たちは慌てて身を隠していた。これでもう何台目だろうか。高木刑事らと連絡が取れないことに気付いた警視庁が捜索に乗りだしたのだろうが、こうも多いと身動きが取りにくいったらありゃしない。一応高木刑事が変装をしているとしても、なるべく早めに犯人を見つけなけば。

「とにかく、まずはあの店。東田さんが事件の直前に立ち寄ったというあの居酒屋からだね」

 コナンは冷静に言った。
 周囲の状況を確かめながら店内へ入る。いらっしゃいませと声を掛けてくれた着物姿の店員さんに私たちは東田さんについて話を聞くことにした。

「ええ、べろんべろんに酔っぱらって『今日こそはあの女にガツンと言ってやる』って。でもまさかあの東田さんが、あんなことするなんてねぇ……」
「ねえ、その人ひとりで帰ったの?」
「一緒に飲んでいた北川さんに連れられてふたりで帰ったわよ」

 コナンの問いかけに店員さんは素直に教えてくれた。ほらあの人、と視線を向けた先を見ると、テーブル席で煙草を吸いながら新聞を読んでいる男の人の姿があった。東田さんと同じ会社に勤めているらしく、遺体の第一発見者でもあるそうだ。

「第一発見者?」
「ああ。事件の翌日、東田さんと村西さんが出社しないので管理人さんに部屋の鍵を開けてもらって、そこで遺体を発見したそうだよ」

 すると不意に北川さんが新聞をたたみ、席を立った。勘定を机の上に置いてさっさと店を出ていく。その背中に慌てて高木刑事は声をかけた。

「警察の者です! 2、3伺いたいことが……」

 そう言いながら北川さんを追い掛けていく。それを私たちも追いかけるのかと思いきや、コナンは女将さんから引き続き話を聞くつもりらしい。にしても流石は彼というか、話を引き出すのがうまいうまい。いつの間にか女将さんもノリノリでいろいろなことを教えてくれた。それこそ、捜査に必要かどうかわからない細かい情報まで。

「そうよ。村西さんは東京スピリッツのファンで、東田さんはアンチスピリッツ!」
「こ、コラ!」

 そこで戻ってきた高木刑事が慌てたように頭を下げる。すると家に電話しないと親が心配するからと光彦が言い始めた。便乗するように私も手を上げる。高木刑事はやれやれとばかりに頭を抱えていた。


***


「イベント? なんだよそれ」

 受話器を耳にあて、コナンが眉を寄せて聞き返す。今現在私たちは各家庭へ阿笠博士の家に泊っているという連絡と、それの口裏を合わせるために阿笠博士へ電話をしている最中だった。受話器越しの声は聞こえないが、一体何の話をしているのやら。
 そしてしばらく電話をしていたかと思うと曖昧に返事をして受話器を下ろした。

「阿笠さん、いいって言ってたかい?」
「うん。なんか明日杯戸町で花火のイベントがあるって燃えてたよ」
「花火?」

 そんなイベントあったかなあ、と考え込む高木刑事にそれより!とコナンが待ちきれずに話を切り出す。

「次は事件のあった村西さんの部屋だよね」

 向かったのは何の変哲もないアパートだった。管理人さんは私たちを見るなり「また刑事さんかい?」と怪訝そうな顔をしていたが、一応部屋を開けてくれた。ちらりと私たちの方に視線を寄こしながら尋ねる。

「そのボウヤ達は?」
「生活科見学ですよ!」
「刑事さんのお仕事みて、学校で発表するの」

 それを聞いて「ああ、働くおじさんってやつだな」と管理人さんは納得したようだった。
 中に入り、指紋を残さないように手袋を付ける。高木刑事が変装用の帽子を購入した際に買っておいたものだ。早速私たちは部屋の中を物色し始める。現場となった部屋やリビング、お風呂場、トイレに至るまで。だがその様子を見ていた高木刑事はすっかり弱気になってしまっているようだった。

「もう帰ろうよみんな……いくら調べても何も出てきやしないって。鑑識さんが入ったから中に塵一つ落ちてやしないし」
「おかしいのは次の4点」

 コナンは静かに言う。
 ひとつ目は布団、シーツ、枕、カーテンの色だけが統一されていないこと。しかも同じ色のシーツやカーテンはクローゼットの奥にしまわれていた。何故わざわざ好きな色ではない上に統一感のないグレーのものを使っていたのだろうか。

「それから、東田さんはAV機器に詳しくて風呂嫌い!」
「酔って寝たらなかなか起きなくて、よく会社に遅刻してたんだって」
「全部女将さんが教えてくれたんだよ〜!」
「そんなこと事情聴取の時は言ってなかったはずだけどな……」

 弱ったように警察手帳を繰る高木刑事にコナンは冷静に告げた。きっと警察の事情聴取で事件と関係のないことを言ったら怒られてしまうのではないかという心理が働いたのだろう、と。

「ああ見えてあの女将さん、委縮してたんだと思うよ」
「い、委縮……」
「ふたつ目は、何故か剥がされているベット脇のカレンダー」

 コナンは手に持っていたカレンダーを、ベット脇の壁のある部分に重ねる。すると日焼けの大きさがピッタリ一致していた。しかもそのカレンダーはあろうことか、クローゼットの中にしまわれていたのだ。

「ほら見てよ。12月まで予定がびっしり書きこまれてるよ?」
「た、確かに……」

 3つ目は微妙にずらした跡のある家具類だ。だがそれは知っていたとばかりに高木刑事は口を開く。

「それは鑑識さんが言ってたよ。模様替えしたんだろうって」
「でもタンスを動かす時、こんな大切なものを下に落としたのに気づかないなんて変じゃない?」

 そう言ってコナンが見せたのはマッチ箱だ。一見何の変哲も無いが、中には紙が折りたたまれており、それは紛れもなく結婚届である。相手の名前は入っていないが、そんなに大切なものを落としたのにも気付かないというのはどう考えても不自然だ。
 4つ目はサボテン。事件の日は朝から横殴りの大雨が降っていたのにも関わらず、サボテンはすべてベランダの外に出されている。サボテンが好きだという彼女がそんなことをするとは考えにくい。

「つまり、彼女以外の誰かが何かの目的で色々なものを移動させたって事だよね」

 コナンは冷静に言う。そんな中私は目的のサボテンを発見した。ベランダに出てその鉢植えの傍にしゃがみ込む。

「これじゃない? 事件の日に女将さんがプレゼントしたっていうサボテン」
「でもトゲが折れてる……可哀想」
「だから、それがなんなんだよ!? 被疑者の東田さんは遺体発見時にこの部屋のベットで自分の部屋にいるみたいに寝ていたんだよ? 凶器のビデオコードだけじゃなく、入り口のドアの鍵やチェーンロックからも東田さん、の、しもん……」

 高木刑事はようやく気付いたようで、徐々に言葉を途切れさせていった。その目は大きく見開かれ、何か信じられないようなものを見たような顔をしている。

「ま、まさか……この部屋!!」
「じゃあ行ってみる?」

 コナンは不敵に笑みを浮かべる。

「あの人の部屋も、このマンションなんでしょ?」
「……行ってみよう」

 高木刑事は静かに頷いた。


***


 空が段々と明るく色づき始めた頃。
 東田さんの部屋の外で待機していた私たちの元に管理人さんがやって来た。大あくびを零していたところを見られ、困ったように眉を下げる。

「おいおい、こんなところで寝てたら風邪ひくぞ」
「あ、管理人さん」

 そこへタイミングよく高木刑事とコナンが現れた。徹夜で捜査してたのかい、との驚いたように言う管理人さんに高木刑事はええまあ、と曖昧に肯定する。

「ですがおかげさまで謎は解けました。何もかも」

 ご協力ありがとうございました。礼儀正しく言う高木刑事に、管理人さんは役に立ったのならいいんですけどね、と笑う。

 それから私たちが向かったのは北川さんの家だった。引き戸の玄関に取り付けられたインターホンを鳴らすと少しして家主である北川さんが欠伸をこぼしながら家から出てくる。初めは怪訝そうな顔をしていたが、私たちの姿を見ると「なんだ昨夜の刑事さんか」と少しだけ表情が緩んだ。

「言ったろ? もう警察に話すことはないって」
「は、はい。ですが、死体発見当時のことをもう少し詳しく伺おうと思いまして」

 高木刑事が下手に出るなり、北川さんはわかりやすく表情を曇らせる。

「だーかーらー、東田と村西さんがなかなか出社しないし、電話にも出ないから部屋に様子を見に行って、呼び鈴鳴らして返事がないから管理人に頼んでまず村西さんの部屋の鍵を開けてもらったんだよ」

 北川さんは苛立ちを隠すことなく続ける。

「そうしたらチェーンロックがかかっていて、なぜか彼女のベッドで東田が寝ていたから玄関口から大声で東田を起こし、チェーンロックを外させて管理人と部屋に入り、バスルームで村西さんの絞殺死体を見つけたってわけだ。……さ、言う事は言った。早く帰ってくれ」
「あ、ちょっと……」

 言うだけ言って部屋に戻ろうとする北川さんを高木刑事が呼び止める。すると北川さんはまさか疑っているのかと高木刑事を睨んだ。そういうわけじゃないとなだめようとしたところで、耐えられなかったらしい彼らが口を開く。

「疑ってんだよ! オメーなんだろ犯人は!」
「誤魔化しても無駄です!」
「悪いことしてもすぐバレちゃうんだから!」
「あ! コラ!!」

 すぐさま高木刑事が子どもたちを注意するが、北川さんはもうばっちり聞いてしまっている。あちゃー、やってしまったね。もう起きてしまったことは仕方がないので、ここは子どもらしく便乗しておくか。

「あー! みんなそれ言っちゃダメだよ! あおいたちはそれを確かめるために来たんだから」
「だって……」
「なんだか知らないが勘弁してくれよ……あの状況からして私が犯人なわけないんだから」

 余程自信があるらしい北川さんは言う。するとコナンが早速切り込んだ。

「じゃあなんでベッドとカーペットの色を替えたの?」
「え?」
「おじさんでしょ? あれをベージュからグレーに替えたの」

 北川さんはわかりやすく狼狽えながら高木刑事に詰め寄り胸倉を掴むが、高木刑事は冷静にその男の手を掴み返した。

「さっきこの近くのデパートに行って裏付けは取りました。あなたがそこでグレーの布団カバーやシーツやカーテンを購入したという店員の証言をね!」
「だ、だから、それは……」

 額に汗を浮かべながら北川さんは掴まれた手首を煩わしそうに剥がす。

「私の部屋のカーテンやシーツが古くなったから買ったんだ。結局気に入らなくて捨てたけど……」
「村西さんの部屋のカレンダーを外し、サボテンをベランダに出したのもあなたですね?」

 北川さんの反応を見ながら高木刑事は淡々と問いかける。北川さんは黙ってその成り行きを見守ることしか出来ないようだった。

「まあ無理もありません。アンチスピリッツの東田さんの部屋にスピリッツのカレンダーや買ってもいないサボテンがあったら、いくら東田さんが寄っていたとしても気づかれてしまうかもしれませんからね」

 北川さんの顔色がどんどん青ざめていく。そして高木刑事はついに核心をついた。

「そう、あなたは村西さんの部屋から目につく余計なものを取り除き、カーテンやベッドの色、そして家具の位置まで東田さんの部屋と同じにし、村西さんを考察した後、居酒屋で泥酔させた東田さんを彼女の部屋に連れて行き、彼に錯覚させたんです。……自分の部屋に帰宅した、とね」
「……」

 すっかり黙ったままの北川さんを他所に、高木刑事は静かに話を続ける。東田さんを連れ帰ったのちに、まずは玄関でチェーンロックをかけさせてそれを確認してから鍵をかければ東田さんはベッドで酔いつぶれ、翌日東田さんは村西さんの死体と共に密室となった彼女の部屋で発見される、というわけだ。
 なかなかよくできた犯行だなと他人事のように思っていると、すっかり動揺した北川さんが思い出したように尋ねる。

「ビデオコードは? 村西さんの首に巻き付いていたビデオコードはどうなんだ!? あれには東田の指紋が残っていたはず……」

 するとタイミングよく彼女が戻ってきたらしい。それに気付いたコナンがなんでもなさそうに尋ねる。

「おい灰原、どうだった?」
「え?」
「思った通り。この家のビデオコード、ひとつ足りないわ」

 まさか話している間に家の中に入られているとは思わなかったのか、北川さんは言葉を失っている。おそらくAV機器に詳しい彼にビデオの配線を頼み、そのコードを凶器に使ったのだろうという推理が当たったようだ。

「しかもあなたは事件があった日、何故か会社を休んでいる……その日の昼間、村西さんの部屋に行き室内を偽装して会社から帰宅した彼女を待ち伏せ絞殺した証拠ですよ!」
「フン! 何が証拠だバカバカしい」

 だが北川さんは素直に認めるつもりはないらしい。気まずそうに目を逸らしつつも会社を休んで彼女に会ってもいないと言い始めた。するとコナンがここぞとばかりに可愛らしい声で言う。

「あれぇー? どうしたのおじさん、その親指の怪我」
「「!!」」

 それを聞いた途端、高木刑事と北川さんが同時に表情を変える。瞬時に高木刑事が北川さんの腕を掴む。何するんだと抵抗するが、こちらからすればただの言い訳にしか見えない。

「どうしたんです? この親指の刺し傷」
「そ、それは」
「警察でこの傷口と折れたあのトゲを調べればすぐにわかりますよ。あの日、村西さんが持って帰ったサボテンを、犯行後あなたが慌ててベランダに出したってことはね!」

 ぐぐ、と押し黙る北川さんに、高木刑事はさらに追い打ちをかけた。

「さあ、答えてもらいましょうか。あの日の夕方、彼女が居酒屋の女将さんに貰ったあのサボテンのトゲに、彼女に会ってもいないあなたの血がなぜ付着しているのかという事を……」

 そこまで言われてようやく観念したらしい北川さんはぐったりと項垂れ、事件の動機を語り始めた。なんでも北川さんは村西さんにしつこく結婚を迫られていたのが面倒で殺害し、その罪を仕事上のライバルだった東田さんに着せようとしていたらしい。なんともまあ、自分勝手なやつだ。

「よし、あとは目暮警部に……!」
「あれ? パトカーだ」

 連絡を取るために高木刑事が携帯を取り出したのとほぼ同時に、遠くの方から覆面パトカーが近づいてきた。しかもそれは北川さんの家のすぐ傍で停車するようである。

「高木ィ! 何やっとるんだお前は!」

 中から出てきたのはなんと連絡をしようとしていた目暮警部だった。なんてタイミングだろう。高木刑事は大急ぎで真犯人である北川さんを捕まえたことを報告する。

「さあ早く! 杯戸署の署長に、被疑者になっている東田さんの送致前釈放の手続きを取ってもらってください!!」
「あ、ああ……」

 そのあまりの勢いに押されるように目暮警部は頷いた。すると運転席から降りてきた白鳥警部が佐藤さんは?と尋ねる。

「彼女は今、東田さんと一緒に杯戸美術館に……」
「……ハハ、冗談はよしてくれ」

 白鳥警部は戸惑いがちに言う。

「だってあそこは今頃……」


***


 そこからは怒涛の展開だった。

 なんと佐藤刑事と東田さんがいる杯戸美術館は取り壊しが決まっており、今日はその公開解体のためのイベントが執り行われるというのだ。しかも解体に使う爆弾は阿笠博士が作成したものであるという。昨日の電話で言っていた花火とはこのことだったのかと点と点が繋がったのもつかの間、私たちは大急ぎで会場に向かった。だが如何せん時間がない。会場付近に近づいた時にはもう既に秒読み状態だった。

 流石に間に合わないかと思われたその時。
 コナンが覆面パトカーのパトランプを蹴り飛ばした。

 勢いよく飛んだパトランプはイベント会場にいる阿笠博士――花火のスイッチを持っている――にクリーンヒット。そしてそのまま気絶させることでスイッチを押されずにすんだのだ。その一部始終を後続車から見ていた私はといえば、大興奮の子どもたちと一緒になってはしゃぎつつも内心では大爆笑である。緊急時とはいえ普通あんなこと誰も思いつかないだろう。肝が据わっているというかなんというか、流石彼といったところだ。
 すると、隣に座っていた哀がぽつりとつぶやいた。

「あなた、それは無意識なの?」
「え?」
「笑い方」

 その一言にどきりと心臓が跳ねた。まさか、今の顔に出ていたか? おかしいな、そんなつもりはなかったんだけど。
 焦っているのを悟られないようにしつつ、すっかり慣れた子どもらしい笑みを今度こそ確実に浮かべる。

「なんのこと? あおいはいつもこんな笑い方だよ」
「……」
「何なに? 何の話ー?」

 するとタイミングよく歩美ちゃんが話に参加し始める。微妙に流れをずらしながらなんでもなさそうに会話を続けるが、内心助かったと私はホッとしていた。

「(これはなんとなく感づかれてそうだけど……彼女に限って実害も無いだろうし、もうしばらくは放置しておくか)」

 その時が来たら状況に応じて対応すればいいかとぼんやり決めて、私は隣からの視線をこっそり受け流した。

 因みに余談だが、その後私たちの学芸会の劇の題材は仮面ヤイバーから刑事ものに変わった。当然脚本は私だ。
 刑事ものを書くのはこれが初めてだったけれど、意外と悪くない出来だと思えたのは大きな収穫だろう。ちょうどこの間のお礼に高木刑事をモデルに作品を書こうと思っていたところだったし、いっそ新シリーズもありかもしれないな……。

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