屈しない心


「いえーい!」

 キャンプ場につき、車の扉が開くと同時に私は外に飛び出した。博士も「これはいい眺めじゃ」と感心したように言った。続いてコナンらもゆっくりと降りてくる。

「みんな早く早く!」
「待ってよ葵ちゃん!」
「待ってくださーい!」

 一目散に駆け出した私を追い掛けるように探偵団のみんながついてくる。コナンと哀だけは呆れたようにこちらを見ているばかりだったが、そんなことは気にしていられない。今日の私は締め切りから解放された久しぶりの自由な休みを思いっきり満喫すると決めているのだから。

「(この間の天皇杯の決勝戦を一緒に見に行けなかったのもすごく悔しかったんだ……。だから今日は十分楽しんでやる!)」

 車のすぐ傍にある川まで走ると、その流れに目を凝らす。透き通った水の中で数匹の魚が泳いでいるのを見るや否や、「魚だ!」と声を上げた。どこどこ?なんていいながら探すみんなを他所に、他の生き物を見つけて指さしする。

「葵ちゃん楽しそうだね」
「こんな元気な葵、初めて見たぜ」
「やだなあ、あおいはいつだって元気だよ!」

 朗らかに笑う。実際ここまでテンションが振り切っているのは久し振りのことだからあまり否定はできないが……まあそれはそれ。
 すると不意にコナンから声がかかった。

「おめーら戻ってこーい! 博士がテント忘れたってよ!」
「「「「えー!?」」」」

 とても悲痛な叫びがその場に響き渡った。
 しぶしぶ戻ってきた私たちはぶすくれた顔で車に揺られることになった。不満そうな声で口々につぶやく。

「だっせーなぁもう……キャンプに来て肝心のテント忘れちまうなんてよ」
「折角のバケーションが台無しですね」
「ホントだよ全く」
「道にも迷ってるみたいだし……」
「君らが横からごちゃごちゃいうからじゃ!」

 我慢ならないとばかりに博士も声を荒げる。今夜は野宿になりそうだなというコナンの言葉に、歩美は後部座席の方を振り返りながらえー!っと声をあげた。

「そんなあ……」
「きっと宿泊施設くらいありますよね?」
「そうそう、湖の見えるお城とか!」
「それいいね! 夢があるなあ」

 歩美の言葉に賛同すると、コナンがこちらを見ながらあからさまに苦笑した。いいじゃないか夢を見るくらい。こちとら久しぶりの休みを棒に振るかもしれないんだぞ。
 すると、ずっと黙っていた哀が涼しい顔で言った。

「あら、無茶でもないみたいよ」

 くいっと顎で示した先にはなんと、立派なお城のような建物が聳え立っていたのだ。まさかの展開にコナンは目を丸くする。先ほど思い描いていた空想が現実になったことに、私は喜びを隠せなかった。

 その建物の門の前についたところで車を止め、車から降りる。近くで見ればますます西洋のお城にしか見えないような立派な建物に、私は思わずため息を漏らした。まさしく物語に出てきそうな絶好のシチュエーションである。なんだかワクワクしてきた。目を輝かせ始める私に、コナンは白々しい目を向ける。

「じゃがなんでこんな森の中にこんな建物が……」
「きっとどっかの金持ちが外国の城を買って、バラして運んできたのをこっちで組み立てたんだよ」

 コナンの言葉に納得していると元太が我先にと飛び出して門をよじ登り始めた。博士の静止も聞かずに中へ侵入したところでひょいと首根っこを捕まえられる。

「コラ! どこの小僧だ! 勝手に入りやがって!」

 庭師のような恰好をした男が思い切り怒鳴りつける。それを見て慌てて博士が怪しいものでは無いことを弁解した。立派な城が見えたので中を見学させてもらえたら、と言ったところで男は再び目を三角にする。

「帰れ帰れ! ここはよそ者の来るところじゃ――」
「おや? 誰ですか、その者たちは」

 だが男の声を遮るようにしてもうひとりの人物が姿を現した。いくらか優しそうな雰囲気の口ひげを生やした男である。旦那様、と男に呼ばれたことから察するにこの城の主なのだろう。

「あのアホ面の爺が中に入れろって」
「アホ面ってアンタ、ワシはちゃんとした科学者じゃぞ!」

 聞き捨てならないとばかりに声を荒げる博士。すると主と思われる男性がその言葉に引っ掛かりを覚えたようだ。「科学者?」とつぶやくと博士は途端に得意げに胸を張ってこたえる。

「いかにも! ワシは阿笠博士という少しは名の通った発明家じゃよ!」

 その言葉を聞いた男性はふむ、と考え込むように言う。

「ならばその頭脳、凡人の我々よりは数段キレるわけですな? ……よろしいでしょう。中にお入りください」

 その言葉を聞くなり庭師らしき男は驚いたように主の顔を見た。なんなら一晩泊って行かれては、という申し出に私たちはぱっと顔を明るくした。泊まれるのか!? この城に!?

「し、しかし旦那様、大奥様に断りもなくそんなこと」
「私の友人とでも言っておきなさい。お母様のあの状態ならそれで充分だよ」

 それだけ言うと立ち去ってしまった。
 庭師の男性に案内されるように城の庭を眺める。びっくりするほど広いが手入れがよく行き届いており、目にも楽しいものとなっている。城の庭を歩くなんて初めての体験であるため辺りをじっくり観察して歩く。目に見える景色だけでなく聞こえてくる音や匂い、空気感に至るまであらゆる情報をインプットするくらいのつもりで感覚を研ぎ澄ませていた。
 すると何かを発見したらしい歩美がぱっと駆け出す。

「お馬さんだ!」
「ホントだ」
「黒いのもあるぜ!」
「でもなんで首だけなんでしょうか」

 庭に配置されている大きなモニュメントのようなものを見ながら光彦はつぶやく。でもこれどこかで見た事ある気が……。すると哀が言った。

「その馬の駒はナイト。チェスの駒のひとつよ」
「チェスかあ」

 通りで見たことあるはずだと思っているとコナンは「駒だけじゃねーよ」とつぶやいた。

「下の芝生を見てみな。チェック模様になってんだろ」
「じゃあこれ、芝生を刈りこんでチェス盤みたいにしてるってこと?」
「そういうこと」

 それをみた博士が庭師の男にチェス好きの人がいるのかを訊ねる。だが男は前の旦那様の言いつけ通りにこの芝を手入れしているだけで詳しくは分からないのだそうだ。
 なんとなくその話が気になった私は、子どもたちと庭を観察しながらさりげなくそちらに意識を向ける。

「なんでも、15年前に亡くなられた大旦那様の遺言を貞明様が受け継がれたそうだ」
「じゃあさっきのあの人は……」
「奥様の2番目の亭主の満様さ。貞明様は6年前に病死されたから。その奥様も4年前の大火事で亡くなられてしまったがね……」

 ほら、と庭師の男はある建物を指さす。城の傍にあるその棟は酷く焼け焦げていた。奥様はその棟にある寝室で寝ていたところ、火災に巻き込まれてしまったのだという。奥様だけでなく一緒に連れてきた友人、長い間仕えていた使用人や執事たち十数人も炎に飲まれてしまったのだという。生き残ったのは雇われの使用人と風邪をひいて別館で眠っていた大奥様、先ほど入り口で出会った満さん、ご子息の貴人さん――庭のチェスの駒を観察している糸目の男性だ――だけなのだとか。

「火事が起こる2、3日前にふらっと戻ってこられたのだが、幼少のころから外国に留学されていたそうで、お会いするのはあの時が初めてだったな……。満様と最初にお会いしたのもあの時。奥様は外国で再婚されてから満様とずっと向こうで暮らしておられたからねぇ。でもなぜか貴人様もあの大火事以来、この城にとどまり続けておられるんだ」

 何かにとりつかれてしまわれたかのようにね、という庭師の男の声は先ほど元太を怒鳴りつけた人物と同じとは思えないほど優しかった。

 城の中に移動しようとする庭師の男と博士の背を追うように、私たちも建物の入り口へ急ぐ。大きな両開きの扉を開いて中へ入ると、私は思わずおお、と声を漏らした。
 出迎えてくれたのはエントランスの奥にある大きな肖像画だった。話を聞くに、これが大旦那様だろう。両サイドにあるのは貞明様と奥様の肖像画であるらしい。1階から見てもその大きさに驚くのだから、かなりのものだろう。

「お父様はただの理屈っぽいインテリに過ぎないわ」

 城の内装にまじまじと見入っていると、ふと聴きなれない声がする。そちらを見ると車椅子姿の老人が佇んでいた。丸い眼鏡をかけた長い白髪の彼女を見るなり庭師の男が慌てたように「大奥様!」と口走る。

「このことはあの人の耳にもちゃーんと入っておったわ。あの人は怒るどころか喜んでおった様じゃがの」
「すみません! 嫌なことを思い出させてしまって……」
「心配せんでええ。あの人がいないこの城にももう慣れた」

 紙幣の図柄やパスポートのサイズが変わったのと同じだと大奥様は言う。最初は違和感があるが、時が経てば薄らいでいく……そういうものだと。

「時とは恐ろしいものよのう。喜びも悲しみも、一緒くたに消し去ってしまうのじゃから……」
「大奥様……」
「ところで、その者たちは?」

 不意を突かれた庭師の男はしどろもどろになりながらも旦那様の友人の科学者の方です、と紹介した。それを聞いた大奥様はおお、それは楽しみじゃと感激したように言う。

「是非解き明かしてもらいたいものよ、あの人がこの城に込めた謎を」
「!」

 謎という言葉に、コナンの目の色が変わる。あっこれは彼の好奇心スイッチが入ってしまったか? そう思っているとすかさず博士が訊ねた。

「謎?」
「大旦那様が死ぬ間際に言い残されたらしいんだ。『この城の謎を解き明かしたものに私の一番の宝をやる』って……」
「そういえば娘はまだかい」

 大奥様が思い出したかのように言った。娘? 娘って奥様のことだよな。でも確か彼女はもう……。

「今日戻って来るはずじゃろ? 私の誕生日を祝うために」
「い、いえ奥様……!」

 庭師の男が何かを言おうとするが、大奥様はそれを遮って言葉を続ける。

「来たらすぐ私の部屋へ」

 そして自身で車椅子を操作し、楽しみじゃと言いながら去っていってしまった。聞くに、火事の後からずっとあのような調子であるらしい。相当ショックだったのだろうと博士はしんみりと言った。

「ねえおじさん。庭にあるチェスの駒が見渡せる部屋ってある?」

 唐突にコナンは言った。好奇心スイッチが入ってしまった彼は正直誰にも止められないらしい。庭師の男は若干戸惑いながらも、庭が見える部屋に案内してくれる。
 案内された部屋の窓を開けてみると確かに、駒が綺麗に並んで見えた。

「確かに見えるね、ここなら」
「ええ。ばっちりです」

 一緒に見ていた光彦が言う。ふと隣の部屋の窓を見てみると歩美と元太も庭が見えるとはしゃいでいた。一方コナンはといえば何やらメモを取っている。多分チェス盤を書き写しているのだろう。恐らくこれが謎の鍵なんだろうが、私は生憎ボードゲームの知識には明るくない。そのため謎解きは完全に彼にやってもらう他ないのだ。

「こっちからも見えるよー!」
「ほんとか!?」

 声をかけると元太が窓から引っ込んだ。多分こっちに来るんだろう。バタバタという足音がして、勢いよく元太が部屋に入ってくる。そして窓に手を掛けた。何をするのかと思いきや、窓枠をまたぎ足を外にするようにして腰かける。

「うひょー! 丸見えだぜ!」
「丸見えなのはいいですけど、危ないですよ」
「止めた方がいいんじゃ……」

 だが次の瞬間、ぐらりと元太の体が窓の外へ傾く。反射的に私と光彦は彼の手を取った。

「お、落ちる……!」

 するとその光景を見ていた歩美が「落ちちゃうよ!」と泣きそうな声を上げた。

「元太くん、下の壁に足かけて上って!」
「お、おう」

 私の声を聞いて元太は必死に足をかけて力を入れた。それに合わせて私たちはふたりで彼の腕を引く。慌ててコナンが駆け付ける頃にはなんとか元太を引き上げることに成功していた。

「落ちちゃうところだったぜ……だはっ」
「あ、落ちた」
「だから止めた方がいいって言ったのに……」

 はあ、と私がため息をついていると、不意にコナンが何かを思い付いたかのように壁をノックし始めた。移動しながら一定のリズムで叩き、ぱっと顔を上げて時計を見つめる。何かに気付いたのだろうか。なら私は彼が集中できるようにひとりにしておいてやったほうがいいだろう。そう思い、窓の外を指さした。

「あ、あそこ! 綺麗な青い鳥!」
「え! どこですか!?」
「全然見えねーぞ?」

 目を皿のようにして窓の外を見るふたり。あそこだよーなんて指さしながら彼がひらめくのを待つ。

「うわっ!」

 ――バタン! ドサッ!

 ものすごい音がして、私たちは咄嗟に振り返った。だがそこには倒れた椅子と数冊の本があるのみで、肝心の人物がいない。

「あれ? コナンくんさっきまで居ましたよね?」
「ああ……」

 ふたりも困惑気味である。対する私も混乱を隠しきれずにいた。一体彼はどこへ消えたのだろう?
 とりあえず隣の部屋のふたりの所へ向かおうと部屋を出ると、ちょうどふたりもコナンを呼びにこちらへ向かっていたようだった。「あれ? コナンくんは?」と尋ねる歩美に事の経緯を説明する。

「さっきまでそっちの部屋にいたのに」
「よそ見してたら急に消えちゃったんですよ」
「そんなあ……」

 歩美は弱ったようにつぶやいた。一方哀はといえば、じっと部屋の内部を見つめている。彼女のことだ。恐らく何か考えているのだろう。
 私もこの状況と先ほどまでのコナンの行動から推測して何も思いつかない訳でもないが……。

 するとスタスタ部屋に入り、椅子を起こし始めた。その上に本を積み重ねて踏み台にし、時計に手を伸ばす。私たちが見ているのを他所に、針に手を掛けて回し始めた。その時。

「コラ! ダメじゃないか悪さをしちゃ」

 不意に鋭い声が飛び私たちはびくりと肩を震わせる。そこにいたのは糸目の男性……先ほど庭で見かけた貴人さんだ。哀は涼しい顔のままひょいと踏み台から降りる。

「子どもたちがどうかしましたか」

 廊下の向こうからやってきた博士が言う。ちょっと悪戯を、という貴人の言葉に違うもん!と歩美は反論する。

「コナンくんがいなくなっちゃったから探してたんだもん!」
「いなくなった?」

 眉を寄せる博士を他所に、博士の後ろにいた庭師の男は「トイレにでも行ったんだよ」とお気楽そうに言う。ひすぐ下にあるのだというそのトイレに私たちは一先ず向かってみることになった。

「トイレならトイレって言って欲しいよな」
「まったくですよ」

 ぶつくさと文句をいいながら子どもたちは部屋を出る。だが最後尾の哀は立ち止まり、部屋の方をもう一度見ていた。
 私も哀の少し手前で立ち止まり、あくまでも子どもらしく見えるように彼女に尋ねる。

「何か気になるの?」
「……何でもないわ」

 だが哀は何事も無かったかのように視線を部屋から外し、さっさと私を追い抜いて元太たちの後を追い始めた。

「……」

 哀が転校してきた日……例のニセ札グループを捕まえた一件から、私は彼女が普通の小学生でないことにはなんとなく感づいている。

 次の日の学校で彼女についてコナンに尋ねた際にそれっぽく濁されてしまったこと、あれからコナンと哀が時々一緒に話しているのを見かけるようになったことから判断するに、恐らく組織に関りを持ってしまった人間といったところだろうか。
 彼に協力的な人間なら大歓迎だが、もしそうでないとしたら……。

「(何にせよ、要観察であることに変わりはないか)」

 私はなんとしても、彼と組織との攻防の顛末を見届けて、それを元にした作品を書き上げたいと思っている。
 そのためにも主人公である彼に途中で死んでもらっては困るのだ。

「……さて」

 彼は一体どこにいるんだろうね。
 私は子どもたちの後を追い掛けながら、彼の行方について思いを馳せた。


***


 一階のトイレをくまなく探したが、やはり彼はそこにいなかった。

「ここ以外にトイレは?」
「ここはあまり使わない棟ですので、ここしか」

 貴人さんの言葉に元太はどこかに隠れて驚かす気なのではないかとニヤニヤしながら提案した。光彦と歩美はそうかもしれないと賛同したが、私と哀は表情を変えなかった。彼がそこまで子どもじみたことをするとは思えない。私じゃあるまいし。
 すると使用人らしき人物が貴人さんに声をかける。
 
「貴人様。夕食の用意ができました」
「ああ、もうそんな時間ですか」

 そしてこちらに振り向いて言った。

「一応君たちの分も用意させたけど食べるかい?」
「うな重か!?」

 食べ物のことに目がない元太が真っ先に食いついた。だが歩美は表情が晴れない。

「でもコナンくんを探さないと……」
「大丈夫だよ。お腹がすけば我慢できずに出てくるさ」

 そういうわけで私たちは夕食をごちそうになることになった。
 案内された部屋にある大きなテーブルに並んだ数々の豪華な料理を前に、思わずよだれが零れそうになる。それぞれ席に着き、食事の挨拶をしてから好きなように食べ始めた。因みに私の席は元太と哀の間である。

「美味しい!」
「すげーうめー!」
「ええ、絶品です!」
「幸せ〜!」

 はしゃぐ私たちとは打って変わって哀は静かに食事を摂っているが、食事のペースはそれなりに早い。彼女もこの味を気に入っているのだろうか。
 私たちを向かいの席で見ていた旦那様……満さんは「たまにはいいねえ、こういう賑やかなのも」と微笑んでいる。

「お母様があの火事で死んでからは、めっきり来客も減りましたからね」
「しかしなぜですか? おふたりともあの火事以来、ここに留まっていると聞きましたが」

 博士が切り込むとそれぞれ理由を話してくれた。貴人さんは元々、向こうの大学を出たら戻って来るつもりだったらしい。満さんは初め、娘さんを亡くされたお母さんを気遣って留まっていたが、そのうちにこの城のことを気に入ってしまったのだという。

「気に入ったのは城じゃのうて、城に隠された財宝の方じゃないかい?」
「お、おばあ様……」

 車椅子姿の大奥様はじろりと睨みを聞かせながら言った。確かにそうですな、と満さんは答える。

「お父様のあの遺言が気にならないと言えば嘘になる」
「……お前のような欲深きものに娘がたぶらかされたとは」

 それから大奥様は「夕食は部屋で摂る、娘が来たら連れてこい」とだけ言って部屋を出て行ってしまった。

「おばあ様は相変わらず、お母様がまだ生きていると」
「記憶が鈍るのも無理はない。脚を痛められてから10年間ずっとこの城にこもられたままなのだから」

 そこまで言ったところで不意に視線を博士に向ける。

「で、謎の方は解けたのかね阿笠さん」
「へ?」

 何の話だかわからないといった表情を浮かべる博士に、満さんは目を丸くする。

「おや、まだ聞いてないんですか。お父様が言い残した、『この城の謎を解き明かしたものに私の一番の宝をやる』という遺言を」
「ああ、それなら庭師の田畑さんに聞いたんじゃが、どこをどう探っていいかわからんし……」
「庭に並べられたチェスの駒」

 不意に博士の隣の哀が口を開いた。あのチェスボードを作ったのが宝を隠した本人だというのなら、そこに謎が隠されているとみて間違いないだろう、と。その推察に貴人さんと満さんはおおと感心したように唸る。

「もしかして君はあの駒の意味がわかったのかい?」

 貴人さんの問いかけに、あっさり「わかるわけないでしょう」と言いながら哀はカップに口を付けた。

「貴方たちが4年を費やして解けなかったのに。……もし解けるとしたら、この城のどこかに消え失せた好奇心旺盛なミステリーグルメさんくらい、かな」

 哀は小さく微笑む。その言葉の真意がわからず、満さんと貴人さんは頭に疑問符を浮かべていた。そんな彼らを他所に、目の端で使用人の一人が歩美にビニール袋を差し出しているのが見えた。歩美はコナンのためにパンをひとつ持っていってやるつもりらしい。優しい子だなあなんて思いながら私は自分の分のパンをかじっていた。
 すると思い出したかのように満さんが訊ねる。

「そういえば眼鏡の少年はどうしました?」
「それが、さっきから姿が見えないんじゃ。食事を済ませたら探しに行こうと思っているのじゃが……」
「この城結構入り組んでいるから、どこかで迷ってしまっているんですよ」

 貴人さんの言い分に、満さんは「あの塔に迷い込んでいなければいいが」と神妙な面持ちでつぶやいた。

「あの塔?」
「ほら、この城の左手に見えたでしょう。4年前我が妻がやけ死んだ、緑に囲まれたあの焼け焦げた塔の事だよ」

 それから満さんは興味深い話を聞かせてくれた。
 ちょうど2年前、ここで雇っていた新米の使用人が一夜の内に姿を消してしまったのだという。聞けば彼はよく『あの塔には何かある』と仲が良かった使用人に漏らしていたらしい。それからすぐにあの塔を捜索したが、誰かが侵入した形跡は見つかっても彼の姿はなく、警察を呼んでこの辺りの森を大捜索することになったのだと。

「それで、その後は?」
「……10日後、森の中でようやく見つかったよ。餓死状態でね」

 満さんの言葉に子どもたちが一斉に顔をひきつらせた。餓死状態とは……なかなかえぐい仕打ちだ。なんでまた、という博士の問いかけに、満さんはさあ……と言葉を濁す。

「警察は誤って森に迷い込んだ単なる事故死として処理していたが、使用人の間にはしばらく奇怪なうわさ話が流れてね……。『あの塔で焼け死んだ妻たちの怨念が彼に乗り移ったんじゃないか』ってね」

 それ以来あの塔の入り口は封鎖したのだそうだ。
 話を最後まで聞き終えた歩美は恐怖からかすっかり涙目になってしまっている。

「じゃあ早く見つけないと、コナンくんもお腹を空かせて……」

 そうつぶやいたところで元太と光彦は自分の分のパンを歩美の持っている袋に入れた。私も入れたいのは山々だが、生憎最後のひとつに手を付けてしまっている。ま、3つもあれば十分だろう。

「とにかく、みんなで手分けして探しましょう。夜が更ける前に」

 貴人さんの提案に私たちは静かに頷いた。


***


 夕食を終えた私たちは早速コナンの捜索を始めた。庭に降り、大声を張り上げて辺りを見回す。

「おーいコナン!」
「どこですかー!」
「いたら返事して!」
「隠れてないで出て来てよ!」

 だが一向に彼は見つからない。いつの間にか雨が降り始めて気温もどんどん下がっているし、もし彼が危険な状態なら一刻も早く見つける必要がありそうだが、果たして……。

「どうやら庭にはいないようだ」

 庭師の男――田畑さんは言う。ちょうど城の中を探し終わった貴人や使用人たちも庭に出てきたが、見つけられなかったようだ。

「じゃあ、やっぱりあの塔に」

 博士の言葉を満さんはいや、と否定する。

「今入り口まで行ってみたが扉には鍵がかかったままだったよ」
「となると残るは森の中か……」

 苦々しい表情で田畑さんは言う。だが雨脚が強くなってきたことを理由に、捜索は明日警察を呼ぶことが懸命だという判断に落ち着いた。

「さあ君たち、とりあえず中に戻ろう」
「ええ!?」
「そんなあ」

 満さんの言葉に不満を漏らす中、歩美は私たちにくるりと背を向けて声を張り上げた。

「コナンくーん!」

 その表情は実に悲痛で、見ているこっちの胸が痛むほどだった。余程彼のことが心配で堪らないのだろう。

「歩美ちゃ……」
「大丈夫」

 私が声をかけるよりも先に、歩美に近づいてきた哀が言った。

「江戸川くんは、あなたが心配するようなヤワな男じゃないわ。彼なら自分の脱出ルートくらい自分で見つけ出せる。ビービー泣いてる暇があったら、パンが雨に濡れないようにしっかり袋を抱えてなさい」
「う、うん……」

 哀の言葉に歩美は曖昧に頷いた。先ほどと比べて多少涙は引っ込んでいる。一見強引な言葉選びだったが、慰めには成功したらしい。

「おーい!」
「風邪ひいちゃいますよ!」

 元太と光彦の呼びかけに、哀はさっさと城の中に戻ろうと歩き始めた。私も歩美に付き添うように歩き始める。すると歩美が意を決したように哀と距離を詰め、尋ねた。

「ねえ、どうしてそんなにコナンくんのこと、わかっちゃうの?」
「さあ。どうしてかしら」

 はぐらかす哀に、「もしかして」とパンの袋をぎゅっと握りしめる。

「好きなの? コナンくんのこと」
「え?」
「!」

 哀は目を丸くしながら歩みを止め、後ろを振り返る。私もつられて足を止めた。歩美はというと、頬を僅かに染めながら不安そうに眉尻を下げ、哀のことを見つめている。
 数秒ほど黙って見つめ会った後、哀は小さく笑みを浮かべながら言った。

「だったらどうする?」
「え? こ、困るよ……」

 歩美は自信なさげにつぶやいた。すると哀は「安心して」と言いながらくるりと背を向ける。

「私、彼のことそういう対象として見てないから」
「! ほんと!? よかった!」

 歩美は安心したようにぱっと顔を輝かせ、それからさっさと私たちを追い越すと、「ほんとにほんとだね!」と言いながら上機嫌に駆けていってしまった。
 これは中々面白い場面に出くわしたもんだ、なんて他人事のように思っていると、背後にいた博士が咳ばらいをひとつ。

「まったく最近の子どもは……」
「あはは、歩美ちゃん流石だねえ」

 私は笑ってつぶやいた。すると先にいる子どもたちに呼ばれたため、返事をしてそちらに向かって走る。

「灰原と何の話してたんだ?」
「ふふ、ナイショ!」

 上機嫌に歩美は言う。何はともあれ、彼女の元気が戻ってよかった。


***


「灰原さんと博士遅いね」
「そうですねえ」

 先に城に入って待っていたが、一向に哀と博士が戻ってこない。随分私たちが先に進んでいたとはいえ、これは流石に遅すぎる。何かあったのだろうかと思っていると、使用人の人が部屋の用意ができたことを教えてくれる。そこで元太がみんなで哀と博士を探しに行くことを提案した。やることもなく手持無沙汰だった私たちはそろって賛成し、部屋を後にする。
 城中を歩くこと数分。固定電話が設置された場所で哀を発見した。満さんも一緒である。

「あ、灰原さーん」
「ここにいたんですか」
「俺たちのベッドの用意できたってよ」
「早くお部屋行こー」

 そう呼びかけると受話器を無言でこちらに歩いてくる。その表情はいつもと変わらず涼し気だったが、どこか固いような気がした。それに小さな違和感を覚えていると、あれ?と歩美が辺りを見回す。

「博士は?」
「一緒じゃなかったんですか?」
「さあ。この城の宝でも探してるんじゃないかしら」

 哀は後ろにたたずむ満さんの方をちらりと見て言う。彼は何も言わず、ただこちらの方をじっと見つめているだけだった。


***


 その日の夜。

 みんなが寝静まったころ、ごそりと物音がした。ようやく動き出したかと思いながら、寝転がったままそっと薄目を開けて見る。すると右端の方に寝ていた哀が起き上がっているのが見えた。彼女はそのまますとんとベッドを降り、ドアを薄く開く。しばらく外を見ていたかと思えば、そっとドアの隙間から出て行ってしまった。
 さて、行動を開始するとしよう。そう思いながら静かに上体を起こしたところでぱっと目が合った。

「「「「あ」」」」

 声がそろう。声の持ち主は言わずもがな子どもたちだ。すっかり寝ていると思っていたが、どうやら狸寝入りだったらしい。全員同じ考えだったことにあはは、と困ったような笑いが零れる。わざとらしく光彦が言った。

「灰原さん、どこかへ行っちゃいましたね」
「コナンくんも博士も帰って来てないし、自分ひとりでこの城を調べるつもりなのかも」
「そんなの危ないよ……」
「よし! こうしちゃいられねえ、俺たちも行くぞ!」

 小声で相談し、私たちはしっかりと頷いた。
 そうっと扉を開け、部屋を出る。足音を殺しながらしばらく哀の後を追っていたが、うっかり物音を立ててしまった。それに彼女が気づかない訳もなく、あれよあれよと見つかることとなった。
 目を細めながら腕を組んで哀は問いかける。

「……何やってるのよあなたたち」
「だって、コナンくん心配なんだもん」
「博士も戻ってこねーしよ」
「何もせずに寝てるなんて、そんなの出来るわけないじゃない」
「僕たちも捜索のお手伝いしますよ」

 ひとりより5人のほうがお得だぞ、という言葉に哀は呆れたように「まあいいけど」と言ってこちらに背を向ける。

「殺されたって知らないわよ」

 殺される、というワードに反応した子どもたちは慌てたように哀の背を追った。

 5人で向かったのは昼間来た庭のチェスが見渡せる部屋だ。不思議そうにする子どもたちを他所に、哀は棚の本に手を掛ける。なるほど、昼間の続きをしようというわけか。何も言わずに私が椅子を時計の下に移動させると、哀は一瞬目を丸くした後、手にした本を積み重ねる。状況が飲み込めていない3人は不思議そうにするばかりだ。

 そんな彼らを他所に、哀は本の上に立つと時計の蓋を開け、その針に手を掛けた。くるくると何度か回したところで、カチリと音がする。

 その瞬間、時計の下部分の壁と床がくるりと回転した。

 咄嗟に椅子を押さえたことでなんとか動きが止まる。壁の向こう側には暗闇に包まれた隠し通路が広がっていた。こんなものが隠されていたのか……好奇心故に自動で上がる口角を咄嗟に手で隠していると、そっと中に足を踏み入れながら歩美が不安げにつぶやいた。

「なにこれ……」
「隠し通路ですね……」
「手動で時計の針を回転させると扉が開く仕掛けになっていたのよ」

 さあ行くわよ、と哀が腕時計のライトをつけた。哀も博士から貰っていたらしい。得意げに笑いながら私たちもつけてみせると、「頼もしいじゃない」と哀は小さく笑みを浮かべた。

 真っ暗闇の階段を一列になって降りていく。そんな場合ではないということは十二分にわかっているのだが、やはり探検というのは胸が躍るものだ。場の空気を乱さない程度にワクワクしながら長い階段だと思いながら降りていると、不意に哀がその場にしゃがみ込んだ。手を伸ばし、何かに触れる。

「何ですか、それ?」
「血だわ」

 哀の言葉を聞いたその場に緊張が走る。色と乾き具合からしてあまり時間は経っていないだろうという彼女の推察に、歩美が素直に賞賛した。

「コナンくんみたい!」
「何のんきなこと言ってるの。彼の血かもしれないのよ、これ」
「え……」

 一瞬で歩美の顔が青ざめる。彼女にとってつらいだろうが、それもひとつの可能性として考えられるのは事実だった。すると辺りの地面を観察していた光彦が何かの文字を発見する。

「『アイツハ私ニナリスマシテ城ノ宝ヲ横耳』……横取りって書こうとしたみたいですね」
「もしかしてこの文字もコナンくんが」
「でも彫られたところがかなり古そうだから、それはないんじゃないかな」

 率直に私が意見を述べると、「一体誰が書いたんでしょうか」と光彦がつぶやく。誰が書いたかはわからないが、文字が書きかけのところから判断するに、続きを書くことができなくなったのだろう、と哀は推測した。

「書けなくなった?」
「まさか……」
「そう、ここで息絶えたのかもしれないってこと」

 哀の言葉に、歩美と光彦は一気に顔を青ざめた。
 その遺体をコナンが見つけ、気を取られているスキに背後から何者かに襲われたとしたら血の説明もつく。冷静な哀の意見に私も静かに納得していた。

「おーい、何か落ちてるぞ」

 少し離れたところを探していた元太が声を上げる。そちらに向かって見つけたものを見せてもらった途端、私はあっと目を見張った。

「これ、博士の眼鏡じゃない……?」
「え!? な、なんでこんなとこに博士の眼鏡が落ちてんだ!?」
「割れてるし、血もついてる……」

 博士に何かあったんでしょうか、とつぶやく光彦。どう答えたものかと思っていると、不意に哀がひとりで歩き始めた。慌てて全員でそちらへ向かう。

 すると不意にぐるりと床が回転した。知らず知らずのうちに何かの仕掛けが作動してしまったようだ。想定外の動きに思わずしりもちをつく。
 立ち上がって状況を確認する。哀と光彦と歩美だけ……元太は置いてきてしまったようだ。

「あれ? ここって……」

 ふと気が付いて驚いた。ここは数時間前に哀がいた固定電話のすぐ傍の廊下だったのだ。こんなところにも隠し扉があったらしい。
 試しにぐっと押してみたが今度はびくともしなかった。

「変ですね……」
「もしかしたら外からは開かないようになってるのかも」
「そんな、中に元太くんがまだいるのに」

 不安そうに言う歩美。仕方なく最初に入った部屋に戻り元太と合流することになった。
 だがその部屋に再び入ることは出来なかった。部屋に鍵がかかっていたのだ。ガチャガチャとドアノブを回す光彦を見ながら歩美は言う。

「なんで……さっきは開いてたのに」
「誰かが私たちの後をつけていたのよ。鍵をかけたのは私たちが通路を引き返して逃げるのを防ぐため」
「あおいたちが偶然あの扉から出られたのはラッキーだった、ってことか」
「それじゃあ、元太くんは……」

 不安そうに眉を下げる歩美。そんな彼女に哀は至って冷静に推測を告げる。

「後をつけてた誰かさんに落ちたとみて、まず間違いないでしょうね」
「そんな……」

 思わぬ展開に言葉を失う光彦と歩美。すっかり顔を青くしたふたりを励ますように私は明るく提案した。

「とにかく、別の入り口を探そうよ。3人を助けるためにもさ」

 私の言葉に多少は元気を出してくれたのかはわからないが、ふたりは確かに小さく頷いた。


***


 その後私たち4人は別の入り口を見つけるために城内を探索した。
 すると、しばらくして貴人さんがアトリエとして使っている広い部屋を発見したため、中を探ることにする。絵をかいていると聞いた通り、部屋の中にはたくさんの画材やキャンバスが並べられていた。壁に貼られた塔の見取り図なんてのもある。

「わあ……新聞紙がいっぱい」
「筆を拭いたり、絵を包んだりするのに使うんですよ」

 歩美のつぶやきに光彦が補足する。それにしては随分紙が古ぼけているような気がするが……。哀に倣って一冊手に取ってみる。日付を見ると、どうやら4年ほど前の新聞のようだ。

 哀がじっくりと新聞を読みこんでいるのを横目に、他の場所を探索する。だがそこまで目ぼしいものは見つからなかった。それだったら哀が見ている新聞を一緒に読んだ方が得るものが大きかったような気がする。
 すると不意に歩美が言った。

「ねえ、光彦くんがいないよ」
「え?」

 言われてみると確かに、室内に彼の姿はない。もしや外に出たのだろうかと3人で廊下の方を見ると、奥の方にいかにも好奇心をくすぐりそうな開きかけの扉が見えた。あそこは確か……まさか、彼はこの中に?

「妙ね……あそこは火事があった塔の入り口。封鎖されてるはずなのに」
「ひとまず近くまで行ってみよう」

 3人で入り口に近づく。光彦の名を呼びかけようとした歩美を哀が素早く静止した。

「罠かもしれないわ。私が中に入って様子を見てくるから、あなたたちはその辺の草むらに隠れていなさい」

 そう言ってひとりスタスタと入り口の方へ行ってしまう。流石にその単独行動は見過ごせないと思い、思い切って声をかける。

「ひとりで行くのは危険じゃない? ここは全員で行動したほうが……」
「言ったでしょう、罠かもしれないって」
「でも」
「300数えてそれでも私が出てこなかったら、その時は逃げなさい」

 森の車道を下って行けば運良く助かるかもしれない。淡々とした調で哀は言う。今にも泣きそうな声で哀を呼ぶ歩美に、「しっかりしなさい」と一括した。

「そのパン、江戸川くんに届けるんでしょ?」
「……うん」

 抱えたパンをぎゅっと抱きしめて歩美は頷いた。頼んだとでも言いたげにこちらに一瞥をくれると、彼女は迷いなく塔の中に入り、扉を閉めた。目を潤ませる歩美を少しでも安心させようと、その手を取って物陰の方へ引いた。

「大丈夫、みんなすぐに戻って来るよ。だから言われた通り、数かぞえて待ってよ?」

 パンを抱えてうずくまってしまった歩美は小さく頷く。
 それから声を抑えつつ互いに交代で数をかぞえはじめた。だが終わりの300が近づくにつれ、彼女の不安も増していく。いつの間にかまた降り始めた雨が、彼女の心を現しているかのようだった。

「298……299……さ、300」

 ぱっと扉の方を見るが、一向に誰かが出てくる気配はない。歩美はふらりと立ち上がったかと思うと、そのまま吸い寄せられるように入り口の方へ歩いていく。

「300、数えたよ」

 そう呼びかけるが返事はない。瞳を潤ませたその姿は実に痛々しかった。そっと扉に手を掛けようとしたところで、私は静かに言う。

「歩美ちゃん」
「……本当は灰原さんの言う通りにしたほうがいいのかもしれない。でも、それじゃダメだよ」

 それに、と歩美は続ける。

「葵ちゃんと一緒なら、怖くないもん」

 恐怖におびえながら、それでも立ち向かわなければならないのだという決意の現れた顔をこちらに向ける。
 彼女はそれほどまでに、友人のことを大切に思っているのだ。

「……トモダチが死ぬのは確かに、悲しいからな」

 前世でのある記憶を思い出した私は、子どもらしさを隠すことなく小声でつぶやく。幸い彼女には聞こえていなかったようだ。

「わかった、一緒に行こう。あおいたちふたりでも探偵団なんだって、証明しようよ」

 私の言葉に、歩美は表情を明るくすると涙を拭って強く頷いた。
 扉を開いて中に入り、腕時計のライトをつける。光の差さない暗い塔内を時折哀の名前を呼びながら捜索した。

 いくつかの部屋を見てまわり、次の部屋へ向かう。扉を閉めた際、反射的にカシャンと鍵を閉めてしまった。そこでふと周りを見回す。

「ここって……」
「トイレみたいだね」

 だから鍵がかけられたのだと思っていると、ガチャガチャとノブが動く音がする。どうやら外から誰かが開けようとしているようだ。

「灰原さん!」
「待って歩美ちゃ――」

 軽率に鍵に手を掛けた歩美を引き留めようと声をかける。するとその途中でドン!と外側からドアを蹴るような音が聞こえた。反射的に歩美は手を引っ込める。次第にその音は大きくなっていき、ドアの向こうの人物が哀でないことは明らかだった。思わず歩美は後ずさる。

 私は状況を打開するために周囲を確認する。身を隠せそうなものはトイレぐらいだが、ひとり隠れるのでやっとだろう。だからといってここで私がひとり犠牲になっても、ますます彼女を不安にさせるだけだ。それは言ってしまえば全滅したも同然。犯人の思うつぼだろう。

「(どうする……どうする!?)」

 今にも破られる、と覚悟を決めたその時。
 不意に背後から腕を引かれた。

 誰だと反射的に身構えたが、手のサイズが子どもだったため、容易に警戒心を解くことができた。その手に導かれるままトイレの壁の隠し扉の内側に身を隠す。

 数秒後、扉を破って何者かがトイレに侵入してきた。じっと息を殺していると、隠し扉の存在に気付いたのか、こちらへ向かってくる。回転式の扉の死角に上手く身を隠しつつ、犯人の気を逸らすためにその辺にあった小さな石をトイレの出入り口付近に向かって投げた。
 案の定犯人はそちらの物音に気を取られ、立ち去ったようだった。

「行っちゃったみたい」

 外の様子を確認した歩美が涙目で言う。だが哀の視線は冷ややかだ。

「あなたたち何きいてたの? 逃げなさいって言ったはずよ。私が偶然この隠し扉の中にいたから助かったけど……そうじゃなきゃ今頃ふたりとも殺されてるわよ」
「だって、みんなが危ない目に合ってるかもしれないのに、あたしだけ逃げるなんてできないよ!」
「あおいは歩美ちゃんが心配でついてきたんだ。歩美ちゃんをひとりで行かせるわけにはいかなかったしね」

 今にも泣き出しそうな歩美と比較的冷静な私。両者の言い分に、哀は「呆れた子ね」と溜息をついた。

「ほら涙拭いて。みんなを探しに行くわよ」
「……うん」

 袖で涙をぬぐい、すんと鼻を鳴らしながら頷いた。
 隠し扉の内部には下に続く梯子のようなものがあり、それぞれ順番に下へ降りていく。歩美が光彦の行方を尋ねると、さあ、と哀は曖昧に言葉を濁した。

「彼がこの塔の中に入ったのなら、今の人に捕まったんじゃないかしら」
「そんな……」

 梯子を下り切って、居なくなった人たちの捜索を続ける。だが探せども探せども一向に見つかる気配はない。そういえば、と哀が思い出したかのように言う。

「あなたたち、探偵団バッジはどうしたの?」
「電池が切れたから博士に預けてるの」
「あおいも」

 私たちの答えをどう思ったのかはわからないが、哀は小さくなるほど、とつぶやいただけだった。

「見て、誰かいるよ!」

 不意に歩美が嬉しそうに言う。照らされた先には確かに、壁に誰かがもたれかかっている様に見えた。3人で傍に寄ってみたところで、歩美は短く悲鳴を上げた。

「が、ガイコツ!」

 横たわっているように見えたのは、もうすっかり骨になった人の遺体だったのだ。驚くのも無理はないだろう。ぐらりとこちらに倒れてきたので咄嗟に避ける。

「白骨化してだいぶ年月が経ってるわ。埃の具合からすると、ここに置かれてまだ間もないみたい」

 哀が冷静に分析するのを聞いて、点と線がつながった。思い付いた推測を口にする。

「もしかして、階段のところにあった文字を刻んだのって……」
「おそらくこの人ね。きっと江戸川くんに発見されたから、ここに移動したのよ」
「でも誰なの? この人……」

 確かに、歩美が疑問に思うのは当然だ。何か人物を特定できるような手がかりがあればいいのだが、私がわかるのは頭蓋骨から長い白髪の持ち主だったことがわかるくらい。たったそれだけでは人物の特定は難しいだろう。

 ……いや、待てよ。
 このくらいの髪の長さ、どこかで……。

「どうしたんだい、お嬢ちゃんたち」

 不意に背後から声が聞こえて、私たちは思わず身を固くする。

 そこにいたのは大奥様だ。
 ずっと車椅子で生活していたはずなのに、今はしっかりと両足で立っている。

「声がするから様子を見に来たんじゃが……おや? もうひとりのお友達はどこかえ?」
「それが大変なの! 歩美の友達、みんな悪い人に捕まって――」

 ぐいと、哀が歩美の手を引いて走り始めた。遅れをとらないよう、私もしっかりと後に続く。
 唯一状況が理解できていない歩美は混乱した様子で私たちに言った。

「ちょっと! おばあちゃんも連れて行かないと、さっきの人に襲われちゃう!」
「何言ってんのよ!」
「あの人がさっきあおいたちを襲った悪い人なんだよ!!」
「ええ!?」

 歩美はわけがわからないといった風に叫ぶ。
 足を止めずに哀はそう判断した理由を上げていく。遺体の骨は長い間歩いていない証拠であり、性別や年齢からしてもあれは大奥様の遺体に間違いないのだと。

「じゃあさっきのあの人は」
「大奥様を殺してすり替わっていたのよ……顔をそっくりに整形し、多少のことは記憶が混乱していたフリをしていたんだわ」

 実行したのは例の大火事の日。流石に実の娘は欺き通せないと踏んで、焼き殺したのだと。

「この地下通路の存在を知っていれば、誰にも気づかれずに放火することも、こっそり抜け出して顔を整形して戻ってくることも可能ってわけよ」

 地下通路を走り切り、トイレにあったような梯子を上っていく。なんとか城内へ戻ることに成功したようだ。窮地を脱したかと、吹き出る汗を袖で拭う。最後に上ってきた哀に、息も切れ切れになりながら尋ねた。

「犯人の目的は?」
「恐らくこの城の財宝……きゃあ!?」

 不意に哀が悲鳴を上げた。それと同時に彼女の足元の方から「そうとも」と大奥様の声がする。どうやら彼女の足を掴んでいるようだ。

「それ目当てでこの城に来たことが婆さんにバレて、クビになりそうになったからすり替わったのさ。声は元々似てたからね……」

 大奥様の声を聞きながら、私たちは懸命に哀を引き上げる。だが一緒に大奥様も上がってきてしまった。初めて出会った時とは別人のようなオーラをまとい、手には棒状の凶器を持っている。

「安心をし、あの婆さんのようにいつまでも暗い地下には放っておかないよ。気絶させて二、三日経ったら友達と一緒に森の中に並べてあげるからさ……頬がこけてとびっきりのスマートになったらねェ!!」

 思い切り凶器を振り上げたその瞬間。
 ――どこかから勢いよく飛んできたものによって凶器は弾き飛ばされた。

 遅れて地面に落ちたものを見ると、鉄製のバケツのようだ。思わぬ痛みに大奥様が顔を歪めているとどこからともなく「止めなよ」と声が聞こえてきた。

「子どもに無理なダイエットは悪趣味だぜ」
「そうですよ。その3人なら今のままで十分です」
「そうだそうだ! 腹一杯食った方が健康的だぞ」

 大奥様の背後……2階廊下の手すりにコナンが腰かけている。
 手すりの内側にはいなくなったはずの元太と光彦も姿を現していた。

「み、みんな……!」

 その姿を見た歩美は嬉しそうに言う。だが大奥様はこの状況が信じられないようだった。

「き、貴様らどうして……!」
「光彦のお陰さ。俺の眼鏡の追跡機能を使って博士の持っていた探偵団バッジの発信電波を頼りに、俺たちを発見してくれたんだ」
「く、クソ……!」

 じりじりと出入り口の方へ距離を詰めていた大奥様を追いつめるように、「逃げても無駄じゃよ」と博士が立ち塞がった。

「行方不明で元ハウスキーパーの、西川睦実さん」
「!」
「あんたの正体は知り合いの整形外科医にこう問い合わせたらすぐにわかったよ……『わざわざ老婆に整形した奇妙な客の話を聞いたことが無いか』とな」

 博士にまんまと正体を言い当てられた大奥様――もとい、西川さんはなおも強気な姿勢だ。

「お前らもあの屍を見たというわけか」
「遺体を見なくても、あんたが偽物だってわかってたぜ」

 コナンの言葉に、西川さんは訝し気に眉を寄せる。

「10年間この城にこもりっぱなしで旅行もしなかったはずの大奥様が、6年前にサイズが変わったパスポートに不便さを感じるわけねーからな。でもまさか、その顔を保つために外国に何度も足を運んでいたとは思わなかったけどな」

 西川さんは悔しそうに歯噛みしたかと思うと、突然柱に取り付けられていたランプに手を掛けた。

「よく見破ったと褒めてやりたいところだが、この地下通路を熟知しているこの私を捕まえることはできまい!」

 ぐいとランプを回転させると、西川さんの背後に隠し扉が現れた。だが余裕綽々な笑みを浮かべたコナンは「あれ? 逃げちゃうの」と西川さんを煽る。

「俺はあんたが知りたがってたとっておきの通路を知ってるんだけど」
「何!? まさか庭のチェスの駒の暗号が解けたのか!?」

 思い切り動揺する西川さんに対し、コナンは余裕たっぷりにそれを肯定した。

「チェスの駒は通常アルファベットのAからHと数字の1から8で表記される」

 ナイトの向きから、チェスの盤は石畳の方から見るのが正しい。その方向から見て、白い駒だけを数字の順に読んでいくと、『EGG HEAD』……理屈をこねるインテリ、という意味になる。

「そう、この暗号を考えた大旦那様の事だよ」

 その言葉を聞くなり、はっとした様子の西川さんは大旦那様の肖像画の方へ駆けだしていった。コナンはなおも冷静に暗号の解説を進める。

「後は黒い駒の示すとおりに肖像画を左に回せば……」

 転げるように階段を駆け上がり、肖像画に手を掛ける。言われたとおりに回すとそこには――

「秘密の通路の入り口がぽっかり顔を見せるって訳だ」
「おお……!!」

 先ほど私たちが昇ったのと同じような梯子が上に向かって伸びていた。西川さんはコナンの言葉は一切耳に入れず、大喜びで梯子を上っていく。
 その様子を見て、私はコナンに尋ねる。

「いいの? 行っちゃったけど」
「宝物、取られちゃうんじゃない?」

 同じく不安そうにする歩美。だがコナンは至って冷静だった。

「問題ねーよ。盗めるものじゃねーし」

 彼はそう言って隠し通路の梯子を上っていく。
 意味が分からない私と哀と歩美の3人は思わず目を見合わせた。

 後で城とそこから見える景色が宝だと聞き、そういうことだったのかと納得すると同時に、西川さんのこれまでの人生を思って、何とも言い表せない気持ちになった。


***


 一時間後。警察が到着し、犯人は連行された。
 魂が抜け落ちた本当の老婆になってしまったかのような哀れな姿を見て、少しばかり同情してしまう。

 城の宝のことは満さんを残念がらせていたが、犯人逮捕を聞き、息子の貴人さんはほっとした様子だった。どうやら彼は4年前の大火事を不審に思い、城にとどまり密かに探っていたようだ。
 あの隠し通路は元々城についていたもので、歴史学者の大旦那様が移築するときに正確に復元したものだった。

 かくいう私たちは事情聴取も手当ても終わり、帰宅しようとしているところである。

「面白かったよなーこの城」
「ドキドキしちゃった!」
「まさにスリルとサスペンス!」
「そうそう!」

 私たちがワイワイと楽しんでいるのを博士は困ったように見ていた。確かに怖い場面もあったが、体験としてはこれ以上ないものだったのも事実だ。こりゃ新作のネタに出来そうだなと思っていると、庭師の男性が私たちを呼びに来た。なんでも朝食を用意してくれるらしい。

「食って行けよ。眼鏡の坊主は夕べから何も食ってないんだろ?」
「遠慮しとくよ。車にキャンプ用の食糧も積んであるし……」

 それに、と言いながら歩美の持っていたパンを受け取る。

「俺にはこのパンの方がごちそうみたいだしな」

 そう言っていい話風にまとまりかけていたその時、哀がくるりとこちらに背を向けた。

「じゃあ私、呼ばれてこようかしら」
「じゃあ俺も!」
「あおいも〜」

 ここぞとばかりに便乗した私たちに、お前らなあ……とコナンは半目でじろりと睨んでいた。