世界でたったひとりの


「そういえば父の日って今週末だったよね」

 探偵団の面々で公園で遊んだ帰り道、商店街の掲示板に貼られた「父の日フェア お父さんに感謝を伝えよう!」のポスターを見ながら歩美が言う。彼女の言葉を聞いてそうか、もうそんな季節かと私はしみじみ思った。

「そうですよ! 毎年6月の第3日曜日が父の日ですから」
「ねえみんな、父の日って何かプレゼントする?」
「プレゼント?」

 コナンが聞き返せば歩美は楽しそうに頷く。

「歩美毎年お母さんと相談してプレゼントあげてるんだ。今年はネクタイあげるの! お父さんに似合うと思って」
「ネクタイですか、それはいいですね! 僕はお姉ちゃんとお金を出し合って傘をプレゼントしようかと思っています」

 最近壊れたって言っていたので、と光彦は得意げに付け加えた。ふたりの話を聞いて、うーんと元太は困ったように眉を下げる。

「俺はまだなんも考えてねーや……」
「俺も」

 困ったように笑うコナンと考え込むように腕を組んで見せる元太。その言葉を聞いて歩美はええー!と大きな声を上げた。

「ちゃんと決めないと駄目だよ!」
「父の日は年に一度しか無いんですからね」
「そうだよー」

 次々に皆に言われて、元太はあからさまにむっとした顔でわーってるよと言う。そこでふとコナンがこちらに質問を投げかけてきた。

「今聞いたふたりはともかく……葵ちゃんはプレゼント決めてるの?」
「もっちろん! あおいは毎年、父の日は大事にしてるんだよ」

 にっこり微笑んで私は言う。すると、ああと合点が言ったように光彦が補足した。

「葵ちゃんのところはシングルファザーですもんね」
「そっか、それなら尚更父の日は大事にしなきゃだね」

 歩美の言葉に、私はうんと頷いた。

「今年も、とっておきのものを用意してるんだ」

 とっておきのもの?と彼らは不思議そうに目を丸くした。私は用意したものを思い出しながらほくそ笑む。

 ――そう。文字通り、とっておきのものさ。


***


 数日後、自宅にて。

 カレンダーの今日の日付欄に書かれた『父の日』の文字を見ながら、立は目に見えてそわそわしていた。さっきから落ち着かなさそうにこちらにチラチラ視線を送ってくる。因みに私は彼の視線に気づかないふりをして、リビングのソファにくつろぎながらこの間発売されたばかりの優作先生の新刊を読んでいた。すると、ようやく意を決したように立はこちらに声をかけてくる。

「ね、ねえ葵?」
「なんだい」
「あー、今日は、何の日かわかるかい?」

 期待を隠しきれていない声色。思わず上がった口角を隠すため、彼の方へ振り向かずに冷たくあしらう。

「今日? 何かあったかな」
「ええっ!?」

 驚いたように声を上げる。私は本に栞を挟んでぱたりと閉じると、ソファに置いた。そして表情を消しつつ振り返り、背もたれに頬杖をつくようにして逆に尋ねる。

「全く見当がつかないんだが……もしかして打ち合わせでもあったか?」
「ああ、その……いや、打ち合わせとかじゃ、ないんだけど……ね」

 徐々に言葉尻があやふやになる。先ほどまで浮かれていたのが嘘のように、すっかり目に見えてしょんぼりしてしまった。声のトーンが落ち、表情が曇っていく。心なしか頭の上にぺたりと垂れた犬耳が見える気さえしてくる。……本当に彼はわかりやすくて面白い。

「……ふふ」
「葵?」
「全く、相変わらず表情が目まぐるしくて、見ていて飽きないな」

 先ほどまで読んでいた本の隣に置いてあった原稿用紙の束を見せると、わかりやすく彼の表情は明るく輝いた。ぱああ!と音がしそうなほどである。

「よかったあ! 本当に忘れていたらどうしようかと思った。前回はとても気になるところで終わっていたんだもん」
「私が勝手にやり始めたんだ。忘れるわけがないだろう」

 私が呆れたように言うと、彼は私から受け取った紙束を抱きしめるように持ち、心底嬉しそうにふふと微笑んで目じりを下げた。

 私が今彼に渡したのは小説だ。ただし、私が普段仕事で書いているような小説とは一味も二味も違う。
 彼に贈ったのは、彼のために書いた世界にたった一つの物語……立が主人公の物語なのだ。

 このやり取り始まったのは数年前。彼の誕生日に何を贈ろうか決めかねた私がふと「彼を主役にした話を書くというのはどうだろう」と思い立ち、実際に執筆して贈ったのだ。結果として彼は飛ぶように喜び、以来私は年に2回……父の日と誕生日に原稿用紙100枚前後の特製短編小説を書いて贈っているのである。
 普通のものを贈るのはなんだか面白くないなと思ってのことだったが、あの時の私はとてもいい判断をしたと彼の表情を見るたびに思う。

「ほんと、これを僕だけが読めるだなんて幸せすぎるよ。出来ることなら書籍化してみんなに見せびらかしたいくらいだ」
「流石にそれは恥ずかしいから勘弁してくれ……」

 ほうとため息をつきながら言う彼に、私は苦々しい気持ちで目を逸らす。そして、そろそろいいだろうかと新刊の隣に置いたもうひとつの紙を手に取った。

「因みに今年はもうひとつ」
「ええ?」

 ほいとぞんざいに渡したのはA5サイズの紙だ。訳も分からず受け取った立は、それを見て思わず目を丸くした。

 拙い字で書かれているのは「おとうさんありがとう」「いつもおしごとおつかれさま」等々の文字。そしてその文字は可愛らしいイラストで装飾され、色鉛筆でムラがありつつも子どもらしく飾り立てている。立はそれを見たまま何も言わずに固まっているようだ。黙っているのをいいことに、私はつらつらと補足する。

「学校の授業で書いたんだ。父の日に向けてね。あくまで小学1年生として不自然にならないように字を下手に書いたし、そもそも手紙なんて久しぶりに書くから、要領がわからなくてすまないが……」

 だがしかし彼は何も言わない。両手でその紙を持ったまま俯いている。どうしたんだろう、何かまずいことでも書かれていたのだろうか。少し心配になった私はソファから降り、顔を覗き込む。すると彼の表情を見た途端、私は思わずぎょっとした。

 もうすぐ齢30になろうかという大の大人が、顔を真っ赤にして鼻水を垂らしながら声を殺して大泣きしている。

「た、タツ?」
「うう……嬉しすぎてやばい……今まで生きていて本当によかった……!」

 うええと泣き言を漏らしながらずびずびと鼻水をすする。私は思わず苦笑した。まさかこんなに喜んでくれるとは……。これなら書いた甲斐があったってもんだ。小説を渡した時よりもオーバーリアクションなのは気に食わないが、それはそれ。
 これで拭くように、と彼にテーブルの上からとった箱ティッシュを渡せば彼は数枚抜き取って思いきり鼻をかんだ。相変わらず涙は止まりそうにない。私は小さく笑いながら、毎回伝えている言葉を今年も口にする。

「これからもよろしく頼むよ、タツ」
「うん、僕の方こそ……こんな父親だけどよろしくね」
「何を言ってるのさ。タツは泣き虫でちょっと頼りないけど、世界でたったひとり……私だけの大好きなお父さんだよ」

 私が微笑みながらそう言うと、彼はあっという間に私を強く抱きしめてダムが決壊したかのように声を上げて泣き始めた。
 ……全く、困った父親だ。


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