01 顔がいい

■ ■ ■

 平凡な人生とはこういうことを言うのだろうなと思うほど、何事も無く生きてきた。
 普通に学校に行って、普通に就職して、普通に働いて、ありふれた毎日を普通に過ごしていた。同じ毎日の繰り返しだなんて、何の面白みも無いと思う人もいるかもしれないが、自分はそれでよかったし、これからもずっとそうやって死ぬまで生きていくのだろうと思っていた。

 ――そう、あの日までは。


***


『明日空いてる?』
『一緒にカフェに行かない?』

 金曜の夜、急にメッセージを送ってきたのは大学から仲良くしている職場の友人だった。

 どうして急にそんなことを言い出したのかと思って詳しく訊いてみると、どうやら最近話題のカフェに行きたいがひとりでは行く勇気が無いから一緒に行かないか、ということらしい。
 明日は予定も無いし、カフェくらいなら別にいくらでも付き合える。そういう旨の返信をすれば『ありがとう!』『明日10時に駅前ね! おやすみ!』と一瞬で返信が来た。相変わらず返信が早いな。そんなことを思いつつ、自分も『おやすみ』と返信してその日は早めに就寝した。

 さて、時間は進み、午前10時の駅前。

 約束の時刻ちょうどにやってきた友人と共に、カフェへ向かって歩いていた。

「これから行くカフェ、なんていう名前なの?」
「えっとね、確か『ポアロ』だったかな」
「『ポアロ』?」

 どこかで聞いたことがあるような店名だ。どこで聞いたんだったかなと思っていると友人が楽しそうに喋りだす。

「毛利探偵事務所ってあるでしょ? あの眠りの小五郎の。そこの真下にあるお店なの」
「ああ、なるほど」

 自分がひとり納得したような声を出したものだから、友人も気になったようだ。不思議そうな視線をこちらに向けてくる。渡ろうとしていた横断歩道の信号機が点滅して赤に変わったので、足を止めて理由を話す。

「自分、毛利さんの娘さんとちょっとした知り合いなんだけど、その子に誘われたことがあるの」
「そうなの!?」

 驚いたように目を丸くする友人。その様子を見て内心笑いを堪えながら自分は話を続ける。

「うん。その子が落としたものを届けたのがきっかけだったんだけどね。すっごくいい子で『お礼をさせてください』って言ってくれたの。でも女子高生にお礼をされるっていうのもなんだか変な感じがして。その時は断ったんだけど、それから買い物先で偶然会ったりとかして、折角だからって言われて連絡先交換しちゃった」
「なにそれすご……心央って、何気に人と仲良くなるの上手いよね」
「そう? 普通だよ」

 信号機が青に変わった。土曜日であるせいか、かなり人通りは多い。人にぶつからぬよう細心の注意を払って歩きながら話を続ける。

「でもなんで最近ポアロが有名になったんだろう。昔からあるお店なのに」
「最近入ったアルバイトの子が超が付くほどイケメンらしいよ! だからじゃないかな」
「へえ」
「……反応薄いなあ」

 イケメンだよ!?と息を荒げる友人。だが生憎、自分はそういう浮ついた類の話題には一切興味が無かったのである。むしろそういうのが苦手な部類に入るだろう。対する友人はといえば、まだ見ぬイケメン店員に心を躍らせているようであった。おそらくそのイケメン店員とやらが見たくて自分を誘ったのだろう。昔っから変わらないなあこの子は。

 そうこうしているうちに目的地へ到着した。『OPEN』の札が下がるドアを静かに開ければ、女性の店員さんと目が合って微笑まれる。店内はそれなりに混み合っていて、ふたりで座る席を確保するのは難しそうだと思ったその時「心央さん!」と明るく声を掛けられた。声のしたほうに視線を向ければ、そこにいたのは見知った顔。

「蘭ちゃん、それにコナンくん」
「こんにちは心央さん!」
「ここで会うのは初めてですね」
「そうだね」
「心央、この人は?」

 親し気に話す自分に、友人は不思議そうに声を掛ける。自分は改めてふたりを紹介した。

「この子が毛利さんの娘さんの蘭ちゃん。それからこの子がコナンくん」

 自分の紹介を受けてにっこり微笑むふたり。友人も納得したらしく自己紹介をする。その流れで、4人掛けのテーブル席に2人で座っていた蘭ちゃんとコナンくんに席に入れてもらうことになった。

「それにしてもいないね、イケメン店員さん」

 友人は店内を見回しながら小さく呟く。それを聞いて不思議そうな顔をした蘭ちゃんに、ここに来ることになった経緯をざっと説明した。するとコナンくんが「もしかして安室さんのこと?」と口を挟む。

「安室さん?」
「最近ここのバイトを始めた探偵さんだよ。おじさんの弟子になったんだ」
「へえ」

 私はなんとも興味のなさそうな声を上げる。友人は目を輝かせ、嬉々として蘭ちゃんにその店員さんについて尋ねていた。

 イケメン喫茶店店員兼探偵の彼に別に興味はないのだが、彼の名前を聞いた時、何故か胸がざわつくのを感じた。
 なんだろう。もしかして何処かで会ったことがあるとか? 

 彼の外見の特徴を聞こうとコナンくんに再び話しかけようとした時、店内に黄色い声が沸いた。

 なんだろうかと思ってふと視線をそちらの方に向ける。するとそこにはひとりの男性が立っていた。すらりとした身長。褐色の肌に金髪。整った端正な顔立ちの上、その瞳は蒼い。そんな彼は、器用にお盆を片手に持ちながら店内の客たちへ向かって「いらっしゃいませ」と爽やかに微笑む。

 ――次の瞬間、私の心臓がどくりと跳ねた。

 思わず胸を押さえ、軽く前かがみになりながらぎゅっと目を瞑る。
 すると瞼の奥に、膨大な映像が流れ込んできた。思わず気が遠くなりそうなほどの量だ。

 そのほとんどがひとつの物語に関するもの。彼らは皆、映像の中で懸命に生きている。もがき苦しみながらも、懸命に。

 そしてぶつりとチャンネルは切り替わり……ひとりの女性の姿が現れた。紛れもなくその姿は、自分である。そしてまた膨大な映像が流れ始めた。
 その映像を見て、自分ははっきりと思い出した。

 生活しているときに時々感じた既視感。今までずっと気のせいだと流していたが、あれは気のせいなんかでは無かったのである。

 だって、自分は――

「心央?」

 心配そうな声が聞こえ、ハッとして顔を上げる。目の前には戸惑ったように眉を寄せる友人の顔。

「大丈夫?」
「うん、大丈夫……」

 曖昧に笑って誤魔化す。ならいいんだけど、と友人は心配そうに漏らした。
 友人には大丈夫だと言ったが、内心は全然大丈夫ではなかった。だって、平凡だと思っていた人生が、この一瞬で根本から覆ってしまったのだ。ひやりと背中に冷たい汗が伝う。

 自分は、思い出してしまった。
 この世界が、漫画『名探偵コナン』の世界だということを。

 そして自分の前世が、その『名探偵コナン』をメインジャンルにしていた、いわゆるクソオタクだったということも。思い出した。
 ……全て、思い出してしまったのだ。

 前世で自分は社会人をしながら日々をコナンに捧げていた。

 毎週のアニメは欠かさず録画。本誌もアニメ雑誌も漏れなくチェック。コミックスは勿論全巻揃え、購入特典がつく度に冊数が増えていった。部屋はぬいやポスター、ラバスト等、様々なグッズで溢れかえり、ちょっと……いや、かなり人を呼ぶのに抵抗がある仕上がり。毎年公開の映画は数えきれないほど見に行っていた。

 公式だけに飽き足らず、二次創作にも手を出した。幸い超が付くほどの雑食だった自分は、ノマカプだろうが夢だろうが腐ってようが、基本的になんだって読めたため、二次創作界隈ではとても息がしやすかった。センスが無いため完全に見る専買う専ではあったが。神と呼ばれる作品に出合うたびに、涙を流しながらいいね&ブクマしていた。

 どんなにつらいことがあっても、コナンのおかげで乗り越えていけたのだ。それだけ熱を入れ込んで、この作品にのめりこんでいたのである。

 ――それがまさか、転生してその世界に行けるなんて。

「一体どこの夢小説だよ……」
「お客様」
「は、はい!?」

 急に声を掛けられて、慌ててそちらを見ると、そこには話題のイケメン喫茶店店員兼私立探偵の安室さんが立っていた。自分の様子を窺うように、ほんの少し前かがみになって小首を傾げながら、僅かに眉を下げている。

「大丈夫ですか? 顔色、悪いですけど」

 彼の心配そうな声を聞いて、自分は一瞬息の仕方を忘れた。
 彼の綺麗な蒼い瞳から、目が逸らせなくなる。

 ……この時点でもうお察し案件だとは思うのだが、実は前世で自分の最推しは彼だったのだ。彼のことが好きで好きで仕方なくて、ちょっと生活に支障が出るくらいには真剣に好きだった。周りにはオタクだということをひた隠しにしていたため、傍から見ればそんな風には見えなかっただろうが。

 そんな、前世で親の顔より見た、恋い焦がれ発狂しのた打ち回った彼の、あの美しい顔が。

 今、目の前に。

「顔がいい……」

 ――小さく呟きを漏らした次の瞬間、自分の両の目から堰を切ったように涙が溢れだしてきた。

 「「「「!?」」」」

 ぎょっとする友人。驚く蘭ちゃんとコナンくん。面食らう安室さん。涙が止まらない自分。騒然とする店内。……まさしく地獄絵図という言葉が相応しい。

「ちょっと、心央! 大丈夫!?」

 慌てたように友人がワンテンポ遅れて自分の肩を掴む。だが一向に涙は止まらないし、相変わらず安室さんの顔がいい。なんてことだ。3次元になっても推しの顔が最高だなんて。

 最高すぎて本人を前にして号泣するのは流石に気持ち悪すぎるが、許してほしい。
 だって好きだったのだ。ずっと前から、彼のことが。

 そんな高ぶった気持ちが記憶が戻ったことにより決壊して、どうしようもないくらい溢れて止まらない。ただ、こんな情けない姿を周りに見られたくないのは確かである。自分は出来る限り背中を丸めて、泣き顔をなるべく見られないように涙を流した。そんな背中を友人は優しくさすってくれる。

「あの……よかったら」

 そう言っておずおずと差し出されたのはポケットティッシュ。差し出された手は、夢にまで見た褐色肌。顔を上げなかったため表情はわからないが、声はどことなく心配と戸惑いに満ちている。

 なんだよこの人、初対面で急に目の前で泣き出した気持ち悪い女にティッシュ差し出すとか優しいかよ……。3次元になっても推しがイケメンなのは変わらないらしい。流石です尊い大好き一生推すわ。

 安室さんからティッシュを受け取って、自分はまた暫く泣き続けた。
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