■ ■ ■
正直、その後何があってどうやって帰ってきたのか全く思い出せない。
気づいたら自分は自宅のソファに座って呆然としていた。携帯を見てみるともうすぐ17時。一緒にカフェに行った友人から『気を付けて帰ってね!』とメッセージがあったのが12時過ぎ頃……ということは、自分は帰宅して少なくとも3時間近くは呆然としていたことになる。それほど衝撃だったのだろう、自分が気づいてしまった事実が。
でもまあ誰だって驚くと思う。今まで普通に生きてきたつもりだったのに、実はここが大好きな漫画の世界でしたーとか言われたら。しかもその漫画を精神安定剤代わりにするほど信仰していたオタクなら、尚更。
……とりあえず我に返った自分は、だんだん薄暗くなる部屋の電気をつけて、状況を整理することにした。
まず第一に、自分死んだん?
そもそもそれが結構衝撃だったんだけど。
つか死んじゃったらどうやってサンデー読むんだよ!! うっわ!! これから結構気になる展開続きだったのに! アニメ化して欲しい所とかまだ結構あったのに! オタクの友人と「毎年恒例、映画の感想を語り合う会」を今年もやろうって楽しみにしてたのに! その映画だって最低でも2桁執行はされたかったのにー!! うわーー!!
…………喚きながら一通り床を転がったらなんか冷静になってきた。よし。起き上がろう。これ以上は周りの住人に壁ドン(本来の意味)されてしまう。
そういえば、前世での自分の死因なんなんだろ。前世での最後の記憶が映画館で公開初日執行(3回目)キメてるところなんだけど……。もしかしてショック死? 推しが魅力的過ぎて心臓が誤作動起こしてショック死したとか?? えっなにそれクソオタク通り越してやべー奴じゃん。……無いわー。映画館で死人出しちゃうとかニュースになっちゃう……いろんな意味で話題をかっさらってしまう……やだ……。
でも死後好きな漫画にトリップしたってことは、覚えていないだけで下手したらとんでもないことやってる可能性もあるよね。だってトリップだよ? オタクなら一度は夢見る二次元トリップだよ?? これはもう世界救ったレベルですごいことやった可能性も無きにしも非ずじゃないですか。えーマジ何やったんだ自分……。全く思い出せないよ……。どうして……。
というかトリップしちゃったってことはさ、夢小説お決まりの『この先の展開や個人の秘密に関する知識を持っていることは誰にも知られちゃいけない』ってやつ、自分にも科せられるよね。うわキツ。クソオタクだったせいで大体の知識は頭の中にインプットされてるよ馬鹿ぁ……。今から記憶を消そうにも無理だよ……。
それに今ざっと思い出しただけで、メインキャラ何人かとはもう既に顔見知り程度に仲いいんですけど? その中には見た目は子供頭脳は大人な自称小学生やら、行動力の化身な探偵団やら、一見物腰柔らかな大学生(中身FBIの切れ者)やら、諸々とんでもないやつらばっかりなんだけど?? これからどういう顔してその人たちに会えばええんや……。自分はこれからたったひとり知識を有しながらこの世界を生きて行かなきゃいけないのか……しんどいな……。
そんなことを百面相しながらブツブツ呟いているとあっという間に時間は過ぎ、気づけば日付を超えてしまった。
すっかり疲れ切ってしまった自分は、
「トリップしてしまった以上は仕方が無い。名探偵たち相手にどこまで秘密を守り切れるか定かじゃないが、なんとかやってみよう」
「いっそ前世の友人たちが羨ましがる勢いで存分にこの世界を楽しもう」
このふたつを長々とした自問自答の結論とし、寝支度もそこそこに就寝したのだった。
***
衝撃の1日から数日。自分は何事も無かったかのようにいつも通りの日々を過ごしていた。
ただひとつ違う点を挙げるとするならば――
「いらっしゃいませ、心央さん。今日も来てくださったんですね」
「…………どうも」
推しの顔を見るために喫茶ポアロに通い始めたことぐらいだろう。
始めて訪れた時から毎日顔を出しているため、マスターや梓さん、安室さんに名前と顔を覚えられてしまうほどになっていた。すっかり定位置となってしまった席が空いているのを確認すると、迷わずそこに案内される。
……推しがあのCVで自分の下の名前を呼んで(初めは苗字呼びだったのにいつの間にか名前呼びになってた。それに気づいた瞬間軽く死んだ)、その上席に案内してくれるとか最高。リアルミステリーレストラン。U〇Jには仕事の都合で行けなかったけど、本物がやってくれるなら行けなかった辛さも和らぐってもんですよ……。
自分を席に案内して、安室さんは別のテーブルに呼ばれたみたいだ。どうぞごゆっくり、と言ってそちらの対応に向かう。……それにしても毎度のことながら推しの顔が最高にいい。あむぴスマイルは世界を救うよマジで。
因みに自分が返事をするまでに数秒のラグがあったのは、安室さんに対する叫びや悲鳴なんかを必死で噛み殺すためだ。こればっかりは仕方ない。だって推しの顔が良すぎるから(暴論)。毎回噛み殺すのが大変なのだ。オタクならわかってもらえると思う。察して欲しい。
「いらっしゃいませ。心央さん、今日も来てくれたんですか!」
「梓さん」
鞄から携帯を取り出したところで明るい声が聞こえた。顔を上げるともうひとりの店員の姿。これまたすっかり顔なじみになってしまった店員、梓さんだ。お冷を持ってきてくれたらしい。礼を言いながら素直に受け取る。
「ここのところ毎日来てくださってますね」
「ええ、まあ。最近料理するのだるいなーって思っていたところに友人にここを紹介されたものですから。これ幸いと」
「ふふ、ごひいきにしていただきありがとうございます」
「こちらこそ、美味しいご飯をいつもありがとうございます」
何て言いながらふたりで微笑み合う。んあー可愛い。原作読んでた時から思ってたけど本当に梓さん可愛いわー。支部であむあずとか読んでたけど、梓さんの笑顔にはいつも癒されてたもんなー。ほんと。
「いいお嫁さんになれそう……」
「へ? 心央さん、今何か言いました?」
「なんでもない。なんでもないです」
自分の言葉が聞き取れなかったためか、不思議そうにまばたきを繰り返す梓さん。自分はそっと微笑んで誤魔化しながらお冷に口を付けた。そこでふと、まだ注文をしていなかったことに気が付く。梓さんにいつものメニューを口頭で伝えようとした、その時。
「お待たせしました。ハムサンドとアイスコーヒーです」
すっと、ハムサンドを持った褐色の腕がテーブルに現れた。そこだけ聞くと随分ホラーだがそうではない。そろりと腕の持ち主を見上げれば、案の定。
「あ、安室さん!? どうして、自分まだ注文してないのに」
驚きの声をあげればそれを聞いた安室さんはくすりと笑う。まるで悪戯が成功して喜ぶ子どもみたいな顔だ。
「朝来店された際にはモーニングセット。お昼ごろにはハムサンドとミルク1杯のアイスコーヒー。おやつ時にはホットケーキとミルク2杯のブレンドコーヒー。夜にはシーザーサラダとビーフカレー、ですよね?」
それを聞いた瞬間、思わずぴしりと固まった。
……もしかして、それって。
「毎日いらしてくださる上に、時間帯によって頼むメニューはほとんど同じ……覚えるのは簡単ですよ、心央さん」
そう言いながらハムサンドとアイスコーヒーをテーブルの上にセットしていく。ご丁寧にミルクまで添えて。一方の自分は固まったままだ。
「ですが毎日同じメニューは栄養が偏りますから、僕としてはおすすめできませんね。毎日来てくださるのは嬉しいですけど」
ウインクでもかましてきそうな声色で、優しく微笑む安室さん。それではごゆっくり、なんて言って彼は自分のテーブルを後にした。
常連客のひとりとして名前と顔を認知されてるだけでなく、注文内容まで把握されていたとは……。
というか、本当にそれ今食べたくて注文しようと思ってたのに、持ってくるとか……。
硬直していた身体からどっと力が抜け、思わず背もたれにもたれかかる。その様子を見て梓さんが心配そうに声を荒げるが、正直それどころではない。
「こうかはばつぐんだ……」
高ぶる感情のせいで地味に緩みそうになる涙腺を必死で保ちながら、自分はぼそりと呟いた。
――前世に残してきた両親、それからオタ友のみんなへ。
自分は元気()にやってます。