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「そんな話をしてからどれくらい経ちましたっけ?」
「時間が過ぎるのは早いですね」
安室さんは洗い物をしながらそうですねえと穏やかに微笑んだ。
安室さんに貰ったアドバイスを元に、超特急で完成させた読み切り作品『骨を拾う』は世界観と場面表現が評価され、小さいながらも賞を頂くことができた。それからすぐに担当編集がつき、あれよあれよと初めての連載を持つことになり、現在に至る。その連載作品も一部で話題沸騰中だとか……全く、嬉しい限りだよほんとに。
まさかこんな展開になるなんて、きっと1年前には想像も出来なかっただろう。
「自分がこうなれたのもすべて、安室さんのアドバイスのおかげですよ」
「いやいや、その作品を描いたのは心央さんなわけですから。僕は別に何もしてませんよ」
安室さんは謙遜しながら眉を下げて笑う。
初めての連載はわからないことだらけで、忙しすぎてほとんどポアロに立ち寄ることができずにいた。だから今日は実に久しぶりの来店である。随分長い間来店してないから、下手したらお礼も言えないうちに組織が壊滅してやしないかと思ったが、そんなことは無かったらしい。
……というかこの世界って確か、時間ループしてるんだよね。忙しさにかまけてすっかり忘れてた。まあ、この世界では気づかないほうが普通なんだろうけどさ。
因みに、連載作品を執筆している最中も、安室さんとのメールのやりとりは続いていた。仕事をしていなかった時よりも格段に時間が少なくなったため返信頻度はお互いに減ったのだが、それでも細々と続いているのである。
正直いずれ無くなるかなあとは思っていたんだけど、思った以上に続いているようでびっくりする。今日なんか『久しぶりにポアロに行きます』って送ったら一時間もしないうちに『僕は夜からです』ってシフト教えてきたし。うーんなんというか、自分でも不思議な関係だと思う。
「連載作品、読ませてもらってますよ」
「ありがとうございます。安室さんも漫画とか読むんですね」
「あんまり読む方ではないのですが、心央さんが書いたとなれば読まないわけにはいきませんよ」
「そんな、お忙しいでしょうに」
「今は隙間時間に電子書籍でも読めますから。便利な時代になりましたね」
そうですねえ、と言いながらココアを飲む。適度な甘いものは脳の餌だ。最近また頭を使うことをしているから、特に。
「そういえば、前からひとつ聞きたかったんですけど」
「はい何でしょう」
安室さんの問いに軽い気持ちで相槌を打つ。すると安室さんはきゅっと蛇口をひねりながら、至って素直に尋ねる。
「今連載してる作品の主人公って僕がモデルだったりします?」
「――! げほァ!?」
むせた。思い切りココアが気管の変なところに入った。
ゲホゴホとせき込めば慌てたように安室さんが大丈夫ですか!?と目を丸くする。自分は何とか呼吸を整えつつ、涙目になりながら言う。
「……どうしてそう思ったんです?」
「梓さんから聞いたんですよ。『この主人公、ちょっと安室さんに似てませんか』って。それで改めて確認したらまあ、口調とか見た目が似ていないことも無いかと。それでいつか心央さんが来たら直接聞こうかと思っていたんですが……その反応は事実だったみたいですね」
カウンターに頬杖をつきながらニコニコと楽しそうに微笑む安室さん。まさか本人に直接言い当てられるとは微塵も思っていなかった自分はそっと目を逸らす。うーん気まずい。気まずいついでに一応言い訳を並べておこうか。
「いやあ……その、担当さんと話をしている時にスパイものの話題で盛り上がって……そのまま、じゃあ描こう!ってなったんです。それで、主人公の青年はどんな風にしようかなって考えてたら、ちょうど安室さんからメールが届いて。それでふと試しに、安室さんをイメージしながらキャラクターをデザインしたら、そのまま通っちゃったんです。それで……えっと、主人公のモデルに、させていただいてました」
しおしおと語尾の声量が小さくなりつつも、経緯を説明する。こんなもので納得してもらえるのかと思ったが、安室さんはなるほどそういうことだったんですか、とおおむね満足したようだった。
「その……まずかった、ですか?」
「何がですか?」
「勝手にモデルにしちゃって、もしかしたら気分を悪くしたかと」
「まさか、そんなことありませんよ。似てると言ってもそっくりというわけでもありませんからね。むしろ光栄なくらいですです。かっこよく描いていただいて。僕も彼のこと結構好きです」
「そ、そうですか……」
自分は彼に気付かれないようにほっと息をついた。
そっくりではないにしろ、ゼロである彼の姿をモデルにキャラクターのビジュアルを描いてしまったのだ。しかも凄腕スパイという設定で。組織の人間がまさか呑気に漫画なんて読むとは思えないが、万が一にでもこれで彼が疑われることになってしまったらどうしようかと危惧していたのだ。まあ彼がいいというのならいいのだろう。よかったよかった。
ああでも、と安室さんは思い出したかのように言う。
「確かあの作品ってもうすぐ終了されるんですよね?」
「はい。元々短期連載の予定だったので。でもまた数か月後に新しい連載をやらせてもらえるかもしれないんです」
「へえ、すごいじゃないですか!」
「いえいえ、今度の打ち合わせまでにアイデアを持って行って、上手くいけば……って感じなんですけど、なかなかこれだ!ってアイデアが見つからなくて……。絶賛悩んでる最中なんですよ」
いいアイデアありませんかねえ、何て言いながら自分はちょこっと眉を下げて笑ってみせる。すると少し考えるように安室さんは言った。
「どんなジャンルの作品を?」
「うーん……今書いているのが結構アクション系の話なので、次はもう少しゆっくりした話が描きたい気がします」
SNSでバズったのをきっかけに連載&書籍化が決まってそうなほのぼの日常系短編とかいいなあとは思うけど、肝心のアイデアがなあ。そんなことを考えていると安室さんがふと思いついたように言う。
「心央さんって、恋愛ものは描かれないんですか?」
「恋愛もの、ですか」
「ほら、女性の漫画家さんというと女性向けの恋愛ものを書いているイメージが強いでしょう」
「確かにそうかもしれませんけど……」
脱力気味にぐでと頬杖をつく。
「そっち方面はなんだかがあまりいいアイデアが浮かばなくて」
「じゃあ実際の出来事をモデルに書いてみるのはどうでしょうか。今連載している彼のように」
「実際の出来事……といっても、自分は漫画のモデルにできるほど恋愛経験が無いので……」
段々言葉尻が小さくなる。そう、自分は根っからのクソオタク。恋愛経験なんてほぼ皆無だ。正直自分で言っててちょっと恥ずかしいくらいには。ほら見てみろ、安室さんも「あっ……(察し)」みたいな表情してるぞ。推しに何て顔させてんだ自分は。
少々重くなった空気を打ち消すためにか、安室さんはじゃあ、とひとつ提案をしてくれる。
「僕の話は参考になりますかね?」
「あっそれはちょっと是非聞いてみたいです」
バッと身を起こして食い気味に自分は言う。安室さんの恋愛話だって!? 何それ公式でもそんな情報無かった! 知りたい! 参考云々の前に単純に彼のオタクとして知りたい!! そんな感じで目を輝かせていると「まさかここまで食いつくとは」と安室さんは困ったように笑った。
「大丈夫です。個人情報は守ります」
「そうしてくれると助かります」
自分は真剣な表情でペンとメモ帳をスタンバイする。
安室さんは少しだけ視線を伏せつつ、静かに話し始めた。
「初めは、全く意識をしてなかったんです。ただのポアロの常連って感じで。年が少ししか離れていないせいかとても話しやすくて、この人といるとすごくリラックスできるなって思ってました。この人となら、店員と客という関係じゃなくて友人という関係になってもいいかなって、そう思えたんです」
過去の恋愛かとおもったら結構最近の話か。ちょっとびっくりしたけどこれはこれで貴重な情報ですから全然OKです。
にしても相手はポアロの常連さんかあ……ってことはもしかして自分も知ってる人だったりする? ええー誰だろう。
「ある時、その人があるトラブルに巻き込まれてしまって。成り行きで僕に依頼をすることになったんです。普段の姿から想像もつかないくらい、彼女は恐怖に震えていました。そんな彼女を見て、守ってあげたいって思ったんです。僕がこの手で、彼女にもう一度笑顔を取り戻してあげたいって。そこで初めて気づきました。僕は彼女に惹かれているって。単純でしょう? でもまあ、人間の感情なんてこんなもんですよ。恋愛感情なら尚更です」
人が人を好きになるのなんて、どんな化学反応が起きるか当事者にならないと全然わかんないこともあるからね。薄い本という名の参考書でめっちゃ学んだ。安室さんは探偵の依頼をきっかけにか……ふむふむ。
「依頼を無事に解決してから、彼女と連絡先を交換しました。結構強引に交換したのは今思えば失敗だったかなって思うんですけどね。それで少しずつメッセージをやり取りするようになりました。毎日送られてくる彼女からの些細な報告が、僕の毎日の楽しみになってました。仕事の関係でなかなか見れない時とかは、ストレスが溜まって大変でしたね。まあその分見た時の嬉しさもひとしおなんですけど」
ああ、安室さんその人とも結構強引に連絡先交換したんだ。自分の時も依頼料の代わりにって無理矢理交換したもんなあ。それからぽつぽつとだけどメッセージのやりとりが続いてるんだからすごいもんだよ。
「それから彼女は色々あって仕事を辞めて、今度は全く別の道……漫画家を彼女は目指し始めました。きっかけは仲良くしていた女の子にすすめられたから、らしいです。彼女らしいなと思いました。そして、頑張る彼女を応援してあげたいとも思いました。うんうん唸りながら作品を練っているときなんか、何度手を貸したいと思ったことか」
……へえ、自分の他にも、ポアロの常連で漫画家目指してる人、いたんだ……。あの頃割と入り浸ってたけど、自分以外に作業らしきことをしてる人は、いなかった、ような……。
「しばらくして彼女は本当に漫画家になり、世間に知られるようになりました。忙しいせいかポアロに顔を出すことはほとんど無くなってしまいましたが、メッセージのやり取りは続いていましたからまだ精神的には辛くありませんでしたね。梓さんには『会えなくなって寂しいですか』ってからかわれてましたけど」
……。
「そんなこともあってこの間、『久しぶりにポアロに行きます』ってメッセージが来たときはとても嬉しかったですね。……やっと会える、やっと話せる、って。大急ぎで『僕は夜からです』って返したんですけど、まさか本当に夜に来てくれるとは思いませんでしたね」
…………。
いやいや。
いやいやいやいや。
そんな、そんなことあるわけないじゃん。
安室さんから違う意味で目が離せなくなる。段々体温が上がっていくのが自分でもよくわかった。
「安室さん」
「はい? なんでしょう」
話し終わった安室さんはいつもと変わらない表情で自分の言葉を待つ。
きっと、安室さんは自分のことをからかっているんだ。そう、いつもみたいに。
「あの、間違っていたら本当に謝るんですけど、……その、今話してた人、って」
だから、そんなことあるわけない。
そう思いつつも、尋ねずにはいられなかった。
「……自分だったり、します?」
聞いてしまった。
信じられないほど心臓が早鐘を打ち、若干声が震えた。燃えているのかと思うほど顔が熱い。
いや、まさか、そんなことあるわけない。自分がそんな、推しの想い人だなんて、そんな都合のいいことがあるはずない。原作知識ありトリッパ―だからって、必ず誰かとくっつくなんて限らないのだし。だから、これは違うんだ。ただからかってるだけなのに、勘違いも甚だしい。
自分のそんな想いを他所に、安室さんは頬杖をついたままうーんと考えるように一瞬上を見上げる。そして視線だけちらりとこちらに戻して、言った。
「――そうだって言ったら、どうします?」
安室さんは目を細め、悪戯っぽく笑う。
自分の貧相な語彙なんかじゃとても言い表せないほど、綺麗な顔で。