なにがメリークリスマスだ…

■ ■ ■

「クリスマス……何それ、美味しいの?」
「ほらほら。四の五の言ってないで手を動かして」
「あうっ! 先生きびしい……」

 斜め前の机で作業を進めるアシスタントの女の子――みんなにはミーちゃんと呼ばれている――がぐだりと机に突っ伏す。自分はそろそろ眼精疲労の限界を迎え始めている自らの目を𠮟咤しつつ、ペンを動かしていた。

 世間がやれクリスマスだなんだと浮足立つ今日も、自分たちは普段と変わらずに仕事に明け暮れていた。色々あって月間連載2本持ちとなってしまった今、クリスマスだろうが何だろうが原稿を落とすわけにはいかない。なんで今年も恋人がいないんだとか、仕事まみれのクリスマスなんて嫌だとかうだうだ言い始めるミーちゃんをなだめつつ、着々と仕事を進める。
 すると彼女の向かい側に座っている別のアシスタントの子――最近やってきた新人ちゃんだ――が不意に話を振ってきた。

「先生はどうなんですか?」
「はい?」
「安室さんですよ! 順調なんですよね?」
「順調というか……別れてはいないけど」

 別に隠すことでも無いので事実を述べる。時々アシスタントとして原稿を手伝ってくれる安室さんと自分が付き合っていることは、彼女らにとって周知の事実なのだ。それを聞いた途端、盛大な溜息と共に「ああいいなあ先生はイケメンの彼氏がいて……」というミーちゃんの嘆きの声が漏れ聞こえてきた。そんな言葉を無視して、新人ちゃんが再び質問してくる。

「いいんですか? 折角のクリスマスの夜なのに仕事なんて」
「あはは! いいの、安室さんも仕事が忙しくて会うのは難しいって言ってたから」
「そうなんですか?!」

 机に突っ伏していたミーちゃんががばりと身体を起こした。そのあまりの勢いの良さに自分は思わず面食らってしまう。

「う、うん。探偵の仕事がどうとかで今夜中に帰ってこれるかわからないって」
「うわあ……安室さん、ご愁傷様……」

 ミーちゃんは憐みの眼差しを浮かべながら安室さん(が恐らくいるであろう方向)に向かって手を合わせ始めた。すると再び新人ちゃんから質問が投げかけられる。

「疑わないんですか? 安室さんのこと」
「疑うって……何が」
「例えば、浮気……とか」

 その一言にその場が一瞬静かになり、微妙な空気が流れ始める。そろりとこちらの様子を窺うようにふたりの視線がこちらを向いていた。だが自分は至って冷静に返答する。

「そこまで考えたことはないなあ。いつも仕事で忙しそうにしてるのは近くで見てるし」
「不安じゃないんですか?」
「うーん……でもやっぱり、何の理由も無しにそんなことをする人じゃないってわかってるから」

 何せ彼の本職については前世から知っている自分だ。もし仮に女性と歩いているところを見てもまず真っ先に「新しい潜入捜査かな?」という言葉が浮かぶ自信がある。それくらい安室さんに対しては信頼を寄せているのだ。

「ま、もし本当に浮気してたとしたら自分は潔く身を引くけどね」

 人間に絶対なんてない。昨日の地雷が今日の性癖……だなんてことがオタクによくあるように、人の好みというものは移り変わっていくものなのだ。そればっかりは止められない。
 だから自分のことを好きだ好きだと言ってくれる安室さんが別の人を好きになる可能性は絶対にない、とは言い切れないのだ。自分にはそれを止める権限も手段も全くもって無いのだし。もしそれが現実となってしまったのなら……きっと自分はやはり身を引いて背中を押すだろう。自分の幸せよりも推しの幸せ。これ重要。

 ……まあ、だからといって、寂しくないってわけでは、ないけどさ。

 するとミーちゃんが不意にハンカチで目元を抑えながらよよよとわざとらしい涙を流し始めた。

「うっ……! 感動しました! まさしく相思相愛! 絆Max! リア充はよ結婚しろ!」
「け、結婚は気が早すぎるんじゃないかなー?」

 結婚というリアルワードが出てきて自分は思わず顔を赤らめた。それを隠すように「手が止まってるよ!」と慌てて指摘した。指摘を受けてしぶしぶペンを持ち直す彼女の向かい側で、新人ちゃんがぼそりと言う。

「でも何かクリスマスらしいことをするのも悪く無いかもしれませんね」
「というと?」
「ちょっと集中力が切れたので、散歩がてら近くのコンビニでフライドチキン買ってきます。もちろんおふたりの分も」
「やったあ! ありがとうございます!」

 フライドチキンという余程単語にテンションが上がったのか、ミーちゃんはさっきとは打って変わって勢いよくペンを走らせ始める。その様子を見た自分と新人ちゃんは目を合わせて思わずくすりと笑った。


***


 今日の分の作業が終わり、アシスタントのふたりが帰路についた。
 やっと今日が終わったな……と思いながら時計を見ると、現在23時過ぎ。もうすっかり夜も更けて、クリスマスも終わりかけだ。誰もいないリビングでソファに腰かけながらココアを啜る。静かな部屋にテレビのニュース音声だけが響いていた。画面に映る煌びやかなイルミネーションや街行く人々をぼうっと眺めていると、霧消に寂しさが沸いてくる。

「……ケーキでも買ってきたらよかったなあ」
「こんな時間に食べたら肥りますよ」
「そうですよねえ……――って! あ、安室さん!?」

 いつの間にかソファの後ろに立っていた安室さんに、自分は思わず飛び上がった。それはもう腰が軽く5センチは浮くくらいに。そんな自分の様子を見ている安室さんはニコニコといつものように楽しそうな笑みを浮かべている。くそう、誰のせいでこんなことになったと思ってるんだ。
 バクバクと煩いなんとか落ち着けながら素直な感想を述べる。

「かかかかか帰ってたんですか安室さん……」
「はい。仕事が思ったよりも早く終わったもので、ついさっき」
「そうだったんですか」

 嘘だろ全然気づかなかった。どんだけ気配殺して入ってきたんだよ。自分が悶々とそんなことを考えていると安室さんは不意にその腕をこちらに伸ばす。
 そして、その腕の中に自分を抱きしめた。

 あまりにも突然の抱擁に、思わず自分は目を丸くする。彼の着ていたシャツに顔が押し付けられて、否が応でも彼本来の香りを強く感じて鼓動が早まっていく。

「ああ、落ち着く」

 半ばパニックの自分に対し、しみじみと安室さんはつぶやいた。本心から溢れたであろうその言葉を聞き、自分は小さく胸がきゅうっとなる。もしかして、アシスタントの子たちの前では平気そうにしてたけど、思った以上に安室さんと会えなくて寂しかったのだろうか。……いや、でもこれは多分、違う。
 きっとこれは、自分は安室さんの落ち着けるような場所になりえているのだという事実が、ただ純粋に嬉しかったのだ。

 ああ、自分はなんて幸せ者なんだろう。そんなことを思いながら、彼の腰のあたりのシャツを小さくつかむ。すると安室さんは思い出したかのように腕の力を緩めて自分を解放した。

「おっといけない、ついつい忘れるところでした。……はいこれ」

 そう言いながら安室さんは傍にあったものをぽんと自分に差し出した。
 ビニール袋に入った四角いこの箱は……まさか!

「お土産のクリスマスケーキです」
「あああああ安室さん!!」

 ありがとうございます!とお礼を言って早速テーブルの上で箱を開封する。箱の中から出てきたのはチョコレートケーキだった。ホール状のスポンジの上からチョコレートをたっぷりと身に纏い、艶やかな光沢を浮かべている。そのチョコレートの上にはヒイラギとベルをモチーフにした小さな飾りがちょこんと乗っていた。そのあまりの可愛らしさに、思わずため息が漏れる。

「というかこれ! 自分が前にチラシで見ていいなーって思ってやつじゃないですか!」
「え、そうだったんですか?」

 包丁と取り皿、それからフォークを用意してくれた安室さんが目を丸くする。

「はい。前にアシスタントの子たちと一緒に話してたんです。『この中から選ぶならどれがいい?』って。その時に美味しそうだなと思ったのがこれだったんです。でも予約するのを忘れてて、すっかり諦めてたので……」
「なるほど。僕は予約開始したときに駅前でたまたま見かけて、忘れないうちにと注文しておいたんです。僕にはどれがいいかよくわからなかったのでとりあえず目に留まったもの注文したんですが……結果オーライだったみたいですね」

 ケーキを1/8に切り、1ピースを皿に乗せてくれる。安室さんの分もきちんと取り分けられたのを確認してから手を合わせて、早速ひとくち。そのあまりの美味しさに、自分は思わず頬を抑えた。

「おいしい! 安室さんのケーキには負けるけど! 美味しい〜!!」
「それは買って来たかいがありましたね」

 そう言いつつ安室さんもぱくりと頬張る。そして「本当だ美味しい」と驚いたようにつぶやいた。自分は次々とケーキを口に運び、その幸せに酔いしれる。やはり疲れた時には甘いものだ。糖分がじわーっと身体中に染み渡っていく感じが非常にいい。あーほんと、こんなに美味しいケーキが食べられるなんて、クリスマスマジサイコー。
 自分が幸せに浸っていると、不意に安室さんは言った。

「食べてしまいましたね」
「へ?」
「ケーキ」

 安室さんに言われるままに自身の皿を見ると、すっかりケーキは皿の上から姿を消していた。どうやらもう一切れ食べ終わってしまったらしい。なんと、いつの間に。
 すると安室さんはにこやかに微笑みながら言う。

「夜中の糖分は身体に毒ですよ」
「う」
「摂取したカロリーは消費されないまま脂肪として体内に蓄積されます。それに血糖値が上がるとインスリンやノルアドレナリンの分泌の影響で安眠も妨げられてしまうんですよ」
「うう……」

 安室さんの言葉を聞きながら自分は思わず苦い顔をする。ケーキを差し出してきたのはそちらのくせに、と思いつつ自分はすっかりぐうの音も出ない。中性脂肪が、糖質が、血糖値が。安室さんの言葉巧みな畳み掛けに、猛烈に後悔の念が押し寄せてくる。
 自分の心境の変化を感じ取ったのか、安室さんはそれじゃあ、とひとつの提案を持ち掛けてきた。

「早速運動しましょうか」
「運動」
「ええ。色々言いましたけど、食べた分しっかり運動すれば問題ありませんよ」

 安室さんはそう言いながらささっと皿を重ねると、立ち上がりながらさあさあどうぞどうぞと自分をエスコートしてくれる。ニコニコと微笑むその足が向けられているのは寝室だ。
 ここで自分はようやく安室さんの策にはめられたことに気が付く。

「まさか! この流れためにケーキを食べさせましたね!」
「さあ? どうでしょうねえ」
「ひ、卑怯だ!」

 疲れているときの甘いものにとことん弱い自分の性質をよく理解していらっしゃる。だがやり方は卑劣極まりない。まさかクリスマスケーキで釣るなんて……。
 すると安室さんはくすりと口元に笑みを浮かべる。

「今夜はしっかりわかってもらう必要がありますからね」
「な、何をですか?」
「決まってるじゃないですか」

 すっと、人差し指が自分の唇に当てられる。ふに、と安室さんの指の感触がした。

「僕がどれだけ心央さんのことを愛しているか、ですよ」

 蒼い双眸が意味深に細められる。その美しい微笑みに毎度のことながらくらりとさせられた。
 ……ああ、本当に卑怯だこの人は。そんなことのためにわざわざ。そう思った拍子に、自分は少し俯きながらほろりと思っていたことを口にしてしまった。

「…………こんな手なんか使わなくても、誘ってくれれば答えたのに」

 部屋が一瞬静かになる。
 そこでようやく、自分のしでかした事の重大さに気付いた。

 ぱっと顔を戻すと、目の前の安室さんは今までに見たこと無いほど目を丸くしている。その様子を見てますます羞恥心が焚きつけられた。顔が燃えるように熱を持ち始める。

「す、すみません! 今のは忘れてくだ……――っ!」

 あたふたと両手で赤く染まった顔を隠すが、あっさり手を剥がされ口づけられた。
 唇を舌でなぞり、それに驚いた自分が少し口を開いた隙を狙って容赦なく中に侵入してくる。先ほどまで食べていたチョコレートケーキの甘い匂いが強く香って思わず酔ってしまいそうだ。

 ひとしきり口づけた後、名残惜しそうに唇が離れる。安室さんは今にもとろけそうなほど嬉しそうな微笑みを浮かべていた。その幸せそうな双眸に見据えられ、思わず心臓が跳ねる。

「愛してます、心央さん」
「……自分もです」
「正直僕もう我慢できないのでここでしてもいいですか」
「いやそれは流石に……ちょっ! あ、あむろさ、話をきい……んぅ」

 自分の抗議は結局聞き入れられず、ふたり分の体重を受けとめたソファがぎしりと音をたてた。

 クリスマスの夜は、静かに更けていく……。
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