01 さめざめと君は泣いた
「はじめまして! 好きです、付き合ってください!」
目の前の少女は開口一番にそう言って、俺は持っていた煙草を取り落とした。ぽとりと、火をつけたばかりの煙草が地面に転がる。
「……は」
たっぷりの沈黙の後に辛うじて声を絞り出せただけでも褒めて欲しい。
目の前の少女はそんな俺のことなど露知らず、キラキラと大きな瞳を輝かせてこちらの顔を覗き込んでいる。頬はうっすらと桃色に染まり、気分が高揚しているのが見て取れた。肩のあたりで切りそろえられた。さらさらとした明るい茶髪が、少女が動くたびにふわふわと揺れる。身にまとっているのは、ここのすぐ近くにある帝丹高校の制服。手には通学鞄まで下げていた。
おかしい。今日は久しぶりのオフの日で、煙草を切らしてしまって仕方なく近所のコンビニに出向き、ついでに店の前で一服していただけだ。それなのに俺は、制服姿の女子高生――しかも全くの初対面である――に、熱烈な告白を受けている。
……どういうことだ。
「一目惚れなの! 見た瞬間にビビビッと来たの! 心臓が勝手に高鳴って、どうしようもないくらい好きで好きで堪らないって叫んでるの!」
目の前の少女はそう言うと、ばっと俺の両手を握ってぶんぶんと上下に振った。
「だから私と付き合って!」
「人違いじゃないのか」
「好きな人を間違えるなんてあり得るわけないでしょ! それに言ったじゃん、一目惚れだって!!」
「……悪いが他を当たってくれ」
「あなたじゃないと嫌!」
「俺の意思は関係ないのか……」
「好きなの! 大好きなの! 付き合ってよ、ねえー!」
少女はまるでお菓子を強請る子供の様に、わんわんと大声で駄々をこねる。俺の手は未だに握ったままぶんぶんと振っていて、一向に離す気配が見られない。そろそろ放してくれないと俺の手がもげてしまいそうだ。どうしたものかと辟易するようなため息を飲み込みながら俺は言う。
「そもそも未成年だろう、君」
「愛に歳は関係ないもんね」
「俺が気にする、と言ったら」
「気にさせない!」
「話が噛み合わない……」
とうとう堪えられなかった。やれやれと頭を抱えながらどうしようもなくため息が漏れる。会って数分も経たないうちにため息が出たのは初めてだ。
「……とにかく、俺は君とは付き合えない。大体、初対面の相手に軽率に好きなんて言うものじゃ――」
そこまで言ったところで俺は思わずぎょっとした。
少女は口を横一文字に引き結び、これでもかと頬を膨らませている。眉はつりあがって、まるでこちらを睨みつけるように見上げていた。その大きな瞳には水の膜が張っており、今にも端から零れ落ちてしまいそうである。
はっとして周りを見れば、数人の通行人が遠巻きにこちらをちらちらと見ていた。しまった、と咄嗟に思う。このコンビニは割と大通りに面した場所にある。その上、店の出入り口のすぐ近くで言い合いをしていたものだから、思った以上に人目につきやすくなっていたのだ。
かたや涙目のか弱い女子高生。かたや全身黒づくめで長身の男。
――頭に浮かぶのは、"通報"の2文字。
「……ここでは店の迷惑だ。一度場所を変えよう」
俺が渋々そう言えば、少女は瞬時に涙を引っ込め、先ほどまでの明るい笑顔に戻って大きく頷いた。……全く、大したものである。
一先ずコンビニのすぐ近くのコーヒーショップへ逃げるように入り、適当なテーブル席に向かい合わせになって座る。ウエイターにブラックコーヒーとカフェラテを注文したところで、俺は少女と目を合わせた。
「君、名前は?」
「十朱美琴。帝丹高校2年の17歳!」
少女――美琴は嬉しそうに聞かれていないことまで答える。にこにこと微笑みながら両肘をテーブルについて、両手で頬を包むように頬杖をついていた。十朱美琴……頭の中で探してみるが、やはり該当する人物は無い。本当に初対面のようだ。
それからしばらく質問を投げかけていく。家族について、友達について、学校について。初対面でいきなり告白なんかしてきたものだからもしかして組織の差し金かとも思ったが、返答する様子も内容も至って一般人並である。演技をしている様子も見られない。どうやらただ純粋に俺のことが好きで、告白してきたらしい。……それもそれでどうかと思うが。
「君、本気で俺と付き合いたいのか」
「冗談でこんなこと言うわけないじゃん。私はいつだって真剣なの」
「……」
本当に、どうしたものか。
丁度会話が途切れた時に、注文の品が届く。運んできたウエイトレスに軽く礼を言ってからカップに口をつけていると、美琴は「ねえ」と口を開いた。
「私のことばっかり聞かないで、あなたのことも教えてよ」
口に含んだコーヒーを飲み下してから、カップをソーサーに戻す。質問攻めにすることで意図的にこちらの個人情報を話さないようにしていたのに気づかれたようだ。
「君のことが知りたくてね」
「私だってあなたのこと知りたいもん」
それとなく適当に答えたのがバレたのか、拗ねるように美琴は言う。確かに、俺ばかり訊いていてはフェアじゃないと感じるのも仕方ないか。
「……3つまでなら君の質問に答えよう」
「名前と住所と電話番号教えて!」
「却下」
「ええー!!」
顔を輝かせ、身を乗り出すような勢いで聞いてきた質問をばっさりと切り捨てれば、美琴は不満そうな声をあげる。べたりとテーブルに突っ伏して、納得いかないとブーブー抗議してきた。
「何でも答えるって言ったじゃん!」
「何でもとは言ってない」
「けちんぼ」
美琴は唇を尖らせてぶすーっとした顔をする。そうやすやすと初対面の相手に個人情報をばらまくわけがないことぐらい、常識的に考えればわかるだろうに。だが美琴は未だ不満そうに唇を尖らせたままだ。その姿を見ると、なんだかこちらが悪いことをしているような気分になっていけない。参ったな、こんなつもりでは無かったんだが。
……まあ、少しくらいなら、いいか。
「赤井秀一」
「へ」
「俺の名前だ。住所や電話番号は無理だが、それくらいなら教えてやる」
美琴は俺の言葉を聞いた途端、きょとんとした顔で数回瞬きをする。それからぼんやりと視線を遠くにやって、あかいしゅういち、と小さく噛みしめるように呟いた。ほんのり頬を染めて柔らかくはにかみながら、大切そうに何度も、俺の名前を呟く。その様子がなんだか随分と大人びて見えて、思わず目を奪われそうになる。
……だがそれも一瞬の出来事だった。
「なら秀一さんって呼ぶね!」
先ほどまでの元気な笑顔に戻り、がばりと身体を起こして言い放つ。
こいつ結構馴れ馴れしいな。
***
会計を済ませて外に出れば、もうすっかり夕方だった。店を後にしながら美琴に声を掛ける。
「もうじき暗くなるだろう。送ってやる」
「ドライブデート!」
「ただの送迎だ」
美琴は嬉しそうに、俺の半歩後ろをぴょこぴょことついてきた。コンビニに停めっぱなしだったシボレーのロックを解除すれば、勝手知ったる様子で助手席に乗り込む。俺が運転席へ乗り込んだところで、美琴はすんと小さく鼻を鳴らした。
「秀一さん、結構煙草吸うの?」
「嫌か?」
「ううん、好き」
「そうか」
まさか即答とはな。内心思いつつ、エンジンをかけてシートベルトを締める。
「家はどの辺りだ」
「ねえ秀一さん、私海に行きたい!」
「駄目だ」
「ちょっとだけ」
「駄目だ」
「ちぇっ」
「……それで、家はどの辺りなんだ」
そう聞けば美琴は観念したように目を逸らして、小さく住所を呟いた。ここからそう遠くはない場所である。10分もあれば着くだろうと頭の中でルートを組み立てながら、俺は車を発進させた。
車内でもずっと美琴は俺に興味津々で、あの手この手で個人情報を聞き出そうとしていた。だが俺もそう簡単に教えられるわけがない。運転に集中しつつ、彼女の追及をひらりひらりと躱していた。
程なくして、美琴が言った住所の場所に到着する。そこは特別古くも新しくもないアパートで、本当にこの子はただの一般人なのだと思い知らされた気分だった。
「ここでいいか」
「うん、ありがとう秀一さん!」
美琴はそういって車から降りる。ドアを閉める直前、美琴は心底嬉しそうに微笑みながら言った。
「今日は本当に楽しかった! またデートしようね、秀一さん」
「ああ、そうだな」
「約束だよ! 絶対だからね!」
「ああ」
俺の返事を聞いて、美琴は満足そうに歯を見せてニッと笑った。ドアを閉め、美琴がアパート内に入って行く。
「約束、か」
ひとりになった車内で、先ほど言った美琴の言葉を反芻する。俺はまだしも、美琴は俺の名前しか知らないのだから、もう会うことはほぼ無いだろうに。美琴の姿が見えなくなるまで見た後、俺はアパートを後にした。
程なくして自宅に到着する。何の変哲もないマンションの一室。仕事用に借りているセーフハウスのひとつであった。鍵をあけて室内に入り、電気をつける。ため息をつきながらジャケットを脱いでソファに放った。
全く、煙草を買いに出ただけだったのに、貴重な休日が潰れてしまった。自宅に帰ってきたことで、どっと疲れが押し寄せてきたのだろう。心なしか身体が重い。
「風呂に入ってさっさと寝るか……」
「あ、私先に入りたい」
「そうか、なら先に入れ。俺は――」
そこでふと違和感に気が付く。
――1人しかいないはずの部屋で会話が成立した?
音がするくらい思い切り振り返れば、先ほど家まで送り届けたはずの美琴がそこに立っていた。
しかも先ほどまで着ていた制服ではなく、私服姿で。
「なんでお前がいるんだ!」
「えへへ、びっくりした?」
思わず大声が出るが、美琴は気にせずにニコニコと微笑むばかりだ。頭が痛い。俺は片手で顔を覆ってため息をついた後、ひとまずこの状況を整理しようと美琴に質問を投げかける。
「……どうやって、ここがわかった」
「それは勿論、秀一さんへの愛の力で!」
「真面目に答えろ」
「私はいつだって大真面目だもん」
「……」
じろりと睨みつけてみるが、効果は見られないようである。美琴は俺の視線をものともせず、うっとりとした表情を浮かべながら言葉を続けた。
「私、秀一さんがこの世で一番好き。好きな人とずっと一緒に過ごしたいと思うのは当然でしょ?」
「…………わからなくは、無いが」
答えを求める美琴の視線に耐えられず、俺は渋々返答した。そんな俺の言葉を聞いて、美琴は待ってましたとばかりに瞳を光らせる。
「でしょう!? 秀一さんもそう思うよね! 私たち両思いだったんだよ!」
「待て待て、どうしてそうなる」
「両想いなんだから付き合うのは当然だよね! 今日から私、秀一さんの彼女!」
「おい人の話を聞け」
俺の言葉は美琴の耳に全く入っていないらしい。美琴はなおもキラキラとした目でつらつらと言葉を並べている。
『恋は盲目』と言う言葉があるが、これは盲目なんて表現で済ませられる類のものではない。もっとこう……致命的な何かが抜け落ちている気さえする。
「じゃあ私、先にお風呂入るね秀一さん」
「おい待て、何故風呂に入ろうとする。送ってやるから帰れ」
「一緒に入る? しょうがないなー」
「いいから話を聞いてくれ頼むから……」
……どうやら俺は、とんでもない奴に目を付けられてしまったらしい。
ルンルン気分で浴室に消えていった美琴の背後で、俺は静かに頭を抱えた。