02 えぐられる心
「最近顔色良いわね」
車内での情報交換の最中、同僚のジョディが急にそんなことを言い始めた。顔色なんて一切意識していなかった俺は平然と返す。
「そうか?」
「ええ。前はもっと土気色というか……そう、ゾンビみたいだったもの」
「酷い言いようだな」
「仕方ないじゃない。事実なんだから」
ゾンビに例えられるほど顔色が悪かったとは。確かにまあ、酒も煙草もやる上に、睡眠時間も不規則。食事だって最低限しかとっていなかったのだから顔色なんてよくなるはずもないか。ひとり納得していると、助手席のジョディが少しだけこちらに顔を近づけてくる。
「急にこんなに生気を取り戻すなんて……もしかして、恋人でも出来た?」
にやにやと人をおちょくるような笑みを隠そうともせず、ジョディは俺に尋ねた。恋人、というワードにわずかに身体を固める。……いや、違う。あれは俺の恋人を名乗ってはいるが、俺は別にそうだと思った覚えはない。そんな俺の様子を見て、ジョディは眼鏡のレンズをきらりと光らせた。
「その反応、いるのね? いるんでしょう!」
どこか楽しそうに俺に詰め寄ってくるジョディ。なぜそこまで楽しそうなんだ。頭に浮かぶ笑顔の少女の幻影を振り払いながら、俺はため息交じりに言う。
「……恋人は、いない」
妙に付きまとってくる自称恋人ならいるがな。
***
出会った次の瞬間、俺に熱烈な告白してきた少女……十朱美琴との交流は未だに続いている。
というのも、一方的にあちらが押し掛けてくるのだ。
美琴は俺が居ようが居まいがお構いなしに、俺の部屋へ押しかけてきた。玄関にはしっかりと鍵をかけていたはずなのに、いつも美琴はあたかも「初めからここに居ました」と言わんばかりにしれっと部屋の中にいるのである。
初めのうちは、次こそ入られまいと家のセキュリティを見直したりもしていたのだ。だが何度繰り返しても結果は同じ。連敗を重ね、流石にもうこれ以上は無理だと俺が折れるような形で合鍵を作って渡したのだ。その時の喜びようは今でも忘れられない。3日近くは鍵を見るだけで笑みを零していた。
鍵を渡してからはさらに遠慮が無くなった(元々皆無だったが)。俺のセーフハウスは鍵を使って開けられた場合そのログが記録されているのだが、ログを見る限りほとんど毎日通っているようなのだ。数時間で帰る日もあれば、そのまま泊まっていくときもある。
俺ひとりで暮らしているはずの部屋に、美琴の生活用品が段々と増えていく。お揃いのマグがふたつ並んでいるのを発見したときには少し追い出そう考えたが、歯ブラシが置かれているのを見て全てどうでもよくなった。今では布団まで戸棚にしまわれている。……言っておくが、手を出した覚えは一度も無い。一度も無いぞ。
そしてある時からは冷蔵庫に作り置きの料理が入っていた時まであった。栄養バランスを考えて作られたことがわかる色鮮やかなそれは、驚くほど俺の舌によく馴染む。狙いを定めたように的確に俺の味の好みを撃ち抜いてくるのだ。最近顔色がいい、というのはきっとこの食事をとるようになったからだろう。
美琴は基本的に俺がいる間は俺にべったりである。学校であったことなんかを一方的に話し、俺がそれに相槌を打つ。時折話を振られれば素直に答えてやり、また美琴が喋りだす。その繰りかえしだ。
俺が少しでも不機嫌そうな雰囲気を出した途端に美琴は俺から少し距離を置き、そっとしておいてくれる。俺が仕事に関する電話を受けているときはそれとなく離れ、携帯をいじったりして聞かないようにしているそぶりを見せた。押し入ってくる割りに、そういうところを察するのは得意なようだ。
俺がいない時は割と自由に過ごしているらしい。ソファでだらりとくつろいだり、作り置きの料理を作ったり、掃除洗濯をすませたり……。そうして大抵、俺が帰ると家はすっかり綺麗になっている。かごに入れたままになっていた使用済みの服は洗濯、乾燥、きちんとたたんでクローゼットの中へ。シャツはアイロンまでかけられ、シンクは水をきっちりふき取る徹底ぶり。その上、俺が事前に「入るな」と言った部屋はドアを開けることすらしていないようだ。意外と……いや、かなり真面目な性格らしい。あちらも学生でそれなりにやることだってあるだろうに。
こうして俺と美琴の奇妙な交流はかれこれひと月以上は続いていた。これを傍から見たらあまりいい顔はしなさそうなものだが、俺自身は予想以上に快適に過ごせているため特に不満は無い。
美琴がどう思っているかはわからないが、恍惚な表情で「秀一さんと同じ空気を吸えるだけで幸せ!」なんて世迷言をほざいていた彼女のことだ。不満はなさそうである。
「ちょっとシュウ! 聞いてるの?」
ジョディの声にはっと現実に引き戻される。回想にふけっていたがそういえばまだ会話の途中だった。何でもない風を装って助手席に視線を向ければ、ジョディが呆れたような顔で唇を小さく尖らせているのが見える。
「すまない。もう一度頼む」
「もう! 私この後すぐに例の彼女のところに戻るから、話の続きはあなたの部屋でもいいかしらって言ったのよ」
「ああ、そんなことか。別に構わない」
「分かったわ。じゃあ9時過ぎくらいに行くわね」
部屋くらいちゃんと片付けておきなさいよ!明るくそう言ってジョディは俺の車を後にした。全く、相変わらず騒がしいやつだな。
……ん? 俺の部屋?
***
同日、午後9時頃。
俺の部屋の呼び鈴が小さく鳴った。相手を確認してからドアを開ける。数時間前と変わらぬ顔つきで彼女は立っていた。
「シュウの部屋に来るなんて随分久しぶりね」
「そうだったか」
「そうよ」
お邪魔するわね、なんて言いながら玄関で靴を脱ぎ部屋に入る。ちらりと玄関のドアを見た際に、不思議そうに眉根を寄せた。
「何よこれ。玄関のドアに山ほど防犯装置がついてるじゃない」
「……最近この辺りで空き巣が出たらしくてな。その対策だ」
「空き巣ねぇ。それにしては多すぎる気もするけど、まあ対策することは大事だものね」
私も気を付けなくっちゃ、と小さく笑うジョディ。リビングまで俺が先導して案内すると、軽く見回して感心したような声を漏らした。
「あら、すごい片付いてるじゃない! これシュウが掃除したの?」
「…………まあな」
「何よ今の間は……って、あなた顔真っ青よ! ちょっと、大丈夫?」
俺の顔を見た途端焦ったように声を荒げるジョディ。俺はポケットに手を突っ込んだままジョディから目を逸らしながら「そうか」と言っただけだった。
***
数時間前。
ジョディと別れて大急ぎで帰宅した俺は、いつものように俺の部屋でくつろぐ美琴を発見した。美琴は俺の顔を見るなりぱっと表情を明るくさせ、俺の元へ駆け寄ってくる。
「おかえりなさい秀一さん! ご飯にする? お風呂にする? そ」
「9時頃にジョディが俺の家に来る」
その言葉を聞いた途端、ぴたりと美琴は動きを止める。普段の様子からは想像もつかないほど感情の抜け落ちた声で言った。
「……誰それ」
「……同僚だ。仕事の話をしに俺の部屋を訪ねてくる予定になっている」
昔付き合っていたという事実を伏せ、ただの同僚だということにして美琴に伝える。美琴はといえば、いつも通りの声色に戻って「ふうん」と納得したようなしてないような声を漏らす。
「それを私に言ってどうするの?」
「だから、今日のところはお前に帰ってもらおうと――」
「やだ」
俺の声を遮って美琴が言う。美琴は拗ねたような表情をしながら言葉を続けた。
「ジョディって女の人でしょ。……秀一さんとふたりっきりでって、仕事の話以外のこともしそうだもん」
だから、やだ。美琴は小さく唇を尖らせながら、やや視線を俯かせて言った。着ているスカートの裾のあたりをくしゃりと握りしめているのが見える。
「……正真正銘仕事の話しかしない。約束しよう」
「でも! ふたりっきりなんでしょ! そんなの信用できない!! 絶対やだ!!」
「駄々をこねるんじゃない」
「やだやだやだーー!!」
地団駄を踏み鳴らさん勢いで美琴が駄々をこねる。思わずため息が漏れた。こういうところは子どもっぽ過ぎるというか、なんというか。
「私、絶対出て行かないからね! それでジョディさんに『私が秀一さんの彼女です』って宣言するんだから!!」
「おい、それは止めろ」
美琴のことは同僚たちに一切知らせていないのだ。そんな宣言をされたら俺は犯罪者になってしまう。最悪首が飛ぶかもしれん。だが俺の制止する声も聞こうとせず、美琴は絶対出て行かないとばかりに俺のことを上目遣いに睨みつけている。
……こうなったら仕方ない。最終手段を取らせてもらうぞ。
「へ」
目の前にいた美琴をひょいと持ち上げ、そのまま右肩に担ぐ。美琴の頭は俺の後方にあり、足が前にある状態だ。流石にこの展開を予想することは出来なかったらしい美琴は、じたばたと足をばたつかせながら脱出を試みているようである。
「ちょっ……秀一さん! 凄い嬉しいけど、これ怖い! おろして!」
だが俺もそう簡単に抜けさせるわけがない。がっしりと腰のあたりを腕で固定したまま、ソファに置かれた美琴の荷物を左手に持ち――この時さりげなく俺の家の鍵を回収しておいた――、玄関へと向かう。そして美琴とその荷物を玄関の外に出すと瞬時にドアと鍵を閉める。用心深くチェーンロックまでかけた。それから帰宅前に色々購入しておいた防犯装置を取り付けていく。ドアの向こうから美琴の猛抗議の声が聞こえてくるが無視しつつ作業を進めた。
「秀一さん酷い! 開けてってばあ!!」
「何とでも言え。俺は絶対に開けんからな」
しばらく言い合いが続いたが、その内静かになった。玄関前をモニターで確認すれば、そこには誰もいない。大人しく帰ったのか。俺は盛大なため息をひとつ零し、玄関を離れる。
それから部屋の至る所にある美琴の私物を見えないように片付けていく。片付けながら、こんなに美琴の物が増えていたのかと痛感する。一通り終えたところで時計を見れば、短針はもうすぐ9を指そうとしていた。ギリギリだ。危ない所だったな。
ジョディが来るまで休もうと思いソファに座って一服していたのだが、ふと視線を感じて振り返る。だがそこには誰もいなかった。
何故かふと頭に過るのは、少女の可愛らしい笑顔。
「まさか……な」
どこか嫌な予感がした。
一応全部屋を隈なく調べたが、少女の姿はどこにも見つからない。ただの気のせいかと思おうとしても、俺の優秀な危機察知センサーは何故か警告音をとめない。
もしかして……見つけていないだけで、美琴はもうすでにこの部屋のどこかにいるのではないか。そんな考えが頭に過って仕方なかった。
だがそれと同時に、それを即座に否定する考えも浮かぶ。何を言ってるんだ俺は。美琴は正真正銘ただの女子高生だ。調べたのはひと月前の自分自身なのだから間違いない。ただの女子高生にここまで警戒する必要は無いだろう。
落ち着くためにもう一本煙草に火をつけようとした瞬間、インターホンが来客を告げる。時計を見れば短針はとっくに9を指し、長針は12を過ぎていた。
――そして今に至るというわけである。
「変ねえ、数時間前に会った時にはあんなに顔色よかったのに……」
「……問題ない。気にするな」
「そう? ならいいんだけど……」
辛くなったらすぐに言うのよ?と心配そうに言うジョディ。本当のことを言えずにいる俺は生返事をするだけだ。早く始めようという意味を込めて俺が先にソファに腰かければ、それを察したようにジョディもすぐ傍に座る。鞄からさっとノートPCを取り出して立ち上げた。それと同時にいくつかのファイルを立ち上げる。
主に俺たちが手にかけている案件はほとんどが組織に関連するものだ。最近は、ベルモットが扮する新出医院に頻繁に訪れていた水無怜奈に関することばかりである。
今日は昼頃からジョディが彼女の家の前に張り込みをしていたらしいが、彼女が子どもの悪戯事件の依頼を毛利小五郎に依頼しているとわかり、シロだと踏んだという。そして張り込みを一時的に他のメンバーに任せ、今に至るというわけだ。
彼女が組織の一員なのではと睨んでいたFBIとしては、また振り出しに戻ってしまったと言っても過言ではない。盛大なため息を漏らしながら、ジョディは疲れ切った声で呟く。
「どうにかして、もっと詳しい情報が得られればいいのだけれど……」
「まあ確かに、これっぽっちじゃ心もとないよねぇ」
「これっぽっちとは何よ、これっぽっちと、は……」
この場にいないはずの第三者の声が混じり、ジョディと俺はぴたりと動きを止めた。ぶわりと冷汗が吹き出す心地がする。対するジョディもすっかり青ざめた顔をしていた。そしてふたり揃って、壊れたからくり人形の様にぎちぎちと首を後方に捻る。
そこにいたのは、ソファの背もたれに両手で頬杖をつき、にっこりと可愛らしく微笑む自称恋人の姿。
ジョディの声にならない悲鳴が部屋に響き渡った。
***
「……つまり、ひと月ほど前に出会って以来、あなたたちふたりは同じ部屋を共有し、挙句そのまま寝泊まりするような関係だったというわけね?」
腕を組み、仁王立ちで俺を見下すジョディ。
ソファの下に敷かれているカーペットに正座をしている青ざめた顔の俺。
同じく正座をし、きょとんとした表情を浮かべる美琴。
……OMG.なんという地獄絵図。
「シュウ。あなた、自分の立場わかってるの?」
「……すまない」
「sorryで済んだらFBIは要らないのよこのスカポンタン!!」
ごもっともな言葉を正面から剛速球で投げつけられる。ぐうの音も出ない俺は、ただ押し黙っていることしか出来なかった。はー、と盛大なため息を吐いたジョディはドサリとソファに腰かける。
「全く……今回は別にこの子に手を出したとか、そういうことじゃないんでしょう? ボスには黙っていてあげるわ」
「…………本当にすまない」
ジョディはため息交じりにもう一度、全く、と呟くと今度は美琴に視線を向ける。
「えっと、美琴さん……だったかしら。ごめんなさいね、そういうわけだから今日は少し外してくれるかしら?」
「それって、ここから出て行けってこと?」
「言ってしまえばまあ……そういうことになるかしらね」
「私帰らないよ」
ジョディの言葉をきっぱりと断る美琴。その眼は部屋で何度か見かけたことがある……梃でも動かないと決意したときの目だ。対するジョディはといえば、少し困惑したように言葉を紡ぎ始める。
「あのね、私は何もあなたとシュウの仲を引き裂きたいわけじゃないの。これから私たち、仕事の話をするから少し外して欲しくて……」
「なら私も関係あるよ」
「……何ですって?」
「だから、関係あるの。だって私この人知ってるもん」
そう言って、美琴は真っすぐにディスプレイを指さした。