10 もともとありえなかったんだから
通話終了の電子音が鳴ったのを確認すると、男はさっと携帯の電源を切ってポケットへしまった。
「長えよ」
「ごめんね。お喋り止まんなくて」
じろりと美琴を睨み舌打ちをする。ちらりと時計を確認しつつ、面倒そうにため息をついた。
上体を起こしたままにするのに疲れて、美琴はゆっくりと横になる。澱んだ空気のせいか埃のせいか、こほこほと背中を丸めるようにして咳こんだ。
その拍子にじわりと浮かび上がった涙で曖昧になった視界に飛び込んできたものを確認し、そっと目を細める。その視線の先にあるのは彼のくれたネックレスだ。変わらぬ輝きを放つそれを見ていると、胸の中がふんわりと温かくなる。
(大丈夫……秀一さんたちなら、きっと)
***
「危ない……?」
俺の言葉を聞いたジョディが怪訝そうに首を傾げる。
「さっきの会話をどう聞いたらそうなるのよ?」
「説明してくれるかね、赤井くん」
ジェイムスに促され、俺は先ほど彼女とかわした会話をもう一度思い出しながらふたりにそう判断した経緯を説明する。
「彼女と以前、取り決めをしたんです。『もし何か危ない目に巻き込まれた際、電話口では私のことを”ダーリン”と呼ぶ』と」
その言葉を聞いた途端、ジョディはわかりやすく息を飲んだ。ジェイムスは眉をひとつ動かしただけだが、その表情は険しい。
「彼女は電話に出て早々にそのメッセージを発しました」
「じゃあ、美琴は……」
「何者かにさらわれた可能性があります」
するとジョディがあからさまに動揺し始める。
「何者かって……まさか組織の」
「いや。それは無いな」
俺ははっきりと言い切った。そして続けざまにその証拠をふたりに提示する。
「組織関連だと思われる集団だった場合は"先生"と"居残り"という二つのワードを使うようにと決めたんです。だけど今回は」
「確か……部活だったかしら?」
「そう。だから恐らく、今回の件は組織とは関係ない素人の誘拐犯だ。少なくとも美琴が判断した限りでは、だが」
「なるほど。他に彼女は何を?」
ジェイムスの言葉を聞いて、俺は彼女が他に示していたキーワードを思い出しながら続けた。
「"お化け屋敷"というワードは現在いる監禁場所が窓が無く薄暗い場所であることの暗示です」
「窓がなく薄暗いとなると……地下、という可能性が高いな」
「ええ。それから犯人は少なくともふたり以上……そのうち男性が確実に一名はいて、その上武器も所持しているとみられます。"ゲームセンター"は相手が武器を所持していることの暗示。共に帰宅すると言っていた人物が男性で複数形というところから、おそらくそうかと」
俺の見解を聞き、ジェイムスはううむと腕を組んで考え込むような仕草をする。それと、と俺は自身で判断したもうひとつのキーワードを追加する。
「電話の向こうの声が微妙に反響していました。推測するに、我々と同じようにスピーカーモードで会話をしているのでしょう」
「ということは……私たちとの会話を聞くために、近くに犯人の仲間がいて見張られている可能性が高い?」
「そういうことだ」
ざっとこんなところでしょうかと俺が言うと、ジョディがはあ、と溜息をついた。それは呆れからくるものではなく、関心からくるものである。
「流石あの子ね。まさかこれほどの情報をあの会話の中に忍ばせていたなんて……」
「感心している暇はないさ」
さっと立ち上がり、羽織っていたジャケットを直す。
「これだけのメッセージを残してくれたんだ。一刻も早く、美琴を見つけなければ」
「ええ、そうね」
ふたりは真剣な表情で頷いた。
***
「なんだか外が騒がしいな」
男がちらりと扉の方を見ながらぼやいた。確かに、耳を澄ませてみるとなんだかどかどかと激しい物音がする。何やってんだと苛立つ男を他所に、美琴は気づかれないようにそっと微笑んだ。よかった。あのメッセージに気付いてくれたんだ。そんな安堵からくる笑みだった。
「様子を見てくるだけだ。動くんじゃねえぞ」
そう言って男が部屋を出ていった。ガシャと施錠音がして、ふうと溜息をつく。よっこいしょと反動で身体を起こして拘束を再確認する。両手足の結束バンドのタイプからするに、強い力を加えれば簡単に千切れるようなものだ。ただし、その強い力をどうやって加えるかが問題になるが。
(急がなきゃ)
けほけほと咳をした拍子に、ちゃり、と首元のネックレスが揺れる。
美琴は自嘲的な笑みを浮かべた。
***
腹に一撃食らわせれば男は動かなくなった。
美琴の携帯のGPSの履歴から囚われているであろうという建物を特定し、潜入してから数分。これで実に3人の男の意識を刈り取った。その身体を拘束したうえでその辺の通路に適当に放置していると丁度別ルートで散策していたジョディやジェイムスと合流する。これで3階建ての廃ビルは粗方散策し終えたし、おそらく犯人グループは全員拘束し終えただろう。やはり美琴の判断した通り、彼らは全くの素人だったようだ。
「あと残っているのは地下だけね」
「ああ。おそらくそこに美琴は捕らえられている」
最後に気絶させた男のポケットから部屋の鍵を拝借。ついでに美琴の携帯と拳銃も回収しておいた。一応残党の可能性も頭に入れつつ、静かに地下へ向かう。
いくつか部屋を見て回ったところで、明らかに重々しい雰囲気を漂わせた部屋を見つけた。ご丁寧に施錠が念入りにしてある。恐らくこの部屋だろうと思いながら解錠し、勢いよく扉を開けた。
そこにいたのは彼女ひとりである。床に転がっている彼女は一瞬目を見開き、そしてへなと目を細めて笑った。
「暗号、わかってくれたんだね」
ゆっくりと上体を起こそうとする彼女に駆け寄り、そっと支えてやる。
「大丈夫か、美琴」
「うん。平気だよ」
後ろ手の結束バンドを俺が、足首の方ジョディがを外す。ようやく身体が自由になると、美琴は安心したように身体に入れていた余計な力を抜いた。
「ジョディさん、ジェイムスさんまで……ごめんね」
「気にすること無いわ。あなたが無事だったんだから、それで」
「そうとも。美琴くんに何もなくてよかった」
微笑んだふたりを見て申し訳なさそうに美琴は眉を下げる。
「さて、それでは早いところここから出よう。これ以上の長居は無用だ」
ジェイムスの言葉に俺たちは頷く。自ら立ち上がろうとした美琴を制止て、背中と膝裏に手を回す。美琴は何も言わず、大人しく俺に抱きかかえられていた。
――大人しく俺に抱きかかえられていた?
ふと美琴の行動に違和感を覚えて俺は眉間にしわを寄せる。
いつもの美琴ならば俺がこんなことをしようものならお姫様抱っこがどうだとかギャーギャー騒ぐだろう。もしくは、顔を真っ赤にしながらブツブツ念仏のようになにかをつぶやいているかもしれない。
だが今の彼女はどうだ? 騒ぐどころか黙って俺の腕の中に収まっている。なんてそんなの、普段の彼女とは思えない。
俺はさっと腕の中の彼女に視線を落とす。そこで思わずぎょっとした。
明らかに顔色が悪い。健康的に色づいていた頬が、青白いと言ってもいいほど色を失っている。瞼は辛うじて持ち上がっているが、その焦点はほどんど定まっていないようだ。半開きの唇は乾き切っていて、そこから漏れ出る息はか細く荒い。ひゅうひゅう、はあはあ、ぜえぜえ。彼女の不規則な呼吸音が俺の鼓膜を撫ぜる。俺が足を止めるには十分だった。
「おい美琴。どうした? まさか奴らに何かされたのか?」
俺の言葉に、先を歩いていたふたりが足をとめて振り返る。美琴はといえば、俺の方にそろりと目玉を向け、笑顔を浮かべた。だがそれは、誰がどう見ても無理に絞り出したようなものである。
「あはは、心配性だなー、秀一さんは。私は何も――」
そこで不自然に言葉を途切れさせ、背中を丸めるようにしながら口元を抑えるとごほ、とせき込む。美琴!?とジョディが慌てたようにこちらに駆け寄ってきた。数度肩で息をした後、口元を抑えていた手をそっと剥がす。その掌を見て、彼女は観念したかのように力なく笑う。
――掌は、真っ赤に染まっていた。
その場の誰もが息を飲んだ瞬間だった。
「……ごめんね、しゅう、いち、さ」
少女は一方的にそう呟くと、そのまま俺の腕の中で力なく瞼を下した。