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4月になったとはいえ、頬を撫ぜる夜風はまだ冷たく、思わず身震いする。しかし、風にのって運ばれる仄かな桜の匂いに春を感じた。横浜に来て、もう一年が経とうとしている。
この一年は色々あった、なんて陳腐な言葉で言ってしまうと味気ないが本当に色んなことがありすぎて言葉にできない。社会人一年目ということもあるが、それよりも大きな要因は隣を歩く帽子がお似合いのこの人のおかげだ。


「中原さんは、この一年どうでしたか?」


「何だよ急に。そう言う話は年末にするもんだろ」


「ふと気になりまして」


私の突拍子ない質問に、中原さんは「あー、どうだったかなァ」と頭をかく。なんだかんだ言いつつ律儀に応えようとしてくれるその姿に、思わず頬が緩んだ。


「何笑ってるんだよ」


「ふふ、何でもありません」


「、、、手前まさか、すでに酒飲んでるのか?」


「飲んでませんよ。ほんの少ししか」


「やっぱりな、、、どうりで機嫌がいいと思ったぜ」


「で、どうでしたか?楽しい1年でしたか?」


「悪くはなかった。そういうみょうじはどうなんだよ」


「えー、そうですねえ。とっても充実してたと思います。仕事は覚えることが多くて大変でしたが、やりがいに溢れていました。横浜での暮らしも、慣れないうちは少し苦労しましたが、今ではお気に入りのお店もたくさんできましたし。それに、中原さんとの思い出もたくさん出来ましたし、うん、充実でしたね」


思い返せば、仕事以外での思い出はほとんど中原さんとのものだ。酩酊状態の中原さんをおぶって運んだ日のこと、初めて一緒にご飯を食べた日のこと、買い物に出かけた日、マフィアの拠点に連れて行ってもらい花火を見た日、どれも鮮明に覚えている。好きな人と過ごした時間はいつまでも色褪せないものなんだと、中原さんと出会って初めて知った。
未だに思いを伝えられてないけれど、今のままでも十分に幸せだと思っている自分がいる反面、あと一歩を踏み出したいという気持ちもあるが何も出来ずにいる。


「なあ、みょうじ」


ゆっくりと歩いていた足を止め、私の名前を呼んだ中原さんの顔を見ればいつになく真剣な顔の彼と目があった。熱を帯びたようなまっすぐの瞳に捉えられ思わず心臓が大きく跳ね出す。


「なんですか?」


できる限り平静を装ってそう尋ねる。少し震えた声になってしまったが、バレていないことを祈るばかりだ。


「これからも、俺の隣にいてほしい」


無理にとは言わねえ、そう付け足す中原さんに思わず目を瞬かせた。なんだ、そんなことか。思わず身構えて期待した自分がなんだか馬鹿らしく思えた。


「いますよ??当面引っ越す予定はありませんので」


私の返答に今度は中原さんが目をパチクリさせた。あ、可愛い、なんて思ったのも束の間、「バカか手前は!」と頭を軽く叩かれた。


「イタッ?!え、何でですか?!」


「あのなぁ、誰がわざわざいつまでも隣人でいてくれなんて頼むんだよ。それぐらいわかれ」


「えっと、その、それは、つまり、?」




「ハァ、、、お前が好きだ。一緒にいてくれ」


こう言えばわかるか?と、呆れたように言う中原さんの言葉に思考回路がプツリと止まる。えっと、いま、私を好きだと、言ってくれた?中原さんが、私を?
告白された、その状況を理解した瞬間身体中の血液が顔に集まったかのような錯覚に陥った。ああ、いまきっと耳まで真っ赤になっているだろうな。そんな顔を見られるのが嫌で手で顔を覆うと、中原さんに「隠すんじゃねえ」と意外と大きな手によって退けられてしまった。



「中原さん、あの、私、すごい嬉しいんですけど、でも、迷惑じゃないですか、、、?私、中原さんのお荷物にはなりたくないです」


忘れてはいけない、私は一度攫われて中原さんの手を煩わせたことを。マフィアだが心根の優しい中原さんはきっと、これからも私に何かあっても約束通り助けてくれるだろう。でもそれは彼にとって負担になるのでは?と嬉しいのにマイナスなことをつい考えてしまう自分に嫌気がさす。
そんな考えを察したのか、中原さんは急にクシャクシャと私の頭を少し乱暴に撫でだした。その手から伝わる優しさに、思わず涙が出そうになる。


「あのなあ、好きな女を邪魔だとか、荷物になるだとか思わねえよ俺は。むしろ、お前を助けるのは俺だけでいいんだよ。だからゴチャゴチャ面倒くせえこと考えるな」



涙が出そうになるのを我慢しながら頷くと、中原さんは満足そうに笑った。
ああ、敵わないなこの人には。
どこかでニャア、と聞き覚えのある猫の声がした。おめでとう、か。ありがとう、幸せになるよと心の中で返事をし、自然と絡み合う手から伝わる体温に心地よさと恥ずかしさを感じながら見慣れた道を歩いた。










烏兎匆匆
(過ぎ行く愛おしい日々)

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