■19■




目を開けた瞬間は密閉されていると思った空間だったが、かすかに隙間があるらしく外から港の灯りがか細く差し込んでいる。身体が拘束されているせいで腕時計を見ることが出来ないけど、もう7時は過ぎただろう。夏が終わると、日が暮れるのがあっという間だ。
コツコツと、一つの靴音が近づいてきた。先程外に出て行った彼奴が戻ってきたのだろう。


「さあ、時間切れだ。そろそろ船を出そう」


「、、、私をどうするんですか」


「野暮な質問だね。君の想像通りさ。でもすぐに殺しはしないよ。中原中也に君が生きているかもしれないという僅かな希望を抱かせて、絶望を与えたいからね」


狭い空間に男の高笑いが頭が割れそうなほど響く。どうやら、私はこの男にジワジワと殺されるらしい。


「安心していいよ。最終的にはきちんと中原中也の元に返してあげるから。ああ楽しみだなあ見るも無惨な姿に変わり果てた君を見た中原中也の反応が!直接見れないのが残念で仕方ないよ!」


なんだ、私、死んでもちゃんと中原さんの元に帰ってこれるのか。でもグチャグチャにされて汚くなった姿で帰されるのは嫌だなあ、なんてことをぼんやりと考えているあたり冷静なのか判断力が鈍っているのかわからない。しかし、そんな頭でもここに来てからずっと考えている、というよりは後悔していることが一つだけある。

もっと早く、気づけばよかった。中原さんが好きだということに。

何度目かの後悔が頭をよぎった、その時だった。


聞いたこともないような大きな音を立てて、重厚な造りで出来た鉄製の扉が吹き飛ばされる。不意に開けた視界に、一つの人影があることに気づいた。逆光で顔は見えないが、私にはハッキリとその人物が誰なのかわかった。



「中原、さん、」


震える声で彼の名を呼ぶ。何か叫んでいる男をよそに、中原さんは一歩一歩確実に、此方に近づいてきた。


「みょうじ、今から10秒だけでいい。目を瞑っとけ」


中原さんの言葉に私は無言で頷き、固く目を瞑った。その声色は今まで聞いたことがないほど低く、怒りを孕んだものだった。


「っ、く、来るなぁ!!それ以上近づいたら、この女がどうなっても」


「煩え」


中原さんが男の言葉を遮ってからというもの、私の耳が拾う音は男の呻き声と何かが折れたような音や、何かが飛び散る音だった。潮風とは違う、ツンとした生臭い匂いが鼻をつく。
ちょうど10秒数えたけど、もう目を開けていいのかわからず、目を閉じたままでいると中原さんが「悪りぃ、10秒って言ったがまだ閉じといてくれ」と、私の心を見透かしたようなことを言ってきた。靴音からして私の方に来てくれたらしい。腕と足を縛っていた縄が解かれ、ようやく身体に自由が戻った。そう思った瞬間、私の身体は再び別のものに拘束された。肺を満たすのは憶えのある煙草と香水の匂い、服越しに感じる体温、微かに感じる吐息、どうやら私は今中原さんに抱きしめられているようだ。


「あの、中原さん、」


「、、、無事でよかった」


ぽつりと、私の耳元で安堵したようにそんなことをいう中原さんに、どれだけ私は迷惑と心配をかけてしまったのだろう。中原さんのその言葉をきっかけに、私のなかで堪えていた何かが壊れたらしく、閉じた瞼からボロボロと涙が溢れた。助かったことに対する安堵や迷惑をかけてしまった情けなさ、中原さんに生きて会えた嬉しさ、色んなものがグチャグチャに混ぜられた涙は止まる気配がない。


「ごめんなさ、い、っ、中原さん、ごめんなさい、ごめんなさ」


嗚咽混じりに繰り返し謝る私の唇を、柔らかくて温かな何かが塞ぐ。その感触に吃驚して目を開くと、中原さんの整った顔がすぐ目の前にあった。衝撃のあまり目を見開いた私に中原さんが気づき、ピタリと目があう。

キスをされている、そう理解した瞬間不思議なことに涙がピタリと止まった。



「閉じとけって言ったろ」


「な!!え!ちょっと、え、な、何してるんですか?!」


「手前が何回も謝るから煩かったんだよ」


「それは、だって、、、すごい迷惑かけちゃったじゃないですか私」


「あの時、みょうじに言った俺の言葉もう忘れてるのか?」


【あの時】が思い出せず首を傾げていると、呆れたように溜息をつく中原さんに少し罪悪感がわいた。申し訳なさから目線を下げる私に「こっち向け」という中原さんの顔は、怒ってはおらず真剣な面持ちだ。


「いいか、もう二度と言わねえからよく聞いとけ。
お前に何かあっても、俺が守ってみせる。これから先もだ」



私の目をまっすぐ捉えた中原さんの言葉に、あの日の記憶が蘇った。その時同様、もしくはもっと小さな声ではい、答える私は、泣いてるのか笑ってるのかよくわからない顔をしてると思う。


「、、、ありがとうございます」


涙でくしゃくしゃになった顔でそう言うと、中原さんは満足そうに笑った。




- 19 -

*前次#


ALICE+