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腕時計の針があと少しで重なり合う、こんな時間まで飲んだのは初めてだ。職場の上司に誘われ飲みに行ったはいいものの、次からは遠慮しようこんな時間まで愚痴を聞かされるのは堪ったもんじゃない。
すっかり酔いが醒めた頭でそんな事を考えながら静まり返った夜道を歩いていると、街灯の下を随分覚束ない足取りで歩く人影が見えた。大丈夫かあの人、なんて思った次の瞬間、その人は盛大に転けた、否倒れた。
「えっ、ちょっ、ええっ」
慌ててその人の元に駆け寄る。なんて場面に出くわしてしまったんだ。
「あの、大丈夫ですか、って、あれ?」
倒れた人は見覚えのある顔だった。つい最近シャツを返したばかりのお隣さんだ。スカーッと気持ちよさそうに寝息を立てるお隣さんの顔は、私同様お酒を飲んでいたのだろう、夜道でもわかるくらい赤かった。
「起きてください、こんなとこで寝ちゃ駄目ですよ!」
「、、んあ?あれ、アンタ、、」
「大丈夫ですか?歩けます?」
「あ〜??当たり前だろうが。俺を誰だと思ってんだぁ?中原中也だぞ?」
呂律の回らない舌でお隣さん、もとい中原中也さんは私を睨むが全然怖くない。どんだけ飲んだんだこの人。
「中原さんですね、わかりました。中原さん、家まであと少しです。さ、帰りましょう」
「何言ってんだよ手前まだこんな時間だろうがぁ?まだまだ飲むぞ」
「いやいやこっちの台詞です何を言ってるんですか」
依然として寝転んだままの中原さんの手を掴み起きあげようとするが、脱力仕切っているため中々起こせない。ちょっとは力を入れて欲しい。
「中原さん、一緒に帰りましょうよ」
「五月蝿えよまぁだ飲むぞ俺は」
「あーもう!わかりました!じゃあ家に帰って飲みましょう」
私の言葉に「そいつぁ名案だなあ」と中原さんは笑みを浮かべる。取り敢えず、帰ってくれる気にはなったみたいだ。勿論飲ませるつもりは毛頭ない。
ふらふらした足取りで立ち上がる中原さんの肩を支える。身長はあまり変わらないが、男性の中原さんは筋肉量が多いのか見た目からは想像できない重さだった。重い、重たいけど、私が支えてなかったらまた寝だしかねない。
私達の家まであと5分ほどだ。頑張ろう。
**********
「や、やっと着いた、、、」
普段なら5分の道のりの筈が、その倍、いや三倍はかかった。横からスウスウと、寝息が聞こえる。
家まであとほんの僅か、というところで私に支えられたまま寝出した中原さんをここまでおんぶして運んできた私を誰が褒めて欲しい。
「着きましたよ、中原さん」
そう呼びかけても返事は返ってこないし起きる気配もない。これはダメだ。
失礼とは思いながらも中原さんの外套のポケットに手を入れて家の鍵を探してみるがそれらしい物は出てこない。困った。どうしたものか。
「、、仕方ないかぁ」
こんだけ泥酔しているし、少し心配だし、別に変なことは起こりはしないだろうだって中原さん爆睡だし。
そう自分に言い聞かせ、私は家族以外の誰も入ったことのない部屋に、中原さんをあげ、寝台に寝かせた。仕方ないから私はソファで寝るとしよう。
本当はお風呂に入りたかったが、もうそんな気力もない私は顔だけ洗いソファに横たわった。眠りにつくのに、そう時間はかからなかった。
**********
翌朝、肌寒さを感じて目を覚ますと中原さんの寝息が聞こえた。気持ちよさそうに眠る彼を起こさぬよう、静かに浴室へと向かう。二度寝しても良かったけど髪の毛についたお酒の席独特の匂いをいち早く落としたかった私は、シャワーを浴びることにした。
さて、目が覚めた中原さんになんて説明しようか。変な誤解をさせるのは申し訳ない。中原さんと私の間には何もなかったことは真っ先に教えてあげなくては。
身体を拭き着替えて部屋に戻ると、寝台の上で頭を抱える中原さんがいた。起きてたんだ。
「おはようございます、、?」
「、、、」
「あの、何か誤解されてるかもしれませんが、大丈夫です」
私の言葉に中原さんはゆっくりと顔をあげる。二日酔いのせいか、将又この状況のせいか、多分両者だろう。眉根を寄せた中原さんの顔色は酷いものだった。
「、、この状況を説明してくれ」
「えっと、昨夜道で泥酔してた中原さんをお家まで帰そうと試みたんですが、途中で寝てしまったので、致し方なく私の部屋で寝ていただきました本当にそれだけです」
「、、、あんた、あれだよな、隣の部屋の、、」
「はい、あっ、名前言ってませんでしたね。みょうじなまえと申します」
「、、なんで俺の名前知ってんだ?」
「昨日、ご自分で言ってましたよ。俺は中原中也だぞって」
「、、、マジかよ」
記憶にねえと呟く中原さん。そりゃあんだけ酔っ払ってたらそうなるだろう。
「そういうことなのであまり気にしないでください。というより勝手に部屋に入れて済みません」
「謝んのはこっちだろ、、、本当に済まなかった。今度飯でも奢る」
「え、そんな気を使わなくていいですよ。私が勝手にしたことなんで」
「このままじゃ俺の面子がたたねえ」
「じゃあ、、お時間のある時で構いませんので中原さんお勧めのお店に連れてってください。私、まだこの街のこと知らないので」
「あー任せろ」
私の言葉にぶっきらぼうにそう応えた中原さんは、寝台から降り「世話になったな」と言い外套を肩にかけ自宅へと帰って行った。
食事に連れて行ってくれると言ってくれたが、本当なのだろうか。昨日の今日知り合ったような人間をご飯に誘うだなんて、社交的な人だなあ。
時計を見ると、まだ8時にもなっていなかった。朝ごはんを食べて久しぶりに買い物にでも出かけよう。
こうして、意外なほど実に平穏に私の休日は始まった。
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