帰ることはできない、その事実には薄々気づいていた。


転生というべきか、それともトリップというべきか、はたまたすごく長くて壮大な夢を見ているのか、或る日の事だ。私は見知らぬ部屋で目を覚ました。それは見慣れた自室と比べるのも烏滸がましいほど広く、大きな部屋で、まるでどこぞの貴族が住んでいそうな作りで、私が寝ていたのはこれまたお姫様が寝ていそうな天蓋付きの立派なベッド。大人3人が横になってもそれぞれが寝返りを打てそうな大きさのそれで目を覚ました時、私は何だか変な夢だなあ、なんて呑気なことを考えていた。
しかし、肌に触れる柔らかな毛布やシルクのように滑らかなシーツの嫌にリアルな肌触りに胸騒ぎがしたのを今でもハッキリと覚えている。ここは、何処なんだ。暑くはない、程よい室温に保たれた部屋で一筋の汗が首筋を伝ったその時、ガチャリと、重厚な造りの扉が開き一人の男が入ってきた。その男は私の顔を見るなり、目を見開きまるで幽霊にでもあった様な顔をした。


「なまえ、、、?」


やけに洒落た帽子を被った男が口にしたのは、紛れもない、私の名前だ。
貴方は誰ですか、その言葉より先に私はその男に絞め殺されるのではないかと思うほど強く抱きしめられていた。



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窓の外の丸々と肥えた満月が、見慣れた姿で煌々と輝くのを見ると、やはりここは私のいた世界なのではと考えてしまう。

如何やら私は、私と同姓同名で更には見た目も私そっくりな誰かの身体に入ってしまったらしい。そして、ここは私が暮らしていた場所と似ている様で、少しずつ色んなものが異なる世界だ。スマホもある、言葉も通じる、でも街ゆく人の格好は少しレトロな装いの人ばかりだ。そして何より違うのが、私のいた場所でいわゆる文豪と呼ばれていた偉人と同じ名前の人たちが、彼らの著書に因んだ【異能】という訳のわからない力を使っていることだ。初めてそれを目の当たりにした時、手品か何かかと思ったが違うらしい。帽子がトレードマークの彼に手をとられ、壁や天井を歩いた時はそれこそ夢かと思った。



「かぐや姫にでもなりてえのか?」


ふかふかのベッドに腰掛け、ぼうっと月を見る私にノックもせずに部屋に入ってきた彼、中原中也はそんなことを聞いてくる。彼は、この世界でのみょうじなまえの恋人らしい。

中原中也の恋人はある日を境に目を覚まさなくなり、長年、植物人間状態が続いていた。そして、眠りの森のお姫様のようになっていたその女性の身体に私は気付いたら入っていた、というわけだ。今でも意味がわからない。何でこんなことになってしまったんだろう。


「かぐや姫が帰る場所は月だけど、私が帰る場所は彼処じゃないからなあ」


「、、帰りてえのか」


「そりゃあね」


ギシリと、キングサイズのベッドのスプリングが小さく軋む。隣に腰掛けた中原中也も私同様、窓の外、空の天辺で光輝く月を見上げた。誰かを思うようなその横顔を青白い光が力なく照らしている。


「私が帰ったら、中也の恋人さんも帰ってくるかもしれないじゃん?」


「だから、俺の恋人は手前だって言ってるだろうが」


「、、違うよ、中也。私はみょうじなまえだけど、中也の愛した人とは別なの。いくら名前が同じでも、違うの」


「、、五月蝿え」


冷たく低い声が鼓膜を震わし、90度傾く景色。ベットに縫い付けられるかのように押さえつけられた手首が痛いが、それよりも目の前にある怒っているのか、悲しいのか、どの感情を当てはめていいのかわからない中也の顔をみて心臓が握りつぶされたような感覚に陥った。


「名前だけじゃねえ、性格も、仕草も、何もかも同じ奴をああそうですか別人ですかって割り切れるほど単純な作りじゃねえんだよこちとら」


「、、でも、」


噛み付くように唇を奪われては、何も言うことは出来ない。それにしても、本当に不思議だと思う。トリップということ自体奇怪でならないのに、自分と容姿も性格も瓜二つの人間がいただなんて、未だに信じられない。酸素が薄くなりぼんやりとしてきた頭でそんな事を考えてしまう。



「手荒な真似はしたくねえが、手前が如何しても帰りてえって言うなら、こっちにも考えがあるぜ」


帰れなくなる理由、作ってやるよ、

耳元で囁かれたその言葉の意味を、この状況から私は何となくわかってしまった。
もう元の世界に帰ることはできない、そのことは薄々気付いているし、この世界で不便だと思ったこともあまりない。でも、家族や友人、大切な人達が待つ世界へ帰りたいと思わずにはいられないのだ。

今にも泣きそうな顔をした私達を、窓の外の月は何を思って見ているのだろう。







空に昇って、
光って、消えて、






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