右には菜の花の黄色、左には海の青。
潮の香りがするそんな景色の中を歩く私の隣には、私よりほんの少しだけ背の高い誰かがいる。
繋いだ手から伝わる体温が心地よくって、その人の名を呼ぼうとするが、名前が出てこない。如何して?
つぎの瞬間、その人がキラキラと光の粒子の様になり、消えていく。やだ、行かないで、お願い、傍にいて、私を一人にしないで、段々薄くなり景色に溶けていくその人に手を伸ばそうとした瞬間目が覚めた。私の頬には、涙が伝っていた。
また、この夢だ。




「中々、興味深い夢だね」




「此処最近、よくみるんですよね」





今朝見た夢の話をすると少し考え込んだ後、診察にやってきた森さんはそう言う。彼のおかげで、私の怪我はみるみる回復していった。今では、前よりもスムーズに歩くことも出来る。私は森さんの腕がいいからだと思っているのだが、周りの人は「なまえの回復力が高いからだ」と口々に言う。中原さんも、その一人だ。
中原さんに髪の毛を切ってもらってる最中、急に抱き締められた時は何事かと驚いたが、次の日からまたいつも通りの様子に戻った彼をみて、私もそれまで通り接することにした。しかし、そうするたびに心の何処かで罪悪感の様なものがこびりついていくのを感じずにはいられなかった。




「ふむ、、そうだ。なまえ、気分転換に病室の外に出てみるかい?」




「えっ、いいんですか?」




「だいぶ体力もついてきたみたいだしね。今日は天気もいい。彼に付き添ってもらうことにしよう」




ね、中也くん。
急に振り返り出入り口に向かってそう呼びかける森さんに思わず目を瞬かせてしまった。少し、間が空いてガチャリと扉が開く。其処にはバツが悪そうな顔をした中原さんがいた。



「すごい!森さん、どうしてわかったんですか?」



「ハハ、何となくね。で、中也くん。お願いしてもいいかな?」




「、、そりゃあ、まあ」




「じゃあ頼んだよ。私は此れからエリスちゃんと出掛けてくるね」




上機嫌の森さんはそう言い残して出て行った。エリスちゃん、とはこの前森さんが連れて来てた金髪のあの可愛らしい少女のことだろうか。私が初めましてというと、真っ白なほっぺを膨らまし、「もう!私のことも覚えてないのね!」と機嫌を損ねてしまったことを思い出す。あんな幼い子まで悲しませてしまう自分が情けない。




「はぁ、、、おい、なまえ。どっか行きてえところあるか」




「へ、病室の外って、屋外を少し散歩するだけじゃないんですか?」




「多分そういうことだろうな。けど其れじゃつまらねえだろ?」




中原さんの言葉に胸が高鳴る。それは、少しなら遠出をしても良いという意味だろうか。
行きたいところ、そう言われて直ぐに頭に浮かんだ景色がある。あの、夢の景色だ。






「もし、可能なら、、、菜の花と海が見える場所に行きたいです」




夢の中で見た場所に連れて行ってほしいだなんて、無茶なお願いだなと思う。けど、もし、あんな場所があるのならば行ってみたい、その気持ちが抑えきれずつい言葉に出た。
恐る恐る中原さんの表情を窺うと、目を見開き驚いた顔をしている。確か、初めて出会った時もこんな顔をされたことを私は思い出した。




「えっと、無理ならいいんです。白以外が見れる場所なら、」




「構わねえよ。連れてってやる」




「、、、本当ですか?」




「こんな嘘ついて何になるんだよ。おら、行くぞ」




差し出された手を掴むと、優しく握り返される。久しぶりの外、と言っても記憶を失ってから私が見たことあるのはこの真っ白な空間と病棟の中だけ。それなのに、色に溢れた世界が待ち遠しくて仕方なかった。




**********




中原さんの車に乗せてもらい、小一時間ほど海岸線を進むと都会の喧騒を抜け、落ち着いた町並み入った。窓の外に広がる何処までも続く水平線に目が吸い寄せられる。
ちらりと、隣でハンドルを握る中原さんを盗み見ると、「何だよ」と直ぐにバレてしまった。




「何でもないです。中原さん、運転上手いんですね」




「当たり前だろ。つうか記憶ないのに何で判るんだよ」




「初めて乗るのに眠気を感じるくらい安心できる運転だなと思いまして」




「其れは光栄だな。着くまで寝てろよって言いたい所だが、もう直ぐそこだ。我慢しろ」




その言葉通り、5分と経たないうちに車は止まった。
駐車場に車を置き、砂浜に向かおうとすると、右手を掴まれる。少し吃驚して思わず中原さんの顔を見ると、「転ばれでもしたら、俺が大目玉食らうんでな」と言われた。繋がれた手には、さっきまでしていた手袋はない。掌から直に伝わる体温は、高いものではないのに、なぜか胸に熱いものがこみ上げてきた。

ゆっくりとした私の歩調に合わせてくれている中原さんの優しさに、少し泣きそうな気持ちになりながら歩いていると、その景色は突如現れた。
咲き乱れる菜の花の黄色と、何処までも続くキラキラとした青い海、潮風特有の匂いが鼻をかすめる。




「凄い、、、本当に、こんな所あったんですね」



余りにも夢で見たあの場所と重なる景色に、思わずそんな言葉が出た。隣を歩く中原さんは何も言わず、海の向こうを見ている。
浜辺には、私達の姿以外に人影は見えなかった。潮騒の音だけが聞こえる。




「初めて、手前を車に乗せて遠出をした時も、此処に来た」




「、、、え?」




「あの時も、何処に行きたいって聞いたら海が良いって、お前は言ってた」




懐かしむように口を開く中原さんの言葉に、思考だけでなく足も止まる。




「なあ、なまえ」




「、、、はい」






愛してる









波の音に消されてしまいそうなほど、小さな声だったが私の耳にはきちんとその言葉が届いた。
その瞬間、頭の中に数え切れないほどの思い出が、記憶が、洪水のように溢れ出した。それと同時に、決壊したかのようにとめどなく涙が溢れてくる。









「、、なっ、おい?!如何した?!?!!何処か痛むのか?」




「っ、ちが、違うのっ、痛くなんかないの、」






ちゅうや、嗚咽交じりの声で愛しい彼の名を呼ぶ。
嗚呼、何で大切な事を今まで忘れていたんだろう。私は、何て愚かで莫迦で、ひどい女なんだろう。
こんなに愛してる人を、愛してくれている人を忘れていただなんて。





「お前、いま、なんて」




「ごめんね、ごめんね中也、忘れちゃってて、ごめんね」




繋がれていない左手で顔を覆う。ああやだ、こんなひどい顔見せれたもんじゃない。
まるで忘れていた記憶のようにどんどん溢れ出てくる涙を拭っていると、強く抱き締められ懐かしい匂いと体温に包まれた。あの日とは違う、背中越しではない、互いの存在を確かめ合うように腕にこもる力は強くなる。




「中也、わたし」




最低な女だね、そう言おうとしたが彼によって塞がれた唇は、愛しい体温を感じるのに精一杯だった。





「本当、お前って奴は手の掛かる女だな。俺の気持ちも知らねえで、初めましてだの、中原さんだの」




「うっ、、本当に申し訳ない」




触れ合うだけの長い長い口づけの後、彼の口から出た言葉に胸がいたんだ。
中也だけじゃない、ボスにも、エリス嬢にも紅葉姐さんにも、皆んなに悪い事をした。何度謝っても済むことではない。




「なまえ」




「何でしょう、、、」




あまりに落ち着いた中也の声に思わず身体が強張る。何だろう、まだ何か怒らせることあったかな。




「この指輪、何だったか覚えてるか」




私の左手を取り、薬指で輝くそれに視線を落としながらそう問いかける中也は、嫌味でも言ってるのだろうか。




「覚えてるに決まってるでしょう。もう、だから本当にごめんってば」




「そうか、じゃあ、」







結婚しよう、
中也の口から出た、たった5文字の言葉に私はまた涙が止まらなくなる。こんなに泣いたら目が融けてなくなりそうだが、泣き止むことなんて出来るはずもなく、私はこの指輪を彼にもらったあの日のように、何度も何度も頷いた。








春の日の歌







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