カランという、来客を告げる鈴の音にそれまで食器を洗っていた腕を止め、顔を上げれば一人の男性の姿がみえた。うちの店に来る客は、基本的に二人組か一人の人が多い。彼は、よく一人で来てボトルキープしている酒と、その日のお勧めを一品肴にして、特に誰と話す訳でもなく帰っていく。腕と首にぐるぐると巻かれたそれがあまりにも印象的だから、私は彼の事を勝手に包帯さんと呼んでいる。本人に知られでもしたら怒られるだろうから心の中でしか呼んでないけど。


「いらっしゃいませ」


「こんばんは。いつもの、もらえるかな?」


「畏まりました」


今日は客足が乏しい。店内には包帯さんの他に一組、すでに出来上がったお客様がいるだけだ。普段から静かな店内だが、今日はとりわけ音が少ない。
そんな中、グラスの用意をしていると、誰かに見られているような気がして、気のせいかなと思いつつも振り返ればなんと包帯さんが頬杖をつきニコニコと此方を見ているではないか。


「、、何かご用ですか?」


「綺麗な立ち姿だなあと思って」


人懐っこい笑顔を浮かべたまま、さらっとそんなことを言う包帯さんに「は、はあ。どうも」と照れ隠しのためつい味気ない返事をしてしまった。異性から姿勢を褒めてもらうのは、初めてだ。
それからというもの、妙に早足で脈打つ心臓と、たまに合う視線に少し居心地の悪さを感じたが不思議と、嫌ではなかった。

客がいないせいで、今日は本当にすることがない。手持ち無沙汰にぼうっとしているわけにもいかず、すでにピカピカに磨かれたグラスを拭く事小一時間、まだ閉店まで時間はあったがマスターも客足の悪さに痺れを切らしたらしい。「なまえちゃん、ちょっと早いけどもう外の看板下げちゃって」と、まだ店内にいるお客様に聞こえないよう小さく耳打ちしてきた。よし、今日は早く帰れるかも。
軽やかな足取りで外に出ると歩く人も車も見当たらない。
看板の電源を落とし、コードを巻きつけいつもの場所にしまいこむ。ふと、向かいの店先の窓硝子に映る自分の姿に気づいた。小さな頃から、背中まで伸びていた髪の毛はつい最近バッサリと切り落とした。ボブとショートの間くらいの髪は、まだ慣れなくて風が首筋を撫ぜるたびにすーすーするし、ちくちくとこそばゆい。


「綺麗な立ち姿、かあ」


彼に言われた言葉を反芻して、ルティレのポーズをとる。いくら辞めたとはいえ、まだ1ヶ月も経っていない。20年近くしてきた動作は、体に染み付いていた。

小さい頃から、踊ることが、バレエが、大好きだった。
普段はおろしている髪の毛をぴっちりと1つにまとめ、真っ白なレオタードに身を包み、トゥシューズを履けば平凡な女の子からお伽話に出てくる妖精に、お姫様になれたような気がした。
ろくに恋愛もせずひたすらレッスンに励む日々を送ってきたが、想いは一方通行でバレエの神様はどうやら私のことを好きではなかったらしい。自分のなかに限界を感じた私は、踊る事から逃げた。


「、、ハハ。滑稽だなあ」


よく磨かれたガラスに映る私は、自嘲ぎみにそんな事を言う。それでも動きは止まらない。軽いアンシェヌマンを踊っていたが、何やら誰かに見られているような気がしてピタリと動きを止める。錆び付いたブリキのオモチャのようにぎこちなく、恐る恐る振り返れば店先にぽかんとした包帯さんがいた。しまった、なんて恥ずかしいところを、、!


「、、見ちゃいました?」


「まあ、そうだね」


「うっ、、すみません変なとこ見せちゃって」


「とんでもない。映画のワンシーンを見ているような気持ちになったよ。とても、素敵だった。バレエをしてるのかい?」


「、、昔、してました。今はもう辞めたんです。私、才能なかったみたいで」


アハハと、笑ってみせるがきっとぎこちない笑顔になってるんだろうな。その証拠に、包帯さんは何も言わず私をジッと見ている。気を使わせまいと笑ったが、逆効果だったようだ。
しんとした静寂をどう打破するか、頭を悩ませていると、私の目を見つめゆっくりとした口調で包帯さんは喋り始めた。



「、、踊っている君は凄く綺麗だったよ。 才能があるかどうかは、私には正直なところわからない。けれど、大変な努力してきたんだっていうのが、すぐにわかった」



バレエが、大好きなんだね。

最後の一言がトドメになり突き刺さった。ポロリと落ちた一粒の涙に緩んだ涙腺を閉める術を私は知らない。



「すっ、すみませっ、泣いちゃって」


アイメイクが落ちるのも気にせず目をゴシゴシ拭いていると頭に大きな手の平が乗った感触がした。男の人らしい筋張った、それでいて温かな手だ。


「ごめんね、泣かせるつもりはなかったんだ。素人がとやかく言うものじゃないね」


ぽんぽんと軽く私の頭を撫で、困ったように笑う包帯さんの顔は涙でぼやけた視界でも、とても整っていることがわかった。


「あー、、すみません。本当にすみません。吃驚しますよね店でたら女が踊っててしかも急に泣きだすなんて」


「けれど、そのおかげで私はこうして予てから憧れていた美人さんと話すきっかけだけじゃなく、触れる機会まで得られたんだ」



心臓を射止めるかのような完璧な笑みで、こんなことを言われてどきりとしない女性なんているのだろうか。
明るい横浜の空でも光り輝く星がチカチカと瞬きをしている。そういえば、今朝の占いが素敵な出会いがあるでしょう、なんて根拠のないことを言っていたが、まさかね。







今宵スピカの
スポットライトで







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