家までの道の半分ほど歩いたところでからりとした天気だからか、喉の渇きを感じた。
太陽は南の空から西の空に傾いてはいるもののまだまだ高い。
時間もあることだし……あそこの井戸で一休みしよう。
汲み上げた水を手のひらで掬い、喉に流し込む。渇いた喉を冷たい水が伝っていく。

「そこの井戸水は美味しいからね」

「!?ゲホッ、ゲホッ!」

ガブガブ水を飲む私にかけられた声に思わず咽せた。変なとこに水が入ったのか、苦しい。
でも、そんなことよりなにより、



「な、ななんで利吉さんがここに……!」

「さっきまであの山の向こうの合戦を偵察していたんだ。その帰りでね」

深い緑色の忍装束に身を包んだ利吉さんは鯉のように口をパクパクさせる私にむかって爽やかに、そしていたって普通に「久しぶりだね」と言ってきた。久しぶり、といっても最後に会ったのは二、三週間前のことだ。

「ここ数日いろいろたてこんでてね。なかなか会えなくて寂しかったよ」

「さようでございますか……」

「出来ることなら、毎日でも会いたいくらいなんだが」

「忙しいなら無理なさらないでください」

暗に来ないでくれと言ったつもりなのに何を勘違いしたのか、利吉さんは「心配してくれるのかい……!?でも大丈夫だよ。私は生まれてこのかた、体調を崩したことはない」とどや顔で的外れなことを胸を張って言う。
身体だけじゃなくて心もタフなのかな……。
そんなことを考えてたら、「ん?」と利吉さんが首を傾げた。

「……白檀の香り?」

「ああ、これですね」

すんすんと鼻を動かす利吉さんに仙子ちゃんにもらった香り袋を懐からとりだし見せると、それまでと一変し利吉さんの表情は険しいものになった。
な、何だろう。臭かったかな?すごくいい匂いだと思うんだけどなあ……。

「なまえちゃん、これ誰にもらった?」

「?お友達です」

「そのお友達って、男?」

「いえ……正真正銘、女の子ですよ」

「……本当に?」

「は、はい。多分」

男装はしていたけど、仙子ちゃんの性別は間違いなく女だ。
しかし、やけに疑い深い利吉さんに自信を持ってはいと言えなかった。

「じゃあ、なまえちゃん、白檀の特徴は知ってる?」

「ただの香木じゃないんですか?」

「白檀にはね、防虫効果もあるんだ」

へ〜。知らなかった。いい匂いがするだけじゃなくて防虫まで出来るだなんて、すごいものをもらってしまったなあ。

「でも、どうしてそんなことを訊くんですか?」

「……いや、気にしないでくれ。少し考えすぎた」

「そうですか……」

難しい顔から普段通りの優しい顔つきになった利吉さんは何だかいつにもまして変だ。



「ああそうだ、家まで送るよ」

「!?けけ結構です!大丈夫ですから気にしないでください!」

「遠慮しなくていいよ」

遠慮なんかじゃねえよ!
とつっこみたかったが、引く気はないらしく、「大丈夫。この後は暇だから」といらん情報を教えてくれた。別に利吉さんのスケジュールを心配しているわけではない。自分の身の安全を案じているのだ。

「ここからなまえちゃんの家まで一里もないから……よし、ゆっくり歩こう」

「なにがよしなのかわかりません!」

利吉さんにそう抗議してみたものの、「もう少し休憩するかい?」と訊かれたのでがっくりと肩を落としてしまった。
ダメだ……利吉さんとは会話しようとするだけ無駄だ。

「……大丈夫です。もう行きます」

すべてを諦めた私は力なくそう言い、歩き始めた。当たり前のように私の隣を歩く利吉さんはただの空気ただの空気……と言い聞かせたものの、将来子供は三人ほしいなだとか、なまえちゃんに似た可愛い女の子が生まれたらいいなだとか、名前はなんにしようかだとか、色々スルー出来ないことを口走るためその度に「結婚しませんから」と否定しなきゃいけなかったから結局利吉さんを空気と思うことはできなかった。



**********



利吉さんの未来予想図を片っ端から否定し続けること数刻、いつの間にそんなに歩いたのか我が家の手前にまで来ていた。

「ああ、もう着いてしまったね」

「あっという間でしたね」

「私も残念だよ」

「別に残念ではありません」

「でも大丈夫。また近いうちに会いにくるから」

「……」

やっぱり噛み合わない会話にもう何も言えず諦めの眼差しで利吉さんを見ると「そんなに見つめないでくれ。辛いのは私も同じだ」と更に私を落胆させることを言われた。

「じゃあ、もうここまででいいですから。ありがとうございました。お気をつけて」

ちなみに今日この台詞をいうのは初めてではない。ここに至るまでも何度も言ったのだが、利吉さんは聞く耳を全く持ってくれず、結局ここまでついてきた。

「お義母さんに挨拶したいんだけど……」

「何ですかお義母さんて!てか、しなくていいですから!する必要ありませんから!」

「まさか……か、駆け落ち」

「しません!」

「冗談だよ。……でも、大切な娘さんをいただくんだ。そのうち本当に挨拶に行くね」

「!」

不意に真剣な顔でそんなことを言われたものだから、心臓が止まるかと思った。相変わらず一緒にいると寿命が縮まる。

「っ、ささささようなら!」

このままここに居たら心臓がもたない。
わき目もふらず逃げるように家に向かって走る。
そんな私を追いかける気配のない利吉さんに、心底ほっとした。


**********



「可愛いなあ」

駆けていったなまえちゃんの背中を見て、無意識のうちにそう呟いてしまった。一般的にみれば見た目中の上の彼女は絶世の美女、というわけではない。しかし、なんといえばよいのだろうか。給料のためかもしれないが、仕事にひたむきな姿勢や何事にも真っ直ぐな反応を示す彼女は見ていてとても気持ちがいいし、守ってあげたい、一緒に連れ添っていきたいと、らしからぬ欲がとめどなく溢れてくる。忍の三禁を犯すことになっているが、むしろ彼女を好きになってより自分を高められていると、自信をもって言うことができる。

……それにしても、どうも白檀の香り袋のことが頭を離れない。
彼女は女友達にもらったと言ってていたが、何かひっかかる。
防虫効果のある白檀を選ぶ意味、それが悪い虫を寄せ付けない、という意味にしか思えないのは私の考えすぎだろうか。
その【女の子】とやらの名前を聞いておけばよかったなと後悔するがもう遅い。
……また次会ったときにそれとなく聞き出せばいいか。

しかし、それはそうと、忍務後だというのに疲労感だとか倦怠感とかいったものは全くない。
きっと彼女に会ったお陰だなと改めてなまえちゃんに対する気持ちの大きさを感じた私は、一抹の不安を胸の奥深くに押し込め、橙に染まった山を駆け抜けた。


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