最近、一緒に事務をしていたおばさんが身籠もった。
大変めでたいことなのだが、私からしてみれば大変由々しき事態だ。
おばさんが産休をとっている間、私一人で事務の仕事をこなさなくてはいけなくなる。
一周間目は難無く過ごせたが二週目からはどうにも一人で働くには無理が出てきて、最近ではずっと残業続きだ。八方斎さまが残業手当てを弾んでくれるから頑張れるものの、さすがに一人はキツい。新しい事務員を募集しているらしいが、はたしてそれがいつくるのかはわからない。ひょっとしたら、こない可能性だってある。
「……朝か」
昨日も仕事が残ってたから事務室で書類をまとめていたはずなのに、いつの間にか眠っていたらしく外から小鳥のさえずりが聞こえた。
長い間椅子に座って寝ていたせいか、立ち上がると身体のあちこちからぱきぱきと音がする。背伸びをして身体を伸ばし大きく深呼吸をして気合いを入れた。
今日は同盟をくんでる城との会談があるらしいから掃除をしなくては。あとそれから在庫が少なくなってたから木炭の発注も。今日あたりに手裏剣やクナイも届くだろうからそれの受け取りとあと……
「……ハァ」
次々とやらなくてはいけないことが思い浮かんできて十代とは思えない溜め息がでた。
まだ一日は始まったばかりだ。
**********
「……」
「おはようなまえ」
「………………はッ、おはようございます」
長すぎる間に魔界之小路先生はどてーんと大袈裟にこける。
人はどうやら立ったままでも寝ることが出来るらしく、私は箒を持ったまま夢の世界に行ってしまっていた。
「最近眠そうだけど、ちゃんと寝ているのかい?」
「あー大丈夫ですよハハハ」
「目の下に隈ができてるよ?」
「げ、まじですか」
やっべー最近顔は洗うにしろ鏡なんか見てないから気づかなかった。
「事務のおばちゃんが産休にはいってから、随分やつれたんじゃないのか?」
「そうなんですかねえ……」
こうして喋っている今も意識は朦朧としている。
「とりゃー!」
今日こそは家に帰れるといいなあなんて思っているといきなり後ろから読んで字の如く、飛び蹴りを喰らわされた。
こんな不意打ちをするのはしぶ鬼に決まっている。普段の私ならこの後しぶ鬼の足首をひっつかんでジャイアントスイングをおみまいするのだが、今日はそんな力がないらしい。
重力に逆らうことなく地面へと倒れるとき、慌てふためく魔界之小路先生としぶ鬼が見えた。
**********
『具合はどうだ?』
心配そうな顔をして私の容態を伺うのは五年前流行りの病で死んだはずの父だった。あれ?どうして生きてるの?
生きていたころは働かない父に情けなさと憤りを感じていたが久しぶりに顔を見ると、ひどく懐かしく温かい気持ちになった。
何はどういっても、私の生みの親だから嫌いになりきれなかった父。
でも、お母さんを困らせるのはやめてほしかったなあ。
『お隣さんに米をいただいたんだ。お粥を作ったから、食べなさい』
ああ、でも私がこうして寝込んでいるとき、仕事に出かけている母の代わりにいつも看病をしてくれたのは父だった。その時ばかりは父のことを有り難く思ったことを覚えている。
ただ、欲を言えば少しでもいいから働いて欲しかったなあ。
「………」
どうやら夢を見ていたらしい。目を開けてみると、そこには父の顔ではなくサングラスを外したドクタマたちの心配そうな顔があった。あれ、私、なんで医務室の布団で寝てるんだ?
「起きた!」
「よかった〜」
「よかったねしぶ鬼」
「なんだよいぶ鬼!……さっきはごめんなさい」
「…………え?」
「だぁーかーらぁー!蹴り飛ばしたりしてごめんって!」
キレながらそう言うしぶ鬼は茹でたタコみたいに真っ赤だ。
なんだ、こいつ。謝ったりできるんだ。
そういえば、しぶ鬼に蹴られた時に意識がぶっ飛んだんだっけ。
「別に怒ってないよ。てか、しぶ鬼のせいで倒れたんじゃないし」
「でも、なまえは体調悪かったわけだし……」
「あ〜じゃあ、あれだ。今度バイト手伝って。それでチャラにしてあげる」
私の言葉に「一回だけだぞ!」と遠回しに了承してくれたしぶ鬼の頭をぐしゃぐしゃっと撫でると「やめろ馬鹿!」と怒られた。
「みんなもありがとね」
いぶ鬼ふぶ鬼山ぶ鬼に礼を言うと心配かけさせんなとこれまた怒られた。あれ?私、一応病人というか、労られる立場の人間だよね?何で怒られてばっか?
「あら、起きた?」
土鍋を持った黒戸先生に続いて魔界之小路先生と八方斎さまも医務室に入ってきた。
「吃驚したわよお。いきなり倒れたって聞いたから」
「いやあご心配おかけしました」
「なんだ、元気そうじゃないか」
ふんとそっぽを向き皮肉っぽくそう言う八方斎さまにすみませんと謝ると、次からはこうなる前に言えと説教されてしまった。
「バイトが見つかるまでは私と黒戸先生が手伝おう」
「え、そんな悪いですよ」
「時には甘えることも大事よ」
「また倒れては元も子もないだろう」
「う……」
八方斎さまの言葉に言い返せずにいるとふぶ鬼といぶ鬼と山ぶ鬼が自分たちも手伝うと言ってくれた。しぶ鬼もしょうがないなと手伝うことを申し出てくれた。
「〜っ」
弱っているときほど人の優しさというやつは心に滲みるらしく、こみ上げてきた熱いものに思わず私は掛け布団で顔を隠した。
みんな、優しすぎる。
普段は小生意気なドクタマたちも、鬱陶しいだけの八方斎さまも、何だってこうも優しくするんだ。
私の心情を察してか、魔界之小路先生が「……じゃあ、授業を再開しようか」と言ってドクタマたちを引き連れ医務室を出て行った。黒戸先生と八方斎さまもいつの間にかいなくなっている。
土鍋に入ったお粥はゆらゆら美味しそうに湯気を立てていた。
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