貝殻の詰め合わせ
ひとりで海を出て三日経つ。ドフラミンゴ様から告げられた期限は一週間だった。任務の成否に関わらずそれ以上は待たずに出港するとのことだ。
ターゲットの情報を辿って島から島へと渡り歩いて、ようやくその男が見つかった。年は三十代半ばの海兵の端くれで、ドフラミンゴ様にあれこれと都合してもらった身のくせに、海賊との繋がりを疑われて一方的に関係を絶ったらしい。末端の海兵が知らなくていいようなことを知っている恐れがあるので、実害が出る前に消して欲しいとの仰せだった。
大勢の大人だったら流石にまだ手に余るけど、ひとりくらいならどうってことはない。
手配書が出ている海賊を見かけたという通報があった為に、男は仲間と共にこの島へ上陸したようだ。海兵たちの詰め所も見つけたし、昨日は丸一日かけて行動パターンを確認した。相手をするのに骨が折れる人間ではなさそうだし、悪魔の実を食べたという情報もない。
男がひとりになるのを待ちながら、浜辺で貝殻を拾っておく。できるだけたくさん。
◆
「あの……海兵さん」
「ん? どうかしたかな」
陽が落ちる前、パトロールの休憩中だった男に声をかけた。片手にドリンクを持って木陰でひと息ついているらしかった。近くに他の海兵の姿もない。
「海賊を探してるんだよね」
「うん、そうだよ。すぐに捕まえるからな」
「……それって、この海賊?」
件の手配書を差し向けると、海兵は「そうだよ」と頷いた。自慢らしい腕の筋肉を見せつけるようにして任せておいてと息巻いている。
思った通り、子どもに優しいタイプの海兵だ。ドフラミンゴ様はこれも織り込み済みでおれに命令してくださったんだろうか。
「この海賊にね、妹が連れて行かれたの」
「なんだって?」
「返して欲しかったら海軍のひとをひとりだけ連れて来いって。お兄さん強そうだから、おれと一緒に来てくれますか?」
涙を拭うフリをする。そうしたら海兵は少し待ってのポーズを取ってから、電伝虫を取り出した。
「仲間には言わないで。取り引きの準備をしたいって言ってた」
「しかし、相手は賞金首の強い海賊たちだ。応援がないと危ないからね」
「……そうなんだ。でもバレたら妹が殺されちゃう。怖い海賊が捕まっても、妹がいなくなったら——」
俯いて、自分を弱く見せてみる。
仕事中に掴んだ有益な情報はもちろん全体で共有するべきだ。おれだって同じ立場だったらそうする。
「困ったな。指示を仰いでも突撃命令なんてことになったら」
「妹のこと、たすけてほしい」
子どもの手で真っ白な海兵の服をぎゅっと掴んだ。
「でも、ひとりじゃ危ないのも、おれ、分かるから」
「…………うん」
「先に場所だけ案内する。それから作戦? を練ってもいいよ。だからお願い、助けて。たすけて」
難しい顔をした海兵はううんと唸る。
それからじっくり何事かを考えて、意を決したように姿勢を正した。
「じゃあ、早速案内してもらおう。取り返しのつかないことになる前に。もしおれが仲間を呼んだとしても、必ずきみの妹は助ける。約束する」
そこまで言っていいのか? けど、知らない子どもがひとり死んでも正義の前には仕方がないのかもしれない。いくら子どもに優しい男だといっても限度はある。海賊団をひとつ潰すだけでこの近辺の島々の安全度はあがるんだから、犠牲者と天秤にかけるべくもないのかもな。
「約束ね。ついてきて」
◆
人気のない廃れた裏路地。大きな通りからここまでやってくるのにすれ違ったのは野良猫だけだった。真剣な面持ちで歩く海兵だったけど、少しの緊張が勝ったような表情だ。
「この先の、灯台にいると思う」
町を抜けて港を横切る。栄えた町の中心とは違ってひどく静かだった。辺りには誰も居なくて波の音しか聞こえない。遺体の発見者はここの灯台守になる予定だ。早ければ今日の夜。遅くても明日の朝には発見されるだろう。
「こっちの窓から中が見えるから、気付かれないようにそーっと見て。妹が無事かも見えたら教えてください」
「そこから? よし、ちょっと待ってろ」
海兵は腰を折って、窓の中を覗き込む。中には誰もいない。当たり前だ。悪い海賊も、可哀想な妹も、人っ子ひとり居ない。
「もっと奥、もっと奥だよ。左の部屋が見えるでしょう」
低くなった男の口に、薬が入ったボトルの広い飲み口を突っ込んで無理矢理頭を上に向かせた。利き腕を脚で封じて体重をかけ、空いた片手で鼻をつまむ。
突然のことに海兵はくぐもった声をあげて身を捩る。二等兵だとしても流石訓練を受けた人間だ。ボトルの中身を飲むまいと抵抗するし、恵まれた体格と筋力を使っておれの身体を引き剥がそうとした。
体格差がありすぎる。抑え込み続けることは難しかった。おれはまだ身体が出来上がってないから、暴れる大人の男を最後まで拘束し続けることはできない。
それでも溺れかけているのは事実なので、二回くらい喉が鳴ったのは確認した。海兵が大きく身を捩った拍子におれの身体は地面へ転がる。受け身をとってすぐに立ち上がり、隠れてナイフを握った。
海兵は何度か咽せ、胃に落ちた液体を吐き出そうと躍起になっている。
「な、何を飲ませた!」
「……」
「きさま何者だ」
男の手が電伝虫を取り出したのを見た。受話器を持ち上げる前に手元に飛び込んで、ナイフを振り下ろす。電伝虫は虚しく地面へと叩きつけられた。
「口の中がおかしくないか」
「……!?」
「ぴりぴり痺れるみたいな。食道がチリチリ灼ける感じがすると思う。処置が遅れれば遅れるほど、命が危なくなる」
青い顔をした海兵は慌てて駆け出そうとする。そんなのは許さない。右足のふくらはぎに深くナイフを突き立てて思い切り振り抜いた。崩れ落ちる男の汚い絶叫が、荒れた波の音で消えていく。
「もう逃げられない。お前はここで死ぬから、仲間を呼ぶ必要はないし治療に向かう必要もない」
混乱した男は喉に手をあてて何事かを言おうとして失敗して、それでも助けを求めて声を上げようとした。あんまり騒がれるのも不味いので喉も潰す。
「お前が日和らずドフラミンゴ様に使われていればこんなことにはならなかったのに……自分でよく分かってるよな」
毒への恐怖と痛みと困惑に悶える男の身体がついに横たわった。
「ごめんなさいって地面に頭を擦り付けて。馬鹿なことをしたって反省すること。毒が回る前に心を入れ替えられたらコレを渡してもいい」
ポケットから瓶を取り出して差し出す。自分ひとりの力ではどうしようもできない男は目を見開いて、勢いよく額を砂利に押し付けた。
「ドフラミンゴ様にはよくしてもらった筈だよな」「後悔するくらいなら近づかなければよかった」「裏切ったら後が怖いと思わなかったか」「自業自得だ。お前は生き方を間違えた」
おれが声を掛ける度にいろんな音がする。砂利に皮膚が擦れる音、額を大地に叩きつける音、鼻を啜って嗚咽が混じる。その全てが恐怖に彩られていた。恐れと後悔の塊が、おれという子どもを通してドフラミンゴ様に許しを乞うている。
手遅れになる手間まで時間を稼いだところで、おれは瓶のコルクを抜いた。前後不覚になって狼狽えるばかりの男の口元へできるだけ丁寧に飲み口を近づけてやる。
「あ…………あぁ、……」
ボロ布のようだった。
その辺のゴミ捨て場を漁ればすぐに見つかりそうな。
「ドフラミンゴ様にはちゃんと伝えておく」
男の目をじっと見た。じきに焦点が合って、涙でいっぱいのその瞳がおれを見つめる。それから蚊の鳴くような声で「ごめんなさい」と呟いた。
「心を入れ替えたならゆっくり飲み干して。慌てて一度に飲むと危ないから。今日でお前は生まれ変わるんだよ」
瓶の中身を三度に分けて飲み切った男はすっかり脱力して、地面とそう変わらない高さからおれのことを見上げている。満身創痍になりながらも「たすかったのか」と危うい呂律で尋ねてきた。
「生まれ変わる為にはどうしたらいいか分かるか」
「え……、え……っ」
「一度死ななきゃな」
ごぽり。
排水溝が水を飲み込むような音を立てて、男は血を吐いた。もう声も聞こえてないかもしれない。
「あの世でもずーっと後悔してほしいって言ってた」
物も言わない。抵抗する気力もなさそうだ。びくんびくんと大きく跳ねる身体を跨いで、男の腹をナイフで開く。魚を捌くのってこういう感じなのかな。
「もう、どこが痛いのか分からないよな。大丈夫。そろそろ死ねるし、おれもやっと帰れる」
開いた腹の傷口から、拾ってきた貝殻をひとつずつ詰めていく。遺体が発見されたときに衝撃を受けるようなのがよかったから。そうすれば恐ろしい事件として取り上げられるし、噂もはやくまわるだろう。
任務完了の証拠を作る必要があった。こいつは確実に死んだのだと、おれがドフラミンゴ様の元へ帰る頃にはそのニュースがお耳に入っているように。
「おへそのところにはホタテのおっきなの、置いてやるからな」