命を戴くこと
もっと筋力がほしいし、背丈も欲しい。はやく大人になりたい。男と組み合って簡単に引き剥がされないくらいにならないと何かとやりづらい。
ドフラミンゴ様の元へ戻る船の甲板で水平線を眺めながら、ぼーっと考える。今回の仕事、もっと別の方法はなかったかな。
毒を食事に混ぜるのは店を使うから人目があるし。注射を使うのも上手くいかなかったときに困るし。刺し殺すのは簡単だけど、お前を殺したのはドフラミンゴ様なんだぞというのを刻みつけなくちゃならなかったし。時間をかけて殺すのはまだまだ大変だ。
はやく大人になりたい。火器の反動に耐えられるくらいには。大きくなりたい。もっともっと、ドフラミンゴ様のお役に立ちたい。
王様の元を離れてもうすぐ一週間が経つ。はやく任務完了の報告をして、よくやったと言われたい。
脳の真ん中が少しずつぼんやりしてるのは疲れてるからだと思ったけど、これは多分離脱症状の兆しだった。やっと出会えたおれの王様に命じられた通りに仕事ができた。はやく、はやく褒めてもらわないと人の形が保てなくなる。
「きみ、大丈夫か」
「ぁ…………え、……うん……」
おれはドフラミンゴ様こそが王様だと思ってるけど、本当に待っていてくれている保証はないことに気がついた。目眩がする。無事あの方の元へ辿り着いても褒めてもらえなかったらどうしよう。これが初めての仕事だからまるで勝手が分からない。
あんなにも探し求めていた王様にやっと会えたのにすぐ一週間も離れるのは無茶だったのかも。もっと強い言葉で縛ってもらったらよかったな。
ドフラミンゴ様とおれの間には経験も実績もない。冷静になって考えてみれば、まだ全てが不確かな関係だった。舞い上がりすぎてすっかり油断した。
「横になれば大丈夫……」
急に重たくなった身体を引きずるようにして、おれはなんとか客室に戻る。煩わしいこの性質が本当に嫌になった。どうしてこんなにも不安になるのかが分からない。こんなんじや、呆れられてしまうかもしれない——
◆
「……戻りました」
「あ! 帰ってきた〜! おかえり!」
耳がキンキンする。身体も怠い。視線を振ってドフラミンゴ様を探すけど、部屋の中にそのお姿はどこにも見えない。奥の部屋かと思って足を引きずりながら歩いていると女の子に止められた。
「若様、いまお留守なの」
「は……? 留守?」
「そう。大事なショーダンだって」
「……いつ帰ってくる」
「分かんない」
「どこにいる? 会いに行くから教えろ」
「分かんないの。だから一緒に待ってましょうよ!」
やっと会えると思ったのに。船で丸一日半かけて帰ってきたのに。ああ、でも本当にまだ出航していなくてよかった。そこは一旦安心だ。だけどお帰りになって「お前は誰だ」なんて言われたらどうしよう。もう限界だ。勝手に沸き上がってくる不安がおれの思考回路を堰き止めてくる。
「具合悪いの……? 大丈夫?」
「…………大丈夫じゃ、ない」
やっとお顔が見られて、お声を聞けると思って港からも頑張って歩いたのに。これ以上はもう無理だ。不便な身体と生まれを呪うしかない。
「ソファに寝てよ。心配だわ」
「いい……玄関の外で待つ」
また外に出て、ドアの近くに座り込んでからはもう一歩だって動けなかった。重たい頭を壁に預けてなんとか呼吸を繰り返す。息をするのを忘れたら死ぬ。せめて任務は遂行できたとこの口で伝えてから死にたい。
気が遠くなりそうなくらい長い時間だった。早朝に戻ってきたのに昼がすぎた。女の子が何か言ってた気がするけど、何を言ってるのか分からなかった。まだお帰りにならないのか。はやく会いたい。おれの王様。
◆
「おい。生きてるだろうな」
酷い耳鳴りを掻き消したのは王様の声だった。
「おうさま」
「また床に居るのか。飽きねェな」
膝を折ってくださった王様、ドフラミンゴ様と目が合う。ほんものだ。
「滞りなく、にんむは完了いたしました」
「ああ。新聞で読んだよ。話も聞いた」
「……そうですか。よかったです」
ほっとする。
王様が自分にだけ語りかけてくれている。嬉しい。またお会いできてよかった。直接報告もできたから、もう思い残すことはない。
「よくやった。上出来だ」
王様はご機嫌に笑った。
「………………ありがとうございます」
「詳しい話は部屋で聞こう。立てるか」
「……は、い」
膝に力が入らないのは安心したからなのか、それともドフラミンゴ様の前だから立ち上がれないのか。頭はすっかり元気なのに身体が思うように動いてくれないのが憎らしい。
「出来ねェことをやろうとするな」
「申し訳ございません」
「じっとしてろ」
大きな手がおれの小さな身体を掬い上げる。一瞬、なにが起きたのか理解できなかった。目線が高くなってしまって恐れ多かった。
「お、おろして、……おろしてください」
「じっとしてろと言ったよな。命令だ」
「…………」
ドフラミンゴ様は軽々とおれを持ち上げて運んでくれる。まるで荷物でも抱えるようにして、だけど優しく暖かく抱かれているので抵抗するなんて選択肢はおれにはない。
「お前はお前の仕事をした」
「……はい」
「部下の面倒見るのはおれの役目だ」
胸の奥がじんわり熱くなった。苦しくなるほど締まった喉が開いていく感覚がある。おれはそんなふうに接してもらえるような人間じゃないのに。なのに嬉しくてたまらなかった。
ドフラミンゴ様のお部屋に着くと、抱えられていた身体がようやく下される。お帰りを待っていた時間よりもずっと長く感じられたのでまだ落ち着かない。
誰も座っていない椅子があるのに、柔らかい絨毯の上に下ろされたのだと分かった。初めてここへ来たときと同じようにドフラミンゴ様は目の前の椅子へと腰掛ける。
見下ろされているうちに少しずつおれの心臓は暴れるのを辞めたみたいだった。おれが一番楽でいられるところに居させてくれるなんて。こんなことこれまでに一度だってなかった。
「思い切りがいいんだな」
「……え?」
「予想以上にイカれてた。上等だ」
「ちゃんと記事になった方が分かりやすいかと思って」
ドフラミンゴ様は上機嫌な様子で長い脚を組んだ。
「それで?」
「な、なんでしょうか」
「考えておけと言ったよな。決めたのか」
なんのことだろう。何か忘れてるらしい。ドフラミンゴ様に言われて忘れられるようなことって何かあったっけ。仕事をして帰ることしか頭になかったからなかなか思い出せない。おれは首を傾げてドフラミンゴ様を見上げている。
「名前だよ、名前」
「なまえ…………あっ。ああ、おれの」
「なんだ、忘れてやがったのか。これからウチで働いてもらうんだ。そっちの方が重要だと思うがな」
おかしそうに笑うドフラミンゴ様と反対に、おれは肝が冷える思いだった。優先順位を間違えてしまったからだ。自分の呼び名になんてちっとも興味がなかったからすっかり頭から抜けてしまっていた。ドフラミンゴ様はおれの呼び名が決まっていないのは不便だって言ってたのに——
「ヤエ」
「……? ヤエ」
「どうせそんなことだろうと思ったよ。仕事の褒美に名前をやろう。文句はねェだろ」
丸くなってしまっていたおれの背筋がみるみるうちに伸びていく。
「ヤエ……名前ですか。ヤエが、おれの名前」
「ああ」
王様が、王様の時間を使って、おれの名前を考えてくれたっていうこと? 仕事の出来はもう褒めてもらえたのに、これ以上与えられたら胸か頭から破裂してしまいそうだ。
「ヤエ」
「は、い」
「おれの為に生きて死ね。できるだろ?」
出会ってまだ日も浅いのに。おれの性質や性分だって深くは知らない筈なのに。どうしてこの方はおれの喜ばせ方を最初から把握してるみたくお言葉をくださるんだろう。
奇跡なんだと思う。
やっぱりおれはこの方に会う為に生まれて生きてきたんだ。ドフラミンゴ様の為に死ぬことをお約束できる。きらきら輝いてまぶしいひと。この世で一番おれのことを上手に使ってくれるひと。おれの王様。
「もちろんです」
短い返事をするので精一杯だった。
ヤエ。それが今日からおれの名前。王様が授けてくれた大切なお名前。たくさんたくさん呼んで欲しい。おれを最後まで使い潰してくれるまで、何度だって貴方にこの名を呼ばれたい。