剣が交わる音が聞こえる。悲鳴が、雄叫びが辺りで木霊する。炎が、風が辺りで吹き荒れる。

 そんな戦火の中を優雅に歩く女がいた。濡羽色の御髪が揺れる度に小さく鈴のが響く。誰もがその凛とした姿に畏怖の眼差しを向け、感嘆の声をもらす。
 漆黒の衣装を身に纏い、自身の背丈より大きい魔槍を手にしたその姿──彼女こそが、影の国と呼ばれる冥界の国の女王のスカアハだった。

「全く……一度は我が領地に攻め込んでみせたラティオ軍彼奴等が反乱軍相手に何をしているのか」

 司令官の首はスカアハが獲った。それなのに敵兵の撤退を許している現状に何をしているのか。痛む頭を抑えながら前線へと戻ってみれば、大勢のラティオ軍に立ち塞がる一人の軍神の姿が目に入った。
 スカアハは一瞬目を丸くしたものの、直様すぐさま成る程……と目を細める。そして魔槍はくつくつと笑みをこぼしてみせた。

「スカアハ様!それが──
「ああ、いい。言い訳は結構。直ちに撤退しろ」

 既にスカアハの視線にはラティオの兵士の姿など映ってはいない。軍神とスカアハ、お互いの視線が混じり合う。
 もうラティオ兵など気にも留めない二人の神様の様子に、ラティオの指揮官は眉を寄せ唇を噛み締めるものの、思考を振り払うように首を振り、そして同胞達に撤退を知らせて前線を退いていく。その様子を横目で見ていた軍神は大剣に手を伸ばした。

「貴女が冥界の国を統べる女王スカアハか。ばあや──ヴリトラから話は聞いている」
「ばあや?……ああ、あの龍神か」

 ヴリトラ──天上界でも珍しい龍神の種であり、かなりの戦闘力を誇る反乱軍の要注意人物だ。覚えている、何度か彼女と手合わせをした事があるが、武芸の達人であるスカアハであっても、あの強靭な身体に深傷を負わせる事は出来なかった。
 そうか、目の前の男はヴリトラの関係者か、道理でラティオ兵の手に余るわけだ。
 スカアハは魔槍に触れ、新たな風に口角を上げた。

「ではお互いに時間稼ぎと行こうか」
「初陣で貴女と手合わせが出来るとは、光栄だな。

────我が名はアスラ!この名をその身体に刻み込んでくれる!」
「小癪な」

 2mを超えるであろう大男アスラの振り下ろされる大剣を魔槍ゲイボルグで受け止める。金属のぶつかり合う音、手に伝わるピリピリとした痺れに舌打ちをしたスカアハはバックステップするが、アスラは好機とばかりに追撃してくる。あまりの反射神経の良さに舌打ちをしつつも回し蹴りを鳩尾に叩き込み何とか距離を取る。

 経験の差で何とかいなしているものの、本来なら体格や力の差で向こうが有利。荒削りな剣術だからこそ無傷でいられたが、それが完成された日にはタダでは済まないだろう。
 剣術それが完成した日……そんな未来が脳裏に浮かび、スカアハの目には愉悦の色が宿った。


 ──だからこそ、今この芽を摘み取るわけにはいかない。

「ゲイボルグ!準備は出来たか?」
「アァ!?誰に言ってんだァ?」

 今時悪役ですらしなさそうな小物臭のする笑いを披露する相棒ゲイボルグに、「愚問だったな」と苦笑いを浮かべる。

「全てを貫く必滅の神槍──

 初見の技であろうが、槍で連続で薙ぎ払った頃からアスラの様子が変わった。他の者達のように無闇矢鱈に逃げ回るわけではなく、一挙一動見逃してたまるかとばかりに観察し、受け流す。最悪かすり程度なら許容範囲と思ってるのかもしれない。

 意味ない・・・・というのに。

──煉舞羅刹槍!」

 スカアハは透かさず飛び上がり、投擲のフォームに入る。そして狙いを定め、ゲイボルグを放つ。アスラはゲイボルグの動きを目で追い──そして何事もなく、アスラの足元付近に突き刺さった・・・・・・・・・・・

「……どういう、つもりだ。何故わざと・・・外した」
「未来への投資だ」

 唖然とするアスラの瞳にはスカアハに対する憤怒の炎が燃えていた。わざと外された事でプライドが大きく傷ついてしまったらしい。それに気付いたスカアハの笑みは一層深くなる。
 怒りは自身を高めるエネルギーになる、いい傾向だ。この男にはここで立ち止まってもらっては困るのだ、もっともっと強くなって貰わねば。

「その怒りをバネに強くなれ、アスラ」
──なっ…!」

 スカアハは瞳を閉じ、静かに言葉を紡いでいく。
彼女の足元には紫色の魔方陣が展開され、御髪がふわりと舞い上がる。その事にアスラが気付いた時にはもう既に遅かった。

──ナイトメア」

 スカアハの詠唱が止まった直後、紫色の光がアスラを包み込んだ。ナイトメア──対象者の意識を深淵へと沈める天術の名称。

「く、そ………」

 包み込む睡魔に抗う事は出来なかったようだ。糸が切れたかのように、アスラの巨体はその場に崩れ落ちた。

「………ここまでする必要あったのかァ?」
「あるんだ」

 つまらなさそうに声を漏らすゲイボルグに即答する。それでもなお、ふーん?と興味なさそうにするゲイボルグに、スカアハは苦笑いを浮かべてみせた。

「この男に足りないのは経験だ。強くさせるには経験を積ませるしかない」
「コイツを強くする理由は?」
「そんなの決まっているだろう。──ラティオの連中の数を減らしてもらうためだ」

 ゲイボルグの息を呑む音が聞こえた。
 ラティオに従うスカアハだったが、ラティオに対する憎悪は消えていない。我が領地に土足で踏み込んだ無礼者は決して許したりしない。今はまだ制裁の時ではないが、いずれはラティオを攻め滅ぼす気だった。目には目を、歯には歯を。侵攻には侵攻を。

「っ……ヒッ」
「ゲイボルグ?」
「ヒャーハッハッハッハァッーー!!いい!!いいぜェお前!!やっぱり俺の相棒はテメェだけだスカアハ!!」

 ゲイボルグの狂気じみた嗤い声は辺りに響き渡る。どうした、とスカアハが口を開く前にゲイボルグは言葉を続けた。

「アァ、そうだ!気に入らねェ、ただそれだけで殺す理由になる!……だからなぁ、」
「ん?」

 先程まで愉しそうに嗤っていたゲイボルグが急に黙り込んだ。少し心配になったスカアハはゲイボルグ?と首を傾げる。

「スカアハ……油断して殺されるんじゃねえぞ。──お前を殺すのは俺だ」
「ああ、そういうこと。分かっている、だってこの身は──…」





「この身はお前と共にあるのだから……」

 自分の口から漏れ出た言葉で目が覚めたシノは朦朧とする意識を振り切るようにゆっくりと体を起こし、思いっきり伸びをする。

 夢を、見ていた。7つの城壁と9つの柵に囲まれた影の国──別名冥府の国と呼ばれる国の頂点に君臨する女神の夢。

「スカアハ……か」

 女神スカアハの夢を見る事は珍しい事ではない。
 夢の中の自分──スカアハは何だって出来た。種々の天術呪術に精通し、後進の指導も出来、自身も武功に秀でている。今は人々から忘れ去られているが、我が国アシハラで信仰されていた事もあったという。

「そんな彼女が、前世の私………」

 もしこの国の長の娘が自分ではなく彼女だったら。もしかしたら今のような危機的状況に陥ってないのかもしれない。自分ではなく、彼女だったら……。

「シノ!早く起きんか!」
「あっ、ごめんなさい!今行きます!」

 祖父の呼ぶ声がする。シノは余計な思考を振り払うように頭を軽く振り、そして慌てて寝室を後にした。