機械人形 大地side

「……久世、紬です」


小学2年生の頃、紬は転校してきた。不安そうでもなく、愛想もなく。ただ無表情で何を考えているのか分からない少女。喋る言葉を決められた機械人形アンドロイドのような。鈴の音のように儚い綺麗な声が アンドロイドではなく人と認識させた。

最初は緊張してそうなのかと 誰もが思った。けれど彼女は一向に笑わなかった。どこを見ているのか、いつも遠くを見つめる彼女に 人は寄り付かなくなった。


「志島、」


ある日の事だった。紬のクラスメイトである志島大地は ランドセルの中に適当に教科書などを詰め込み、自分を呼ぶ友人達の元へ走ろうとした。だがそれは、一人の少女によって阻止される。


「(ゲッ…久世だ)」


大地は内心 早く離れたいと思いながらも、引き攣った笑みを浮かべる。誰とでも打ち解けられるクラスのお調子者でさえも、紬の事は苦手であった。

今日も何考えてるんだかぜんぜんわからないあの顔で、影みたいに静かにそこに立っている彼女。正直薄気味悪い。


「な、…なんだ?」

「金魚の世話。…高橋先生が、忘れないように、って…」


紬は大地の後ろを指差し、じっと大地の目を見つめる。その視線が居心地悪いのか 紬と目を合わせる事なく俯く。


「(うげえ…忘れてた)」


大地はげんなり肩を落とした。確かにすっかり忘れていた。ジャンケンで負けた大地は、生き物係という数ある係活動の中でもトップクラスに嫌われる役職についていて、今日はその金魚の水を取り替える日だった。先週も忘れたから、担任にも目をつけられていたのだろう。
 

「(友達と約束してんだよなあ…)」


今日は帰ってから友達と遊ぶ約束をしていて、金魚の世話なんてかったるいことをしている気分ではない。ためらった長い沈黙に、紬が小さく首をかしげる。


「…しじま?」

「あ……お、俺今日ちょっと、用事があって……」

「……用事?」

「えと……あ、うん……じ、じいちゃんに……ちょっと」


なんともふわっとした言い訳である。紬は無表情に3度またたいた後、そうかと静かに頷いた。


「そう。分かった」


くるりと踵を返す紬の背中でパーカーのフードが揺れるのを、大地はぽかんと見ていた。

随分とあっさりだ。でもあいつだって、担任の伝言をムリヤリ運ばされただけ。自分のつとめは果たしたことだし、多分どうでもいいんだろう。大地はそう自分を納得させて、そそくさとその場を後にする。

だけどどうしても、もやっとしたものは消えない。


「(俺、いまあいつに馬鹿にされた…?)」


下らない。遊びたいからって見るからに頭の悪い嘘ついて、係をサボったりしてる俺を軽蔑してたのかもしれない。彼女の抑揚のないそう、の一言が耳にこびりついてる。


あいつは何かと俺と正反対で、頭だっていい。劣等感がじりじりと刺激される。妙にたまらない気分になって、大地はがむしゃらに走り出す。がたがたと鳴るランドセルが耳障りだった。


「(俺、あいつのこと嫌いだ)」








次の日学校に行くと、教室にはもう高橋先生がきていた。まだチャイムも鳴っていないのに、随分と気が早い。そう思ってたら先生がこちらに気付き、大地はゲッと顔をひきつらせる。先生は腕組みをして、金魚の水槽の前にいた。


「あら、大地くん」


くるりと振り返った先生は、にこにこ笑いながら大地に歩み寄る。


「(これだ。この笑顔が怖い)」


大地は笑顔の先生を見つめ、恐れ慄く。悪いことをすると、にこにこ笑ったまんまほっぺたつねられたりするのだ。怒鳴られるより怖い。


「いや、せんせ、あの、いや昨日は……」


なんとか言い訳をして乗り切ろうと考えても、咄嗟には思いつかない。そうこうしている内に、狭まる先生との距離。思わずじりじりと後じさるも、先生が手を伸ばしてくる。逃げられないし逃げる度胸もない。大地は思わずぎゅっと目をつぶった。


「えらいえらい」


ぽふ。

頭の上に乗った手が、大地の髪をくしゃくしゃとかき回していく。大地は閉じていた目をぱちりと瞬かせた。おそるおそる顔をあげれば、高橋先生はやっぱりにこにこと笑っている。でもよーく見てみれば、怒っているときの威圧感が、笑顔にない。


「あ……、の?」

「ちゃーんと丁寧に世話ができましたね。金魚さんも喜んでるよ」

「へ?」


大地はきょとんとして金魚の水槽を見る。そうして目を見開いた。水槽はちゃんと綺麗になっていて、透明の水の中を気持ち良さそうに金魚が泳いでいる。昨日までとはあきらかに違う。当番表を見れば、昨日の日付に綺麗な字できちっと志島大地と名前が書かれていた。


「(でも、俺じゃない!)」


「せ、先生……」

「おっと、先生もう職員室に行かなくちゃ」

「いや、あの、先生」

「ん? どしたの大地くん」


にこにこと先生が見下ろしてくる。それ俺じゃありません。言葉が咽に詰まった。昨日は俺、金魚の世話サボって帰りました。そんなこと言ったら怒られるに決まっている。


「……きょ、今日の給食なんだっけ」

「ん? なんだったかしら。なに、お腹すいたの? 朝ごはん食べてきた?」

「……おかわりしてきました……」

「? まあ、食べてきたんならいいけど」


献立表でも見てねと言い置いて、先生はさっさと職員室に行ってしまった。ぽつんと残された大地は、ざわついた教室で金魚の水槽と向かい合う。どうして綺麗になってるんだろう。そしてほとんど何も考えずに、振り返った。

久世 紬はいつも、一番最初に教室に来ているらしい。だからその日もやっぱり席についていた。いつもちょろちょろ動き回ってる小学生の群れ中で、そこだけ別世界みたいにぴたりと止まってる。ただぼんやりと空を見上げていた。



「……おい」


急に腹が立ってかた。大地は苛立ちを隠さずに紬へと近付き、声をかけた。夢から醒めたみたいな顔をして、紬は大地を見上げる。


「……なに?」

「金魚、お前?」


紬は金魚の水槽を見て、大地を見る。どこを見てるんだかわからない風情でうなずいた。


「うん」

「なんで」

「志島、用事があるみたいだったから」

「頼んでない」

「うん」

「じゃあなんで」


そこで紬は、わずかに眉をひそめた。困惑したようにも見えたし、うるさがっているようにも見えた。その時 大地の腹がカッと熱くなる。


「なんでっ、お前にはカンケーないじゃん!」

「……じゃあ、金魚はどうするの?」

「どうって……」

「誰かがやらなきゃならないんじゃないの?」


久世紬の言うことは、クールで大人だった。志島がやらないから紬がやった。当たり前のように言い切って。わざわざ表に志島と書いて、他の誰に褒められるわけでもなく、やるべきことだからやったんだって。


「なんっだよそれ!」


見透かすような蒼い瞳が無性に腹立たしくて、大地は思い切り転入生の肩を突き飛ばす。がたーんっ、と派手な音を立ててイスごと紬が床にひっくり返る。クラス中がぎょっとして大地を見た。大地自身も驚いていた。自慢じゃないが志島大地はケンカと痛いのは大嫌いだったし、どうせ負けるから誰にもケンカを売ったりはしない人間だ。へらへらへらへら誰にでも調子を合わせて、角が立つなら言いたいことも飲み込んで、嫌なことから目をそらして、それが志島大地という人間だ。


「……っつ、」


紬はよたよたと立ち上がる。そりゃ痛いだろう。けどそのときの大地はまったく意味不明の腹立たしさに揉まれて、怒ればいいんだとやけに鉄火なことを考えていた。


そうだ。……怒ればいいんだ。

クラス中が固唾を呑んで大地たちを見守っていた。大地はただ紬を睨みつづけていた。紬はじっと俺の顔を見たあと、口を開く。


「……志島」

「……なんだよっ」

「悪いけど、あなたがなんで怒ってるのかわたしにはわからない」


大地の替わりに金魚の世話をして、大地に怒鳴られて、突き飛ばされても、紬はどこまでも淡々とそれだけ言った。その言葉に大地は絶句する。宇宙人でも見ている気分だ。言葉は通じて会話は成り立つけど、気持ちがまったくわからない。全然別の生き物みたいだ。

ぷしゅう、とぱんぱんに膨らんでいた大地の怒りから気が抜けていく。同時にねっとりとした重い失望がこみあげた。

こいつにとっては俺なんて、ほんとに下らない人間なんだろう。適当で、頭が悪くて、下らないことで逆ギレして、挙句俺の仕事を肩代わりした相手に手を出したりする。怒る価値もないってことだ。


「………もういい………」


 やるせなくなって、大地はくるりと背中を向ける。のろのろと重い足をひきずって、机にランドセルを下ろした。クラス中の人間のひそひそ声と視線が突き刺さってくる。

紬はまたいつもどおり席について、もうとっくに空を見上げる作業に戻っているのかもしれない。そう思うととてもじゃないが、そっちを振り返ることはできなかった。