やっぱり、どうやったって謝ってくれそうにないか。
 でももうこれ以上殴りかかった所で敗北は目に見えている。死亡フラグしか立っていない。

『(……涼太には、生きて生きて、幸せになってほしいんだ)』

 その為に、少しでも涼太の幸せな未来の邪魔になるものは消しておきたい、と言えばまぁ言い過ぎかもしれないけれど、俺が出来るのはそれぐらい。
 冷や汗を少しかきながら打開策を考えていたら、吉川の胸ぐらを掴んでいる腕が強く掴まれた。
 こいつ……人の骨折る気か?
 その痛みについ顔を歪めた。
 そして気が逸れた時にまた飛んでくる拳。咄嗟に掴まれていない方の手でガードしたが、力に押されて後ろに叩き付けられた。胸元を掴まれ窓の桟に座れそうなくらいの高さに持ち上げられ、背中を押し付けられる。こいつ、力どんだけだよ。

『いっ……』

 何度も何度も殴られる。その度に背後の窓がガタガタと音を発て、野次馬から短い悲鳴が聞こえた。
 誰も助けようとしないのは、きっと巻き込まれるのが面倒だから。もし俺がそちら側ならそうするだろう。
 自分の事すら上手く出来ないのに、思い上がった結果だろうか。
 抵抗出来ない自分に腹が立った。じわりと涙が滲む。

「お前だって知ってんだろ? あいつにとっちゃ俺等なんて只の引き立て役だ! いいように扱われるだけの駒なんだよ!」

 がんがんと頭に響く。
 沸々と縮みかかっていた怒りが沸き上がってきた。
 許さない。

「女だって遊んですぐに捨てる! あいつは最低野郎だ!!」
『お前に……っ』

 何も知らないくせに、勝手な事言うな……!
 こちらに伸びている吉川の腕を掴む。

『お前に涼太の何が分かる!!!! あいつは俺の、』

 一度言葉を区切って、窓に手を付けてぐい、と押した。
 涼太は俺の最高の親友だ。
 そう続けようとした。が、言えなかった。
 代わりに響いたのは、ガコンと何かが抜ける音だった。
(知ってる? 二階の窓のどれかがさ、もう外れそうなんだって)

『涼、太』

 咄嗟に、何故か口から出た。
 まるでスローモーションの様にぐらりと視界が回転した。驚いて先程掴んだ筈の腕を手離し、吉川も胸元を掴んでいた手を離していた。
 背中にあった安定感が完全に消え去り、身体が後ろに傾いていく。

「響っ!!!」

 一体いつからいたのか、悲鳴に近い涼太の叫び声が耳に入った。
 走りながら伸ばされた涼太の手が、あと少しで俺の手に届きそうだった。だけど僅かの所で、空を切った。
 俺、落ちてるのか。下はやっぱりコンクリートだろうか。……このまま落ちたら、俺は死ぬのだろうか。
 不思議と恐怖はなかった。むしろさっきより冷静だった。何よりも大切な人にあんな酷い事をした俺なんか、いっそ消えてしまった方がいい。
 ああ、でも、死んだらもう謝れない。もう、声も聞けない。顔も見れない。
 それを考えた途端に、一気に乱され胸が張り裂けそうになった。ぶわりと涙が溢れ出る。
 涼太が窓から身を乗り出して俺を見ている。嗚呼、俺を相手にそんな泣きそうな顔をしないでくれ。どんどん遠ざかって、ぼやけていく。

『(誰よりもずっと、笑っていてほしいんだ)』

 頭の中に涼太の笑顔が次から次へとフラッシュバックする。
 ずっと思ってたんだ。俺は自然に笑えてたのかって。もし不自然に見えていたなら、それはやはり謝らなくちゃ。
 小さく口を動かしてごめんと呟く。聞こえてないんじゃ、意味無いか。
 ごめん。ごめん。
 口許に嘲笑が浮かんだ。
 ガサガサと何かにぶつかり、背中と頭に鈍い音と共に強い衝撃が走った。

『(だからどうか笑って)』

 指先一つ動かせない。くらりくらり視界が歪む。両目から零れた涙が横を向いた頬を伝った。
 何が後悔なんかしない、だ。既に後悔に埋もれてるじゃないか。
 あの日から俺に残っているのは、後悔と、自己嫌悪と、矛盾と、君との未来を望む最初で最後の……本気の恋心。

 切れ切れの意識の中、目を閉じて開いてを繰り返し、やっぱり死ぬのかなぁと再び思う。
 その時視界の中にこっちに走ってくる足を見付けた。その人は俺の傍で膝をついてゆっくりと俺の頬に触れた。
 涼太、涼太だ。頼む意識、もう少しだけもって。

「……! …………っ、……!」

 何を言ってるんだ? 聞こえないよ。
 俺の為なんかに泣かないで。その足を止める人はもう誰もいない。
 涼太は涼太の大切な誰かと歩いて行ってほしい。
 それが俺じゃなくたっていい。大好きな君が幸せなら。

『(その先に、その隣に、俺がいなくたっていいから)』

 最後に君の顔が近くで見れてよかった。
 好き。
 そう言って、俺は目を閉じた。

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