「お前だって知ってんだろ? あいつにとっちゃ俺等なんてただの引き立て役だ! いいように扱われるだけの駒なんだよ!」

 何の話だ?
 なかなか前に進めない事に苛ついていると、耳に入る大きな声。
 あいつって、喧嘩の原因か。誰の事かと考えながらあと少しの所まで行って、俺の動きは止まった。

「女だって遊んですぐに捨てる! あいつは最低野郎だ!!」

 ……それって、もしかして俺の事か? だとしたら原因は、俺? もしそうだったら。
 自惚れと後悔とがないまぜになる。

『お前に……っ、お前に涼太の何がわかる!!!!』
「(っ!!)」

、ああ、俺の事だ。
 でもどうして。俺の事は嫌いなんじゃなかったのか? 響っちは何で怒っているんだ?
 言葉の続きを期待してしまう。自惚れじゃないと、確信に変えたくて。

『あいつは俺の、』

 俺の、何?
 早く助けに入らなきゃいけないのに、先が聞きたくてつい足をとめてしまう。
 響っちは一度言葉を区切って、窓に手を付けてぐい、と押した。その瞬間、俺の中に嫌な予感が甦る。
 続きの言葉は口にされず、代わりに響いたのは、ガコンと何かが抜ける音。
 やばい、と思った時には走り出していた。

「響っ!!!」

 涼、太。小さな呟きだった。
 まるでスローモーションの様に動く。俺の足はこんなに遅かっただろうか。もつれそうになりながら、手を伸ばした。
 響の瞳が一度俺を捉えた。突然の音と事態に驚いたのか、二人とも手を離していた。最悪だ。
 必死に腕を伸ばして、細い手を掴もうとする。
 あと少し。まだいける。助けれる。
 ……筈だった。俺の手に届きそうだった。だけどすんでの所で、空を切った。
 そんな、待ってくれ。
 窓枠に手をついて下を覗く。
 頭が真っ白になりそうだった。
 どんどん離れていく響の顔は、俺と同じくらい歪んでいた。今にも泣いてしまいそうな表情。
 抱き締めた細い身体が、掴んだ細い腕が、照れたように笑う笑顔が、遠ざかっていく。
 もうどれだけ手を伸ばしても届かない程遠くに。
 また、届かない。

「(やっと、やっと出口が見えたのに、こんなのありかよっ!!)」

 響が小さく口を動かして何かを呟く。その後自嘲気味に笑った。
 何で、そんな顔。
 響の身体はそのまま下にあった木に突っ込んで、ガサガサと音を発てる。俺は弾かれた様に身を翻して走った。
 響と喧嘩していた相手は怯えきって譫言の様に何かを呟いていた。沢山の悲鳴が反響してくらくらした。吐きそうだった。
 早く、速く、走れ。
 何で気付いてあげられなかったんだろうとか、何であの時すぐに諦めてしまったんだろうとか、頭に浮かぶのは後悔ばかり。
 胸がズキズキと締め付けられる。次から次へと涙が零れては散っていく。
 もう一度、君を笑顔にさせたかった。本当だ。だけど、そんな風に笑ってほしかったわけじゃないんだ。
 ハァハァと息をきらせて、限界に近付いた足を動かして、倒れた響の傍まで行く。近付けば近付くほど、吐き気が増した。
 そこには俺より先に来ていたらしい黒子っちが、悔し気に拳を握っていた。

「黒子、っち……」
「すみません……全力で走ったんですが、間に合わなくて……」

 今度こそ頭が、真っ白になった。
 全身が震えて、どうしようもなく恐ろしかった。
 頭や腕から血を流し、ぐったりと横たわる響の瞳は虚ろで、今にも……。
 俺は傍に膝をついて、ゆっくりと蒼白くなった頬に触れた。怖くて指が震えた。
 涙に濡れて、殴られた痕が痛痛しい。
 喧嘩なんて出来ないくせして。どうしてこんなにボロボロになるまで無茶をしたんスか。
 ……俺のためなんかに。

「往かないで……! 俺はっ、響と一緒にいたい……!」

 君じゃなきゃ駄目なんだ。ポタポタと落ちる滴が地面に跡を作る。
 その時、

『好き』

 響の口からそう一言溢れた。小さな小さな声。そう言って、俺の返事も待たずに静かに目を閉じた。
 今、好きって。ねぇ、どういうことッスか? それは俺の事なの?
 ……そうだとしても、そうじゃなかったとしても。

「俺、もっ……俺も響が、好きッス……っ!!」

 だから目を覚まして。死なないで。これでさよならだなんて、俺は絶対嫌だ。
 横から被さるようにして、俺は踞った。俺の嗚咽だけが聞こえる。
 そして数秒後、もう一人誰かが近付く足音が聞こえた。

「彼の様子はどうだ」

 赤司っちだった。片手に濡れたタオルを持っている。その問い掛けに黒子っちが何か答えていたが、ぼんやりと見ていた俺の耳には入ってこなかった。
 その後は赤司っちと黒子っちが響に応急処置をしているのを、響が病院に運ばれるのを、やはりぼんやりと眺めた。俺も何かしなければと思いながらも、カタカタ震え続ける身体を抑えるので精一杯だった。
 何だかんだ言いながら、自分はまだまだ餓鬼だと腹が立った。
 口に出すのは簡単だ。けどそれを実行へと移すのは、その責任を負うのは、遥かに難しい。

「ごめん、響……俺と会わなかったら、こんな事にはならなかったかもしれない」
「一杯傷付けて、俺の存在が響を苦しめた」
「傷付けるだけしか……出来ない」

 まるで懺悔の様に口に出す。
 大袈裟に聞こえるかもしれない。けど、本当じゃないか。
 こんな俺が、響を笑顔になんて出来る筈ない。
 情けなく嗚咽をあげる俺の横に、誰かが立った。

「……それ、本気で言ってるんですか?」

 黒子っちだ。声のトーンがいつもより低い。
 怒ってるん、スか?
 顔をあげて黒子っちを見上げると、怒気のこもった目と目があった。かと思えば眉をハの字にして、どこか辛そうに俺と響を見下ろした。

「黄瀬くんといる時の水城くんは、とても楽しそうでした」

 そんな。

「っ、そんな彼まで否定するんですか?」

 そんなこと。

「何もかも、君にしか出来ないんだ」

 ……俺にしか、出来ない。心の中で復唱した。
 もしもそうであるなら……もう一度あの日に戻れたら、絶対に離しはしない。これからは、君がそうしてくれたように、俺が君を守る。
 今度は、口先だけの言葉にはしない。これだけは、絶対。
 震えは止まっていた。


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