(side 黒子)
 心臓が、止まるかと思った。

 それは食事中の出来事。黄瀬くんとある噂の話をしていた時の事だった。
 食堂の出入り口から真っ直ぐにこちらに向かってくる人がいた。どこかで見たような、と小首を傾げる。そしてそれはすぐに解決された。
 この人は水城くんの友達だ。
 と言うことは、黄瀬くんに用事でしょうか?
 なんていつもなら呑気に考えていたのだが、その緊迫した表情に何かあったのだとすぐ分かった。
 その人は傍まで来ると息も整えずに話しだした。

「黄瀬、早く来て、くれ……っ、響が……!!」

 何をやってるんだあの人はっ……!
言葉を聞くや否や、僕達は走りだしていた。もともと影が薄かった僕は人混みを難なく躱して進めたが、体力と足の速さの問題でいつの間にか黄瀬くんに超されてしまった。
 いえ、それでいいんです。とにかく早く水城くんのもとに行って、彼を止めなくては。
 そう思いながら走り続ける。

 そうしてやっと二階に着いたときには、もう黄瀬くんの姿はなかった。何だか悔しい、と思うのは今じゃないので心にしまいこんだ。
 その時だった。一際甲高い悲鳴が響いたのは。
 直ぐ様声の方へ進んでいくと、胸元を捕まれて窓に押し付けられた水城くんと、あと一歩の所で静止している黄瀬くんが目に入った。
 君まで何してるんだ。早く彼を助けなくてはいけないだろう。
 そう一歩踏み出した時、ガコンと何かが外れる音がした。
 どうして。
 やっと動いた黄瀬くんが手を伸ばす。届けばそれに越したことはない。正直言えば、考えたくないけれど、もし駄目だったら……。
 僕は心臓を鷲掴みにされたような気分だった。言い様のない恐怖が僕の中を支配した。今にも心臓が止まりそうだった。
 水城くんの落ちるであろう場所を推測してその場を目指す。
 間に合え。
(間に合わない)
 間に、合え。
(こんな所から間に合うわけがない)
 っ、ちょっと黙っててください!!
 内側からじわじわと責めてくる。きっとそれは、僕の本当の本当の言葉だろう。頭の中では分かってしまっている。
 それでも、諦めるのだけは絶対に嫌だ。可能性はいつだって0じゃないんだ。

「っ、はぁ、はぁ……」


 僕は、恐怖と苛立ちと絶望に支配された。
(ほら、間に合わなかったじゃないですか)
 また内側から声がする。もう黙っていろと振り払う気力さえなかった。
 僕が着いた時、そこには既にぐったりと横たわった水城くんがいた。
 早く、救急車を、呼ばなくちゃ。
 分かっているのに身体が動かない。代わりにカタカタと小刻みに震えだした。呼吸も荒くなる。
 血が、こんなに……。

「黒子!」

 ビクッと肩が跳ねる。戦慄いていた身体が静かになった。
 振り返ると、携帯を片手に走ってくる赤司くんの姿が目に入った。

「救急車はもう呼んでおいた」

 赤司くんは追ってきてよかった、と息を吐く。

「彼は……いや、今はそんな状況ではないね。俺はタオルを濡らしてくるから、黒子は彼を見ていてくれ」
「はい」

 その背中を見送ると、僕は膝から崩れ落ちた。
 応援すると言いながら、僕に出来たことは何かありますか?
 君の力になりたかった筈なのに、逆に君を追い詰めてしまった。
 ……君は、黄瀬くんの為なら何でも出来るんですね。それが僕だったら、君は……。
 こんな時に何を考えてるんだ。頭を振って現実に戻る。その時、凄い速さで走る足音が聞こえた。どんどん近付いてくる、きっと黄瀬くんだ。

「……どうか助かりますよう」

 きゅ、と拳を握った。今、何に対してこんな悔しさを抱いてるんだろう。

「黒子、っち……」
「すみません……全力で走ったんですが、間に合わなくて……」

 本当に、すみません。水城くん。
 黄瀬くんは傍に膝をつき、ゆっくりと蒼白くなった水城くんの頬に触れた。その指は震えていた。
 そういうことか。この一瞬で諦観してしまった。だから、悔しかったんだ。
 ポタポタと黄瀬くんの両目から落ちる滴が地面に跡を作る。 二人とも、痛痛しい。

「往かないで……! 俺はっ、響と一緒にいたい…!」

 絞り出すように出された声は掠れ、胸が痛くなった。
 こんな時、何を言えばいいのか。口を開いて閉じて、そしてやはり僕は何も言うべきではないと口を噤んだ。
 刹那、

『好き』

 水城くんの口からそう一言溢れた。小さな小さな声。そう言って、静かに目を閉じた。

「俺、もっ……俺も響が、好きッス……っ!!!」

 涙を流しながら必死に声を出す黄瀬くんを見て、僕も泣きたくなった。
 ……知っています。長い間ではないですが、傍で見てきたんですから。
 僕は黄瀬くんに嫉妬していたんだ。水城くんと仲良くなったと言っても、僕より長くいた黄瀬くんに敵うわけがない。恋愛対象としての一位は勿論彼でいいですが、友人としてのポジションくらい譲ってほしい。なんて、今考えるべき事じゃないですね。
 そこには何も出来ず立ち竦む僕と、黄瀬くんの嗚咽だけがあった。


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