目を開けて暫く停止した。今しがた言われた言葉が頭の中をゆっくりと旋回する。
 じわりと視界が滲んで、パタッとシーツに灰色の染みを作る。
 今、涼太は何て、何て言ったんだ。好き? 涼太が、俺を?
 そんな、だって。あんなに酷い事言って、沢山傷付けたのに。

『俺はもうお前とは』

 いちゃ駄目なんだ。
 ふいと視線を背ける。涙でつまって言葉の先が口に出せない。
 そりゃあ、望みはしたさ。だけどもういる資格なんて無いんだ。
 涼太の目が揺らいだのが分かった。嗚呼、俺はまた悲しませるのか。何よりも大切な人を。
 でも……。

「俺の隣に誰がいてほしいかは、俺が決める」
『っ、じゃあ俺にも拒否する権利はあるだろ』
「うん。でも、俺は響に隣にいてほしい。響じゃなきゃ駄目なんだ。例えどれだけ嫌がられても、隣には……」

 窓から射し込む陽光に、二つの黄色が煌めいた。

「響だけがいてほしい」

 ただ一つ、俺だけを見る瞳に今にも吸い込まれそうな感覚になった。それを振り払うようにまた目を逸らす。真剣な目をしていた。
(俺だって本当は)
 短く息を吐き出した。
 涙でぐしゃぐしゃになった顔を涼太の胸板に押し付けしがみついた。溢れ出した感情は止まることなく胸一杯に広がった。
 少しだけ開いた窓から入り込んだ風にのり、微かな甘い香りが俺を包む。その覚えある香りに、やはりあの時窓を閉めてくれたのは涼太だったのだと気付いた。こんなにも優しい人に、どうしてまだ嘘が吐けようか。
 嗚咽混じりの途切れ途切れの言葉。けど伝えなきゃ。これ以上、後悔なんかしたくない。傷付けたくないんだ。

『……嫌じゃ、ない。本当はっ、他の誰でもなく、俺を選んでほしかった』

 だけど気持ち悪がられたら、嫌われたらって思うと怖くて。その恐怖心に俺は負けた。更には付き合ってる、なんて噂が流れてるのも知って、いよいよ想いを告げるなんて出来なかった。情けないだろ。
 それよりも涼太を守らなきゃ、涼太の未来を守らなきゃって必死になって。でもそんなのは結局自己満足で、自分の保身の為に繋がりを犠牲にしただけ。
 簡単に解けていく。すらすらと間違いが頭を過る。
 ……否、本当は途中から全部分かってたんだ。俺は選択を間違えたんだと。分かっていたのに分からない振りをしていた。あの日緑間さんに言われたみたいに、自分を安心させたくて。

『我慢しよう、抑え込もうとしてたけど、やっぱ無理で……っだけど涼太の未来を、壊したくなんてなかったんだ』

 涼太の服を強く握る。白いカーディガンが伸びてしまうのに、それを気にせず黄色は小さく笑った。そして大きな手で、俺の頭を撫でた。

「いいんだよ、欲張って。俺の前なら、いくらでも我儘言っていいし、我慢もいらない。先だって望めばいい。だから自分に嘘は吐かないで」

 あんま人の事言えないけど、と苦笑すると、顎を掬って俺の顔を持ち上げた。指で目元をなぞられ、涙を拭われる。

「一人で傷付くのは、もう終わりにしよう」

 そう飛び切り綺麗に笑うもんだから、堰をきったように、今度こそ止まらなくなった。人前でこんなにも、幼い子供の様に声をあげて泣いたのはいつ振りだろうか。

 いいの? 欲張っちゃっても。
 いいよ。俺だけ欲張りなのは狡いでしょ。
 いいの? 本当に本当に我儘になるぞ?
 いいよ。その分俺も我儘聞いてもらうから。
 ……どうなるかなんて、分かんないぞ。
 ……どうなっても、響と一緒なら怖くない。

 撫でる手はそのままで言葉を交わす。
 涼太は、あのね、と切り出した。

「俺の未来はね、響と二人で作られてくんスよ。正直、響がいない未来より怖いものはない」

 その言葉が、嬉しいけどむず痒く感じる。鼻を啜って口をもごもごと動かした。
 しかし、あ、いい事言ったー! とウインクしながら言ってきたからすぐに真顔を返してやった。

『どこがだ、その台詞くさいんだよ』
「ちょっ、ヒドッ! 喜んでたじゃん!!」
『気のせいだよ』

 気のせいじゃないけど。心で一人ごちた。
 何て言うんだろうか、とにかくとても懐かしい気持ちになった。ぽかぽかして胸が温かい。口許が弛んでいくのが自分でもよく分かった。それを見てか、涼太は安心した様に息を吐いた。久し振りに笑ってくれた、と。
 そんなに笑ってなかっただろうか。全く自覚が無い。首を傾げて思い返してみても、正直よく覚えていない。だけど涼太が言うなら、やっぱり笑えてなかったんだな。申し訳無くなって控え目に涼太を見遣る。
 すると頭を撫でていた手を頬に滑らせてきた。思わず肩が跳ねる。くすぐったくて、でも愛しくて、温かくて、近付く涼太の端整な顔に俺は目を閉じた。


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