何で中三になってまで遠足なんて、と心の中で文句を言う。雷門の全員でずらずら長蛇の列を作り、五月蝿く喋りながら歩く様は、とんでもなく近所迷惑で通行の妨げになっている。間違いない。
 じりじりと照り付ける陽光が暑くて、たらりと汗が垂れる。楽しい遠足って言うか、もはや苦行だろ。サッカーしてるならまだしも……。何故周りの奴等がこんなに元気なのか謎で仕方ない。
 ふと顔を正面に戻すと、ふらふらと、少し前にいる女子が覚束ない足取りで歩いていた。周囲の人は話に夢中になっていて全く気付いていない。熱中症か、或いは別の何かか。
 それが全く知らない只の女生徒なら、大して気にしなかっただろう。だがその後ろ姿は、明らかによく知る人物だった。
 小さく舌打ちをして、歩調を速める。後ろから三国が俺の名を呼んで、横から下学年の女子の声がしたが、気にせず近付く。丁度真後ろまで来て声をかけようとしたら、その身体がふらっと前のめりに傾いた。咄嗟に回り込んで受け止める。

「おい、名前! 大丈夫か」
『み、なみ、さわ、さ……』

 意識は僅かにあるようで、名前の肩を支える俺の腕を、気持ちすがるように掴んでいた。だが力は弱く、すぐに重力に従いだらりと垂れてしまいそうだ。
 伏し目がちになった瞳は虚ろで、眉間には皺が寄っている。息も荒くなっていて、異常なまでの汗をかいていた。まだ汗をかいているだけましか、と自分のタオルでそれを拭ってやる。

「おい南沢その娘、って苗字!」
「大丈夫だド!?」
「三国、悪いが俺の荷物を持っていてくれないか。車田はこいつのを頼む」

 分かったと頷いた二人に鞄を預け、名前を背負う。不運にも辺りに先生は見当たらない。クソッ、こんな時に役に立たない。胸中で毒突くと、そう言えばもうすぐ休憩ポイントだったと思い出した。どうかそこまで我慢してくれ。
 せめて少しでも日の遮りになれば、と名前の頭にタオルをかける。これで誰かも分からなくなるだろう。
 にしても、瀬戸と山菜はどこにいるんだ。何で一緒にいない。何となく理由は分かっているが、この状態を見ると思わずにはいられなかった。

「南沢ってこういう時苗字相手だと優しくなるド」
「そりゃまぁそうだろうな」

 背後から聞こえた会話は、今は聞かなかったことにしてやる。

『南沢、さん』
「何だ。水か」
『……ごめん、なさい』

 普段は失礼なことを言ってばかりで、誰よりも騒がしい名前が、こんなに萎れた声を出すもんだから些か驚いた。
 何がごめんなさいなんだ。お前は、人に謝らなきゃいけないことでもしたのか(常日頃から俺はされてるけど)。
 そう言ってやりたかったが、耳元で小さく聞こえる寝息を後ろに、今言ったって無駄だと分かった。暑いだとか面倒だとかに埋め尽くされていた頭が、次第に兎に角こいつを休ませなくては、という考えにシフトしていった。


◇◇◇


『…………』

 頭がまだ、ぼんやりとしている。
 ここは、何処なんだろう。背中に当たる感触は、極めて固い。風邪が身体の熱を少し取り払ってくれる。涼しい。
 段々と耳も機能を取り戻してきた。騒がしい声と走り回る足音が聞こえる。外? そうだ、私は遠足の途中で気を失ったんだ。ということは、ここは休憩場所か目的地かのどちらかだろう。
 少しずつ理解しだした頭はズキズキ痛み、あまり良くない状態なのは嫌でも分かった。
 ゆっくりと起き上がる。上半身を完全に起こすと、私の額から何かが落ちた。膝にのったそれは、誰のかは分からないが、濡れたタオルだった。
 そっか、ここまで運んでくれた人がいるんだ。加えて看病まで。後で御礼しなきゃ。誰かは分からないけど。

「おい、もう起きて大丈夫なのか」
『お? 何で南沢さん?』
「……お前マジで言ってんの」

 歩いてきた南沢さんは私の左(厳密には後ろ)に腰を下ろし、呆れ顔で溜め息を吐いた。

「お前をここまで運んでやったの俺なんだけど」

 え……うっそだー。そんな馬鹿な。
 だってあんなに私のことを馬鹿にして常に喧嘩腰で冷めてる男No1の南沢篤史が、そんな自分に利益がないことをする筈ない。少なくとも、私が知ってる南沢さんはそんな人だ。
 少しだけ高鳴った胸を誤魔化すよう、タオルを弄りながら考える。冷たさを取り戻していたそれは、再び温もっていく。

『流石に病人の前では優しくなるってか』
「俺はいつだって優しいだろ」
『御冗談を。南沢さんいつも優しくないです』

 足を地につけ、ちゃんと顔が南沢さんを向くように座り直す。
 いつものどこか冷めた目だ。私は、この目があまり好きではない。怖いのだ。馬鹿みたいに低レベルな言い合いをしている時は気にならないのに、こんな時に偶に現れる双眸に怖じ気付いてしまう。
 ひとたび瞬きをすると消える。その瞬間、一気に安心感に包まれるのだ。
 何故こんなにも恐怖してしまうのかは、何となく、分かっているつもりだ。そう言う理由でこの目になる訳じゃない、とも。




top
ALICE+