夜のほとりふたり受信


『蛤って手話でどうやる?』

ピカッと光ったディスプレイ。『沖田さん』の宛名に些か緊張しながら携帯を開けると、白いメール画面にたくさんの余白を残し、そう書いてあった。

『「貝」でいいんじゃないですかね』

我ながらやっぱり可愛げがないなと思いながら必要最低限の返信をする。

『適当だな』
『そんなものですよ、伝わればいいので。あとは指文字で「はまぐり」ってやるとか』
『ま、って前後ろどっちだっけ』

存外早く返ってくる返事に心なしか浮き足立っている自分に気づく。動物園の連絡をするときもそうだったけど、沖田さんは返信が早いときは本当に早い。時刻は既に宵五つ。真選組は夜も取り締まりやら緊急招集やらで駆り出されることがあると前言っていたけど、今日はそういったお仕事はないのだろうか。それともお仕事中だけどまたサボって、暇つぶしに私にちょっかいをかけているのだろうか。

『「ま」は自分側です』と打とうとして、分かりにくいから動画を送った方が早いかと思い立ち、カメラの録画機能でささっと撮影してメールに添付して送信した。さっきまで寸分遅れず返ってきていたのに今度は何故か数分置いて、

『いきなりどアップの自撮り送ってくんな』

と返ってきた。指文字は口の動きも大事なので顔も入れて送ったのだけどびっくりしたかな。店長とのビデオ通話だとこれが普通だから、何も考えていなかった。健聴者とのコミュニケーションでは、たまにこういうズレが起きる。嫌な気持ちになっていないと良いのだけど。顔が見えないと、気持ちが分からない。

『沖田さんも自撮り送ってください』
『仕事中』

今どんな表情してメール打ってるのかな。そう思ってお願いしたら、一蹴された。やっぱりお仕事中じゃん。

『メールしてるじゃないですか』
『真選組不在の江戸で孤独に暮らしてるお前の相手をするのも立派な仕事』

先に連絡してきたのは沖田さんなのに。いつもの調子に自然と口元が緩む。そっか、江戸にいないんだ。

『店長がいるので孤独じゃありません。どこにいるんですか?』
『京都』

京都。天子様のいる御所をお守りしているのだろうか。今朝のニュースで、最近京で長州藩士が幅を利かせていると言っていたから、市中警備かもしれない。どちらにせよ、聞いたところで適当に返されるのは分かっている。

『さっさと終わらせて帰りてえ』

続けざまにそう飛んできた。特に何も考えず、

『私も、早く帰ってきてほしいです』

と返した。そして数拍置いてむ、と眉を顰める。なんだかとんでもないことを送ってしまったような気がする。

いや、言外の意味はない。さっき言ったように店長もいるし、たまさんや万事屋さんたちが構ってくれるから「独り」ではないけれど、沖田さんと最後に会ったのが半月前の動物園のときで、あれから彼はお店にも来てなかったから。なんとなく、どうしてるかな、って思ってたから。あと、彼らが見廻りをしていない谷中は、江戸は、少し寂しいから。

今まで数分以内に返ってきていたラリーがぱたりと止んだ。こういうときに限って、どうして遅くなるのだ。

半刻後。悶々とした気持ちを晴らそうと入った熱いお風呂から上がり、携帯のディスプレイに「新着一件」を認めて開く。

『片した。帰る』

それだけ書かれていた。何を?なんて聞いたらまた野暮だとか言われるのだろうか。でも、これが私の「帰ってきてほしい」に対しての返事なのだとしたら、ちょっと嬉しいかもしれない。



最近京で激化している長州藩の動きを鑑みた松平のとっつぁんからの出動命令を受け、俺たち真選組は秋も盛りの神無月下旬、京へ出張していた。

天子様のいる京都御苑の西辺、新在家御門に配置された沖田隊長をはじめとする一番隊と監察の俺、山崎退は、別名「蛤御門」とも言われるその厚い扉を、ここ数刻間ひたすら守っている。

ひんやりとした夜の空気。鈴虫の呑気な鳴き声。敵の気配は無い。しかし、沖田隊長の様子がおかしい。

いや、人としておかしいのはいつものことだが(なんて言ったら殺されるから絶対言わないけど)、警備中の今も含め、最近やけに携帯をいじっている姿を見る。

まあサボり癖は今に始まったことじゃないし、別に常にいじっているわけではない。ただ、何も握っていない右手指が奇妙な動きをしているのが不思議なのだ。

任務で使うハンドサインの練習かとも思ったがそんなに仕事熱心な人では以下略。しかも俺が知ってるサインとは若干違う文法形態をしているような気がする。でも、「おいザキ。蛤ってこうやるらしいぜ」とこちらに向けてやってきたその手話を読み取る限り、五十音を一文字ずつ表すことができるようで、その点では俺たちが習うハンドサインになんとなく似通っている部分もあるようだ。

「それ、手話ですか?誰に教わってるんです?」
「……」

無視かよ。理不尽すぎる。

ピコン。何度目かのメールの受信音に沖田隊長が再び携帯を開き中を確認する。ぐにょぐにょと動かしていた右手の動きを止めた。ハァ、と一つため息をひとつ。

「……突然爆弾落としてくんのやめてもらいてェ」

そして携帯を閉じ、ここ四半刻ずっといじっていたそれを、初めて懐に戻した。

「はァ?何ですか、爆弾?」
「こっちの話。チェリーは大人しくかーちゃんの作った爆弾結びでも食ってろ」
「意味分かんないんですけど!!って、誰がチェリーだ!!」
「静かに。奴さんら無駄に刺激すんじゃねえや」

神妙な面持ちで「シッ」のポーズをとる隊長にキレかかりそうになるが騒がない方がいいのは間違っていないのでなんとか黙る。理不尽すぎるだろ!!てゆーか最初に話しかけて来たのそっちだから!!

と、急に沖田隊長の纒う空気が変わった。視線の先、御門から数十メートルのあたりに、ゆらゆらとうごめく数人分の影。

「チッ、ザキのせいで早速お出ましでィ。……いや、ちゃっちゃと終わらせちまった方がいいか。お前、たまにはやるじゃねェか」
「言ってる場合ですか。向こう、絶対アレで全員じゃないですよ」
「んなこた知ってらァ。どこに何人隠れてようと、ここは絶対に通さねェ」

鍔に手をかけ、通りの奥を睨む隊長。やけにやる気を出すときは基本近藤さん絡みのはずだが、局長は別の陣営にいるし護衛も十分につけている。あ、「ちゃっちゃと終わらせちまったほうが」ってことは、要は帰りたいのか。え、京都嫌だった?この人そんなに江戸自体に思い入れなんてあった?

「その者ども、さては真選組だな!?」

徐々に近づいてきた浪士たちのうち一人が声を張り上げた。恐らく、いや確実に長州の連中だ。

「池田屋ではよくもうちの兵士たちをやってくれたな!」
「池田屋?んなこたァ一ミクロンたりとも覚えてねェな。それよりテメーら、隠れてねェで全員出てこい。この沖田総悟様が相手してやらァ」
「おおおお沖田さん!!挑発しないで!!」

一触即発の雰囲気に縮みあがる。

「うるせェ。俺は早く帰りたいんでィ」

だからなんでそんなに早く帰りたいの!?挑発に乗り四方八方から飛び出してきた浪士たちが、「天誅!!」と叫び向かってくる。ニヤリと口角をあげて鯉口に手をかける隊長に、開いた口が塞がらない。

ああ、今日もこの人のせいで生きて帰れるか分かりません。怒声をあげ斬りかかってくる浪士たちに応戦する若き天才(的に早く帰りたい)剣士の背を守りながら、二度と一番隊とは任務につきたくないと僕は思いました。

2021.09.27 真選組監察 山崎退




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