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山間の村落を朝の静寂が包む中、その穏やかな景色とは不釣り合いな黒のスーツをきっちりと着込んだ男、ツォンは社長のルーファウスが滞在しているコテージへと歩みを進める。
神羅の保養所であったクリフ・リゾートに、ルーファウス他、彼らタークスの面々が拠点を置いてから、一年程になる。
村落の中には"あの日"から世界を恐怖に陥れている治療法のない病"星痕症候群"の患者が溢れていて、神羅は彼らからデータを取りつつ、治療法をなんとか発見しようとしていた。
ルーファウスのロッジは元々神羅家の別荘だったものであり、少し奥まった所にある。
ツォンは不審な気配がないことを確認しつつそこへ向かうと、セキュリティを通過して中へと入る。
「お早うございます、ツォンさん」
「…ああ」
中にはコーヒーの芳しい香りが漂っていて、ルーファウス付きの看護師であるnameがツォンを出迎えた。
病院スタッフのようないかにも看護職、といった装いではないが、動きやすく洗いやすい素材の衣服に身を包み、袖から覗く手足はスラリと美しい。
彼女はルーファウスの生存、及び星痕症候群に罹患しているという現在の病状を知る数少ない人物の一人。
採用に当たっては素性を徹底的に調べ上げており、勤務歴や人間関係から人格的、技術的に信頼の置ける人物と判断され、高額の報酬で雇うことにした。
「社長、今朝は具合良いみたいですよ?新聞を読みたいというのでコーヒーと一緒にお出ししたんです」
なるほど、ルーファウスの執事やメイドは離れで朝食を用意している時間だというのに、この部屋が既にコーヒーの香りで満ちているのはそのためか、とツォンは納得する。
「…仕事熱心なことだ、社長は…」
「ツォンさんも、ですけどね」
クスリと笑うname。
何故ここで自分の名前が出るのか、そんな顔で彼女を見るツォン。
しかし、彼女にはその顔がまたおかしかったようで、今度はふふっと笑い声を漏らす。
「…君だって同じじゃないのか」
はっきりは出さないようにしているが、隠し切れない不機嫌さを纏い、笑っているnameに自分はどうなんだと矛先を向ける。
ツォンは自身のことを弄られるのが、正直得意ではなかったからだ。
「寝ていないんだろう?それなのに朝から給仕のような仕事まで…」
「いえいえ、水分補給も立派な看護師の仕事ですよ?それに昨日は少し寝ましたから」
彼女はそう微笑むが、やはりどうにも疲れが拭いきれていないように思え、ツォンは心配になる。
信頼できる人物を何人も雇う余裕は今の彼らにはない。
資金的には全く問題ないのだが、世間はメテオ災害の後で混乱の極みにある。
神羅の信用も地に落ちていて、これまでの人脈も思うように使えない場面が多い。
ルーファウス付きの看護師も現在のところ彼女しかおらず、助手的なことを務めうる執事やメイドも信用に足る古参の人物のみに絞っているため、人手が足りていない。
そのせいで彼女は看護師の仕事の範疇を超える業務をこなしている。
それなりの高給待遇とはいえ、無理を続ければいつか身体を壊すのではないか、と。
彼女に倒れられては困る。
ツォンがそう思うのは単にルーファウスの身の回りを管理してくれる人物を失うというだけではなく…別の事情もあった。
少し前、彼らはふとしたことで夜を共にした。
仕事人間のツォンにすれば、公私混同も甚だしい行為。
ルーファウスの病状も回復には向かっていないという中で、彼の看護師と交際するなど不謹慎としか言いようがない。
だが、メテオ後の世界の激変。
彼らタークスの環境もこれまでとは全く違うものになった。
それでも泣く子も黙る鬼の主任として冷静さを保ち、ルーファウスの安全への配慮と、部下達への心理的フォロー、これからの神羅の展望…問題は山積みで、どうすべきか考えを休められるときはない。
どんな局面でも乗り越えてきた彼からしても五里霧中といえる状況に、気持ちは常に張り詰めていた。
そんな中、彼の古傷を気遣い部屋を訪れた彼女の優しさに触れて…あの夜はプツリと緊張の糸が途切れてしまったのだ。
nameはそのことで彼を縛り付けるようなことは言わない、所謂大人の女性だった。
一晩の過ち、彼女はそう割り切って今まで通りに過ごそうとしてくれていたし、彼もそれに甘えて応じればいいというのはわかっていた。
わかっていた…はずなのだが。
結局、あの一晩では済まないところまで彼は来てしまっていた。
ルーファウスの症状が落ち着いていて、色恋沙汰にやたら敏い部下達が外へ出ている夜になると、つい彼女を求めてしまい…
公私混同だと言われても、これはただの性欲処理などでは決してなく、彼女に好意を持っている、彼女を肉体的、精神的に欲しているのだと認めざるを得ない状況だった。
だが、それを口にすると本当に取り返しのつかないところに行ってしまいそうな気がして……
彼ははっきりとした言葉を彼女に与えぬまま、恋人の営みを続けていた。
彼女はこの関係をどう思っているのだろう、とツォンは思う。
nameは彼の求めを拒絶することはしなかった。
彼女の経歴を調べ上げた後であるだけに、尻軽な性癖の持ち主ではないということも、ツォンは知っている。
訊きたい、とは思うのだが…自分は気持ちを口に出せない以上、それは憚られるというもの。
「ツォンさんも一杯如何ですか?」
その微笑みは、心の底からのものなのだろうか…もしそうだというのなら、ハッキリさせてやらなければ。
女をたぶらかす趣味など持たない彼はそれを理解しているものの、今はどのタイミングでどうすればいいのか、全く見通しが立てられずにいた。
「いや、まずは社長に挨拶してくる」
勧められたコーヒーも断り、仕事を優先する。
しかし断られた彼女はその回答を予測していたようで、気分を害した様子もなく、そうですか、と笑みを浮かべて彼を送り出した。
それを見てツォンは内心嘆息しつつ、ルーファウスの部屋に向かう。
明確な愛の言葉も告げずに彼女を求めている、やましいところのある自分がこの場合は悪いのだろうが…
こうしていると、自分が彼女の手のひらの上で転がされているような気にもなってくる、と心でつぶやきながら。
「おはようございます、社長」
「ああ、いつも早いな、お前は」
ツォンがルーファウスの部屋に入室すると、部屋の主は既にいつもの白スーツに着替え終わり、優雅な仕草で白磁のコーヒーカップに口をつけていた。
星痕が顔にも出始め、部分的に包帯で覆っているのは痛々しいが、当の本人は病人らしい素振りは一切見せず、その蒼の瞳には力強い光を湛え、気品も失ってはいなかった。
片手にはnameが渡したという新聞を折り曲げて持っている。
彼は自分の悪評も含めて、世間が今神羅をどう感じているのか。
その情報収集に余念がなかった。
病の時に自身や保有する会社への罵詈雑言を目の当たりにして体に良いはずがない、とnameもツォンも新聞を渡すことを控えようとした時期もあったのだが、ルーファウスは全く意に介した風もなく、必ず見せるようにと命じ、今に至っている。
自分の上司は見たくないものに蓋をせず、あえて知り尽くし、その上での対策を練ろうとする人物なのだと、ツォンは諦めることにしたのだ。
逆風の中でも折れずに立ち向かうその姿は頼もしく思うものの、もう少し自分に甘えを許してもいいのではないか、とも思うのだが。
「ふむ、今日はあまり面白い記事はないな…いや、正確には昨日か」
崩壊したミッドガルの横に、新しくエッジという町ができている。
無秩序ながらも人々の逞しい生命力で日々大きくなる町。
そこで出回っている新聞なのだが、このクリフ・リゾートではリアルタイムで受け取ることはまだ難しい。
魔晄エネルギーが使えなくなり、物流は大きく時代を逆行することになっていた。
「…そうですか」
ルーファウスの言う面白い記事というのは、有益な情報という意味だけでなく、自身を罵り、有る事無い事をでっち上げている記事という意味も含まれているので、ツォンとしては返答にいつも困る。
彼の上司は自分が主人公の悪意に満ちた架空のメロドラマや、暴君伝説をどうも楽しんでいる節があるのだ。
「だが、これはnameには気になるものではないか?」
上司の口から飛び出した彼女の名に内心は僅かに動揺しつつも、表面上ツォンは平静を保つ。
すっと形のいい指先で示されているのは小さな記事。
ツォンは新聞を受け取り、その指し示された部分を黙読する。
記事の見出しは『人を想う心、伝えて』。
内容はある看護学校の校長の訃報であった。
それはnameが看護師の技術を学んだ学校であったため、経歴を調べたツォンとその報告を受けていたルーファウスにはこの亡くなった人物が彼女と直接関係があったかはわからないものの、恩師に当たる人物かもしれないと察することができた。
「別れの会は今日らしい、彼女が行きたいと言うならお前が連れてってやれ」
ルーファウスの予想外の発言に、ツォンは反応が遅れた。
「今日は調子がいいからな、彼女にも休みや息抜きが必要だろう」
「それは、そうですが…私が、ですか?」
彼女に休息を、という案自体は悪いものではない。
だが彼女がルーファウスの側を離れるということは、ルーファウスの身の回りの世話をする人間が減るということになり、それはいくら今朝調子がいいからといっても得策とは思えない。
看護の心得こそないが、タークスの自分はボディーガードは元より、秘書的な役割もこなせるため、いないよりはマシだろうとツォンは思った。
エッジにはレノとルードが毎日のように足を運んでいる。
送迎は彼らに任せれば事足りる。
「お前もエッジの様子を見てこい、あそこは日々変わり続けているからな」
「…エッジには、レノとルードが…」
「あの二人では入りにくい場所もあるだろう?どうやっても目立つからな…お前の判断で問題ないと思える箇所に彼女を連れて行け」
ならば彼女ではなく、イリーナを連れて改めて別の日に足を運べばいいのではないだろうか、という考えがツォンの頭を掠める。
彼はレノとルード程悪目立ちはしないが、その筋の者には当然顔も割れている。
同伴者を危険に巻き込む可能性が0ではない以上、ここはイリーナと回る方がやはり安心だと彼は思った。
「…しかし…」
「どうした?彼女と二人では何か不都合でも?」
ルーファウスがニヤリと口の端を上げた。
蒼の瞳も意味ありげに細められていて、ツォンは内心ヒヤリとさせられる。
まさか気付かれているのか、と。
だが、ルーファウスの前で彼女と怪しまれるような素振りを見せたことは断じて無いはずだった。
「不都合、と言いますか…安全面の問題から、そういった調査であればイリーナを同行させた方がよいかと、思いまして」
「タークス主任ともあろう者が何を…お前が守ってやればいい話だろう?」
それはもちろんそうなのだが、彼女とこんな仕事の時間に二人きりになるというのは…当然何も起こさないにしても、今のツォンには躊躇われることだった。
だが、ルーファウスはどうにも譲らない様子を漂わせている。
それには何か意味があるのかもしれない、とツォンは思考を巡らせることで上司の命令を正当化しようと試みる。
「…つまり、彼女に協力してもらい、医療関係者から現在の星痕治療及びその他の現状を探れと…そういうことでよろしいでしょうか?」
「……まぁ、そういうことにしておこうか」
「…?」
ルーファウスの呟きははっきりはしないながらも、ツォンの耳には何となく届いた。
何か別の意図があったとでも言うような、含みを感じずにはいられないが、質問の隙は与えられず、ルーファウスは命じる。
「ひとまずは彼女に意思を確認しろ、その調査自体はさほど急ぐものではないしな」
そう言われると、果たして本当にそうだろうかという疑問が湧く。
エッジを拠点にする医療関係者の現状は今知っておくべき有益な情報の一つだと、仕事人間のツォンにはそう思えてきたのだ。
ならば、彼女には行きたいと言わせる方向に持っていったほうが良いと彼は考える。
そのためには正直に話したほうがうまく事が運ぶのでは、とも。
「わかりました、では休息と我々の調査への協力を兼ねている、と彼女に事情を説明します」
「ああ、その訃報に興味がなくても、そう言えば従うだろうな、それで構わん」
ルーファウスの言い方はやはり何か含んでいるようにツォンには思える。
命じ方もいつものような明瞭さに欠けるというのか…
とはいえ、気にしすぎなのかもしれない。
ここで深く考えるほどのことではないとツォンは疑問をしまい込んだ。
彼は一礼すると、ルーファウスの部屋を出て朝食のセッティングをしているnameの元へ向かう。
新聞記事を見た彼女は、ハッと口を手で覆った。
どうやらその故人は彼女と直接関わりがある人物だったようだ。
「休暇らしい休暇も無かったことだ、君が行きたければ往復の足は用意するが…」
ツォンにそう問われ、彼女は自分の職務を思い遠慮がちになりながらも、可能であれば是非、と申し出た。
これならばアレコレと説得する手間は要らなさそうだとツォンは安堵する。
こちらの事情は道中話せばいい。
「わかった、では社長の朝食が済み次第、支度をしてくれ」
そう声をかけ、ツォンはロッジを出ようとする。
一日ここを離れることになるため、部下達に指示を出しておかなければならないからだ。
「あ、ツォンさん、待って下さい」
nameがツォンを呼び止める。
何事かと振り返った彼にすっと差し出されたのは、紙コップに入ったコーヒーだった。
にこやかな微笑みと共に、目の前で湯気を立てている香しいそれを彼は断ることができず…
「…ありがとう」
ビジネスライクな自分のためわざわざ紙コップに入れてくれた彼女を思えば、受け取る他に選択肢はないというものだろう。
そう心の中で独りごちながら、彼はロッジを出た。
コーヒーを片手にツォンが村落を歩いていると、道の遥か先を横切っていくレノとルード、イリーナの姿が目に入る。
時間と彼らの様子から察するに、食堂代わりになっている大きめのロッジへ朝食を取りに行く途中なのだろうと思った。
今声をかけて手早く指示を下すことも可能だったが…ツォンは思い止まった。
この持っているコーヒーに加え、自分がどこに誰と行くかを告げれば色々と詮索されそうな気がしたのだ。
少し過敏になっている自覚はあったが、レノは特にそういうことに鋭い。
直接話して色々と突っ込まれるのは避けたいツォンは今日の彼らへの指示は文面にしようと決め、その場を後にする。
そして自室に戻るとコーヒーを飲み干し、スーツをタークスのそれから普段使いのものへと着替えるのであった。
「ツォンさんが送ってくださるんですか?」
別れの会ということもあり、落ち着いたトーンのコンサバティブな服装に着替えたnameは、村落の入り口に車を用意して待っていたツォンを見て、驚いていた。
「少しこちらにも事情がある、向かいながら話そう……乗ってくれ」
魔晄ではなくガソリン燃料で走る車はエンジン音を響かせて荒野を進む。
彼は道すがらタークスの任務と、その達成のために協力して欲しいということを伝える。
助手席の彼女は納得したように一つ大きく頷いた。
「わかりました、私にはそこまで人脈もありませんが…できる限りお役に立てるようにしますね」
そう言って微笑んだ彼女を横目に、彼は車を走らせる。
少し硬い服装ではあるが、互いに制服姿ではなく。
クリフという新しい生活の場を離れ、モンスターも出ない見通しの良い荒野を走っていると…仕事とはいえ、やはり意識せざるを得ない。
自分はこれほどまでにon-offを切り替えられない人間だっただろうか、とツォンは内心苦い思いになる。
いつの間にか重ねていた年齢のせいか、それとも…
「…あの、お仕事にキリがついて時間があれば…なんですけど……私、少し町を見て回りたいのですけど……」
nameの控えめな問い、というよりささやかな願望。
彼女は高給取りだが、療養所と化している今のクリフ・リゾートでは使い道もない。
ショッピングやカフェでの飲食、そういったこともしたいのだろう。
女性のそういう部分に全く理解のない男ではないツォンは嫌な顔をせず、受け入れた。
「もちろんだ、今日は君の休暇がメインだと思っている…私は私の仕事をするが…君は時間の許す限り羽を伸ばして欲しい」
そう言うと、嬉しそうな顔をする彼女に、ツォンは面にこそ出さないものの、良かったと思う。
初めは彼女と二人きりで行動することに戸惑っていた彼だったが、徐々に彼女の休暇をどういう形であれ共に過ごせるのは良いことではないかと思えるようになってきたのだ。
もちろん、自分の仕事に彼女を巻き込むのは気が引けたが、それでも。
もし、他の誰かにこの役目を譲り渡すとなれば、正直なところ面白くないと自分が思うだろうことに、彼はようやく気づいたのだ。
この想いはやはり夜の人恋しさや、劣情に由来するものではない。
これまである少女に抱いていた憧憬の念とも少し形が違う。
自分は彼女を一人の女性として愛しているのだと、はっきり自覚するツォン。
だが、だからと言ってこの先どうするべきなのか。
それはやはり、すぐに答えが浮かぶものではなく。
彼はルーファウスの看護に日々を費やしている彼女が知ることのできないエッジの町の状況を話した。
経済活動はまだまだ正常とはいえず、盗品の売買が行われていることや、まだまだ物々交換がまかり通っているということ。
とはいえ治安はWROが中心となって改善しつつあり、活気に満ち、バーを始めとする飲食店が軒を連ねる大通りには人が溢れ返り、人間の逞しさを見せつけられる場所なのだと。
ツォンの時に硬いそんな話を、興味深いのだろう、彼女は質問を挟みながらよくよく聞いていた。
「不謹慎、ですけど……私、何だか楽しくなってきました」
恩師の別れの会に向かう道中であり、男の仕事を手伝わねばならない立場である彼女。
そうとわかっていても閉ざされた場所で働くnameには新しい町への好奇心もあるだろうし、久しぶりの解放感にも浸りたいだろうというもの。
不謹慎とは思いながらもその気持ちを自分に漏らしてくれるというのは…多少なりとも気を許してくれているからではないか。
それは彼にとって喜ばしいことだった。
「…いいんじゃないか?君は日頃、よく働いてくれている…どんな形であれたまの休暇は…楽しめばいい」
彼女の笑みは穏やかで、それを見ていると心が穏やかになるのを感じるツォン。
絶対的な安心感、こんなものを自分が覚える日が来るとは。
だがそうなると、自分は彼女に何か与えられているか、与えられることがあるか。
そんな疑問が胸の中にフツフツと湧いてきて…
まずすべきことが一つある。
それは彼の中にふいに生まれた気づき。
さすがに仕事を控えた今すぐには実行できない。
だが、滞りなく任務を果たした後には…
彼はある一つの決意を固め、車をエッジに向けて走らせ続けるのであった。
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