猫は懐で丸くなる

2
「おい、生きてるか?」
 
 首根っこを掴まれ、身体を持ち上げられる感覚がした。首は痛くないけれど持ち方が雑だ。もう少し優しい起こし方もあるだろうに。あまりにも女の扱いがなっていない人物の顔はどのようなものかと、ゆっくりと瞼を持ち上げれば大きな瞳と目が合った。
 扁桃の実のような形をした大きな瞳と、つんとした鼻先、むっと曲げられた唇がバランス良く小ぶりな輪郭に配置されていた。頬から鼻にかけての傷跡を見てその人物を思い出す。
 風柱だ──失血をし過ぎたことにより霞む視界から得た情報で冷静に判断した。
 任務失敗の報告を受け、風柱である不死川実弥が向かわせられたのだろう。鬼を逃したことを報告しなくてはと口を開くが、喉からはヒューっと隙間風のような音が漏れるばかりだ。
 
「少し我慢しろ」
 
 頭を撫でられた。彼の行動に目を白黒させる。戦う姿や、多くの傷が刻まれた肉体、振る舞いから彼は柱と呼ばれる九人の剣士の中で最も恐れられていた。その人物が失態を犯した一隊士の頭を優しく撫で、励ましたのだ。
 すみません──そう口にしようとした。しかし口から出たのは「ニャー」という子猫のような弱々しい鳴き声だった。
 どういうことだ? 近くに猫の姿は見当たらない。まさかと最悪の可能性が思い浮かび、慌てて自分の姿を確認しようと視線を落とす。
 自慢の引き締まった脚は、白い毛で覆われた短い足に変わっている。地面から足が離れ、今は宙ぶらりん状態だ。鬼に負わされた傷は人間の時と変わらないようで、腹から足にかけて白い毛が血で濡れている。
 
「怪我してんだ、あんま動くな」
 
 風柱の存在を思い出し、慌てて視線を正面に戻す。彼の大きな瞳に映った自分の姿に驚愕した。耳はぴんと上に立ち、月を閉じ込めたような丸く大きな瞳、小さく淡い桃色の鼻。その姿は猫そのものだった。
 目を覚ますと猫に姿を変えていた混乱などつゆ知らず、風柱は私の小さな身体を腕に抱いた。
 
「ちったぁ寒くねぇだろ」
 
 そのまま大きく胸元が開いた隊服の中に押し込まれる。突き刺すように冷たい外気に触れないことはとても有り難い。しかし何も隔てるものがなく男性の、しかもあの柱である不死川実弥の肌に触れているのだ。
 思考の停止に伴い、身体もぴたりと動かなくなる。猫は警戒した時に毛が逆立つことを知識としては知っていたが、実際に自分が体験する事になるとは思いもしなかった。
 
「大人しくしとけ」
 
 身体を支えるように差し込まれた手が軽く身体を撫でた。どうしてこうなった──必死に考えようとしたが血が不足していたのだろう、そのまま意識を手放した。
 
 
 
 次に目を覚ました時には布団の上に寝かされていた。妙な夢だと思ったが視界に入った自分の手が白い毛で覆われていたことから、現実であったと知る。
 四つ足でよろよろと身体を起こすと、腹に突き刺すような痛みが走った。
 腹を裂かれたのだ。痛い。しかし泣き叫ぶ訳にもいかず、身体を丸め痛みをやり過ごす。
 痛みが引いたところで布団から出ると、腹に包帯が巻かれていたことに気づく。きつくもなく、ゆるくもない。手慣れた人物が手当をしてくれたのだろう。有難いことだ。顔も知らぬその人物に感謝をする。
 畳のざらざらした凹凸を肉球で感じる。神経が直に触れているかのように小さな凹凸も感じ取ることができ、普段履き物を履いて過ごしている人間にとっては妙な感覚だ。一歩一歩確かめるようにしながら歩みを進める。
 ここはどこだろうか。居場所を確かめるために廊下に出ようとするが、扉が阻んだ。障子なら直せるし、穴開けちゃってもいいよね──と心と中で言い訳と家主に対する謝罪をしながら、障子に頭から突撃する。
 頭がずぼりと抜け、外の空気に触れた。景色からして山の中ではないようだが、鳥肌が立つほど寒い。全身が毛に覆われて粟立つ肌もないのだが。
 外に出られると安心したのも束の間、すぐ側で聞こえた声に全身の毛は逆立ち、目は大きく見開かれた。
 
「……何やってんだァ」
 
 地を這うような声だった。視線を持ち上げれば、不死川様がすぐ近くで見下ろしていた。
 ようやく状況を理解した。ここは不死川様の自宅であり、私の手当てをしてくれたのも彼だ。それにも拘らず、恩を仇で返すかのように障子を破いたのだ。
 すみません、緊急事態だったんです──と慌てて言い訳をするが、口からはニャーニャーと情けない声が出るばかりだ。
 舌先を鋭く打つ音が聞こえた。大きな手が迫ってくる様子を見て、あぁここまでだと諦念に至った。
 
「傷口開くだろうが」
 
 聞こえてきたのは想像していたよりも柔らかい声だった。首のあたりの皮を掴まれ、障子から引き抜かれる。そのまま雪の上に投げられると身を硬くしたが、腕に抱えられた。
 赤子を縦に抱く時のように頭と尻を支えられ、そのまま部屋の中へと戻された。障子を破った責任を問われ叩き斬られるか、外に放り出されると思っていた為、驚きから不死川様の着流しに爪を立ててしまった。
 爪を仕舞わなくてはと思うが、焦れば焦るほどその方法が分からなくなってしまう。しかし不死川様は特に私を咎めることもなく、布団の上に降ろした。
 
「怪我が治ったら好きなとこに行きゃいい。それまで大人しくしとけ」
 
 私に布団を被せた不死川様は、少し離れた位置に手際良くもう一組の布団を敷き、横になった。要するに身体の傷が治るまでここに居てよいということだろう。どうしてそのように親切にしてくれるのだろうか。
 このようにしがない一般隊士に情をかけてくれる理由が分からずに戸惑っていたが、よくよく考えれば今は猫の姿をしているのだ。小さくとも懸命に生きている命を見捨てることが出来なかったのかもしれない。
 
「取って食いやしねぇから安心しな……っても伝わる訳ねぇか」
 
 じっと視線を向けられ居心地の悪さを感じていれば、それを感じ取ったかのように不死川様はふいと視線を逸らした。
 毛が逆立ったり、目を見開いてしまったりするのは反射的なものなのだろう。毛が逆立っていた私を安心させるように、不死川様は声をかけてくれた。しかし言葉の途中で、猫に伝わるはずがないのに何をやっているのだと我に帰ったようで苦笑い浮かべた。
 悪い人ではないのかもしれない。鬼殺隊の柱に選ばれるほどなのだ。凶悪犯などではないことは確かだが、噂に聞いていた風柱の人物像とはかけ離れている。冷徹な人物ではなかったのか?
 労るように触れる指先や、静かな声からは心配と優しさを感じる。猫になって人間の頃よりも感覚が研ぎ澄まされるようになったのか、そのようなことを敏感に感じ取っていた。
 私は人間の父と母の元に生まれた。水をかけると猫になるなどの呪いがかけられている訳でもない。突然猫になった理由を考えるが、思いつくのは不死川様に保護される直前の戦闘の事だ。
 
 ◇◇◇

 
 鬼の被害が出ているとの情報があり、私は数人の隊士を引き連れて山奥に向かった。動物たちも穴の中で静かに眠りについているのだろう。山には動物の足跡ひとつなく、その美しい景色に脚を踏み入れることには多少の躊躇いを感じた。
 暫く進むと小さな小屋が見えた。その小屋の前だけは開けていて、月明かりが差し込んでいた。そして気付いたのだ。小屋の扉が爪のようなもので破られ、外壁や内壁を赤く染めていることに。
 周囲に警戒しながらも小屋に近づけば、小屋の中から鬼が姿を現した。気配からその強さは感じ取った。
 雪が強く吹き付けたと思った瞬間に背後で呻き声が聞こえた。振り返れば隊士たちが負傷した腕や足を押さえ蹲っていた。
 攻撃を目で追うことが出来なかった。かなり強敵だ。ただでさえ雪に足を取られてしまい不利な状況だ。
 まずい、まずい、まずい──頭の中で警鐘が鳴らされていた。
 隊士たちは軽症ではあるものの、まだ経験も浅く戦闘において活躍することは難しい。甲である私が残り、他の者は撤退させる方が良いだろうと判断し、命令を下したのだった。
 何度も攻撃を繰り返したが鬼の首を捕らえることはなく、次第に体力も削られていき肩で呼吸をするようになっていた。
 ちりんと鈴のような音が聞こえた。次の瞬間に腹部に焼けるような痛みを感じた。確認せずとも腹を切り裂かれたことは、いつかの経験から感覚として分かった。
 この程度ならば呼吸で止めることが出来たはずだ。しかし身体は思うように動かず、ぐらりと身体が傾き、その場に膝をついた。
 身体が軋むように痛い。頭の中でちりんちりんと鈴の音が止まない。耳を塞ぎたかったが、腕が重たくて動かない。全身に火をつけられたかのように熱く、雪に倒れ込んだことにすら気付かなかった。視界がぐるぐると回転した。
 
「楽しみにしているぞ」
 
 鬼がそう呟き、その場を立ち去った。任務を失敗した不甲斐なさと同時に、鬼に情けをかけられた屈辱を感じた。
 まだ生きている。痛みから自分が生きていることを自覚すると、這いつくばるようにして小屋に向かった。生存者がいるならば手当をしようと思ったが、凄惨な現場には生存者どころか人の形をした者すらいなかった。
 食い散らかされ肉片となったのはこの小屋に住む者たちだったのだろう。無念だっただろう。
 仇を取れなくてごめんなさい──そう思いながら意識を手放したのだった。
 そして次に目を覚ました時には目の前に風柱である不死川様がいて、私は猫の姿になっていたのだ。恐らく血鬼術の類なのだろう。
 仇を取ることが出来なかった悔しさと、あのように惨たらしいことをやってのける鬼への怒りが腹の奥から湧き上がり、無意識のうちに奥歯を強く噛んだ。口の隙間からは唸るような声が出た。
 
「おい」
 
 すぐ隣で気配を感じた。不死川様だ。布団から出ると、真っ直ぐこちらに向かってきた。
 彼の睡眠はそれほど深く無かったのだろう。眉間にシワが寄っている。睡眠を妨害されたことを不満に思っているのだろうか。
 身体が持ち上げられる。このまま部屋の外に出されるのだろうか。雪が降るほど冷え込んでいる。手負いの身体で夜を明かすことが出来るだろうか。ぐるぐると考えていれば、不死川様は外ではなく自分の布団に向かった。
 もぞもぞと布団の中に潜り、抱えていた私を腹の上に乗せた。
 
「寒いから乗っとけ」
 
 頭から脊梁の湾曲を確かめるように撫でる手つきは優しい。手足を折り曲げて身体を伏せれば、不死川様は僅かに口許を弛めた。
 怒りから身体を震わせていただけだったが、彼は寒さが原因だと考えたのだろうか。自分が暖を取るためといった口振りだったが、わざわざ布団から出て私を抱えるよりも、暖かい布団の中で寝ていた方が賢い。心配してくれたのだろう。
 不死川様が大きな欠伸をした。腹が一際大きく膨らみ、そしてゆっくりと萎んでいった。
 
「猫も欠伸すんのかよ」
 
 つられて欠伸をすれば、不死川様はクッと喉を鳴らして笑った。
 呼吸に合わせて腹が上下する。その揺れはどこか懐かしい。ゆりかごに揺られている頃の記憶など覚えていないが、きっとこのような感覚なのだろうとその心地よさに目を細めた。



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