08









 轟くんは格好良い。以前は近づき辛いオーラを纏っていたが、体育祭後あたりからはゆるんだ。そのせいか彼の魅力に惹かれ、想いを伝えるために呼び出す女子が後を絶たない。
 今日はどうやら普通科の女の子に呼び出されたようだ。隠れる必要なんてどこにもないのに、咄嗟に私は廊下の柱に身を潜めた。

「めちゃくちゃ可愛いくね!?」
「また轟かよ!」

 教室から轟くんが出て行くのを見送ると、上鳴くんは興奮したように声を上げ、峰田くんはこの世の不平等さを嘆いていた。やはり轟くんはモテるのだ。
 分かっていたはずの事実だったが、自然とため息がもれてしまった。

「……轟くんと何かあったん?」
「えっと」

 どうやらため息をついた瞬間を目撃されてしまっていたようで、お茶子ちゃんが気遣わしげに眉を垂らした表情で尋ねてきた。なぜ轟くんが関係すると思ったのだろうか。何と答えるべきか分からず、言い淀んでいればお茶子ちゃんに確信を与えてしまったらしい。

「大丈夫! 轟くんは、沢山の女の子を相手に出来るような器用さは持ち合わせておらんし!」

 轟くんが心を弄ぶような人でないことは知っている。お茶子ちゃんが言うように、複数の女の子を相手に出来るような器用さを持ち合わせていないことも、もちろん知っている。しかし轟くんが私のことをどう思っているかは別の問題なのだ。
 きっと特別な感情を抱いてくれていることは確かだ。しかし、それが恋愛感情なのか、友人として好ましく思ってくれているだけなのかは定かではない。
 彼は私が与えたものと同じものを返したいと言っていた。これまで私が散々してきた「かっこいい」「癒される」と褒めてきた言動(どれも本心なのだが)を、彼は真似ているだけではないのか。

「……何もないよ! 轟くんとは何もないから大丈夫!」

 心配を掛けてしまったお茶子ちゃんには申し訳ないが、期待してくれていたようなことはきっと何一つなかったのだ。憧れの轟くんの側にいることが許されたことに私が舞い上がって、勘違いしていただけだ。

「いや、絶対そうだって! あの紅白の頭を見間違える方が難しいって!」
「髪色だけで決めつけんのもなぁ……」
「あれは絶対轟だって! なぁ! 瀬呂!」
「んー、そうねぇ」

 教室から何やら賑やかな声が溢れ、廊下にいる私のもとまで聞こえてきた。轟くんは女子に呼び出され教室にいないというのに、彼らの会話にまるで主役のように登場しているようだ。
 上鳴くんが興奮した様子で轟くんを目撃したのだと話している。上鳴くんだけの意見ならば、私も切島くんと同じような反応をしていただろう。しかし瀬呂くんが否定しなかったということは、恐らく目撃した紅白頭の人は轟くんで間違いはないのだろう。
 一部しか聞き取れなかった為、話の流れが掴めない。自然と私とお茶子ちゃんは聞き耳を立てていた。

「噂をすれば主役のご登場じゃん!」
「お」

 どうやら轟くんが部屋に戻ってきたらしかった。上鳴くんの声に轟くんは驚いたように一音をもらした。

「先週の日曜日なんだけどさ」
「日曜日?」
「駅前で轟とあいつらしき女子が一緒にいるのを見かけたんだけどあれって……」

 先週の日曜日といえば、轟くんと私が出掛けた日だ。待ち合わせをしたのも駅前だから間違いはないのだろう。あの時上手く逃げたつもりだったが、目撃されてしまっていたらしい。
 轟くんの返答を期待するように心臓が激しく鳴り響く。

「……見なかったことにしてくれ」

 轟くんの平坦な声が聞こえた。

「あ、待って」

 これ以上聞きたくない。気づいた時にはお茶子ちゃんの制止を振り払い、走り出していた。
 全ての授業を終え、帰るだけの時間帯だったのが幸いだ。このようなひどい顔のまま教室に戻れば心配を掛けてしまう。お茶子ちゃんに頼んで荷物を持ってきてもらおうかと思ったが、今日はあいにく日直だったことを思い出した。ペアの瀬呂くんにだけ任せるわけにはいかない。
 気持ちの整理がつかないまま、重たい足取りで教室に戻る。もうみんな寮に戻ったのか、先程の賑やかさはない。

「瀬呂くんごめん、待たせちゃって……え?」

 扉を開けながら声を掛ければ、そこにいたのは黒髪の彼ではなく、人目を惹く紅白の髪色をした人物だった。
 
「瀬呂くんは……?」
「日直の仕事、瀬呂に代わってもらった」

 なんとか声を絞り出して、ここに居るはずだった瀬呂くんの行方を尋ねれば、轟くんは仕事を代わったのだと話した。
 動揺を表情に出さないように気をつけながらその理由について聞き出そうとしたが、カラカラに渇いた口からは掠れた情けない声が出た。

「なんで」
「こうでもしねぇと逃げるだろ」

 彼の足が視界に入り込んできて、そこでようやく私はいつの間にか視線を床に落としていたことに気付いたのだ。

「逃げるだなんて……」
「俺のこと避けてるよな」

 否定しようと思ったのに身体はあまりにも素直で、この場から逃げ出したくて一歩退いていた。行動が伴わない言葉は、彼の問いに対するアンサーになってしまった。
 轟くんの顔を見ることができない。心臓がうるさいくらいに鳴り響く。

「好きなやつの異変に気づかねぇほど俺も鈍くねぇよ」

 ぎゅっと握り込んでいた手を掴まれ、そっと指を解かされた。手のひらに残った爪の痕をそっと撫でられる。驚いて顔をあげれば、轟くんの視線と交わった。

「日誌書いてる間だけでいいから話さねぇか」

 眉尻を垂らし笑う轟くんを見て拒絶することはできなかった。振り解かなかったことを承諾だと解釈したのか、轟くんは私の手を握ったまま席についた。

「あの、手……」
「気にしないで続けてくれ」

 日誌の空白がちっとも埋まらない。轟くんに左手を握られている、この状況で黙々と作業できる人はこの世に存在するのだろうか。
 わざわざ椅子を運んできて、正面に座ってきた轟くんは時折り指を絡めたり、手の甲をさすったり、手慰みをしている。
 身体の状態は気にしないでいられるようなものではない。心臓は平常時の二倍ほど激しく脈打っているし、手が小さく震えてしまう。

「逃げないから」
「やっぱ逃げてたんだな」

 墓穴を掘るとはこのことだ。轟くんはクツクツと喉を鳴らして笑った。機嫌は悪くないようで安心したが、やはり手を離してはくれない。

「これは逃がさねぇ為とかじゃねぇんだ。好きなやつに触りたいって思うのは普通のことなんだろ?」

 癖がない真っ直ぐな髪の毛が、首の動きに合わせて揺れた。小首をかしげる仕草が似合うだなんて、流石としか言いようがない。

「……漫画に描いてあったの?」
「調べた」

 またも少女漫画から妙な知識を得てしまったのかと思ったが、今回ばかりは違ったらしい。わざわざ【異性 触りたい 理由】とでも入力して調べたというのか。実際の検索ワードが気になるところだが、今はそんなことはどうだって良い。

「そろそろ用件を……」
「昨日も聞かれたな、それ。……何か用があったわけじゃねぇんだ」

 昨日は「間違えた」と伝える為に私を待っていたのだろう。では今回はどのような用件かと思い尋ねたが、用はないという。

「友達なら何の用が無くとも一緒に居られんだよな?」

 無意識のような仕草で顎に手を当て考え込んでから
「でも友達じゃ満足できねぇ」
と続けた。

「特別になれねぇなら、せめて仲のいい友達でいたかった。でもやっぱ無理だ。俺は特別が良い」

 言葉にするうちに感情の整理がついたのか、納得したように頷きながら言う。
 間違えたと言ったのは轟くんだ。だから、あれは勘違いだったのだと自分に言い聞かせたのに。

「間違えたって言ったのは轟くんでしょう」
「間違えたな」

 責めるような口調になってしまったというのに、なぜか轟くんは笑った。その反応の意味が分からず眉を寄せれば、「相手を間違えた訳でも、自分の気持ちを見誤ったわけでもねぇよ」と付け加えられた。

「順番を間違えた。好きになってもらわねぇと駄目だった」

 デートに誘う相手を間違えた訳でもなく、友情と間違えていた訳でもなく……キスをするに至る順序を間違えたというのか。「だから」と私の頬に手を添えながら言った。

「早く好きになってくれ」

 私がもし頷いたなら、轟くんはどうするのだろうか。そんなことを考えながら頷き、目を閉じようとした時。完全下校のチャイムが鳴り響いた。

「お、やべぇな、日誌出すの遅れちまう」
「え」
「まだ走れば間に合う」

 あいにく日誌は書き終わっていて、轟くんに手を引かれながら廊下を疾走し、滑り込むようにして日誌を提出することに成功したのだった。
 キスは……? 今のは完全にキスをする流れだっただろう。まさかそう思っていたのは私だけで、彼にそんな気はなかったのか?

「危なかった」
「ギリギリで間に合ったね」

 轟くんの思考を理解することは特別な修行を積んでも難しいだろう。キスをされると勘違いして待ち構えてしまったことは恥ずかしいが、仕方がないことだ。相手は特別天然記念物の轟くんなのだから。
 間に合って良かったと言えば「それもだが……」と轟くんは言葉を切った。
 
「好きになって貰う前に手ぇ出しちまうとこだった」

 早く好きになってくれ、と言われたのはつい先ほどのことだ。だというのに「そろそろ好きになってくれるか?」だなんて聞いてくる。私に好かれる自信があるらしい。
 きっと頷いたならば、轟くんは口元をゆるめて笑うのだろう。その表情が見たくて私は彼の問いかけに頷いたのだった。

 後日談だが、「見なかったことにしてくれ」のセリフには続きがあったらしい。
「まだ俺が一方的に好きなだけだから、そっとして置いて貰えると助かる」
 私は彼の自己肯定感を育て、強気なイケメンを誕生させてしまったようだ。






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