「ぎゃ」
「お」
講堂内に落下していく身体を受け止めようと風を操ったはずだが、地面スレスレでその力が奪われ、私と轟はつんのめる。
私の個性がつかえなくなった理由は明白だ。抹消の個性を使われた。
顔を上げれば、目の前にはイレイザーヘッド、そして多数のヒーローたちが待ち構えていた。
「揃いも揃って個性にかけられてんなよ、情けねぇ」
「それ、今の私たちにも当てはまるけどね」
色彩が異なる両の目で睥睨するようにあたりを見渡した轟が吐き捨てた言葉は、そのまま私たちにも降りかかることだ。
どうにかしてイレイザーヘッドの目を潰すしかない。
物騒な考えだが、この状況では手段は選んでいられない。あとでリカバリーして貰えば良いだろうと自分を納得させ、拳に力を入れ直す。足の下で瓦礫がバキッと音を立てた。
「ちょ、待って」
「抑えろって!」
上鳴と切島の訴えが耳に届き、咄嗟に脚を止める。
人を押しのけるようにして前に現れた爆豪を、切島と上鳴が腕や胴体をつかんで押さえ込もうとしている。
「だぁれが個性にかけられて情けねぇだァ? 情けねぇのはテメェらだろうが! 俺を一緒にすんじゃねぇ!」
二人にしがみつかれているというのに、地面を割るのではないかというほどの迫力でさらに一歩前進しようとする爆豪の首や腕には血管が浮かんでいる。
「かっちゃん、空気読めって!」
「酸欠になるくらい読みまくったわ」
上鳴が取りなすような口調で話しかけるが、爆豪は目をつり上げ、歯を剥き出しにしたまま今にもこちらに襲い掛かろうとしている。
やれやれといった様子で首を振ったり、額を抑えたり、苦笑いを浮かべたり──反応はさまざまだが、どれも敵意が感じられない。
「そりゃまぁ確かに、突入するかってタイミングで二人がおっぱじめた時は焦ったけどさぁ」
「テメェらはキリンか」
「何でキリン?」
上鳴の呑気な声に被せるようにして爆豪が悪態をつく。
爆豪、上鳴、切島はあの場にいた為、コテージでの私と轟の痴態を不本意にも把握されているのだ。
どうやら緑谷にも情報が伝達しているらしく、顔を真っ赤にして分かりやすく動揺をみせながら口を開く。
「キリンって喧嘩して興奮状態のまま交尾に至ることもあるらしいから」
「解説してんじゃねぇ!」
目線を忙しなく泳がせながら答えた緑谷を爆豪がギロリと睨みつける。
相変わらずのやり取りを、画面越しでおこなわれているかのように感じるのは恐らく状況が理解できていないからだ。
ぼんやりと眺めていれば、バンと大きな音を立てて扉が開かれた。先程まで対峙していた飯田、梅雨ちゃん、そして拘束してきたはずの瀬呂、百が申し訳がなさそうな表情で入ってきた。
「ご苦労」
「すみません、突破を許してしまいました」
「いや、十分だ。良くやったよ」
90度に身体を折り畳み謝罪した飯田に、相澤先生が労るように声をかける。
敵意は感じられないが、それでも先ほど4人は攻撃を仕掛けてきた。何らかの罠だろうか。
教え子の私たちは、相澤先生の個性が一瞬だけ緩む時を知っている。
瞬きの瞬間だ。その隙を狙って轟が一面を凍らせようとしたが、それを見抜いていたかのように相澤先生は両手を顔の位置にあげ、無抵抗の意志を示した。
「まぁ、落ち着け。こちらにお前たちと戦う意思はないよ」
「敵の個性で操られていないという証拠は?」
「これで証明になるか?」
轟の鋭い視線を受けながら、相澤先生は個性を私たちではなく緑谷たちに向けた。操られていたならば、抹消の個性で元に戻るはず。
しかし彼らに変化はない。
「少しいいか」
「良くねぇ、一生口開くな」
「爆豪、気持ちはわかるけどよ少し落ち着けって」
困惑している私の隣で轟が手をあげた。苛立った様子の爆豪がピシャリと言い捨てるが、切島が穏やかな声で取りなした。
唇をへの字に曲げた爆豪を一瞥してから、「悪りぃ、切島」と切島にも向き合った轟が口をひらく。
「何の意図があってこんなことをしてんだ?」
「あぁ、それは」
最大の謎──なぜ私たちを陥れようとしたのか。
何か疑惑をかけられ、罪人として捕らえようとしていた訳でもなさそうだ。まだ個性で操られていたからと言われた方が納得できる。
相澤先生が答えようと口を開いたが、「どうぞ」と誰かに譲った。視線を辿れば、良く知る人物がいた。
「焦凍、ナマエ」
「……エンデヴァー」
「親父が何でここに」
そこにいたのは轟の父親であり、かつてNo. 1ヒーローとして君臨したエンデヴァーだった。
エンデヴァーが関係しているだろうと予想はしていたが、まさか一連の騒動の黒幕だというのか。
轟の表情が険しくなる。
「デクたちは任務をこなしたまでだ」
「……全て、エンデヴァーが仕組んだってことですか?」
「そうだ」
「奪還任務は?」
「こちらで設定した」
「指輪の報道は……?」
「ジーニストに協力を仰いだ。その後、ふたりのもとにヒーローたちを送り込んだのも私だ」
エンデヴァーは厳かな空気を纏ったまま、淡々と全てを認めた。
サイドキックの奪還を私と轟に依頼し、衝突させたのも、ジーニストと共謀して指輪の騒動を引き起こしたのも、ヒーローたちに追われることになったのも、全て自分が企てたことだと。
「何でこんなことを! 一歩間違えれば、終わってたかもしんねぇんだぞ」
「この程度の逆境で崩れるならば、その程度の関係だったということだ」
あれらの騒動により衝突し、関係が終わっていたかもしれないと、声を荒らげて訴えた轟に、エンデヴァーは淡々と返す。
轟が口をひらくよりも先にエンデヴァーは言葉を続けた。
「法律で縛ることはできるが、それは真の家族とは程遠い。それは身をもって……いや、家族を犠牲にしたことでようやく学んだことだ」
伏せられた瞳がどのような感情に染まっているのか、私には想像ができない。
エンデヴァーの言葉は、偉人が残したどの言葉よりも重みがあった。それは過去に向き合い、苦しみ、それでも立ち上がる彼の背中を見てきたからだろう。
「親として、とは烏滸がましくて言えないが……大人として、先人として、己と同じ轍を踏ませるわけにはいかない」
エンデヴァーは恐らく見抜いていたのだ。私たちが本音を隠し、表面だけを撫でるような形ばかりの触れ合いをしていたことを。
「焦凍、貴様は彼女の愛情に甘え、ナマエの気持ちを鑑みなかった。ナマエは、焦凍の気持ちを決めつけ、心を曝け出そうとしなかった。……表面だけ取り繕ってつくりあげた関係は、酷く脆いだろう。いくら道を間違えようとも、正面からぶつかってくれる。己を正そうとしてくれる。立ち直るためにどのような苦しい道であっても連れ立ってくれる。それが家族だ」
と思う、と付け加えたエンデヴァーは、こちらに視線を向けた。
「二人が家族になるには必要な試練だと判断した。騙したこと、申し訳なく思っている……すまない」
他のヒーローたちがこの状況を固唾をのんで見守っている中、エンデヴァーは静かに頭を下げた。
不器用な父親なりに心配し、行動した結果だったのだろう。
それにしても私たちが本音でぶつかり合わなくてはいけない状況を作り出すために他のヒーローたちまでも巻き込むだなんて、やりすぎな気もするが。
納得したのは私だけだったようで、隣で奥歯を軋ませる音がした。
「それで緑谷たちを巻き込んだってのかよ」
「それは違うんだ!」
グッと堪えて聞いていたが、存外気の短い轟は限界を迎えたようだ。激情にかられエンデヴァーに掴みかかろうとしたが、緑谷がそれを遮った。
庇うだなんて有り得ないとでも言いたげな表情を浮かべた轟に、緑谷は「遮っちゃってごめん、でも聞いて欲しいんだ」と断りを入れた。
「エンデヴァーから依頼があったのは確かだけど、それを引き受けたのは僕たちもずっと二人が幸せになってほしいって思っていたからで……! すれ違う姿をみて勝手にもどかしくなって……だから手荒だし、お節介かもしれないとは思ったんだけど、エンデヴァーの作戦に協力したんだ」
まっすぐな瞳で、真摯な態度で緑谷は任務に協力した理由について述べた。かつてのクラスメイト、恩師、同僚たちはそれに同意するようにただ頷いた。
気持ちに気づいていなかったのは当事者である私と轟だけで、周囲は随分ともどかしさを感じながら、見守ってくれていたようだ。そして今回、轟の父親であるエンデヴァーの思惑をしり、手を貸したということだ。
「それで、試した結果はどうです?」
「認めないと言ったならば?」
結果を尋ねれば、それに対する答えではなく質問を返されてしまった。本心を探るかのようにじっと見つめてくる瞳に居心地の悪さを感じながらも、半ば睨むようにして見つめ返す。
「結構です。反対されようとも関係ないですから」
「反対を押し切ると?」
「……欲しいものは周りを捩じ伏せてでも手に入れることに決めたので」
── 面倒事に巻き込んでんじゃねぇよ。
── 胸糞悪りぃこと押し付けやがって。
── 欲しいもんの為ならどんな手でもつかう。その覚悟はあンのか。
── 半分野郎もエンデヴァーも……全部だ。全部、捻じ伏せんだよ。
どうやら随分と親切に忠告をしてくれていたようだ。口の悪い友人のセリフを借りて覚悟を伝えれば、エンデヴァーは瞠目してから「そうか」と呟いた。
「いい相手に選んでもらえたな」
エンデヴァーは安堵したように息をついてから、機嫌を窺うような態度で轟に語りかけた。
かつて私たちに個性婚を強要しようとしていた負い目もあるのだろう。殊勝な態度でこちらの反応を窺ってくるエンデヴァーの様子に自然と毒気も抜かれてしまう。
案外こういうところは轟と似ている。
「ナマエ」
「うん?」
親子だなぁとぼんやり考えていれば、轟に名前を呼ばれた。
ふと隣をみれば、手のひらに小さな箱を乗せ、こちらをじっと見つめる轟がいた。
ベルベット生地の箱は激しい戦いでボロボロになっているが、どうやら中身は耐熱性にしたというだけあって無事だったようだ。
しかし生身の私はそうはいかない。服は灼けてしまったし、身体はあちこち熱傷を負い赤くなっているし、顔も煤だらけでボロボロだ。
「……髪も服もボロボロなんだけど」
「帰ったら一緒に風呂入ろう」
「一緒には入らないし、第一そういうことじゃなくて……タイミングの話だよ……」
これから生きている中で何度も思い出すであろうその瞬間がこのような埃と煤だらけ、すこし焦げたような匂いに包まれた記憶になってしまうのかと思ったら制止せずにはいられなかった。
しかし傷ひとつない指輪を指先で摘んだ轟は、その声をやんわりと払いのけ、そっと私の手を握った。
「大切な人たちに囲まれている今がベストだと思う」
やれやれといった様子で肩の力をぬく元担任に、安堵した様子でみつめる同僚、ほうと感心したような息をつき満足げに前髪を正す所長、無骨な手で目頭を押さえる轟の父、感極まった様子で瞳をうるませる友人 ──こんなにも多くの人に心配をしてもらい、強引ではあったもののきっかけをつくってもらい、見守られ、祝福されているのだ。
これ以上に相応しい舞台はない。
「俺と結婚してください」
鼻の奥にツンと突き刺すような痛みを感じながら、僅かに上擦った声で「よろしくお願いします」と答えれば、轟は精悍な顔立ちをふにゃりと弛め子どものように「幸せだ」と素直な口調で言った。
三日間におよぶ混乱は、全てはエンデヴァーに仕組まれていたもの。彼の掌の上で踊らされていたということか。
もし私が轟に心を曝け出していたならば、轟が私の心の内をのぞき込んでいたならば、このような遠回りは必要なかったのかもしれない。
しかし無駄だったと微塵も感じないのは、どこかに落としてきた思い出のかけらを拾い集め、自分たちの手でゆっくりとはめ合わせ、不恰好でも愛を形づくることができたからだろう。
ワルツのように軽やかに、優美に踊ることはできないかもしれない。しかしどれだけ格好がつかなくても、たとえはじめの足並みが揃わなくとも、ふたりで手をつなぎ、時折目配せをしながら、前を見据え、踏み出すことができるならば、きっと大丈夫だ。
この先、何度間違えても、私たちならば再び手をとりあって踊ることができる。いまならそう思える。