彼は失意を愛しすぎている
「――で。どこなんだ、ここは」
あれから数日後。領主たちとの闘いで負った傷も癒え、無事羽根も見つかったことだしと高麗国から次元移動した私たち5人と1匹だが――
「おっきい湖だねぇ」
「人の気配もないみたいですね」
「無人の国って、あるんだ……」
モコナにぺいっと吐き出されて不時着した先に広がっていたのは、霧に包まれた無人の森だった。霧はかなり濃く、森そのものがかなりの広さであるらしいのもあって目の前にいるメンバーと会話するのはともかく道先を見通すのはかなり難しい。夜になれば暗闇も手伝って視界は完全に閉ざされてしまうだろう。真面目に探索すれば家屋か住人でも見つけられるかもしれないが――なにせこの霧だ。獣にでも襲われたらひとたまりもない。長時間の滞在は危険だろう。
ぐるりと辺りを一度見回して、視界を正面に戻した先には大きな湖が広がっていた。何気なく覗きこんでみれば美しい水面に反して思いの外水深があるのが分かる。泳げない私じゃ溺れちゃうだろうなあ、などと思いながらじーっと水面を眺めていると「落ちちゃうよー」とそっとファイさんに肩を掴まれて引き戻された。
「あ、すみません」
「未侑ちゃん、泳げないんでしょ? 溺れたら大変だよー。……で、モコナ。どう? サクラちゃんの羽根の気配、するー?」
この世界に来てからずっと小狼君の頭の上に座っていたモコナにファイさんが視線を向けるが、彼女は訝しげに首を傾げたあと先ほどの私と同じように湖を見下ろす形で見つめて口を開いた。
「強い力は、感じる」
なんとも奥歯に物の挟まった言い方である。どうやら強い力そのものは感じても、それが羽根によるものだという確信はまだ持てないらしい。
「どこから?」
「この中」
小狼君の問いに、モコナは揺れる水面を指差して示した。……まさか、この水底にあるのだろうか?
「潜って探せってのかよ」
いかにもうんざりしたように顔をしかめたのは黒鋼さんだ。それにモコナはこっくりと無言で頷く。
「たしかに、元のカタチはただの羽根だから……。この世界に落ちてきたときに人間の手に渡らずにそのまま底に沈んじゃったって可能性もなくはないけど……」
いかにひとつひとつが強大な魔力を有していたとしても、高麗国のときのように姫以外の人間の手に渡って悪用されるか、正義君のときのように力を暴走させなければ何の変哲もないただの羽根だ。風に吹かれれば飛ばされるし、水底に沈んでしまうこともあるだろう。ここが本当に無人の世界で、羽根が存在するならありえない話ではない……かもしれない。
さて、仮に水底に羽根が沈んでいるとして。誰が探しに行くかという話になる。
「未侑ちゃんは……泳げないから、ダメだよねぇ」
「め、面目ない……」
そもそも泳げないので、今回私は完全に戦力外である。……いや、いつも戦力外なんだけど。
「未侑さんは、春香のときに姫を守っていただきましたから。魔法は、使うと体力を消費するんでしょう? ファイさんから聞きました。今は休んでてください」
私の謝罪をやんわりと笑顔で制したのは小狼君だ。「今度はおれが頑張りますから」との一言付きである。なんとできた子だろう。
「じゃ、じゃあせめて探索だけでも……」
まだ本調子でないサクラ姫とは違うのだ。何もせずにただぼーっとしているのは憚られる。
「じゃあ、オレと黒様、未侑ちゃんとモコナの3人と1匹で探索行ってくるかー。小狼君は、潜って羽根を探す?」
「はい」
当の小狼君は言われずともといった雰囲気で、話を振られずとも自分から湖に飛び込むつもりだったようだ。いつだったか元々は遺跡の発掘をライフワークにしていたという話をしていたし、こういうのはむしろ慣れているのかもしれない。
「待って!」
それを制したのは、こちらに着いてからずっと眠そうに目をこすっていたサクラ姫だった。
「わたしが、行きま……す……」
自分のことだから誰かに迷惑をかけてはいけない、自分でやらねば――といったところだろう。責任感の強い、いい子である。が、肉体の疲労には勝てなかったようでそのまま言い終えることもなく華奢な身体をふらつかせ、強制的に眠りに落ちてしまった。倒れそうになった小さな身体を、傍にいた黒鋼さんが受け止める。
「サクラ、寝てるー」
「春香ちゃんの所で、頑張ってずっと起きてたからねー」
「限界だったんだね……。休ませてあげましょうか」
4人と1匹で姫の寝顔を覗きこむ。彼女も知らぬうちに疲労が溜まっていたのだろう。無理をさせてしまったかもしれない。
荷物からいい感じに彼女の身体を冷やさずに済みそうなサイズのブランケットでもなかっただろうかと探していると、ファイさんが羽織っていた白いコートをそっとサクラ姫にかけてやっているのが視界に入った。
「ファイさん、寒くないですか?」
湖が近い上に一面霧に覆われているのも手伝って、この一帯はなかなかに肌寒い。私もたまたま持ってきていた学校指定のコートがなければちょっと風邪でもひいていたかもしれない。こういうときに旅行用の荷物があると助かる。
「んー、寒いのには慣れてるから」
「ご出身、北国なんです?」
「……うん。だから、これぐらいの寒さなら平気ー」
コートを脱いでさっきより薄着になったファイさんだが、たしかにまったく寒そうな感じは見受けられない。……一瞬、何か――あるいは誰かかもしれないが――を思い出したように寂しそうな顔をしたような気がしたが、あまり無闇に訊くものではないだろうと口を閉ざしておく。本人も笑っていることだし。
「おい、何やってんだ。さっさと行くぞ」
「あんまり離れると、はぐれちゃうよー!」
後ろから黒鋼さんと、彼の肩に乗っかる形でモコナが呼んでくる。……そうだ。湖の探索は小狼君に任せて、私たちは今できることを頑張らねば。
「行きましょうか、ファイさん」
「そうだねー」
はぐれちゃったら大変だもんね、とファイさんがいつもの笑顔で立ち上がる。任せたよ、と小狼君の肩を軽く叩いたファイさんは私を先導する形で先を行く黒鋼さんたちに合流していくが――、
水底に何か嫌な思い出でもあるのか、一瞬だけ彼の端整な顔立ちが歪む。……怒りではない。後悔とか、悲しみとか、そういう類のものであるような気がした。
「アシュラ王――」
呟くような名前には、あえて耳を閉ざした。……黒鋼さんのように彼の引いた一線を踏み込む勇気も遠慮のなさも、私には持ち合わせがなかったのだ。