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レプリカは笑った

「――サクラ姫!」

合流地点に戻って最初に視界に入ったのは、岸辺から湖を覗きこむようにして倒れているサクラ姫だった。小狼君はまだ湖の中に潜っているのか、彼の姿は見えない。まさかひとりの間に何かあったのかと嫌な想像が脳裏をよぎり、思わず彼女の傍に駆け寄って身体を抱き起こす。

「姫――」

「大丈夫、寝てるだけだよ。たぶんあのあと一度起きてから、また眠くなってその場で倒れちゃったんでしょう」

サクラ姫を挟む形で一緒に助け起こしたファイさんが彼女の脈を計り、そっと私に微笑みかける。たしかに、冷静になって姫を見てみれば胸は僅かだがしっかりと上下に揺れて呼吸を刻んでいるし、健やかに寝息を立てていた。顔色もちゃんと頬に赤みが差していて、急に具合が悪くなって倒れたとかそういう様子は見当たらない。

「良かった……」

ほっと小さく息をつく。

「優しいんだねぇ、未侑ちゃん」

「や、優しいっていうか……。やっぱり同性だし、色々気になって……」

ファイさんの言葉に思わず苦笑する。私は生まれてこのかたずっと一人娘だが、もし妹がいたらこんな感じなのかもしれないと思ったことはある。無意識に先輩風ならぬ姉貴風でも吹かしているのかもしれない。

「……さて、そろそろ小狼くんも帰ってくるかなぁ。濡れてるだろうし、冷えるといけないからオレは黒んぷと一緒に焚き火の準備でもしとくねー」

「だから黒鋼だっつーの!!」

「はいはい。ほら黒様、行くよー。未侑ちゃんとモコナは、サクラちゃんを看ててねー」

すっかりその場を仕切っているファイさんにモコナと揃って「はーい」と返事を返し、彼が姫にかけたコートを身体が冷えないようにと深く被せ直す。さすが北国出身というべきか、最近はファイさんのトレードマークになりつつある白いコートはかなりの防寒仕様になっているようで傍目にも暖かそうだ。たしかに、これを羽織っていればちょっとやそっとの寒さでは凍えたり体調を崩したりすることはないだろう。

一方の黒鋼さんはあくまでファイさんに正しい名前を呼ばせるつもりのようで、何度あだ名で呼ばれても訂正を入れるのを忘れない。それでもサボらずに律儀に薪を拾っているあたり、自分には関係ないとか言っておきながら根は結構なお人好しなのかもしれない。

「――あ、帰ってきた」

ファイさんが呟いたとおり、小狼君はそれからものの数分もしないうちに岸に上がってきた。何か収穫でもあったのか、その両腕でも持ちきれないほどの大きさの何か――鱗のようなものを抱えている。あれは何だろう。

と、一瞬モコナが何やら悪戯っ子のような顔を見せた……気がした。あれだ、さっきのファイさんと同じ表情である。

「あ、おかえりー小狼君。どうだっ――」

「小狼!! サクラが! サクラがぁ――!!」

「えっ」

隣でぴょんぴょん跳ねながら鬼気迫る表情で駆け寄ってくるモコナに、小狼君の表情が一気に張り詰める。何かあったのかと緊迫した面持ちで姫を膝枕している状態の私の方に駆け寄ってくるが――

「サクラが――よく寝てるの!」

一方のモコナは語尾にハートマークでもつきそうな愛らしさでネタばらし。どうやらモコナなりに小狼君へのドッキリ大作戦を敢行した結果らしい。一気に気が抜けた小狼君は、足を滑らせてずっこけてしまった。……なんか、漫才だなあ。

「驚いた!? 驚いた!? これもモコナ108の秘密技のひとつ、超演技力!!」

モコナはといえばドッキリが成功したのが余程嬉しかったらしく、小狼君の頭の上で花でも撒き散らす勢いで喜んでいる。

「あ、あんまりびっくりさせちゃだめだよモコナ……。……あ、大丈夫だよ小狼君。サクラ姫、本当に寝てるだけだから」

「ほ、本当に……?」

「うん」と頷くと小狼君はようやく安心したらしく、大きく息を吐いてその場に座り込んだ。……本当に、サクラ姫のことが好きで、大切なんだなあ。

確実に私より2つか3つは歳下だろう少年少女の甘酸っぱい恋模様に癒されていると、ファイさんがやや表情に苦笑を滲ませて口を開いた。

「ほんとにびっくりしたみたいだねぇ。……けどねぇ、きっとこれからもこんなこといっぱいあると思うよ」

その言葉にハッとしたように小狼君が顔を上げる。視線がかち合ったファイさんは、諭すように続けた。

「サクラちゃんが突然寝ちゃうなんてしょっちゅうだろうし、もっとすごいピンチがあるかもしれない。――でも、探すんでしょう? サクラちゃんの記憶を」

なら四六時中張り詰めてるのは良くない、肩の力を抜けとファイさんは笑う。

「だったらね、もっと気楽に行こうよー。――辛いことはね、いつも考えなくていいんだよ。忘れようとしたって、忘れられないんだから」

一瞬、何か辛い出来事を思い出すようにファイさんの表情が沈んだ。それこそ、忘れられない出来事を胸に刻みつけるように。

「君が笑ったり楽しんだりしたからって、責めるひとは誰もいないよ。喜ぶひとはいてもね」

「……」

その言葉を受けて、緊張していた小狼君の表情が柔らかさを取り戻す。……何か、サクラ姫との暖かな記憶でも思い出しているんだろうか。

「モコナ、小狼が笑ってると嬉しい!」

「私も嬉しいよ。せっかくなら、一緒に楽しい旅にできるといいよね」

「勿論オレも。あ、黒ぴんもだよねー」

「俺に振るな」

ぷいっとそっぽを向いてしまった黒鋼さんをつんつんと小突く。

「またまた、そんなこと言ってー。黒鋼さんってば素直じゃな――あだだだだだ」

「うるっせぇんだよ、この馬鹿娘!!」

せっかく場の雰囲気を盛り上げようとしたのに失敗してしまったようだ。黒鋼さんに頭を鷲掴みにされるが……これ結構痛いな!?

「……ん」

そうやって馬鹿騒ぎしている間に、膝の上で寝息を立てていたサクラ姫が目を覚ます。まだ意識が覚醒しきっていないのか、その瞳はどことなく虚ろだ。

「目、覚めたー?」

「岸辺で眠ったまま倒れてたんですよ」

小狼君のそれとはまた色合いの違う柔らかな栗毛を撫でる。……しかし、よくよく考えたら結構危ない状態だったのかもしれない。あのまま眠った状態で湖の中に落ちていたら大変である。サクラ姫が住んでいた国は砂漠の真ん中に位置していたと聞くし、となると大きな海や河川はそうそうお目にかかれなかっただろう。もし水中にずり落ちてしまったら泳げていたかどうかはかなり怪しい。

私とファイさんの言葉で眠る前のことを思い出したのか、サクラ姫はガバッと擬音がつきそうな勢いで起き上がり、慌てて辺りを見回した。

「小狼君! 小狼君が湖に!!」

「……落っこちちゃったの?」と隣で呆然とサクラ姫を見上げている小狼君を突っついて尋ねるが、彼は苦笑して首を横に振った。

「いえ、本当に潜って羽根を探してるだけだったんですが……。心配させてしまったみたいです」

相当焦っていたのか心配していたのか――おそらく後者だろう――、サクラ姫は私たちが止める間もなく着の身着のままで湖に飛び込もうとする。明らかに小狼君は視界に入っていない。

「ここにいます!!」

このままではうっかりで入水自殺でもされかねないと焦ったのか、小狼君が慌てて姫の肩を掴んで彼女を止める。……いやぁ良かった、間一髪だ。

その後、なんとか3人と1匹――黒鋼さんはその間ひたすら黙々と薪を集めて火を起こし、焚き火の準備をしていた――で姫を宥め賺し、やっと落ち着いた頃にはやや日が暮れかけていた。

5人と1匹で焚き火に当たる。暖かな炎が功を奏したのか小狼君の服ももう少し待てば乾きそうだ。これならすぐにでも次の国に移動できそうである。黒鋼さんが用意してくれた焚き火以外に光源がない今、ここに長い間滞在するのは危険度が高い。

しかし、こうやって5人と1匹がきちんと顔を合わせたのは何気に初めてかもしれない。阪神共和国でのサクラ姫は意識が朦朧としていてとても話が通じるような状態ではなかったし、高麗国では着いてすぐ領主の件に巻き込まれてしまって、結局全員でこうしてゆっくり話す時間はとれなかった。それを考えると、もう少しこのままでもいいかもしれない。……まぁ小狼君は身支度で忙しく、黒鋼さんは最初から誰とも話す気がないようで無言を貫き、私はといえば話題が見つからずに若干、というか結構気まずい思いをしているのだが。

結局誰も口を開かないまま時間が無為に流れていくかと思いきや、ファイさんが何気なく話しはじめたことで沈黙は破られた。

「――あのね、サクラちゃん。これからどんな旅になるか分かんないけどさぁ。…記憶が揃ってなくて不安だと思うけど、楽しい旅になるといいよね。――せっかくこうやって出会えたんだしさ」

ファイさんが私たちひとりひとりに視線を寄越し、最後ににこりとサクラ姫に笑いかける。姫を安心させようという彼なりの心配りなのだろう。……ファイさんは、いつも優しい。

「はい。まだよく分からないことばかりで、足手纏いになってしまうけど――でも、できることは一所懸命やります。よろしくお願いします」

立ち上がったサクラ姫が深々と頭を下げる。

「大丈夫ですよ、姫。たぶん私が今いちばん足手纏いです」

「だな」

……黒鋼さん、真顔で即答しないでくれませんか……。

「そういえば湖の中、大丈夫だったー?」

改めての顔合わせが済んだところで、ファイさんがふと思い出したように小狼君に尋ねた。そういえば戻ってくるときにかなり湖の辺りが光っていたが、あれは何だったのだろうか。ちょうど潜っていた小狼君なら分かるかもしれない。彼が獲ってきた、あの巨大な鱗のような物体も気になる。

それで何かを思い出したのか、小狼君の表情が歳相応のあどけないものに変わる。興奮したように小狼君は湖を指差し、突拍子もないことを言いだした。

「――街があったんです!」

え、と4人揃って首を傾げる。いつの間にか私の頭の上に移動してきていたモコナもどことなく訝しげな表情だ。

小狼君の話によるとどうやらこの湖、底にはちょうど模型ほどのサイズの小さな街が存在しているらしい。そこでは更に小さな小人サイズの人間たちが普通の人々と同じように生活をしており、動物や植物もそこに存在し、生を謳歌しているんだとか。……水中でどうやって息をしてるんだという疑問は残るが。世の中は未知で溢れている。

小狼君が獲ってきた鱗はこの湖の中を泳いでいた巨大な魚のもので、どうやら街の人々にとってはその魚が太陽の代わりになっているらしい。たしかに、きらきらと黄金に輝く鱗はどことなく太陽の光を連想させる。

「なるほどー。この国の人たちは、湖の中にいるんだね」

感心したようにファイさんが鱗を覗きこむ。隣で同じように鱗をまじまじと見つめている黒鋼さんもここまで大きいものは見たことがないのか、どことなく興味深げな様子だ。

しかし、ということは――、

「強い力、このウロコから出てる力と同じ」

私の頭の上から鱗を覗きこんでいたモコナが、呟くように言った。

そう、海底に人口がほぼ密集しているということは、つまりこの国の陸地は完全に無人。モコナの言う強い力≠ェ姫の羽根ではなくこの鱗から放たれているということは、これ以上の手がかりは存在しないということになる。

「ないってことかー」

「うん」

「無駄足かよ」

徒労だった、働いて損したと言わんばかりに黒鋼さんが大きく欠伸して切って捨てた。それでも、どことなく小狼君は嬉しそうだ。

「でも小狼君、楽しそう」

サクラ姫の言葉に、小狼君はあどけない表情で笑いかけた。

「まだ知らなかった不思議なものを、この目で見られましたから」

ゴーグルを片手に満足げに笑う彼の顔には、さっきまでの張り詰めた雰囲気は見当たらない。良かった、ファイさんのおかげかだいぶリラックスしてきたようだ。

「たしか、遺跡の発掘が好きなんだっけ?」

「はい。将来は父のような立派な考古学者になりたいんです」

私に将来の夢を語る小狼君の顔はきらきらしていて、私の知らない彼の父親への尊敬や考古学への夢に溢れている。

……いつになるか分からないけれど、この旅が終わったら彼の夢が叶うといい。将来の希望について生き生きしながら語る彼を見て、強くそう思った。

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