カウントダウンは始まった
耳鳴りに似た甲高い音と共に、空が割れる。……比喩でも冗談でもなく、本当に空が割れていた。「何あれ」と呟いて我が目を疑いつつも、心の中のどこか冷静な部分はすっかり今の状況を受け入れている。
縁側から外に出て、侑子さんと一緒に店≠フ前で待機する。見計らったかのようなタイミングで空が下方に膨張し、繭が割れるようにして中から現れたのは一組の少年と少女だった。ぱっと見の年齢は私よりふたつかみっつ下というところか。……この子たちも侑子さんの言う異世界からやって来た人間なのだろうか。そうなんだろうな、明らかに服装とか違うし。
「あなたが……次元の魔女ですか!?」
「そうとも呼ばれているわね」
切迫した表情で誰何の問いを投げるのは、ボロボロの外套を纏った男の子だった。外套だけではなく全身擦り傷や切り傷であちこち血が滲んでおり、一目で尋常ではない状態でこちらに転移してきたことが分かる。
もうひとりの女の子の方は豪奢な服を纏い、男の子に抱えられた状態で身動ぎひとつしていない。傷ひとつ負っていないのは、ひょっとして今まで彼が彼女を守っていたからなのだろうか。遠目には眠っているように見えるが、よく見てみれば顔色は紙のように真っ白だし、全体的に生気というか、生きている感じが全くしない。あれではまるで死人か出来のいい人形だ。
「さくらを、助けてください!」
一も二もなく少年は簡潔に願いを口にした。素人目にもあの少女――サクラ、というらしい――が危機的な状態に陥っていることは分かるが、やはりただごとではないのか。
「この子は
「はい」
「あなたは?」
「小狼です」
ゆっくりとふたりの傍に歩み寄ってきた侑子さんは、そっとサクラと呼ばれた女の子の額に指を当てた。……何してるんだろう。
「この子は、大切なものを失ったのね」
「……はい」
肯定する彼の声には隠しきれない無念と悲しみが宿っている。やりきれなさそうな視線と声音は多くを語らずとも、いかに彼女が大切な存在なのかを察するには充分に過ぎた。
「……そして、それは色んな世界に飛び散ってしまった。――このままでは、この子は死ぬわ」
侑子さんの宣告は先程までの茶目っ気が嘘のように鳴りを潜めた冷徹とも取れるもので、簡潔な事実を述べたものであるだけにそこに一切嘘や誇張のようなものは感じられない。無情にも思える言葉に、細い身体を抱きしめる力が強くなるのが分かる。
「四月一日、宝物庫に行ってきて。取ってきて欲しいものがあるの。未侑、あなたもこちらに来なさい」
はい、と返事を返した学ランの少年――四月一日君、でいいのだろうか――は廊下を慌ただしく駆けていった。私も侑子さんに呼ばれ、屋根の下から出る。……こうして間近で見ると、ほんとに濡れてないな侑子さん。どうなってんだこのひと。
「その子を助けたい?」
「はい!」
「対価が要るわ。それでも?」
「おれにできることなら!」
はっきりと侑子さんの目を見据え、彼は答えた。……根が誠実で真面目なんだろう。覚悟の決まった人間の顔とはこういうものなのかもしれない。
「未侑。旅に加わるなら、あなたからも対価を受け取ることになるわ。あなたはどうする?」
「どうするって……私、元の世界に戻らないと困るんです。そのために私を呼んだひとに会わなきゃいけないなら、最初から選択権とかないようなものじゃないですか」
何が目的で私を呼んだのかは知らないが、こっちだって学校とか生活とか色々あるのだ。帰してもらうついでに文句のひとつでも言ってやらねば気が済まない。
「それは、旅に加わるということ?」
「――はい」
正直不安だし分からないことだらけだが、ここまで来たら腹を括らねばなるまい。首を縦に振ると侑子さんは静かに笑い、次いで「……来たわね」と呟いて空を振り仰いだ。待って、また来るの。
再び空間が歪み、同時に黒と白のふたつの人影が現れる。黒いひとつは侑子さんの前に――白いもうひとつは、私の隣に。
黒い方は大柄な男性だった。どことなく戦国時代の武士を彷彿とさせる物々しい衣装を身に纏い、腰には日本刀のようなものを佩いている。一目で鍛え上げているのが分かる筋肉質な体型と長身のせいで年長に見えるが、顔立ちは意外と若かった。ひょっとしてまだ成人してもいないのかもしれない。ツンツン立った黒髪といい、ギラギラと光る紅い瞳といい、見るものにどことなく野生の獣を連想させる。
もう一方、私の隣に降り立った白い人影は黒い青年とは対になるように細い身体つきの華奢な青年だった。青い紋章が刺繍された厚手の白いローブを身に纏い、右手にはアニメやゲームでしかお目にかかれないようなデザインの杖を携えている。流れるような金髪は雨に濡れて艶やかな光沢を描き、神秘的な蒼い瞳は宝石のようで、どことなく貴公子然とした雰囲気を漂わせていた。歳の頃は黒装束の青年と同じか、少し上といったところか。見た限りでは、ふたりの間にそこまで外見的な年齢差があるようには思えなかった。
「あなたが次元の魔女ですかー?」
「てめぇ誰だ?」
全く同時に発せられた質問は正反対の内容で、こんな状況でもなければうっかり失笑でもするところなのだろうが、間に挟まれた状態の私は正直生きた心地がしなかった。やめてください睨まないでください、私何もしてないよ主に黒い方のひと。
半泣きで縋るように侑子さんに助けを求めようと視線を移す途中、白い方のひとと目が合う。
「……」
へにゃ、と笑われた。安心させるためだったのか、少し気が楽になる。……いや、苦笑されたのかもしれない。
「先に名乗りなさいな」
視線だけで射殺できそうな勢いでこちらを睨んでくる黒い方の青年と、狼狽する私を見かねたのか侑子さんが話を促す。先に答えたのは黒い方のひとだった。
「俺ぁ黒鋼。つか、ここどこだよ」
黒鋼と名乗った青年は店≠囲むように建ち並んでいる高層ビル群が珍しいのか、この雨にも関わらず訝しげな表情を浮かべながら頭上に聳えるビル群を眺めている。
「日本よ」
「ああ? 俺がいた国も日本だぜ」
「それとは違う日本」
「わけ分かんねえぞ」
「また日本っすか」
日本国のバーゲンセールか、このメンバーは。
さっぱりだと言わんばかりの表情の黒鋼さんは、面倒になったのか考えることを放棄したらしい。何やら文句らしきものをぼやきながら、すっかりこちらから意識を逸らしてしまった。これ以上の理解は得られないと判断したのか、侑子さんは続いて白いローブを纏った方の青年に視線を寄越す。
「あなたは……」
「セレス国の
ファイと名乗った青年はすっと一礼し、間延びした穏やかな声で名乗りをあげた。なんだかいちいち仕種が優雅だし、素人目にも洗練されている感じがする。ひょっとしたら誰か偉いひとにでも仕えていたのかもしれない。
「ここがどこだか知ってる?」
「えー、相応の対価を払えば願いを叶えてくれる場所だと」
やはりここが願いを叶える店だという謳い文句は本当の話だったらしい。それに「その通りよ」と頷いた侑子さんは、ふたりにそれぞれの願いを告げるよう促した。
「元いたところに今すぐ帰せ」
「元いたところにだけは帰りたくありません」
「……えーと」
ダメだ、やっぱり笑いそうだ。
……しかし、なるほど。要はここにいる4人の願いは根本的に同じものなのか。
小狼君は、彼女の記憶の欠片を集め、助けるためにさまざまな次元を渡りたい。
黒鋼さんは、元いた世界に今すぐにでも帰りたい。
ファイさんは、元いた世界には絶対帰りたくない。
私は、私を召喚した人間を探すために別の次元を探し歩きたい。
目的は異なるが手段は同じ。要は違う次元、違う世界に行きたいのだ。
「ひとりずつではその願い叶えることはできないけれど、4人一緒ならひとつの願いに4人分の対価ってことでOKしてもいいわ」
つまり、ここにいる4人――今眠っている子も含めれば5人になるが――で即席のパーティーメンバーを組んで行動しろということか。いよいよRPGじみてきた。……私闘えないけど。
交渉の結果、それぞれの対価は黒鋼さんが腰に佩いていた日本刀の銀竜、ファイさんが背中の刺青、小狼君が彼女――サクラ姫との関係性ということになった。つまり、たとえ彼が記憶の欠片を全て集めきったとしても姫の過去の記憶の中に彼はいない。永遠に「旅の途中で知り合った優しい仲間」のままなのだ。
ちなみに、異世界への旅はランダムでモコナなる生き物が連れていってくれるのだとか。侑子さんの掌の上にちょこんと乗っている姿がなんとも愛らしく、庇護欲をそそられる。傍目にはウサギのようにも見える姿は随分とミニマムで、私の掌の上に乗せてもまだそれなりに余裕がありそうだ。
――そして、私は。
「未侑、あなたの対価はそれよ」
「それって……これですか?」
ブレザーの胸ポケットを指差され、ごそごそと中身を取り出す。中には紫色のお守りと学生証が入っていた。旅行前にお母さんがくれたもので、安全祈願の刺繍が刻まれた袋の中には、小さく折り畳んだ家族写真が入っている。
「そう、そのお守りと学生証」
「……家族の命を貰いますとか言われるかと思いました」
「そんなことしないわよ。――ひとの命は重いもの。どんな人間であっても、他人の一存で勝手に殺したり蘇らせたり、そんな風に安易に生殺与奪を決められるものではないわ」
「……っ」
気のせいだろうか。一瞬ファイさんが目を逸らし、気まずそうな表情で俯いたような気がした。
「……なんか、私だけ軽い感じですけど。いいんですか?」
「あら、もっと重いものがいい?」
「結構です、やっぱこれでお願いします!」
ニヤリと悪巧みをしている最中の子供のような表情をされ、慌てて前言を撤回する。冗談じゃない。身ぐるみ剥がされるとか、これ以上重い対価を要求されたら払いきれる自信がない。
異世界への旅は危険なものだと、侑子さんは諭すように話す。しかしその口調に私たちを咎めるような響きはなく、むしろこちらの覚悟を試しているような雰囲気でさえあった。
「でも決心は揺るがない……のね」
「……はい」
こくりと小狼君は頷いた。
「未侑、あなたもよ」
「え、私ですか!?」
いきなり話を振られ、慌てて振り返る。ここでなぜ私に矛先が。
「だってあなた、この中でいちばん足引っ張りそうじゃない。心配よ、あたし」
「うぐっ……」
それは、そうだが。
だって小狼君は目に見えて賢そうだし、黒鋼さんはもう容姿からして腕っ節強いオーラ全開だし、ファイさんもウィザードとか名乗るからには魔法とか使えるんだろう。今眠っているサクラ姫だってもう姫姫言われてる呼称からして高貴な身分のお方ですって感じが半端じゃない。この中でいちばんレベル低い雑魚キャラで、足引っ張りそうなのは文句なく私だ。
「……それでも、なんとか頑張ります。帰りたいんで」
「いい覚悟だわ」
不敵な笑みが正面から私を見据えてくる。気圧されそうだ。それでも――、
それでも、雑魚には雑魚なりの意地がある。きっとできることがある筈だ。
――このときは、そう思っていた。このときは、まだ。