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足跡残してさようなら

2階にある寝室の窓から、降りしきる雪を見つめる。視線を地上に下ろせば、解放された子供たちが銘々に家族の待つ我が家へと駆けていくのが目にとまる。先日まで町を覆っていた鬱々とした空気は嘘のように消え去り、今では町中が歓喜の渦に包まれていた。

「皆、嬉しそう!」

器用に窓枠に乗っかって町の人々を見ているモコナの表情も心なしか嬉しそうだ。そういえば、心優しい彼女は、子供たちの行方を探しているときも何かにつけて行方不明になった子供たちやその家族のことを我がことのように案じていた。……あるいは私たちの中でも町の子供たちと精神年齢が近い分、彼らに特別共感していたのかもしれない。

「カイル先生は、子供たちを傷付けたりはしなかったみたいだからねぇ」

「羽根を掘り出すための労働力だからな。わざわざ怪我させたりはしねぇだろ」

ファイさんと黒鋼さんの指摘どおり、たしかに子供たちの表情には疲労が色濃く見られるが、それ以外に何か怪我をしていたり病に罹っているような様子は見受けられない。カイル先生は子供たちを労働力として酷使はしていたが、不必要に狼藉を働いたり、むやみに管理を怠ったりするようなことはしなかったらしい。まあたしかに、羽根を発掘するための手足代わりとして子供たちを拐ったというのにその手足を使えなくしてしまっては本末転倒だ。元は医者だったのだし、子供たちの健康には特別気を遣っていたのだろう。本性を知ったあとでは小狡く聞こえる話でもあるが、欲に目が眩んでいただけで、ひょっとしたらあれで根は結構な善人だったのかもしれない。

「しかし、カイル先生が催眠術を使ってたとはねぇ」

本人の自白どおり、やはりカイル先生は往診と銘打って狙いを定めた子供たちの家に赴き、その際にカウンセリングという名目で子供たちに催眠術をかけていたらしい。

トリガーは雪の日の夜=B大人たちの監視が手薄になる夜であり、城への足跡を辿れないほどに深い雪が積もることをトリガーに子供たちに城への道標の代わりとなる黒い鳥の幻影を見せ、彼らを城へ誘っていたらしい。さすがに、そこに本物の幽霊であるエメロード姫が交ざっていたのは彼も想定外だったようだが。

どうやらエメロード姫は城へと向かう道すがらも子供たちがむやみに負傷しないように見守っていたらしい。奴隷のような扱いを受けていたにも関わらず拐われた子供たちがひとりも欠けることなく戻ってきたのは、間違いなく彼女の尽力あってのことだろう。町が恐れていた伝説そのものに子供たちは救われたのである。

あれからのことを説明すると――恥ずかしいことに、小狼君たちが城に辿り着いたときの私はサクラちゃん諸共生命の危機に晒されたことでひどい恐慌状態に陥っていたらしい。とても理性的に話が通じる様子ではなかったのでファイさんの手で意識を落とされた私はそのまま担がれて荷物よろしく城の外に運ばれ、こうして今は主のいない診療所――仮の拠点に戻ってきた次第である。隣で眠っているサクラちゃんも無事に羽根を取り戻したらしい。今は羽根キオクの同期のために深い眠りに就いているが――ほどなく目を覚ますだろう。実はかくいう私もつい先ほど目を覚ましたところで、今は怪我をした小狼君に湿布を貼ったり包帯を巻いたりと、せっせと彼の手当てに勤しんでいた。

――で、カイル先生はというと。

……死んだ、らしい。断定できないのは、誰も死体を見ていないからだ。脱出の途中、老朽化と短期間に一気に人の手が入ったことによる衝撃に耐えきれなかった城はエメロード姫の忠告どおり崩れはじめてしまった。カイル先生はその崩壊に巻き込まれてしまって、それきり誰も姿を見ていない。事件から数日間経った現在も自警団や有志の町人たちの手で瓦礫の山と化した城を掘り起こす作業が進んでいるが、グロサム氏曰くそれらしい死体が見つかったという報告は未だにないようだ。

ただ、城そのものの崩壊が激しい上に、脱出の際に城の周囲を取り囲んでいた川の水もかなりの勢いで流れ込んできていたことから、よしんばあの瓦礫の豪雨の中を脱出できていたとしても濁流に呑まれてしまっているだろうからまず生存の線はないだろうとのことだった。……正直、それが誰にとっても幸せかもしれない。町の人々も彼のことは思い出したくないだろうし、遺体だって、見つかったとしても町を混乱に陥れた戦犯として町外れに打ち棄てられてそれっきりなんてオチが関の山だ。

「でも、未侑ちゃんとサクラちゃんが見たっていうエメロード姫≠ヘ何だったんだろ? 先生、ふたりにも催眠術かけてた?」

にわかには信じがたい話だが――やはりあれはエメロード姫の幽霊……というよりは、残留思念のようなものだったのではないかと思う。なぜ私にも視えたのかは分からないが、現に私とサクラちゃん以外の人間に彼女が視認できていたような素振りは見受けられなかったのだし。

訝しげに首を傾げるファイさんに答えたのは小狼君だった。

「未侑さんは分かりませんが……おれが見た限りでは、姫にはそんな様子はなかったと思いますよ」

何か不審な行為を受けた記憶はあるか、と視線で問いかけてくる小狼君に私も首を横に振る。聞き取りの結果帰ってきた子供たちは口々にカイル先生に催眠術と思しき行為を受けた記憶があると話しているが、私にはそんな記憶はない。今回の私はほとんどサクラちゃんと一緒に行動していたから難を逃れたというのもあるかもしれないな、と思いを馳せた。

「じゃあ、羽根の力ー?」

「それだったら、モコナが分かったと思う」

ぴょんっとファイさんの掌の上に跳び移ったモコナも、難しげな表情で腕を組みながら唸っている。

「……サクラ姫と未侑さんが見たのは、エメロード姫のスピリットのようなものなのかもしれません」

暫く考え込んでから、小狼君は口を開いた。

スピリット……」

思わず口に出して呟く。この町の地名にもなっている単語だ。エメロード姫の件といい、ひょっとしたらこの町はその名のとおり霊的な現象に縁のある地域なのかもしれない。

小狼君曰く、サクラちゃんは小さい頃から死んだ筈のひとや生き物を視たり、また、彼らと会話したりすることで意思の疎通を図ることができたそうだ。昔は何もない筈の虚空に向かって親しげに話しかけている光景を目撃するなど日常茶飯事で、しかしそれも年を経るごとに鳴りを潜めていっていたようだが――今回の一件を鑑みるに、彼女の超常の人々や現象と心を通わせる≠ニいう能力そのものが喪われたわけではなかったらしい。

「玖楼国の人って、皆そうなのー?」

「いいえ。おれが知る限り、今は神官様とサクラ姫だけです」

玖楼国において神官とは守る者≠セ。彼ら彼女らは総じて先天的に死者と語り、未来を予見するという能力を持つ。サクラちゃんは王位継承者だが、彼女に闘う力はない。代わりに彼女の欠落を補うようにお兄さんが闘う者=\―武人としての力を有し、王位に就いて玖楼国を治めているらしい。現在は王を補佐する形でサクラちゃんとは別に霊視能力を持つ神官様が神官の職に就いているが、サクラちゃんが成人した暁には退位して彼女に神職を譲り、兄妹で国を統治する予定だったそうだ。

霊視や未来予知といった力は、神官にのみ許される特殊な能力だ。だからおれだけじゃなくて、玖楼国の国民たちにもそういった力はないと思います、と小狼君は締めくくった。

「未侑ちゃんはー?」

「わ、私も旅に出るまでそういうのとは縁がなかったんですけど……」

――こういうのって、突然視えるようになるものなのだろうか……。

訝しげに首を傾げている私と一緒に、モコナやファイさんも揃って首を傾げている。こういうのは詳しいかと思ったのだが、どうやらふたりとも専門外らしい。

「黒るーは?」

「んなもん視えねぇ」

……たしかに、黒鋼さんはそういうセンシティブな能力とは無縁そうだ。

「うーん、オレもそっちの力はないなぁ」

いかにも納得がいったように頷くファイさんにすら、霊視や未来視は不可能らしい。魔術師ウィザードと聞くといかにも特別な職業であるように思えるが、どうやら魔術師であることと特殊な能力を持っていることはイコールではないらしい。それだけ霊視や未来視といった能力は特別なものなのだろう。

「幽霊だったら、モコナ、視えないし感じない」

ファイさんの肩にちょこんと乗っているモコナも首を振って否定する。……おや、いかにもって感じだったのだけど。

「幽霊とか視えるのは、黒くて青いお耳飾りのモコナなの」

「なんかいたな、黒い饅頭みたいなのが」

「ああ、そーいやいましたね……」

どことなく自慢げに話すモコナの言葉で、朧気ながらも思い出す。侑子さんの店≠ノはじめて来たときのことだ。学生服の少年に連れ出されてきたモコナの傍らには、たしかに彼女と色違いの黒いモコナがいた。一度黒鋼さんがその黒い方のモコナを使ってひとりで次元移動させろとせがんだが、黒い方のモコナには次元移動の能力はないからと侑子さんに断られていたのだったか。

「役に立たねぇな、白饅頭は」

「モコナ、頑張ったもん! 大活躍だったもん!!」

心ない一言にむっとしたらしいモコナと、いつもモコナにいいようにからかわれている雪辱を果たしたい黒鋼さんの間で何やら争いが勃発している。……まぁ、この程度なら微笑ましいレベルだろう。

改めて階下に視線を下ろす。地上には、たくさんの家族たちの喜びが溢れていた。この歓喜はしばらく収まらないだろう。町に元の活気が戻ってきたのだ。

――家族、か。

やはり、おかしい。

自分の両親――家族のことを思い出そうとすると、頭が痛くなってそれ以上思い出せなくなる。思い出に霞がかかって、霧の中にいるようだ。これまでの記憶だけではない。両親の名前は何だったのか、どんな顔をしていたのか。何十年も会っていない他人を無理矢理思い出すような感覚に似ている。

実際にどれだけの時間が経っているかはともかく、私の体感時間では旅に出てから今まではほんの数日だ。それだけの日数で、誰かを――況してや、十数年も一緒にいた家族を思い出すことができなくなるなんて明らかに変だ。

「未侑ちゃん、大丈夫? ……何かあった?」

モコナと黒鋼さんの賑やかな喧騒をBGMに考え込んでいると、何かを察したのかファイさんが後ろから小声で話しかけてきた。

「……あ、いえ……」

……少し逡巡する。しかし、自分でもよく分かっていないことを誰かに相談するというのもなんだかおかしな話だ。

――ファイさんに心配をかけるのも申し訳ないし、今度さりげなく侑子さんにでも訊いてみよう。

「――大丈夫です。何でもありません」

「……そう? ならいいんだけどー。無理しちゃダメだよー」

一瞬訝しむように眉を寄せたファイさんだが、あまり無理に突っ込むものではないと察したらしい。すぐにいつもどおりの笑顔をつくり、励ますように私の肩を軽く叩いたあと、黒鋼さんを相手にからかっているモコナに加わっていってしまった。

――かえって気を遣わせちゃったかな……。

こういうとき、どう話せばいいのか。我ながらそれなりに打ち解けてきたと思っていたが、歳上のひとということもあってか、胸襟を開いて語り合うというところまではまだまだのようだ。

仕方ないかな、と溜息をついていると、サクラちゃんが寝ているベッドの上にぽすっと着地したモコナが何かに気付いたように顔を上げた。

「サクラが起きたー!」

「大丈夫ですか!?」

いの一番に駆けつけたのは小狼君だ。サクラちゃんに負担がかからないよう、寄り添うようにしてそっと彼女の上半身を起こしている。

「……サクラちゃん?」

記憶が混濁して意識が飛びがちになっているのかと思ったが、よく見てみるといつもと様子が違う。心配になってそっと彼女を覗き込んでみれば、むしろ阪神共和国や高麗国のときよりもずっと自我がはっきりしているように見えた。ただ、いつもなら無垢な優しさやひたむきさに溢れている翡翠の瞳が、今は不安と不信に揺らいでいる。……何か、嫌なことでも思い出してしまったのだろうか。

「ずっと……誰かが視てる……って、どういうこと……?」

「姫?」

小狼君が訝しげに瞳を瞬かせる。しかし、サクラちゃんの言葉は小狼君に向けたものというよりは自問する類のものだったらしく、しばらく何か考え込むように眉を寄せたあと勢い良く起き上がった。

「もう一度、エメロード姫に会わなきゃ……!」

何かに駆り立てられるようなサクラちゃんの後を追い、揃って転ぶように診療所を出る。新雪に点々と残るサクラちゃんの足跡は、たしかにかつての古城へと向かっていた。



「……だめ。エメロード姫……どこにもいない……」

既に瓦礫の山と化した古城には、私たち5人と1匹以外人影らしきものは見当たらなかった。ただ、土塊と化したかつての王城を囲むようにして今も流れる川の濁流だけが耳に響いている。

「前に、侑子言ってた。心配なことがなくなったら、霊はどこかに行くんだって」

「成仏するってことか」

納得したように呟く黒鋼さんに同意するように、私も頷く。侑子さんは幼いモコナにも分かりやすいようにそう表現したのだろうが、概ねその解釈で間違っていないだろう。

「あれ、意外。黒鋼さん、死後の世界とかそういうの信じてるんですか?」

「馬鹿、違ぇよ。人間は死ねばそれで終わりだ。俺個人はそう思っているが――事実として、そういう理屈じゃ説明のつかねぇことも世の中にはあるからな」

死者を弔うのも、墓をつくるのも、端的に言えば生者の感傷だ。もっと乱暴に言ってしまえばエゴに過ぎない。人間は死んでしまえばそれまでだ。故人の想いを生者が推し量ることなどできない。――それでも、その感傷こそが人間の人間たる所以ではないだろうか。

「よっぽど子供たちのことが心配だったんだねぇ、金の髪のお姫さま」

エメロード姫の魂を慰めるようにファイさんが目を瞑り、小さく十字を切る。魔術師というだけあって、魂や精神といった形のないものに対して人一倍敬意を払っているようだ。

「けど、エメロード姫が教えてくれた誰かがずっと視ている≠チていうのはどういう意味なんだろー」

成仏する間際、エメロード姫がサクラちゃんに言い残した言葉。

「気を付けて。――誰かがずっと、あなたたちを視ている」

その真意を確かめるべくこうして再度城を訪れたのだが、このとおり藻抜けの殻どころか城そのものが既に崩れ去っていて、しかも肝心の姫はもう未練がなくなって成仏してしまった。結局、彼女が言っていた誰か≠ェ誰なのかは分からないままだ。

……いや、仮にエメロード姫と会うことができたとして、彼女に件の誰か≠ノついて問うたとしても徒労に終わっただろう。エメロード姫は、あくまでスピリットの子供たちを助けてくれたお礼として、サクラちゃんに私たちを視ているという第三者の存在を教えてくれたのだ。それ以上の情報を姫が知っているとは思えない。

「もうひとつ、分からなかったことがあるんです。カイル先生は、どうしてあの城の地下に羽根があると知ったんでしょう」

「本にあったとかじゃねぇのか」

「グロサムさんに聞きました。羽根が、エメロード姫の亡くなった後どこにあるか書かれた本はないそうです。それに、そんな伝承もないと」

「それは……おかしいね」

そもそも羽根についての情報そのものがこの世界くにに存在していないとしたら、カイル先生はどこから――あるいは誰から――サクラちゃんの羽根について知ったというのだろうか。彼が去った今、真実を確かめる術はないが……エメロード姫が言っていた誰か≠ニいい、この旅に一枚噛んでいる第三者が存在しているのはたしかなようだ。言い様のない不安に、私たちを取り巻く空気もいつもより重くなる。

「この旅にちょっかいかけてるのがいるってことかー」

「――誰か≠ェ」

険しい眼差しで背後を振り返る小狼君だが、後ろには降り積もったばかりの真新しい雪に私たちの足跡が残るだけだ。

「誰か、かぁ……」

……それはひょっとしたら、私を喚んだひとなのかもしれない。

――なんだか、きな臭くなってきたなぁ。

なんとなく不安になって、無言で雪を降らし続ける曇り空を見つめる。枯れ木たちが風に揺られてざわめく音がどことなく不吉を運んでくるようで、無性に耳を塞ぎたくなった。

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