image

侘びて死ね

意識が唐突に覚醒する。閉じた目蓋から広がっていた黒がだんだんと消えて、ちかちかと信号機みたいに点滅する視界が視覚情報として今の状況を私の脳に伝えてくる。

「あー……っと……?」

軽く混乱する。どうにか動くべく上半身を起こそうとして――違和感、疑問を感じる。それらは混ざり合い、ひとつのの大きな違和感へと繋がった。……感じるのは両脚への違和感だった。

そこにある筈のないものが存在している。

脚は鉄の鎖で繋がれていた。木製の古いものだがベッドのフットボードに巻きつけるようにして鎖が繋がっており、フットボードごと壊さなければ移動は難しいだろう。

そこは知らない空間だった。施錠がしてあることから、一見して牢屋のように思える。といっても虜囚のためというにはやや広く、かなり老朽化しているがベッドや机など最低限の生活用品は揃っていた。私が繋がれているベッドのほかにもいくつか同じようなものが並んでいるし、見える棚には――文字は読めないが――古びた本が何冊か並んでいる。捕虜や囚人を捕らえておくための場所としてはやや文明的というか、便利にすぎるように思えた。捕らえておくというよりは、中に入れた人間を集団で生活させることが目的のように感じる。

――何も悪いことをした覚えはないんだけどなぁ。

いや、そもそもなんでこんな所にいるのか。目を閉じて思い出そうとしてみる。

思い浮かぶ最後の光景は――そう、サクラちゃんだ。彼女が金髪の姫を見たと言ってその後を追い、私も慌てて続こうとしたところで後ろから何者かに襲われ……意識を失ったのだろう。それから先の記憶はない。移動の際に手荒く扱われたのか、身体の節々が鈍く痛むが――特に問題はない。どうせまたすぐに治るだろう。……どんな怪我をしてもすぐに治ると分かってからこっち、結構自分の身体をぞんざいに扱うようになってきた気がする。

「……ここ、昼間のお城かなあ」

扉につけてある割れた窓越しに金髪の姫の肖像画が見えるから、たぶんそうなのだろう。だが、城への出入りはあの川に阻まれてほとんど不可能に近かった筈だ。犯人はいったいどうやって城への出入りを可能にしたのだろうか。いや、それよりも、

――早く出ないと。

難しいことを考えるのはあとだ。城内にサクラちゃんがいるのかどうかは分からないが、ここでぼーっとしながら待っていても何も始まらない。小狼君たちなら十中八九助けに来てはくれるだろうが、せめて迷惑をかけないようにせねば。

「えぇと、解錠解錠……」

どうすればいいんだっけ、と思い出す。解錠のための魔法はまだ習っていないが、純粋に鎖を壊す≠セけならできないこともない……かもしれない。

私の腕力では物理的にフットボードを破壊するには少々手間がかかるし、駄目元で魔法でやってみようと判断する。……まぁ、魔法と呼ぶにはあまりにも拙い力技だが。触媒になっている鎖は錆びていてかなり古いし、魔力衝撃を与えればすぐに壊れる筈だ。

「――destruction破壊

鎖に手を添えてそこから魔力を流し込む。セレス語で破壊を意味する単語を紡ぐと、上手くいったらしく鎖は音を立てて砕け散った。……よし、これなら。

割れた窓から覗きこんで一度確認してみる。外側からつっかえ棒で扉が固定してあり、手は届きそうになかった。……身を乗り出せば届かないこともないが、その場合割れた窓ガラスの先端が喉に刺さってかなり痛い思いをすることになる。

「……」

すぐに治るだろうができるだけ痛いのは御免被りたいので、ぼろぼろになっているベッドのシーツを破って輪をつくり、つっかえ棒に引っかけて釣り上げる。これなら、

「……よし」

外れた。これで駄目だったら喉から大出血しながら古城を歩くというB級ホラーに登場するゾンビみたいな芸当をやらねばならなかったので、正直助かったとも思う。

隠し通路の類でもないか、とんとんと壁を叩きながら歩いていく。魔力を飛ばせば手っ取り早くスキャンの真似事でもできるのだろうが――まだそこまで上手く魔法を使うことはできないので、触覚だけを頼りに探索を進めていく。

……地道に歩き回ること体感時間でおよそ十数分。どうやら地下に向かっているらしいことは分かるが、地図さえもない状態ではどの方向に向かっているのかさえ分からない。城内が変に入り組んでいないのが不幸中の幸いか。

「……お、っとぉ!?」

長い階段を、踏み外さないように慎重に進む。曲がり角も見つからないままひたすら直進していると古びた大広間に出た。石造りの壁や床には経年劣化が原因による深い亀裂があちこちに入っており、少々衝撃を与えればすぐに崩壊してしまいそうだ。壁には古びた絵画が複数枚飾られており、どれも同じ人物が描かれている。――エメロード姫だ。

「これは……」

思わず辺りを見回す。かなり朽ちてしまっているが、広間には子供用の揺り木馬やブランコなどの遊具が大量に配置されていた。……仮に子供たちを監禁していたのが姫だとして、こんな気を紛らわせるための遊具が必要だろうか。

「――サクラちゃん!」

「あ、未侑……!」

ぐるりと視界を一周させると広間の壁の最奥にぽっかりと空いている小さな穴から何かを覗きこんでいる後ろ姿を見止める。……サクラちゃんだ。振り向いた姿を見る限りどこか怪我をしているような様子はない。その隣にはエメロード姫がひっそりと佇んでいるが――こうして間近で見ると、所々姿が透けているのが分かる。思わず後ろ手にサクラちゃんを庇うと彼女は「違う、誤解なの!」と私を制し、先程から覗きこんでいた穴の先を指差した。

サクラちゃんに促され、小さな子供がようやく通れるかどうかといった大きさの穴を覗きこむ。その先には、

「あれは、サクラちゃんの……」

何度か目にしたことのある彼女の羽根は、穴を抜けた奥に鎮座していた。ただ、永い間雪国の中の寒い城にあったせいか羽根そのものが巨大な氷柱のような大きな氷で封じられるように氷づけにされており、おそらく町から拐われたのであろう子供たちがそれぞれ尖った石を工具代わりに少しずつだが氷を砕いている。モコナが羽根の力を上手く感知できなかったのは、地下という非常に分かりにくい場所にあったのに加えてこの巨大な氷柱が羽根の力を地上まで伝えるのを妨害していたのだろう。

羽根の発掘に没頭している子供たちの瞳には皆光が宿っておらず人形のように虚ろで、こちらの声が届いている様子はなかった。長時間の作業のせいで手足が悴んでいるようだが、それ以外にはこれといった怪我や病気の痕は見られない。全員身体的には健康そのものといった様子だ。

サクラちゃんとふたりで呆然と穴を覗きこんでいると、しばらくして一際甲高い音と共に氷柱が砕け散った。サクラちゃんに呼応するように羽根が光を放ち、辺りを包み込む。

ようやく視覚が回復し再び穴を覗きこもうとすると、その穴をくぐってひとりの女の子がひょっこりと顔を覗かせてきた。その両手には、氷柱の欠片に覆われたサクラちゃんの羽根が握られている。

『――これはあなたのものですね』

サクラちゃんの隣で沈黙していたエメロード姫が口を開いた。

『300年前、私はこの羽根の力で子供たちを救うことができました』

「町の言い伝えにはエメロード姫は子供たちを城に拐って――」

殺していたとあった、とは言えなかった。詳しい事情は分かりかねるが、おそらく現在は幽霊、亡霊と言われる類に成り果てている彼女が悪意や害意をもって子供たちに接していたのではないということは何となく察することができる。

エメロード姫は悲しげな表情で首を横に振り、更に続ける。

『……けれど、もう私は死んでいて。誰にも見えなくて――この子たちが羽根を掘り出すために連れてこられても、何もできなかった』

……つまり、子供たちを誘拐した犯人とこのエメロード姫は無関係。むしろ彼女は拐われて羽根を掘り出すための労働力として使われていた子供たちに心を痛めていたと。

『でも、あなたたちは私を視て、ここまで来てくれました。子供たちを、どうか家に帰してあげてください』

深々と頭を下げるエメロード姫の表情には、伝承にあるような恐ろしさや残忍さはまったく見受けられない。純粋に子供たちを案じているのがよく分かる。

「エメロード姫……」

その献身に胸を打たれたように、羽根を抱えたサクラちゃんが姫の名を呼ぶ。本懐を達することができたのが嬉しいのか、姫は満足げに笑うと私に視線を向けた。

『子供たちと、彼女をお願いします。長らく人の手が入らないまま廃墟として放置されていたせいで、この城はいつ崩れてもおかしくありません。早く脱出した方がいいでしょう』

「は、はい……!」

慌てて頷く。たしかに、ここまで来る道中でもあちこちに亀裂が入っていたり、崩れて半分瓦礫と化していたりしている所が何ヵ所か目についた。人の手が入らなくなった建造物というのは、人間の予想以上に朽ちるのが早い。ここ数ヵ月で失踪した子供たちを含め一気にたくさんの人間が足を踏み入れたが、経年劣化のせいでもはや城そのものがそれに耐えきれるような構造ではなくなっているのだ。

「大丈夫? 立てる?」

「な、なんとか……」

サクラちゃんに肩を貸す。あのあと裸足でここまで走ってきたようで、彼女のドレスの下の脚は冷たい床と低温のせいで悴んでいた。あちこちに点在する瓦礫を踏んでしまって怪我でもしていないか心配だったが、負傷はしていないらしい。

「靴、履きなよ。私の貸すからさ」

履いていた黒いパンプスを脱ぎ、サクラちゃんに差し出す。ここまで走ってきたせいで少々ボロボロになっているが、裸足のまま帰路に就くよりはかなりマシの筈だ。

「え、でも……」

「私は大丈夫だからさ。脚、ボロボロじゃん。見てらんないよ」

「だから、ね?」とできるだけ明るく笑うと、サクラちゃんは小さく笑って靴を受け取った。

「――サクラさん、未侑さん!」

さぁふたりで脱出だ、というところで背後から声をかけられる。振り向くと、ちょうどカイル先生が階段を駆け降りてきているところだった。

「皆探していましたよ。さ、こちらへ」

私たちに手を差し伸べるカイル先生だが――その笑顔はいつもと違ってどこか張り詰めている……というか、余裕がないように感じられる。焦っているのか? ……何に?

カイル先生に不審がられないよう、さりげなさを装って傍らのエメロード姫にちらりと視線を寄越す。彼女の表情は固くなっていて、カイル先生に鋭い視線を向けていた。何か察するものがあったようだ。

「……どうしてわたしが裸足だとご存知なんですか?」

不審そうに眉を寄せてサクラちゃんが口を開く。彼女が着ている白いドレスはかなり裾の長いもので、脚は腿から足の甲まですべて完全に隠れてしまっている。だから、一目見て彼女が裸足であるとは判断できない筈なのだ。――それこそ、一度ドレスをたくしあげて彼女を運んだときに靴の有無を確認でもしない限りは。

「……この城と森の間には、昔から流れの激しい大きな川が流れてるんです。昨日も探してみたけれど、川を渡ったり迂回したりする方法は見つからなかったし誰も知らなかった。渡り方か迂回路かは知りませんが、ここまで来る方法はそれこそここを拠点にしてる件の誘拐犯ぐらいしか知らない筈なんです。ここまで来るのなら、どうしてもあの川を越えて来なきゃいけない。

――カイル先生。あなた、どうしてこの城に来る方法を知ってるんですか」

庇うようにサクラちゃんの前に出て、カイル先生を問い詰める。……なんとなく、分かってはいた。

「……助手とかいう子供といい、知恵が回るのも困りものだね。靴まで脱がせて鎖までつけたのに、こうやって抜け出してるしな」

カイル先生の笑顔が一変する。明らかにこちらを見下している嘲笑だった。……この声も聞き覚えがある。昨日、意識を失う直前に聞いたものだ。あまりにも雰囲気が違うから優しいお医者さんのカイル先生≠ニなかなか結びつかなかったのだ。

「――羽根を寄越せ!」

欲望を剥き出しにした表情のカイル先生がこちらに詰め寄ってくる。エメロード姫は必死に「渡さないで」と呼びかけ、私たちを庇うように彼の前に立ちはだかるが――そもそも彼女は霊体だ。私たち以外の人間には視認できないし、実体として触れることもできない。カイル先生は彼女の身体をすり抜けて、こちらと距離を詰めてくる。

「エメロード姫!」

「おまえらに暗示はかけていない。前にも姫の姿を見たとか言っていたな。幻でも見てるのか?」

「暗示……そうか、催眠術!」

思わず歯噛みする。この国の医療技術が私がいた世界に置き換えるとどのレベルの水準にまで達しているのかは分からないが、かつてヨーロッパでは医療行為において催眠療法が流行していた時期があるという。俗に催眠療法ヒプノセラピーと呼ばれるそれは、催眠誘導によって人間の潜在意識へ呼びかけ、その中へ対象の注意を呼びかけていくというものだ。現代でも民間療法やカルト宗教における洗脳方法のひとつとして用いられる機会があると聞く。彼が医者ならば適当に口実をつけて往診に行き、その際にカウンセリングと銘打って子供たちに催眠術をかけることなど容易いことだっただろう。

「だめ!」

「サクラちゃん、こっち!」

慌てて彼女の腕を引いてその場から逃げ去ろうとするが、あっさりと追いつかれる。あぁもう、煩わしい。ここで私が頑張らなくてどうするんだ……!

「それを掘り出すために子供たちを集めたんだ」

下卑た笑みを浮かべる彼にカイル先生≠フ面影はまったくない。

「あの絵に隠されていた穴は、300年前城にいた子供達たちの避難用だったらしい。堀り崩せないほど固い上に、大人じゃ通れないくらい狭い。おまけに羽根がある氷は春になっても溶けやしない。バカみたいに硬いしな。仕方ないから、子供たちに暗示をかけて城で掘らせてたんだ。思ったより時間がかかったがな」

「貴重なお話ありがとうございます……!」

成人男性とろくに鍛えてもいない子供、しかも男女の性差は埋めがたい。私たちが全力疾走しているにも関わらず、カイル先生は大股ながらもやや早足でこちらに駆け寄る程度ですぐに追いつかれてしまいそうだ。

「!?」

私に腕を引かれる形で走っていたサクラちゃんが転倒する。脚に絡みついていた鎖で引っ張られたのだ。芋づる式に私もサクラちゃんに覆い被さるようにすっ転ぶ。

――死ぬ、と思った。

ここで死ぬのはだめだ。それはだめだ。私は帰らなければならない。死ぬのは嫌だ。

――死ぬのは嫌だ

ほとんど無我夢中だった。

脚に絡みついていた鎖をほどく。サクラちゃんのもののように枷がついている型のものではなかったらしく、夢中でほどいているうちに鎖はあっさりと外れた。組み合っているうちに脚がおかしな方向に曲がった気がしたし、頭を殴られたような気もしたが、そんなことには構ってもいられないほど必死だった。火事場の馬鹿力、というやつか。

「……!」

ほどいた鎖をカイルの首にかけ、両端を交差させて輪をつくり力いっぱい絞めあげる。ギチギチと骨が軋んで、皮膚に鎖が食い込む感覚が金属を通して伝わってくる。絞めあげている喉から悲鳴のような呻き声が聞こえた気がしたが――それでも手をかける力は緩まなかった。このままでは殺してしまうなんてことは全く頭になかった。掌が鎖から離れない。まるで吸いついてしまったようだ。

「やめて――やめて未侑! もういいよ、カイル先生死んじゃうよ……!」

尻餅をつく形で呆然としていたサクラちゃんが私の脚に縋るようにして必死に止めにかかる。……でも、そう言われても困る。自分でもおかしなぐらい自分の身体が言うことを聞かないのだ。

――止めなきゃ。殺してしまう。

……いや、ここで力を緩めたらまた襲われるんじゃないか? そうなればきっと今度こそ殺される。なら、その前にいっそ――、


「――ごめん、未侑ちゃん。ちょっと眠ってて」


後ろから強く肩を引かれ、耳許でそう囁かれると同時に首筋に何かを打たれる。軽く叩かれただけなのにそれだけでぐらりと身体が揺らぎ、視界が黒く塗り潰されていく。

「大丈夫、気絶させただけだから。――目が覚める頃には全部終わってるよ。おやすみ」

「ファイ、さ――」

名前をちゃんと呼ぶ前に崩れ落ちる。そのまま脱力した私の意識は、こうしてまた闇の底に沈んでいった。

ALICE+