言葉に嘘はないけれど
次元移動の特徴である、魔力で構成された薄い膜に包まれるようにしてモコナの口から吐き出される。無重力空間の中を彷徨うような不思議な感覚もここまで繰り返せばもう慣れたもので、少しふらつきはあるもののだいぶ落ち着いて着地することができるようになっていた。
「よっこい、しょ」
出発時と比べて随分軽くなってしまったカバンがなんだか寂しく感じる。今回はモコナを除くと新しい世界に到着したのは私がいちばん最初のようで、制服のスカートの裾を払って姿勢を整えている間にほかの面々も次々と到着していた。
「さーて、今度はどんな国かなー」
高麗国のときのように着いて早々不審人物として囲まれるような例もあるので、次元移動が成功したからといって安心するわけにはいかない。現に、年長組の黒鋼さんとファイさんは不測の事態が起きてもいつでも対応できるようにと目を細めて油断なく周囲を見渡していた。小狼君もサクラちゃんを庇うようにして辺りの様子を窺っている。
「……ん?」
カツカツというヒールで床を踏むような高い音に気を取られ、モコナを肩に乗せた私がちらりと横に視線を向ける、と――。
「ようこそ、桜都国へ!」
どこからともなく現れたのは、ナースを連想させる白衣を着た女性たちだった。顔立ちはそれぞれ違うが、何かの役職にでも就いているのか服装は清潔感溢れる白い制服で統一されており、皆一様に同じような笑顔を浮かべていた。……なんとなく、それを機械的だと感じる。
語尾にハートマークでもつきそうな勢いの熱烈な歓迎を受けた私たちが圧倒されている間に女性たちは怒涛のように押し寄せ、賑やかな歓声をあげながら抱きついてくる。
元々可愛い子ならオールオッケーみたいなケのあるファイさんは「可愛い女の子がいっぱいだー」などと宣いながら、息をするように目についた端から逆に女性たちを口説いているが――まさに立て板に水といった様子で女性への口説き文句が出てくるあたり、本当に西洋人っぽいと思う――、私たちはと言えば敵意や不信をもって迎えられたことはあっても最初からここまで熱烈に歓迎されたのははじめてなので、あれこれと質問攻めしてくる女性たちに「はぁ」だの「え?」だの言葉にならない返事を返すばかりで、どう対応していいのかまったく分からない。
黒鋼さんに至っては過剰とも言えるスキンシップをあからさまに嫌がっていて、女性たちに対して不快感を隠しもせず寄ってきたそばから「まとわりつくな!」と容赦なく引き剥がしていた。それでも女性たちは黄色い声をあげるばかりで、狼狽の表情ひとつさえ見せない。
「皆さん、変わったご衣装ですね。異世界からいらしたんですか?」
ひとしきり抱きつかれたり撫で回されたりして目の回るような思いをしたあと、女性たちのリーダー格と思しき女性が一歩前に進み出て、にこやかな表情で問いかけた。ん? それって……。
「異世界から人が来ることがあるんですか? この国では」
「勿論。この国を楽しむために、皆様色んな国からいらっしゃいますわ」
さも当然のように返された言葉に私はファイさんと顔を見合わせ、揃って首を傾げた。世界間の移動というのは、たしかとても高度な魔法技術だった筈だ。ファイさんでも次元移動は一度しか不可能だと言っていたし、彼の話を信じるなら、任意の異世界移動ができる人間というのはかなり限られた人数になる筈なのだが――。
「ど、どういうことなんでしょう……?」
「ちょ、ちょっと分からない……。とても高度に魔法や技術が発展した世界なら、異世界間の移動が一般化してるっていうのもありえない話じゃないだろうし……」
普段は爽やかな笑みを浮かべているファイさんも、あまりにもあっさりと異世界への転移について言及されたことが魔術師としてそれなりに衝撃だったらしく、表情に困惑が滲んでいる。どうやら結構なカルチャーショックを受けているらしい。
そうやって私とファイさんがひそひそと会話している間に、小狼君に抱きついてきた女性が訝しげに首を傾げてこちらに問いかけてきた。
「まだ住民登録されてないんですか?」
「? はい」
住民登録とは何ぞやという疑問はひとまず横に置いて、小狼君が代表して肯定すると、女性たちはいかにも大変だと言わんばかりに大袈裟なリアクションで私たちの手を引っ張り、抵抗する間もなく押し流すようにして私たちをどこかへと連れ去っていってしまった。
「桜都国へようこそ!」
半ば流されるように市役所に連れてこられた私たちは、施設内のすぐやる課≠ネるよく分からない区画で急かされるままに住民登録を行っていた。
「な、なぜこんなことに……」
「さ、さぁ……?」
思わず漏らした私の自問に、隣で呆然としていた小狼君が呆けた表情のまま首を傾げて声を返してくる。……まぁ「どうしてこうなった」とこの中でいちばん言いたいのは小狼君だろう。どうやら押しにはかなり弱いタイプらしい彼は、こうして市役所に連れて来られるまでの間もひたすら女性スタッフたちに可愛い可愛いと連呼されては撫で回され、抱きつかれ、端から見てもちょっと可哀想になるぐらいの熱烈なスキンシップを受けていた。
女性スタッフ。そう、先ほど私たちに強烈な印象を残した女性たちは、この国――桜都国の市役所で働く職員たちだった。現在お世話になっているすぐやる課≠ナも、同じような市役所職員の制服を着た女の子が私たちの受付を担当している。
「こちらにお名前をどうぞ」
「どうもー」
いちばん早く立ち直ったファイさんが、差し出された住民票に目を通している。ちなみにサクラちゃんは待合用のソファーに腰かけて船を漕いでいるし、黒鋼さんは後ろで壁に凭れながら荷物持ちを担当していた。
「未侑ちゃん、この国の文字とか分かるー?」
「えーと……大まかな感じは私がいた国と似たような感じだと思うんですけど……」
思わず渋面をつくり、周囲を見渡す。桜都国市役所≠ノすぐやる課≠ニ、とりあえずこの国ではひらがなと漢字が使われているのは確認できた。ただ、市役所に向かう道すがらここがどんな雰囲気の国なのか辺りを見回しつつそれとなく確かめてみたが、どうやら私が暮らしていた現代日本から約100年ほど前――大正時代に近い文明水準の国のようで、そのせいか看板やチラシのあちこちに旧漢字が使われており、そちらについてはどう読むのかは分かりかねる。
「今まで使われていたのと違っても大丈夫ですよ」
どう伝えるべきか悩んでいる私を見かねたのか、受付嬢が助け船を出してくる。
「偽名でいいってことかなー?」
「はい」
「んじゃ、オレが皆の分も書いとくねー」
それなら話は早いと言いたげに笑顔を見せたファイさんは、さらさらと淀みなく5人分の氏名を埋めていく。……あ、これはまた何か企んでいる表情だ。
数分もしないうちに5人分の氏名を埋めたファイさんは「これでお願いしまーす」と受付嬢に住民票を提出してしまった。文字も分からないのにどうやったのかと小狼君とふたりで受理されている住民票を覗き込み――揃ってぎょっとする。
「ファイさん……」
「それ、いいんですか……?」
むしろこれで通るのだろうか。そしてまたこれは通ってしまえば確実に黒鋼さんがキレるのでは――いや、キレるな。うん。
「はい、承りました」
あっさりと住民登録は完了してしまった。
黒鋼さんに向き直り、彼に分からないようそっと合掌する。彼の心労はいくらばかりだろうか。しかし私は巻き添えを食いたくないので事前に律儀に報告などしないのである。見てる分には面白いしね。
「では、職業はどうなさいますか?」
小狼君から「いいんですかね、あれ……」と相談されている間にも話はどんどん進んでいく。どうやら桜都国に住むには、住民登録を済ませるほかにもひとりひとり何か手に職をつけなければならないらしい。
「この国は旅人も働かなくちゃだめなのー?」
「構いませんが、働かないとお金がなくて何もできませんよ?」
「そりゃそうだねー」
まずは、何がなくとも元手となるお金がなければ何もできない。といっても、この国の職種がどのようなものなのかは私たちには分かりかねる。「職業一覧」と書かれた紙を渡されたのでとりあえず目を通してみたが、どこを見ても旧漢字ばかり使われていてそもそも読むことすら儘ならなかった。
小狼君も合わせて3人で顔を突き合わせて相談していると、こちらの困惑を察したらしい受付嬢が人好きのする愛らしい笑みを浮かべて助言してきた。
「とりあえず、最初に住む所をお決めになりますか? 良い物件をご紹介しますよ」
「物件、ですか……」
眉を下げて考え込む。たしかに羽根を探すにあたって拠点となる住居は必須だが、まさかタダで譲ってくれるなんてことはないだろう。
「あの、この国の通貨は?」
「園です」
――エン……。
「これですか?」
黒鋼さんに預けていたバッグから財布を取り出し、中の紙幣や小銭を受付嬢に見せる。が、どうやらエンはエンでも円≠ナはなかったらしく、ふるふると首を横に振られてしまった。うーん、違うのか……。
「小狼君は……持ってないよねぇ」
「はい」
「何かお持ちのものがあったら換金できますよ」
お、と思わず声を漏らす。たしか、高麗国とジェイド国で調達した衣装がまだ残っていた筈だ。お金がなかったり足りなくなったりしたときに換金の元手になるかもしれないからと小狼君に言われてとっておいたのだが、どうやらここにきて効果を発揮したようだ。
――ついでだし、嵐さんから貰った服も換金させてもらおう。
「黒わんわーん、服持ってきて――!」
「人を犬みてぇに呼ぶな――!」
「……あの、すいません。この服も換金できますか?」
ファイさんと黒鋼さんがいつもの漫才を繰り広げている傍らで、バッグから嵐さんから貰った服を取り出し受付嬢に見せる。
「はい、大丈夫ですよ。お預かりしますね」
よし、これでちょっとは足しになる筈だ。嵐さん、ありがとうございます。
「ジェイド国と高麗国の服、買ってくれて良かったねー」
「他国の衣装が貴重な国もあるので」
結局、私たちが換金した衣装はかなりの高値がついた。どのぐらい高値かというと――、
「でも、この家すごい広いですね……。2階なんて、私たちひとりひとりに一室宛がってもまだ余裕があるんじゃないですか?」
サクラちゃんが船を漕いでいる横――ダイニングのソファーにそっと荷物を下ろし、借りた家の内装を見回す。
衣装をまるごと全部換金した結果、紹介された家は、一軒家というよりは屋敷に近いほどの豪邸だった。横に広く2階建てになっており、1階が広間のようになっているのに対して上の階には宿屋でもやれるんじゃないかというぐらいの数の空室がずらりと並んでいる。正直、5人と1匹で住むには勿体ないほどの好物件だった。
「それもお父さんと旅してた時の知恵ー?」
「はい」
和やかに会話しているファイさんと小狼君の横では、相変わらず無骨な鎧姿の黒鋼さんが妙にピリピリした様子で家の外を覗き込んでいた。
「寛いでていいのかよ。見張られてるかもしれねぇんだろ、誰かに」
「んー……。でも、ずーっと緊張してるのは無理だしねぇ。リラックス出来る時にしとかないとー」
「おまえはだらけっぱなしじゃねぇか!」
衣装もそのままにフローリングの床にごろごろと転がるファイさんの顔からは、疑念や警戒心といったものは微塵も感じられない。すっかりこの家を気に入ったようで、まるで本当の自宅のように緩みきった表情で手当たり次第にごろごろと転がっている。……うーん、本当に対照的なんだなこのふたり。
「ファイさん。寝るなら上の部屋か、ソファーで寝てくださいね」
「はーい」
ファイさんに忠告を飛ばしていると、今度は黒鋼さんがこちらに問いを投げてきた。
「おめぇは何とも思わねぇのかよ」
「えー……。そりゃあ不安ですし、気にならないって言ったら嘘ですけど……。見てるだけで、今のところ特に何かこっちに手を出してきてるわけじゃないんでしょ? なら、悩むだけ損かなあって……」
苦笑しつつ首を横に振り、黒鋼さんの問いを否定する。
たしかに、どこの誰とも知れない第三者に行動を監視されていると聞いては嫌悪感を拭えない。しかし今のところ特に実害はないのだし、いちいち気に病んでいたら神経がおかしくなってしまう。なので気にしないことにした。
――というのは嘘だ。
正直に言おう。自分のことで精一杯でそこまで気にする余裕などない、というのが正しい。旅を経るごとにおかしくなる身体。サクラちゃんとは反対に、時を進めるごとに欠落していく記憶。誰が私を喚んだのか。ひょっとしたら、この旅を視ているという誰か≠ニ関係があるのかもしれない――考えはじめたら切りがない。
――考えはじめたら止まらないのは私の悪い癖……だと思う。
ただ、かといって誰かに相談する気にもなれなかった。信頼が云々とかそういう問題ではなく、単純にどう話せばいいのか分からないのだ。重荷や迷惑になってしまうのも申し訳ないし。
……誰かと腹を割って話すという行為は、正直苦手だ。他人に合わせることは得意でも、一歩踏み込むにはどうしても物怖じしてしまう。
「……どいつもこいつも」
「はい?」
舌打ちしながら黒鋼さんに何か言われた気がしたが、口の中で転がすような小声だったために、残念ながら私は彼がなんて言ったのか聞き取ることはできなかった。
「……もういい。てめぇがそれでいいなら構わねぇ。知るか」
呆れたように溜息をついた黒鋼さんは、そのままふいと拗ねたようにそっぽを向いてしまった。
「な、なんかすみません……」
苦笑しつつ流しておく。何にせよ、この場でこれ以上言及するべき話題ではないだろう。今は、それよりも――、
「――モコナ」
ファイさんの呼びかけに、サクラちゃんの枕元で彼女を見守っていたモコナが顔を上げる。今は羽根の所在について確かめる方が先決だ。
「本当に少しだけど、サクラの羽根の力、感じる」
羽根の力を辿るように瞳を閉じ、神経を研ぎ澄ませるように沈黙していたモコナは暫くして口を開いた。
「羽根……この国にある」
「どこにあるかまでは……まだ分かんないかぁ」
「うん……。ごめんね」
しょんぼりと俯くモコナの頭を慌てて撫でながら宥める。急かすつもりはなかったのだが、今の言い方はそう取られても仕方のない発言だった。
「大丈夫だよ。ありがと」
気にしてないよとモコナは笑って、ぴょんと私の肩の上に跳び乗った。……本当に彼女はいい子だと思う。
「……小狼君も、頑張るのはいいけどあまり思い詰めちゃだめだよ。私はできること少ないけど、何かあったら黒鋼さんとかファイさんに頼ってね」
羽根はこの世界にある。その一言で一気に張り詰めた表情に変わった小狼君の背中を、軽く叩いて励ます。どうにも彼は困ったことや悩みごとをひとりで抱え込んでしまう節がある。私からはあまり強く言えないが、あのふたりなら何かと助言できることもある筈だ。
「……はい。ありがとうございます」
少し気が抜けたのか、小狼君が歳相応の柔らかい笑みを見せる。以前それとなく年齢を訊いたら、彼もサクラちゃんも14歳だと話していた。私のいた世界でいうなら、まだふたりは中学生なのだ。私には黒鋼さんやファイさんのように前線で闘えるような力はないけれど、小狼君やサクラちゃんが少しでも歳相応の穏やかな心で過ごせるように何かサポートしていけたらいいなぁと思っている。……実際に実践できているかはともかく。
それからいつもの和やかな空気に立ち戻り、今日は初日で疲れたしそろそろ解散しようかという流れに雰囲気が変わっていく。と、そのとき――、
「――未侑ちゃん、伏せて!」
「う、うわっ!?」
たまたま隣にいたファイさんが、張り詰めた声と共に半ば乱暴に私の頭を掴んで伏せさせる。耳障りな音と共に近くの窓ガラスが割れた。
「ファ、ファイさん! 大丈夫ですか!?」
「んー、これぐらい大丈夫だよー」
私を庇ったファイさんの左腕は、どうやらガラスの破片で切ったらしく赤い裂傷ができていた。……それでも彼はいつもの笑みを崩さない。
――手当しないと……いや、それ以前に私のせいで……!
混乱する頭で、侵入者を認識しようと顔を上げる。視界いっぱいに映ったのは、影絵じみた獣の巨体だった。