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キメラの抜け殻

「わー。お家を借りたら、いきなりお客さんだー」

「招いてねぇがな」

ファイさんに手で軽く制され、素早く後方に下がる。眠っていて動けないサクラちゃんは大丈夫かと視線を動かせば、黒鋼さんが俵抱きする形で逃がしていた。それでもまだ起きる様子はない。

「これは……」

思わず眉を寄せる。

窓ガラスを突き破って表れたのは、一見して獣のように見える黒い怪物だった。前肢の長い鉤爪を闇雲に振り回しこちらに素早く攻撃を仕掛けてくるその姿に、まともな思考や理性があるようには思えない。更に、一言で「獣」と表現したがその存在感はどことなく希薄で、たしかに危険だとは感じるが、何をおいてもこちらを殺してやるという意志――敵意や殺意といった感情が感じられなかった。……なんとなく、影絵を見るのに似ている。鉤爪という有機的な武器を有しながら身体そのものはのっぺりとした無機質さしか感じられないという矛盾が、尚のこと私の違和感を掻き立てた。

最初に前に出た小狼君を敵と見なしたのか、獣の鉤爪が彼に迫る。死角に近い左右から、私では視線さえ追いつかないほどの速さで前両肢の鉤爪が襲うが――場数を踏んでいる小狼君にとっては見切れない速度ではなかったのだろう。左からの一撃は首を少し動かすだけで躱し、やり過ごす。

「――小狼君!」

「!」

一瞬、彼の右からの反応が遅れた。遅れたというよりは、右からの一撃だけ認識できなかったように見える。鋭い斬撃が小狼君の右肩を抉ろうとするが、間一髪で回避が間に合ったのか、傷そのものは爪先が皮膚を掠る程度で済んだ。

そのままバックステップで後ろに下がった小狼君が、左脚を軸に壁を蹴って大きく跳び上がる。そのまま振り下ろすような右脚の蹴りが、威力も殺さずに獣の頭蓋に炸裂した。鈍い音と共に獣は部屋の端から端まで吹き飛び、家具や調度品を巻き込んで壁に激突して動かなくなる。

……死んだ、のだろうか。あれだけ強烈な一撃を貰って五体満足で済むとは思えないけれど……。

「すごい……」

そういえば、小狼君が闘うところをちゃんと見たのはこれが初めてだった気がする。阪神共和国での戦闘は巧断を使役して闘うものだったし、そもそも羽根が暴走したことによって起きた最後の一戦以外は命のやり取りをするようなものではなかった。高麗国では私は春香ちゃんの屋敷で留守番していたし、ジェイド国ではサクラちゃんと一緒にほとんど牢屋の中だったし……。

「――そうだ! ファイさん、大丈夫ですか!?」

慌ててファイさんの手をとり、彼の無事を確かめる。たしか、先ほど私を庇ったときに左腕に怪我をしていた。大事ないだろうか。

「大丈夫だよー。怪我するのは慣れてるしー」

「そんなことないです! ほら、貸して!」

半ば強引に腕を引っ張り、服の袖を捲り上げる。白い服に滲む鮮やかな血の色が映えて、なんだか余計に痛々しく感じた。

「えーと、包帯は……。あ、あったあった」

所在なさげにもぞもぞと動くファイさんが逃げないよう服の裾を引っ張ったまま片手でバッグをひっくり返し、応急手当用のキットをひっ掴む。

「おい小娘、部屋を散らかすんじゃねぇ」

「あとでちゃんと片付けるからいいんです! ほらファイさん、じっとしてて!」

「は、はーい……」

なんだか世話好きの近所のお兄さんみたいなことを言いだす黒鋼さんをさらりと流し、私の剣幕に気圧されているらしいファイさんの腕に包帯を巻いていく。

「本当に大丈夫なんだけどなぁ……」

「いつもそう言うひとに限って、だいたい大丈夫じゃないって相場が決まってるんです! 狼少年じゃあるまいし、いつもそうやって誤魔化して肝心なときに誰も助けてくれなかったらどうするんですか!」

ぼやくファイさんにくわっと一喝すると、彼は驚いたように目を丸くしてそのまま黙り込んでしまった。

「……ファイさん? あの――ぐおっ」

「てめぇが言うかよ」

言いすぎただろうかとやや思案していると、後ろから黒鋼さんが私の頭を鷲掴みしてきた。な、なんだなんだ。痛いぞ、すごく痛い。というか――、

「黒鋼さん、重い! 重いです! せめてその変な鎧みたいなの脱いでください!」

「あぁ? 何言ってやがる」

「あー! ちょっと、あんまり動かないでくださいよ! サクラちゃんが起きちゃうでしょ!」

半分のしかかるように無言で私の頭をぐりぐりとしてくる黒鋼さんに抵抗する。ぐおー、潰れてしまうー……。

「なんか、黒鋼と未侑、兄妹みたい!」

「モ、モコナ……」

屈託のない笑顔を見せるモコナに苦笑する。まぁ顔は似てないけど髪の色は一緒だし、黒鋼さんも東洋人っぽいし、見るひとによっては親類に見える……のかもしれない。

「こんなじゃじゃ馬な妹は要らねぇよ」

「……私だって、こんな短気なお兄ちゃんは御免です!」

……黒鋼さんの鳩尾めがけて炸裂した私の拳は、残念ながら鎧に阻まれてまったく威力を発揮しなかった。おのれぇ。

「小狼君もお疲れさま。ちょっと怪我してるみたいだし、手当てしとこうか。そこ座ってて」

「あ、はい。ありがとうございます、お願いします」

一仕事終えた小狼君にとりあえず腰かけるよう促し、血の滲んでいる頬を消毒する。……うーん、この分だと絆創膏で充分かな。

「随分手慣れてきたな」

「皆さんがやたらめったら怪我してくるから自然と上手くなったんですぅー」

手際良く小狼君の治療を済ませつつ、黒鋼さんに軽口を返す。荒事に慣れているとはいえ、男性陣でいちばん負傷率が高いのは小狼君である。黒鋼さんとファイさんは既に戦闘経験が玄人の域に達しているため、今のところは高麗国を除けば怪我をしても精々掠り傷程度だ。命のやり取りという意味で踏んだ場数は、やはり黒鋼さんやファイさんの方が上なんだろう。

「でも、可愛い女の子が出迎えてくれたり、綺麗な家紹介してくれたり、親切な国だと思ってたけど結構アブナイ系なのかなー」

ようやく人心地ついた私たちだが、ファイさんは笑顔を浮かべつつも瓦礫に埋もれたまま動かない怪物に油断なく視線を配っている。息の根を止めたという確信が持てない以上、こちらから手出しはできないということか。

「下手に近付くなよ、小娘。おまえはうっかりすると頭から喰われそうだ」

「近付きませんし喰われませんよ!」

失礼な話だ。私はどれだけボケていると思われているのだろう。……まぁ私の場合、仮に頭から一気にやられてもあっさり復活しかねないのが恐ろしいのだが。

溜め息をひとつつき、視線を怪物に寄越す。しかしこれ、どうするんだろう。引き渡しとか受け付けてくれるんだろうか。

が、そんな危惧をよそに次の瞬間には瞬く間に怪物の四肢が床に溶けるように消えていく。それからはほとんと一瞬で、まるで夢か幻のように怪物の身体は霧散してしまった。跡には肉片のひとつさえ残っていない。

「消えた!」

「たしかに倒した……んだよね?」

「は、はい……」

私の問いに頷く小狼君も狼狽しているらしく、そこはかとなく自信なさげな様子だ。手応えを確かめるように怪物を穿った右脚を見つめている。

「――やっぱり、危なそうな国だねぇ」

昼に見た限りでは平和な世界くにのように思えたけれど、やはり今回も一筋縄では行かなさそうだ。



翌日。私と小狼君は、ファイさんに同伴する形で市役所を訪れていた。後回しにしていた職業を決めるためでもあるが――襲撃してきたあの怪物について訊くためでもある。この国でいちばん情報が集まるのは市役所だから、何か訊くならここに問い合わせるのがいちばん手っ取り早いだろうということになったのだ。まさに文字通りのすぐやる課≠ナある。

「こんにちは、昨晩はご活躍でしたね。報奨金が出てますよ」

受付に行くと、昨日と同じ受付嬢が変わらない笑みを浮かべながら応対してくる。

「え?」

「報奨金……ですか?」

なぜ市役所が昨日のことを知っているのだろう。消えてしまったから、てっきりあの怪物は死んでしまったのだと思っていたけど……。

鬼児オニを倒されたでしょう?」

訝しげな表情で首を傾げる受付嬢。どうやらあの怪物は鬼児というらしい。一瞬脳裏に昔話に出てくる角の生えた鬼の姿がよぎるが、微妙にイントネーションも違うし、イメージとも違うからあの鬼≠ニはまた別の存在なのだろう。

「なんで知ってるのかなー」

「鬼児の動向を市役所が把握しているのは当然ですが」

鬼児とはここ――桜都国に現れる夜行性の敵であり、自然災害のように突然現れては害をなす。彼らの強さは月の満ち欠けの影響を受け、月が満ちるほど強く、逆に新月に近いほど弱まるそうだ。つまり、いちばん鬼児が活性化し、なおかつ強くなるのは満月の夜ということになる。その動向は市役所側も逐一把握に努めているが討伐までには手が回らず、そこは専門のハンターに一任しているらしい。

「でも、あんなのがうろうろしてる世界――っていうか国の割には、あんまり緊迫感ない感じだねぇ」

「よほどのことがない限り鬼児は一般市民を襲いません。専門家がいますから」

「それ、さっきも言ってましたよね。鬼児狩り専門のハンターがいるって」

首を傾げつつ問いを投げる私に、受付嬢は淀みなく答えを返していく。

「彼らは『鬼児狩り』と呼ばれる狩人ハンターです。鬼児を倒して収入を得ています。強い鬼児を倒せば倒すほど、得られるお金は高額になります」

受付嬢は手元の帳簿をぱらぱらと捲りつつ何かを確認している。どうやら昨晩小狼君が倒した鬼児の種類について詳しく調べているようだ。

「あなたたちが倒した鬼児は、ハの五段階――鬼児狩りとしてやっていけると思いますが、職業としてお選びになってみますか?」

「それって、ほかの仕事よりやっぱり――」

「手っ取り早く儲かります」

まぁ、だろうな。

「小狼君、どうするー?」

しばらく黙考した小狼君は、口を開いた。

「その仕事は、情報を得るのに有利ですか?」

情報――言うまでもなくサクラちゃんの羽根に関するものだろう。拠点を得たのはいいが、羽根に関する情報を得られなければ何も始まらない。

「探しているものがあるんです。だから、できるだけこの国のいろんな情報を知ることができ仕事がいいんです」

「でしたら、鬼児狩りはぴったりだと思いますよ。同業者から裏の事情も聞けますし、鬼児狩りをしている者しか立ち入ることができない場所もあります」

どうやら、鬼児狩りというのは数ある職業の中でもかなり特殊な職業らしい。鬼児という生物そのものがこの国特有の存在だからだろう。ただし――、

「――ただし、非常に危険です」

「やります」

即答だった。さすが小狼君というべきか、危険だと言われても揺るぎがない。……それを信念と言えば聞こえはいいが、どことなく危うさを感じる。上手く言えないが羽根を集めることだけ≠優先しているというか――ときどき、頑なな分いつかどこかで折れてしまうのではないかと感じてしまう。

「承りました」

了承の意を伝えた受付嬢は、小狼君のデータを書き換えていく。鬼児狩りはふたり一組という規則になっているため、小狼君のほかにあとひとり鬼児狩りとしてパートナーをつける必要があるのだが――。

「一緒に旅して来られた方の、どなたと組まれますか?」

選択肢としては黒鋼さんかファイさんだ。私とモコナは戦闘能力はないし、サクラちゃんはそもそも小狼君が許さないだろう。

「そりゃ黒様でしょー」

「え、でも……」

「あれ、ファイさんはいいんですか?」

本人に了承をとっていないのに勝手に決めていいのかと慌てる小狼君を、ファイさんは手で制する。どうやら、彼には黒鋼さんの思考回路は読めているらしい。

「ここで外したら逆に黒ぴっぴは怒ると思うしー。オレは……そうだなー……のーんびりしててー、楽しくてー、情報も聞けるようなお仕事ってないー?」

「ありますよ」

「じゃ、それー」

……つまり、単に面倒なようだ。どんな仕事かも聞かずに二つ返事で了承するファイさんの表情は緩みきっている。

「未侑ちゃんも一緒にやろうー?」

「モコナも一緒に頑張るー!」

「え、えっと、あの……」

職業はこちらになります、とマニュアルを差し出される。えっと、これは……。

「……喫茶店カフェ?」

なるほど、たしかに楽しい¥繧ノ情報を得られる℃d事ではあるが――。

「未侑、女給さんだ! ウェイトレスさんだー!」

はしゃぐモコナが私の肩の上でぴょんぴょんと跳ねている。ウェイトレスさんかぁ……。

「上手くやれるかなぁ……」

料理、そんなに得意じゃないんだけどな……。

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