寿司

サクラちゃんの記憶の羽根を探すべく次元を越え、さまざまな世界を渡り歩く私たち。モコナは羽根の持つ強い魔力に惹かれるように、私たちを時代も文化もさまざまな異世界へと連れて行く……のだが――勿論、辿り着く世界すべてに羽根があるわけではない。

たとえば、ある世界ではこんなことがあった。


ツバサ ―語られなかった世界― 01


すっかり恒例となった次元移動。今回モコナが辿り着いた先は、私が暮らしていた現代日本に少し似た世界だった。

「モコナの口からの移動も、随分慣れたねぇ」

「最初はびっくりしましたけどね……」

口から吐き出される、というのはこうして改めて考えるとなかなかにインパクトのある移動方法ではなかろうか。ちなみに今回はモコナのお達しによりお目当ての羽根はなしという結論が出たので、メンバーの空気も緩みきっている。ここはどうやら本当に平和な世界のようで、荒事に巻き込まれる気配もない。これなら本当に久しぶりにのんびりできそうだ。

「なんか、お腹空いちゃったねぇ」

「あ、あはは……」

腹の虫を誤魔化すためにあげた笑い声が虚しい。時空を越えた旅と言えば聞こえはいいが、現実問題としてまともな食事にありつける機会というのは思っていた以上に少なかったりする。森のど真ん中に放り出されて街に出るまで延々歩き続けた――勿論その間はずっと野宿である――こともあるし、更に言うなら、どちらかといえば自分たちで動物を狩ったり山菜を採ったりして自給自足の食生活になることが多い。おかげで最近は、本来なら現代日本に暮らす女子高生には必要ない筈のサバイバル技術が無駄に向上しつつあった。今では毒キノコの見分け方もばっちりだ。

――なんか、こうしてシビアな生活を送っていると、ふかふかのベッドや温かいご飯のありがたみがよく分かるよね……。

「あ!お寿司屋さんだー! 侑子と食べたことある!」

半分涙目になりながら健康で規則正しい生活のありがたみを実感していると、モコナが突然あらぬ方向をビシッと指さしてきた。揃って視線を向ければ、そこにはいかにも和風建築といった様相の小ぢんまりとした建物がひっそりと佇んでいる。あれは――、

「お寿司屋さんだ……」

思わず呟く。暖簾には達筆な漢字で寿司≠ニ大きく描かれている。寿司屋なんて見るの、いつ以来だろう。旅を始めてからそこまで年数も経過していない筈なのに、なんだかひどく懐かしく感じる。

――が、今の私にはそんなセンチメンタルな郷愁をごみ箱に放り投げてもまだ余りある差し迫った問題があった。

「この国にはサクラの羽根の気配もないし、ここは任せて! モコナが奢ったげる!」

「ひゅーひゅー! モコナ、太っ腹!」

「ありがとう、モコナ」

そう、空腹だ。お腹が減ったのである。

「でも……あの……」

小狼君が何か言いたそうにしていたが、私たちの中の誰も彼の言葉を聞かずわいわいと談笑しながら寿司屋に入っていき、従業員に促されて席に着く。普段は特に小狼君の言葉なら尚更耳を傾けるサクラちゃんさえ無視を決め込んでしまったあたり、私だけでなくほかの皆にとっても空腹はかなり切実な問題と化していたらしい。

……言い訳をさせてもらうなら、本当にお腹が空いていて限界だったのだ。



「――へい、特上お待ち!」

モコナが注文したのは、豪勢にも特上寿司の盛り合わせだった。エビにマグロ、イクラやウニの握り――寿司と聞いてイメージする品は一通り揃っている。まさに特上の名に恥じぬ一品であろう。どうやらこの店が売りにしているのもこの品らしく、板前さんの表情も心なしか誇らしげだ。

「うわぁ、美味しそう……」

目にも鮮やかな握りが並ぶ中、私の隣に浮かぶファイさんはカタカタと音を立てて震えていた。何かあったのかと覗き込んでみれば普段の穏やかな笑顔はどこへやらといった様子で顔を青ざめさせている。よく見れば心なしか頬も引き攣っていた。

「……ひょっとして、お魚苦手でした?」

「……これ、生のお魚……」

下手に話題を振ってモコナを落ち込ませるのは良くないだろうと小声でファイさんに耳打ちする。対するファイさんはいつもの余裕をかなぐり捨てて高速首振り機と化していた。察するに、魚そのものが苦手というよりは生魚が苦手らしい。

「ナマ魚は嫌――っ!」

悲鳴をあげるファイさんはもう寿司を見るのも嫌だと言わんばかりの様子だ。セレスには魚介類を生で食べる習慣はなかったのか……。

「小狼君たちはどう? お寿司、食べれるかな」

「うちの国にはあったな」

忍の面目躍如というかなんというか、日本人の私から見ても感心するほど様になっている手つきで箸を操る黒鋼さんは、ずらりと並ぶ握りを瞬く間にたいらげていく。

「わたしは初めてです!」

「父さんと行った国で似たようなものを食べたことはあるんですけど、あの……」

サクラちゃんたちは慣れないながらも箸を動かし、まだ見ぬ寿司に挑戦している。小狼君は……さっきから様子が変だけど、どうしたんだろう。

「腐ってる匂いがするよー。すっぱい匂いがするよぉ……。なんで皆そんなに食べれるの……」

それぞれが銘々に箸を動かし寿司を堪能する中、ファイさんだけが今にも白目を剥いて気絶しそうな勢いで拒絶反応を示している。その様相たるや、見ているこっちが可哀想になってくるほどだ。

「私がいた日本は島国だから、海に囲まれてて……。そのせいか、昔から自然と生魚を食べるのが習慣としてあったんです」

「俺がいた日本国≠烽サうだったな」

「お刺身とか、美味しいですよねぇ」

「そんな、嘘だ……信じられない……」

私と黒鋼さんの答えが信じられないらしいファイさんは、ただでさえ白い顔を死人のように青白くしてテーブルに突っ伏し力尽きている。ファイさんが暮らしていたというセレス国に海があったという話は聞かないし、苦手云々以前にそもそも生で魚を食べるという文化自体が存在しなかったのかもしれない。

「……あの、お寿司が無理なら何か別の頼みましょうか?」

手元に置いてあったお品書きをひっくり返し、サイドメニューの欄に目を通す。あまり腹は満たされないだろうが、それでもこのままファイさんだけ空きっ腹のまま店を出るよりはマシの筈だ。どうやら生魚が無理なだけみたいだし、握りを避ければ大丈夫だろう、たぶん。

「すいませーん、かっぱ巻きと茶碗蒸し、あとサイドメニューで唐揚げと海老天くださ――い!」

「俺も」

「あ、わたしも追加でお願いします!」

「モコナもおかわりー!」

「あ、おれも……じゃなくてあの、この国のお金……」

最後の小狼君の言葉は、板前さんの気前のいい返事に掻き消されてよく聞き取れなかった。



「モコナ、ごちそうさまー」

大量に積み上がった皿の前にご馳走さまでしたと手を合わせ、それぞれ席を立つ。満足に食事を摂れたおかげか、大食漢の黒鋼さんのみならずほかの面々の表情もどことなく満足げだ。……ファイさんだけは相変わらず顔面蒼白のままだが。

「久しぶりにお腹いっぱい食べたかも……。ってかファイさん、大丈夫ですか……?」

「……大丈夫だよぉー……」

いつもの返事にも明らかに覇気がない。どうやらファイさん、生の魚介類は匂いさえも駄目だったらしい。今にも戻しそうなほど気持ち悪そうに袖で口許を押さえている。

――今度から食事に生の魚類を入れるのは控えた方がいいな、これは……。

日本の誇る寿司料理は、雪国の魔術師には受け入れがたい食文化だったようだ。

「じゃあ、お勘定を」

「……」

思わず顔が引き攣る。会計額には、ちょっと払ったことがないレベルの金額が並んでいた。正直、ゼロの数が想定していたよりも多すぎる。……いや、特上寿司5人前をおかわりして、寿司が駄目なファイさんのためにお腹を満たせる分だけの量のサイドメニュー、しかも私とサクラちゃんは甘いものは別腹だと言わんばかりにデザートまで頼んだのだ。これは当然の結果なのかもしれない。

――いや、でも、さすがにこれは……。

「――この国のお金、持ってないんですけど……」

ようやく最後まで言えた小狼君の言葉が私たち5人の間に重々しく響く。無銭飲食で逮捕、なんて言葉が脳裏をよぎったのは私だけではない筈だ。

「モコナ、奢るって言ったよね。……訊いてなかったんだけど、お金持ってるの……?」

「ううん、持ってない」

見事なまでの即答だった。私たちの額に冷や汗が浮かぶ。さっきまでの和やかな雰囲気はどこへやら、もはや誰も気軽に発言できる空気ではなかった。従業員の顔にも青筋が浮かんでいる。……これは、やばい。

と、モコナが突然大きく口を開いた。私たちの足許に、恒例の次元移動のための魔法陣が浮かび上がる。

「皆っ! 早くモコナのお口に飛び込んで!!」

「モ、モコナぁ――!?」

思わず悲鳴をあげる。たしかにこの世界は羽根がないからモコナの任意で次元移動も可能だろうが……まさか、このまま逃げきるつもりなのか!?

ほぼ強制的にモコナの口に吸い込まれていく私たち。よもや強行突破に踏み切るとは思わなかった私たちが驚く中、ファイさんだけはようやく生魚とおさらばできるのが余程嬉しいらしく大変イイ笑顔を浮かべている。

「ご、ごちそうさまでしたぁ――!」

すごい美味しかったです! やってるのは食い逃げだけど! ……食い逃げだけど!!

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