聖域

5


「銃を下ろせ」

 ジェイソンが言うと、かけつけてくれた娼人たちは全員眉をひそめて不満げな顔をした。

「でも、フード!」

「大丈夫さ。相手はヒーロー様だ。あんまり目くじらたてて怒ると、俺らが悪者になっちまう」

 金髪の美少年――ドルフが口をへの字に曲げたままノロノロと銃を下げる。彼を皮切りに、他の娼人たちも納得いかないながら銃を下ろしてくれた。
 笑えるのはナイトウイングだ。命の危険が去ったというのに、信じられないものを見るような顔でジェイソンを見ている。よく喋る男だと聞いていたが、ガセだったか。黒と青のコンバットスーツを身に纏ったヒーローが、周囲を警戒したままジェイソンに話しかけてきた。

「いいのか?」

「なにが?」

「こんなに簡単に、部下に銃を降ろさせて」

「勘違いすんな。コイツらは俺の部下じゃなくて仲間だ」

 顔に張り付いたドミノマスクが、表情筋の変化につられて変化する。片目を細めた不審そうな表情は、マスクのせいか幾分コミカルに見えた。
 すこし親しみやすそうになったヒーローを見て、ジェイソンはクスクスと喉の奥で笑う。

「それに、お前になにができるってんだ? どうせ俺があの男を殺った証拠もねぇ。仮にぶちこまれたとしてもすぐ出てこられる。この町に俺を裁ける奴なんかいやしねぇのさ」

 ナイトウイングの表情が変わった。片目を細めた目元はそのまま、口が無理矢理笑みを作っている。筋肉が硬直し、空気がピリピリと緊張感を帯びた。
 怒っているのか、呆れているのか、両方か。
 彼の口から、わざとらしいほど明るい、トゲのある軽口が飛び出す。

「すごい自信だな。君なら最後の審判も乗り切れそうだ」

「もちろん。キリストも俺の客にしてやるよ。この町の連中みてぇにな」

 ヒーローの表情が今度こそ凍り付いた。マスク越しでもわかる端正な顔立ちが強ばっている。艶やかな黒髪が少しだけ逆立ち、薄い唇から綺麗に並んだ歯が覗いた。おそらくなにか言いたいのだろうが、舌の奥からは小さな呼吸しか漏れ聞こえてこなかった。
 代わりにジェイソンが、今までの男娼然とした笑みをかき消し、皮肉げに口の片端だけを歪めてみせる。
 正直、いつもの営業スマイルよりこちらのほうが楽だった。

「おいおい、なんの根拠もなく俺が大見得切ってると思ったのか? お前だって下調べくらいしてきただろ? 特にアルバートの野郎は、絶対俺には逆らえない」

 街の権力者は元々ほとんどがジェイソンの客だ。違法な買春行為をしていたという弱味を握られ、ジェイソンに逆らえない。それ以外にも、マフィアと警察の密会。汚職や賄賂。不倫、不正、背徳行為。あらゆる犯罪行為の記録。男娼として手に入れた情報を元手に同じ職業の人間同士巨大なネットワークを構築し、情報を一元化してより強力な武器として利用するに至った。
 ナイトウイングは放心したような表情でジェイソンを見ている。緊張していた筋肉がかすかに弛緩し、腕はだらりと力なくぶら下がっていた。
 
「アルバート……警察本部長のことか?」

「ああ。他に誰がいるよ?」

 ご立派なヒーローは、なぜ警察本部長が特に強調されるのか理解できないようだった。警察本部長がジェイソンの客であることは受け入れられても、それ以外になにか弱味があるのか思いつかないに違いない。

「言っとくが、奴が俺に逆らえないのはアルバートが俺の客だからってワケじゃねぇ。奴が十二歳のガキに手を出すような最低野郎だからさ」

 警察署長はジェイソンがブルードヘイブンにやってきたばかりの頃の客だった。ヘマをやらかしたジェイソンを捕らえた彼は、そのころまだ一介の刑事だった。見逃す代わりにタダで抱かせろと言った彼から、ジェイソンは代金以上のものをふんだくった。十二歳のジェイソンを手荒く抱く姿を、映像として残してやったのだ。
 ただの買春ならいざ知らず、児童買春の証拠だ。特に警官という立場上、彼はジェイソンに逆らえずそれ以降傀儡と化した。
 同時にマフィアの連中も手中に収めたジェイソンは、そのまま政治家までもを客にして、完全に自分の飼い犬となったアルバートを警察本部長にまで押し上げてやった。
 弱味と恩、ふたつの鎖で縛られたアルバートは絶対ジェイソンに逆らえない。恩など歯牙にもかけないタイプだが、逆らえば今の地位から引きずり下ろされるとなれば話は違ってくる。
 全てを察したナイトウイングは、警察本部長についてもう話題には出さなかった。
かわりに

「なぜ、ジョスリンを殺したんだ」

 と、アルバートのことよりよほどつまらない質問を投げつけてくる。
 ジェイソンは思わず声をあげて笑ってしまった。

「当然の報いだろ。《軽罪には軽罰を。極悪人には極刑を》」

 ナイトウイングが責めるように男娼を見ていた。人を殺すのはヒーローにとって御法度だ。ジェイソンは笑ったまま小首を傾げ、青年に向かって肩を竦めて見せる。

「身を守るためにやってんだぜ。そうじゃなきゃ、誰も俺たちを守ってくれない。俺みてぇに腕っ節に自信がある奴はいいが、フランみてぇに気が弱くて、喧嘩も弱い奴はあんなイカレ野郎にあった時身を守れない」

 フランチェスカは乱暴されたあげく、生きたまま滅多刺しにされ切り刻まれて死んだ。ジェイソンがもっと気をつけていれば今も生きていたはずだ。
 早く親の借金を返して、今の仕事をやめて、家庭を持ちたいと言っていた。
 その夢を叶えてやりたいと思っていた。
 親みたいにはならない、子供を産んだらたくさん可愛がって、世界一幸せにしてあげたいと言っていた女の、淡くて可愛らしくて強欲な願い。
 この街で春をひさぐ人間のほとんどがジェイソンと同じ思いだったはずだ。
 こんな仕事をしていて、なお純粋に幸せな家庭を夢見る人間は珍しい。珍しいから、みんな捨ててしまった希望を託したくなるのだ。
 だからジョスリン・マクラーレンの行為は、この街の人間の希望を殺したも同然の行為だった。
 ジェイソンも、メルチェーデもデルフィナもランナルもハンスキもヴィルもドルフも、フランが殺された時一緒にジョスリンに殺されたのだ。
 だからジェイソンはジョスリンのような人間を絶対に許さない。あの男のような人間が自分の縄張りで、自分の仲間に手を出すのを、今後一切許す気は無い。

「自分で身を守れない奴がいるなら、あんなイカレ野郎がもう二度と出てこないように、"手を出したらどうなるか"身を以て教えてやるのが一番いい」

 自分で思ったよりも冷たい声が出た。
 仲間でさえ尻込みするような声だったが、ヒーローはまったく動じなかった。ドミノマスク越しにジェイソンを見つめ、目を逸らさない。
 彼にも、彼の信じる正義があるのだろう。

「警察に任せればよかったのに」

「女ひとり殺した野郎がブラックゲート行きになるのを黙って見てろって? そりゃいい。レイプ殺人は第一級だろうから上手くいけば終身刑だな。あのしょっちゅう囚人がいなくなる刑務所に、大人しく入っていてくれればの話だが?」

 ナイトウイングの、弛緩した腕がピクリと動いた。なにか思う所があるらしい。だがここはジェイソンも譲れなかった。
 妥協すれば仲間が死ぬかも知れない。そんな思いはゴメンだ。

「警察もヒーロー様も、犯罪者は捕まえて檻に放り込みゃあいいと思ってやがる。お前らはそれでいいだろうさ。脱獄囚もまた捕まえればいい。また人を殺した――また、レッドタウンの娼婦を殺した奴を」

「僕が殺させない!」

 その場がシンと静まりかえる。響き渡ったナイトウイングの声は、ジェイソンにとってもジェイソンの仲間にとっても予想外のもので、彼らは驚いたような顔でヒーローを見つめていた。
 その場にいる全員の視線を一身にあつめ、それでも青年は怯まない。

「僕が守る。君たちもこの街も、僕が守る」

 ヒーローらしいセリフだった。あまりにもヒーローに相応しい。そうしてその言葉は、あまりにも現実にそぐわない綺麗事だ。
 一瞬あっけにとられていたジェイソンは、ナイトウイングの真剣な表情を見て弾かれた様に笑い始める。小さな子供のような言葉だと思った。一体何を見て育てばそんなに前向きな言葉が飛び出すのだろう。
 ジェイソンはしばらくベッドルームに笑い声を響かせた後、ベッドから立ち上がりヒーローへ歩み寄る。口元には笑みを浮かべたまま、ナイトウイングを覗き込むように身をかがめて首を傾げた。

「質の悪い寝物語だ。俺も、こいつらも、この街も、誰もそんな世迷い言信じないぜ。どうせテメェらは、また誰かが殺されないと動かない」

 口から飛び出した自分の言葉を聞いて、知らずジェイソンの眉間に皺が寄る。誰かが殺されないと動かなかったのは自分も同じだ。ヒーローや警察をどうこう言えた義理ではない。救えなかったことに変わりはない。自分のことを棚にあげて他人を責めていることを考えれば、ナイトウイングよりよほど悪質ではないだろうか。
 けれどヒーローは不満の色さえ見せず、挑発的な態度をとるジェイソンに目線をあわせたままだった。

「そう思っているなら、今はそれでいい。いつものことだ。信じてもらうまで態度で示すしかない」

「ははっ! それまでテメェの頭と胴体が繋がってりゃいいがな!」

 反論することだってできた筈だ。お前も同じだと言えたはずなのに、ナイトウイングはジェイソンの言葉を受け止め、怒りを受け入れ、それでも諦めないと言った。
 あまりにもヒーローに相応しい。あまりにも愚直で、あまりにも純粋。
 ジェイソンの腕がまっすぐに伸び、ナイトウイングの背後にあった扉を指す。ヒーローの顔を覗き込んだまま吐き出した言葉は、幾分か軽くなっていた。

「まあいいさ。俺たちのジャマするってんなら話は別だが、今のところは好きにさせといてやる。お帰りはアチラ。入り口からどうぞ。っつーかどっから入ってきやがった」

「屋上の排気ダクトから」

「よぉーし、修理費はツケといてやるからあとで耳揃えて返せ」

「あれを利用して入ってきた僕がいうのもなんだけど、要人の弱味を握ってるならああいう排気ダクトはやめたほうがいいんじゃないか? 暗殺者とか簡単に入り込めるし、毒ガスなんか入れられたら一発だと思うけど」

「そうならねぇように対策はしてあったんだけどなぁ?」

「そうか? 正規の入り口かと思うほど入りやすかったけど」

「今ここで頭と胴体喧嘩別れさせてやろうか」

「遠慮するよ。そういうオプションプレイの趣味はないんだ」

 やはりよく喋るヒーローのようだ。
 ジェイソンが睨み付けてやると、男は軽くため息をついて男娼に背を向けた。ヒーローを取り囲んでいた娼人たちが道をあける。
 ナイトウイングはさも当然と言いたげに彼らの目の前を通り過ぎ、部屋を出る直前オフホワイトの壁に片手をついてジェイソンのほうを振り返った。

「君たちが身を守るため武装しているのはわかった」

 ドミノマスク越しの視線が鋭くジェイソンを射貫いてくる。敬意と敵意。相反する感情がその視線の中に含まれていた。

「でもハメを外すようなら、また来る」

 声色は硬く、宣戦布告の意味も多分に含んでいる。
 ジェイソンは皮肉の笑みを絶やさず、ヒーローに向かって軽く手を振ってみせた。

「客としてなら歓迎するぜ」

「屋上からなら予約なしでOK?」

「予約して金払ってエントランスから入れバカ。屋上はあとでネズミ一匹入らねぇように改築しといてやる」

「そうしたほうがいい」

 ジェイソンが枕を掴んで投げつけるも、次の瞬間その場にナイトウイングはいなかった。リビングルームからカタリと物音がしたので、排気ダクトの方に向かったのだろう。
 
「ちくしょう、改築費もあいつからふんだくれねぇかな」

 ジェイソンの言葉には、仲間の

「無理じゃないか?」

 という呆れた言葉が返されただけだ。窓の外に視線をやると、夜景の中を横切る人影が見えた気がした。
 まるで空中ブランコのように軽やかに華麗に美しく、夜の街を駆け抜ける英雄の姿。

 ナイトウイング

 "聖域"と称して仲間の避難所ヘイブンをつくることしかできなかったジェイソンと違い、街そのものを守り、変えていくと豪語するバカな男。
 もしかしたら本当にブルードヘイブンを変えてくれるかも知れないその名前を口内で小さく呟いて、ジェイソンは仲間達がそれぞれの部屋に戻った後も、しばらく夜の街を見つめ続けていた。
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美しくなんて死ねると思うな