1「なあ、このガキもう死んでんじゃねぇの?」 「バカ。よく見ろ、腹動いてんだろ。生きてるよ。地下室連れてけ」 その少女には手足がなかった。 肘から下、膝から下にあるはずの部位がなく、滑らかになった断面を見ても、彼女の欠損が先天性なのか、あるいは後天的なのか判別はつかなかった。 粗雑な木の椅子に座らされた少女は、目の前で男ふたりが交わす会話にも大して興味がないようだ。そもそも音が聞こえているかどうかもあやしい。うっすらと開いた目に光はなく、顔にハエが止まっても反応を示さない。辛うじて上下する腹だけが、子供の生存を示していた。 フィールドスコープで彼女の様子を見ていたジェイソン・トッドは、酷い頭痛を感じて目をしばたたかせる。気を紛らわせるように、赤いフルフェイスマスク越しにこめかみを押さえた。 インド西ベンガル州の州都、コルカタ。世界屈指のメガシティとして有名な街の西南、フーグリー川のほとりにドーム状のトタン屋根をつけた建物が建っている。白い塗装の壁は錆びてところどころ剥げており、薄気味悪いほどびっしりと蔦植物が張り付いていた。広さは四百メートルほどで、設計図によると足もとに大きな排水溝が張り巡らされている。工場を思わせる建物は全高十三メートルといったところだが、男達の会話を聞く限り地下施設があるようだ。 仕掛けた盗聴器から、引き続き男達の会話が聞こえてくる。 「男のガキは全員レンガ屋につれてくぞ! 女でも頑丈そうなのはそっちに回せ」 「おい、女はこっちだ。チャンドラ婆さんが買い取るってよ」 「顔が半分火傷してんのは売春婦にはなれねぇだろ」 「そんだけ派手な怪我してりゃ物乞いで稼げんだろ。モーハンのとこに売りつけるからこっち寄越せ」 総勢六十人ほどの子供が、三つのグループに分けられて整列させられている。見てわかるような怪我や、障害を抱えた子供ばかりあつめられたグループ。少女ばかりが集められたグループ。健康そうな子供達のグループ。それに、小さな子供から成人直前まで、痩せ細っていたり怪我をしていたり、一見して共通点が見いだせない男女いりまじったグループ。それぞれ物乞い、売春用、強制労働用、臓器用として売られていく運命の子供たちだ。 建物の様相を工場と表現したが、内部にひとつの機材も置いていない建築にその名称は相応しくない。空洞化して、広いスペースを確保しているだけの建物。 厳密に言えば、それは倉庫だった。子供を納品、管理、出荷する倉庫だ。胸クソが悪い。 "製品管理"担当の男たちが、グループ分けできなかった子供数人をどこかへ連れて行く。そこには先ほどジェイソンが確認した、手足のない少女の姿もあった。男たちの会話を思い返す限り、彼らは地下室に連れて行かれる。 そろそろ動いたほうがいいだろう。ジェイソンはフィールドスコープから顔を離し、腰のホルダーに入った銃の状態を確認した。脳裏にもう一度建物の設計図を思い浮かべて侵入経路を確認する。 一歩踏み出した彼の背後で、空気の動く気配がした。同時に殺気がうなじを撫で、ピリピリと肌に焼きつく。 すぐさま振り返ると銃を抜き、二つの銃身を交差させる形で敵の攻撃を受け止めた。黒に青いラインの入ったエスクリマスティックが視界に飛び込んでくる。その向こうに、ドミノマスクをつけた端正な顔があった。倉庫側の見張りかと思えば、敵はナイトウイングだったようだ。 相手も〈レッドフード〉が敵であることに驚いたらしく、顔に張り付いたドミノマスクが表情筋に従ってコミカルに動く。右目を見開き、左目を細めた左右非対称の表情を浮かべ、ナイトウイングが裏返った声を出した。 「ジェイソン!?」 エスクリマスティックを持つ敵の手から微かに力が抜けた。名前を呼ばれたジェイソンは小さい舌打ちと一緒に言葉を吐き出す。 「天下のナイトウイングがこんなところでなにしてんだ」 「おまえこそなにしてるんだ。また人を殺すつもりか?」 「お前はまた悪人を牢にぶちこんで満足するだけか?」 ジェイソンがエスクリマスティックを銃身で弾き飛ばした。続けて、腕を弾かれたディックの、ガラ明きになった腹部に蹴りを入れる。 腹筋を蹴られたと同時にディックが後方に飛んだ。蹴りと同方向に自分から動くことによってジェイソンの攻撃をいなした彼は、地面に着地するとスティックを構え直す。 ジェイソンも体勢を低くして銃を構えたが、彼らの攻防はそこで終わった。 ディックが攻撃の構えをとき、ジェイソンの前に手のひらを突き出したのだ。 「ストップだ、ジェイソン」 ディックが武器を背負いなおして頭を掻く。彼のあまりにも無防備な所作に毒気を抜かれたジェイソンは、男の言葉を聞く義理がないにも関わらず、自分も構えるのをやめてしまった。ジェイソンの対応を確認したディックがマスク越しの青い目で弟を見る。 「僕らが争っても無意味だ。お互い不服だろうが、ここは協力しあおうじゃないか。どうせあの工場のことで来たんだろ?」 反論の余地はない。すべてお見通しと言うような彼の言葉はなかなか癪に障ったが、事実だ。仕方なく、腰に手を当て嘲笑に似た声を出すことで、なんとか反抗的な態度を保った。 「お前とやりあってる間に本命に逃げられてもバカらしい。休戦には賛成だ」 ナイトウイングがジェイソンに歩み寄ってくる。彼は弟の肩を軽く叩くと、どこか嬉しそうに笑って明るく言い放った。 「そうしよう。僕は上からいくから、お前は下から」 「おい、なんでお前が仕切ってんだ?」 「ああ、じゃあ僕は上から行くからお前は好きにしてくれ」 「下しかねぇだろそれ」 不服そうに吐き捨てるジェイソンを、ディックは笑い声だけで一蹴した。彼はそのままグラップネルガンを使い工場の屋根へ飛び移る。残されたジェイソンは、苛立ち紛れに大きく息を吸い込んだ後、工場の側面にまわって排水溝に潜り込んだ。 使われていない溝はやたらと埃っぽく不潔ではあったが、事前の調査通り人ひとりくらいなら自由に身動きできる広さがある。 ジェイソンは肩についた土埃を軽く叩いたあと、ゆうゆうと風を浴びているはずのゴールデンボーイを思い浮かべ、マスクの下に苦々しい表情を浮かべた。 「あのクソ野郎、あとでご自慢の顔に風穴あけてやる」 吐き捨てると同時に動き出し、倉庫内部に忍び込む。まず離れたところであくびをしている男に目を付け、状況を確認した。周囲に他に人影はない。汚れた通路を這いずって男に近づき、ターゲットが排水溝に背を向けたのを見計らってカバーを跳ね上げると、敵の襟首を掴み溝の中に引きずり込む。 「がっ」 それ以上音を発する前に男の口を塞ぎ、首筋を圧迫して気絶させる。三秒もすれば相手は意識を失い、グッタリと弛緩した体からマシンガンをはぎ取ることに成功した。 気絶した男を簡単にワイヤーで拘束してからその場に放置し、再び薄汚い溝を這いずって敵の元へ近づく。 ふたりの男が談笑していた。肩にマシンガンをかけてはいるが、子供の逃亡を防ぐための威圧的な意味が強く、この場が何者かに強襲されるなどとはまったく考えていないのだろう。 敵の足もとに移動したレッドフードが視線を動かす。金網のカバー越しに建物の天井が見えた。地上から八メートルほど上に設置されたキャットウォークに人影がある。ナイトウイングだ。 敵に視線を移し、完全に油断していることを再確認してからジェイソンは排水溝のカバーを蹴り上げた。無防備な敵ふたりの後頭部を掴んで額同士を叩きつけると、気絶した敵を地面に放り出して走り出す。 彼の背後から追いかけてきた男は、キャットウォークから飛び降りたナイトウイングが羽交い締めにして気絶させていた。 「礼はいいよ!」 軽い声がジェイソンの後を追ってくる。無視してナイフを二本取り出すと、前方で自分に銃を向けている敵ふたりに投げつけた。肩に命中した刃が銃口を逸らし、マシンガンが天井に向かって火を噴く。 別の敵を地面に叩きつけていたナイトウイングが声をあげた。 「おい! フード!」 「殺しちゃいねぇだろうが」 「止血しないと死にかねないだろうが!」 「動脈は傷つけてねぇから大丈夫だよ! ガキじゃねぇんだ、止血くらい自分でやんだろ」 うるせぇな、と吐き捨てた言葉はマシンガンの発砲音でかき消される。ナイトウイングが男三人に狙い撃ちされていた。ゴールデンボーイは慣れたもので、グラップネルガンをキャットウォークに打ち込んで支点にしつつ、羽でも生えているかのように飛び回って弾丸の雨を避けていた。長い足が敵の頭を蹴り飛ばし気絶させる。脱力した男の襟首をつかんだナイトウイングが、残りふたりに向かって敵の体を投げつけた。「ぎゃあ!」と間抜けな悲鳴をあげて結局三人ともその場に倒れ込む。 ジェイソンが見張りたちの肘や膝を狙い撃っている間に、更に敵が増えていた。どうやら地下のほうから出てきているようだ。 キリがない。 銃のマガジンを交換し、空になった弾倉を投げつけ敵をひとり転倒させたジェイソンがディックに視線を向ける。丁度彼も同じことを考えていたらしく、しっかりと目があった。こういう時は元ロビン同士妙に息が合う。微かな憤りと表現しがたい安堵感を覚えながら、ジェイソンは再び拳銃を構えた。 同時に、ナイトウイングがワイヤーを支点にして体を大きく振り回す。敵の間を飛び回る姿は振り子のようだ。八十キロの重さがある振り子が体当たりしてくれば、人間なら誰だって吹っ飛ぶだろう。しかも厳しい戦闘訓練を受けた蹴りつきの振り子だ。五人ほどが吹き飛ばされたせいで全員の視線がナイトウイングに集中する。 「そんな狙いで当たるわけないだろう!」 わざとらしく大声をあげたナイトウイングがワイヤーを回収し地面に着地した。すぐ近くにあった太いパイプに寄りかかり、腕を組んで敵を見る。武装した男たちが当然のように彼に群がるのを見て、ジェイソンは自分も義兄に銃を向けた。 正確に言うと彼が寄りかかっているパイプに向けて発砲したのだが、ご自慢の顔に少しくらい擦っても怒られないだろうという気持ちがなかったわけではない。残念ながらジェイソンのささやかな反抗心は、頬の二センチ先に弾丸を当てるというごく可愛い表現に留まった。一流の射撃センスがジャマをしたわけだが、憎らしいことにナイトウイングは眉ひとつ動かさない。それどころか、口に笑みを浮かべて軽口を叩いた。 「楽しいウォーターショーはいかがですか?」 彼がグラップネルガンを天井に打ち込み上空に逃げた直後、弾丸によって亀裂の入ったパイプが内部の水をぶちまけて破裂した。 当然ナイトウイングめがけて群がってきた連中は水を浴び、周囲にも広範囲に水たまりができる。 頃合いを見計らい空から降ってきたナイトウイングは、地面に着地する前にエスクリマスティックを構えていた。青い電撃がバチバチと音を立て、彼が地面に到達した瞬間、放電状態になった二本のスティックが水たまりに叩きつけられる。 スパーク音が響いた。 水を伝播して伝わった電撃が濡れ鼠になった敵を感電させる。何人かはまだ意識があるようだったが、ナイトウイングが彼らの頭を踏みつけながら移動したことによって、抵抗できないままひれ伏した。 軽い足取りでジェイソンの隣に降り立ったディックが謳うように言う。 「ナイスアシスト、レッドフード」 「お礼は酒でいいぜ、バディ」 また建物の奥から敵が沸いて出てきた。地下施設の出入り口と思われる場所から銃を構えた男たちが十人ほど走ってくる。 ジェイソンの隣にいたディックが即座にグラップネルガンでキャットウォークに向かい、手すりに足をかけてぶら下がった。 「フード!」 両手をひろげた彼の意図を推し量るのは容易い。ジェイソンは銃を持ったまま地面を蹴り、義兄めがけてジャンプした。彼の手首を掴んだナイトウイングが敵の群れに目がけてレッドフードを投げつける。 まるで空中ブランコだ。 武装した男三人を蹴り飛ばしたジェイソンが敵の背中に着地して拳銃の引き金を引いた。 「ぐぁっ!」 「ぎゃっ」 五人が肩や膝を打たれて身悶える。その間に銃底で敵の頭を殴って気絶させた。ナイトウイングはジェイソンが敵の注意を引きつけている間にキャットウォークから降りてくる。一人の頭を地面に叩きつけたあと、真っ直ぐ伸ばした右足でコンパスのように円を描き、三人に足払いを仕掛けていた。倒れ込んだ男達たちのうちふたりを放電したエスクリマスティックで殴った後、スティックを一本投げて残ったひとりを気絶させる。 建物の隅では子供たちが怯えていた。もう追撃はないようだ。 跳ね返ってきたスティックを受け止めたナイトウイングが周囲を見回し、地下への階段を確認して呟く。 「これで全員倒したかな。奥から援軍がきてたみたいだけど……」 ジェイソンはすぐ近くに倒れていた男を軽く蹴り、完全に気絶していることを確認して銃をホルスターに収めた。 「俺たちが突入する前、子供が数人連れて行かれたぞ」 「確認したほうがよさそうだな」 「あのガキどもはどうする?」 「もうすぐ警察がくるはずだ。保護してくれるよ」 「わかった」 ジェイソンの視線がディックから怯えている子供たちに移る。 「おいおまえら、ここで大人しく待ってろよ。krpaya yahaan rahen!」 西ベンガル州の公用語は英語である。念のため不慣れなヒンディー語でも指示を出してから、ジェイソンはディックとともに地下への階段を降りていった。 [しおりを挟む] 目次 戻る |