玻璃色フィロソフィア

エピクロスの虹はもう見えない


「ジェイソン、愛してる」

 久しぶりにウェイン邸に顔を出したら、ふたりきりになった途端ディックが爆弾発言を繰り出してきた。
 リラックスしてコーヒーを飲んでいたジェイソンは、危うく口にいれたお湯を吐き出しそうになる。そのせいで、落ち着いてしゃべり始めるために三秒の沈黙を要した。

「悪ぃ、今、なんて?」

I’m in love with youあいしてる

 聞き間違いではないらしい。言葉を探すためコーヒーを飲み、一息ついてからもう一度義兄を見た。
 青空を連想させる目は真剣そのもので、まっすぐにジェイソンを射貫いてくる。

――女にでもフラれたかな。

 ディックが今どんな女と付き合っているのかジェイソンは知らない。ダミアンあたりなら顔を合わせたことくらいあるかもしれないが、すくなくとも今はバブスと付き合っているわけではなかったはずだ。コリーとヨリを戻したという話も聞かない。ヒーローであることを隠して女と付き合って、スケジュールがあわずにフラれたか、もっと単純に、仕事かプライベートで嫌なことがあってヤケになっているか。
 自分より(五センチではあるが)背の高い義理の弟に愛の告白をする理由など、ジェイソンはそのくらいしか思いつかなかった。
 
「……グレイソン、頭でも打った?」

「打ってない」

 茶化して見ても、返ってくる声色は真剣そのものだ。これ以上からかうのも気が引けるので、ジェイソンは数秒考えてからコーヒーカップをテーブルに置く。

「じゃあ、それを俺に言ってお前はどうしてぇんだよ」

「それは、お前がどう思っているかによる」

「おーおー、そうきたか」

 目の前の男はストレートだと思っていた。少なくともジェイソンが知る限りディック・グレイソンの恋人は全員女だ。稀に養父であるブルースと噂されることもあれど、ジェイソンの知る限りそういう関係ではない。ふたりが上手く隠しているなら話は別だが。そうだった場合、ブルースとこっぴどい喧嘩をしてヤケを起こした可能性もあるか。生き返ってゾンビ状態だったジェイソンを保護したタリアも、正気づいた子供と肉体関係を結んだ時は、ジェイソンとブルースを重ねていた節がある。あれはもともと性に奔放な女ではあるが。

「つっても、俺お前のことをそういう風に考えてみたことなかったしな」

 ディックの表情が硬くなった。考えていることはだいたい解る。このまま『無理』と言われるのを予想しているのだ。おそらく愛の告白をした瞬間から彼はフラれる覚悟をしている。義理とはいえ弟に告白するのだから妥当な覚悟だろう。
 ここで問題なのは、ディックがフラれるのを望んでいるのか弟と恋人になるのを望んでいるのかだ。
 ヤケを起こしたのは確定事項として、ストレス発散に無茶なことをして玉砕したいのか、今まで自分がしたことのない破天荒な行動がしたいのかどちらだろう。
 せめて「ひとおもいにフってくれ」とか「あわよくば恋人になりたい」とか言ってくれれば良かったのに、「お前がどう思っているかによる」とくるのだから判断に困ってしまう。

 まあ、どう転んでもそのうち頭が冷えるだろうしな。

 仮に恋人になったとしても、一時の感情なのだからディックだってすぐ冷静になるだろう。そうなれば距離をとるなり別れ話を切り出すなりの対処をするはずだ。元々フラれたかったのなら最長でも一週間くらいで別れ話を切り出すと思われる。

 良い子ちゃんの気の迷いに付き合ってやるか。

 そう思って少し笑ったジェイソンは、硬い表情のディックに視線をあわせた。

「だから付き合ってみようぜ。お前だって実際恋人として付き合ってみたらイメージと違ったってなるかもしんねぇし、そんな真剣なモンにはならねぇかもしれないけどよ」

「えっ」

 青空色の目が極限まで見開かれる。これはフッたほうが正解だったか。

「お前は、それでいいのか?」

「お前が嫌なら無理にとは言わねぇけどな」

「嫌じゃない!」

 ディックの手がジェイソンの肩を掴んだ。体を引き寄せられて、思い切り抱きしめられる。背中に手が触れる感触。首筋を黒髪がふわりと撫でた。

「ありがとうジェイソン、気味悪がらないでいてくれて」

「そんなこと心配してたのかよ」

「応えてくれてありがとう」

「別に礼言われるほどのことじゃねぇよ」

 ディックの頭が冷えるまで、恋人の代わりをしてやるだけだ。ストレスの発散に付き合って、ディックがいつも通りの明るくて真面目な良い子をやれるようにサポートするだけの話。
 なにせナイトウイングは重要なヒーローだ。バットマンにもロビンにも、タイタンズにも必要なヒーロー。そしてディック・グレイソンは、ブルース・ウェインにとってもダミアン・ウェインにとっても、バーバラ・ゴードンにとってもアルフレッド・ペニーワースにとっても重要な人間だ。
 ロビンをやった時だってジェイソンはブルースのサポート役だった。今回は、相手がブルースからディックに変わっただけの話。
 本当に必要な人間の代わりに、ちょっとだけ手を貸してやる。そうすればそのうち、本当に必要な人間が帰ってきてそいつに手を差し伸べるのだ。
 SOSを出せない不器用な人間は、多少回りくどい道を通らなければ人の手を握れない。難儀な生き物だ。ブルースもディックも。

「ジェイソン、ありがとう」

「俺はなんにもしてねぇよ」

 最終的にディックを救うのは別の人間だ。ブルースを救うのがジェイソンではなかったように。
 ジェイソンは結局、なにかの代わりにしかなれない。息子の代わり、恋人の代わり。
 息子の代わりは上手くできなかった。
 今度はせめて、傷つけないようにしたいものだ。代わりではなく本物になりたいなどと、もう二度とそんな願いを抱いてはいけない。
そんな感情は疲れて傷ついた人間を余計に傷つけ、追い詰めるだけだ。

「ジェイソン」

 ディックの指がジェイソンの頬を撫で、顎に添えられる。ジェイソンは腕をディックの肩甲骨と後頭部に添え、ゆっくりと目を閉じた。
 男の唇がそっと弟の唇に触れる。
 これもきっと、ディックの頭が冷えれば笑い話のひとつになるだろう。

――おめでとう、ジェイソン・トッド! 息子代わりのペットから恋人代わりのセフレに無事昇格だ!
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美しくなんて死ねると思うな