玻璃色フィロソフィア

ヘリパトスの花はもう(まだ)咲かない


 きっとジェイソンはディックを愛しているわけではないと気づいたのは、付き合って半年たった頃だった。
 蛇口をひねると出てくる水みたいに、半ば自動的に注がれる優しさには感情が伴っていない。あえて言うならそれは慈悲であって、愛情では決してなかった。
 自主性のない無機質な優しさ。
 照れくさそうに嬉しそうにディックの愛情を受け取るジェイソンは、しかしそれが永続的に与えられるものだとはカケラも思っていなかった。
 いつか誰かに向けられる予定の愛情を、今自分が代わりに受け取っているだけ。
 いつかその愛情は自分とは別の人間に与えられると、信じて疑っていなかった。
 ディックの言葉も心も愛情も、信用も信頼もされていない。人の心を信じてないというわけではないのだろう。ジェイソンがディックに「仲間を信じてやれ」と言ってきたことがあったし、「ブルースにはお前が必要だ」と肩を叩いてくれた時もあった。「お前はダミアンの兄ちゃんだろ」と殴り飛ばされた時だってあったし、人と人との絆というものはおそらくきちんと信じていて、尊んでいる。
 人の心を信じてないのではなく、自分に向けられる愛を信じていないのだ。
 信じていないから、期待していないから、応えて欲しいなどと思っていないから、彼はいくらでもディックに無機質な愛を与えてくれる。ディックが先に愛していると言ったはずなのに、ジェイソンはディックが自分を愛していると思っていなかった。 
 ジェイソンは、自分を誰かの代わりだと思っている。そうでなければならないと信じている。
 自分を ディックに恋人が現れるまでの"つなぎ"だと思っている。
 愛を受け取ってくれない。そこに確かにある気持ちを認めてくれない。受け入れてくれない。信じてくれない。
 思い当たる原因はいくつかあった。
 彼が死んだ時復讐をしなかったからか、生き返ったことに気づかなかったからか、生き返って、ラザラスピットの副作用に苛まれる彼を受け入れられなかったからか。

――ロビンの役割を、押しつけてしまったからか。

 "二代目ロビン"に投げかけられた言葉の中に、彼を傷つけるような言葉もあったとディックは知っている。つきあい始めて、夜ポツリとジェイソンが少しだけ話してくれた。
 ディックもジェイソンが二代目ロビンになったと知らされた時、まるで自分の代わりはいくらでもいるのだと言われているような気分になった。

 では、ジェイソンはどう思っていたのだろう。

 ディックが、ジェイソンを自分の代わりだと思ったように、彼も自分のことをディックの代わりだと思ったとしたら。その評価をはねのけるために努力していたと思ってたが、そうでなかったとしたら?
 途中で諦めていたら? 絶望していたら? ブルースにとってディックもジェイソンもかけがえのない息子であるはずだが、ディックの告白をこうも徹底的に信じてくれないとなると、彼がブルースの気持ちに気づいているかどうか疑問だった。

 知らない間に自分たちが、彼の心を踏みにじっていたとしたら。
 辛酸をなめて生きてきたジェイソンが、愛という概念を歪な形で理解していたとしたら。不器用な優しさも妙な危うさもすべて彼の心が壊れてしまった故の不安定さが産んだものだとしたら。

 そこまで考えて、ディックは思わず身を震わせた。
 ディックもジェイソンも孤児だ。だからブルースに引き取られた。けれど引き取られるまでの過程は、ふたりの間でまったく異なる。
 理解していたつもりのジェイソンの胸の内が、実はまったく違っていたとしたら?
 そのせいで彼の心が知らず傷ついていたとしたら?

 ガラスでできたヒマワリを引きちぎって踏みつぶし、そのカケラが輝くのをみて綺麗だと愛でていたのなら。
 そんな男の愛の告白など、信じて貰えるはずもない。
 
「イイ男だからな、お前」

 微笑んでそう呟くジェイソンの目はどこまでも空虚だった。ショーウインドウに並べられた高級品を通り過ぎざま眺める時の目に似ている。手に入れようとも、手に入るなどとも思っていない。自分に縁のない世界を見つめる、諦めきった大人の目だった。
 跡形もなく破壊されたガラスのヒマワリ。本来ならもっと美しく、力強く苛烈に輝いていたはずの花が、無残なカケラになってそれでもキラキラと小さく光る。
 どうしようもなく美しい破片の間をすり抜けて、愛しているという言葉は奈落へ落ちていく。どうしたら償えるのかわからないほどのことをした。ディックは無意識に無神経に無遠慮に行動し、取り返しのつかない結果を招いたのだ。

 ガラスの花はもう咲かない。壊れてしまったものは元に戻らない。

 どうしていいか解らず、ディックはただそのガラスの破片に水をかけることしかできなかった。
 花の咲いていた場所に、もしかしたらガラスの花とはまた違う、別の種子があるかもしれないと、破片だらけの場所に土をかけ水をやり続け、咲くかどうかわからないものを、あるかどうかさえわからないものを、それでもその命つきるまで祈りながら見守り続ける以外、なにをしていいかわからない。
 
 ディックだってそれが自己満足でしかないことは知っていた。ただ手放したくないだけで、自分勝手な感情に贖罪という理由を添えただけだ。
 それでも彼は今日も跪いて砕けたヒマワリに赦しを乞う。
 一生をかけて君の心に土をかけて水をやるから、どうか僕から離れないで。
 君が僕を信じられないのなら、信じて貰えるまで愛し続けてみせるから。
 今度こそ君を守るために、すべて投げ出してみせるから。
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美しくなんて死ねると思うな