第2Qから試合の様子が変わった。
先程から軽い接触が起こっている。事故と片付けるには少々多いそれがラフプレーだと気付いているのは、試合中の両チームと過去にそれを受けたチーム、そして自分のような関係者くらいだろう。第1Qは様子見だったのだろうか、徐々に増えていくそれに笛が鳴る事は勿論無い。何も知らない者は「ここってなんか少し接触多いよね」「たまたまでしょ」と流している。
ただ、隣の少女はラフプレーだと気付いたようだ。選手の距離が近ければそこから目線を外さない。かと思えばきょろきょろと目を動かし、そのうち接触が起こる度花宮に注視するようになった。もはやシュートやスティール等の活躍は気にも留めない。
第2Qも終わりハーフタイムに入った。横並び、競る両校の得点に会場は熱気に包まれている。ぴくりとも動かない結希に声をかける。
「解ったか? 花宮のプレイスタイル」
「……ぇ、……と…………」
集中しきっていたか、ぼうっとしてゆっくりと、体ごとこちらを向いた結希はしばしば瞬きを繰り返す。思考も視界もふわふわしているようだ。気付に頬を優しく叩くとそのままゆらりと頭が揺れた。さっと出す手に力無く凭れる様子は何度か見た貧血、熱気に当てられたのだろう。きっちり口元まで引き上げられたファスナーを開ける。ユニフォームから着替えなかったのか浮いた細い鎖骨が目に入って、こんな状況やなかったら役得やのになぁ、なんて冗談を心の中で独りごちた。彼女の鞄からスポーツドリンクを取り出し飲ませる。しばらくすると視線がぶれる事なくこちらを向いた。
「落ち着いたか」
「……ごめんなさい、集中して。なんかどっか行ってました」
「医務室行くか? おぶるで」
「有難うございます。大丈夫、まだ試合観てたいです」
コクコクとまたスポドリを飲んだ結希は、コートを眺める。
「なんか解った? 『悪童』の理由、花宮のプレースタイル」
「確証は無いですが……少し?」
第3Qが始まってから結希はずっと、花宮だけを食い入るように見ている。
「ねぇ……しょーいち先輩、」結希が続きを紡ぐ前に笛が遮った。やっと審判が気付いたのかと思いきや、相手校のファールだった。ただのプッシング、一つ目のなんて事ないファール。だが取られた選手が激しく声を荒げた。審判、なんでだよ、こいつが押したから押し返しただけだ、なんで俺だけなんだ、あいつはなんで取られない、あいつもだ、俺はちゃんとしてる、ちゃんとしたバスケしてるじゃねぇか。そして追加されるテクニカル・ファール。
はっと言葉を失う選手、落ち着けと焦るチームメイト。負のスパイラルに陥る対戦校。隣を見れば目を細める結希。
「短気は損気やなぁ」
「とんだ災難ですね」
「ほんまにそう思てる?」
「……とんだ 人 災 ですね」
「はは!」
細められた目の色は、嘲笑。「『悪童』ね、『悪童』かもなー……」ワシだけ聞こえるような呟きに小さく笑う。
花宮が結希に試合を見せたがらない気持ちはやはり解らなくもない、解らなくもないが。それでもな、花宮、
「したらあいつがなんで試合観にくんな言うてたかは解ったん?」
「……それはよく解んない。えと、私と真逆で『悪童』だから、でしたっけ」
「おん」
「だからってなんで『絶対観に来んな』になるのかよく解んない──……」
ほら、
「──だって酷くまこちゃんらしい。ほんと、とても」
こいつが引くわけないやろ。
解りきっていた反応、その反対のもしもを危惧して観戦を禁止していただろう花宮は、察しが良いのか悪いのか。
だが良いのだろうか。ワシらに気付いたのに花宮はラフプレーをしている。もしかしたらもう中学最後だからと割り切ったのかもしれない、自分のプレースタイルを貫かなければ勝てない相手なのかもしれない……自分の欲を、抑えられなくなったのかもしれない。なんて。
それにしても、と思う。あれらが故意だと、ラフプレーだと気付いてからの結希の反応が、細められた目が、
「なんや結希、えらい愉しそうやな〜。妬けるわぁ」
「それなりに。相手校の彼らも、青春、かけてるんですかね」
クッっと堪えた嗤いが結希の喉で鳴る。彼女の口元は歪んでいた。
おくびにも出さないどころか結希自身気付いていないようだが、今日の試合は随分堪えたらしい。度々出る棘のある空気と言葉は元来彼女に無いモノだ。まぁあのインターバルの不穏は観戦席にも伝わった程だ。間際で直接対峙したのだから、精神的に来ているだろう。
それに。結希は二年前、初めての大会で今日の第4Qのような孤高で圧倒的な試合をし、顧問とチームメイトにそのプレーを全否定されている。それから今日まで、彼女は彼女なりに考えて部が掲げるスタイルに全力で応えてきた。その締め括り、最後の最後であんな試合を要求された。全て崩すようなやり取りだったな、と思う。結希からすれば、この二年と少しを使った膨大な矛盾だか裏切りだかを投げかけられた気分だろう。
“──相変わらずバスケは可も無く不可も無くです……でもチームメイトが楽しそうなのは悪くないし、慕ってくれる後輩も出来た。あと、ぶっきらぼうなキャプテンが楽しそうに笑うのは、なんか可愛い”いつだったか部活について訊くとそう語った結希は、どこかできっと楽しんでいたのだ。バスケに関しては解らない、だが「バスケ部」を楽しんでいたのだろう。そして彼女の小さく狭い世界に、部の仲間を加えつつあったのだろう。その淡い思い出──青春が塗り潰されたのだ。
(夢やら目標やらに才能が足りんのもしんどいけど、身に余る才能っちゅうんも考えもんやなぁ……)
どんな分野でも大多数は弱者だ。取るに足らない名も無き脇役達は、能ある者に憧れ、羨み、僻む。自身の弱さを受け入れ、割り切れる人間は少ない。苦悩し、時に少数──強者を理不尽に非難する。強者にも強者なりの苦悩があるが、他人の、こと求めても持たざる者が、持つ者を理解するのは困難だ。天才は孤独だ……いや、天才だからこその孤独か。
花宮の気のせいかと見過ごせる程に小さな合図と、どこかで起こる接触もといラフプレー。結希は全てを見逃すまいと観ている。
ワシは花宮の、『悪童』のプレースタイルを否定していない。戦略の一つだと思うし、ワシ自身その魂胆が鮮やかに転がるさまを面白おかしく、時に感心して見ていた。が、常識的に考えて褒められたものでは無い。だから思う。やはり……花宮に観るなと言われていただろうと、倒れたのだから帰って休めと、そう家に送り届けるべきだっただろうか。今日は最後の公式試合だが、それは中学と枕詞が付くだけで彼は高校でもバスケを続けると言っている。観戦するのは今このタイミングじゃなくても良い筈だ。今更ながら会場から連れ出そうか、丁度ハーフタイムには貧血でふらふらしていたし。
考えながら声をかけようと結希を見ると、先程とはまた少し様子が違うと気付く。ほんのり頬が赤い。
「結希? あー……どしたん?」
「ほんと、まこちゃんらしいなって」
「あぁうん、やな。せやな」
「それに、まこちゃんが楽しそうだなって。観てて楽しい、羨ましいです」
コートで活躍し暗躍する花宮。彼のプレイスタイルを知っても結希は否定しないと解っていた。だがその姿を見て、楽しい、羨ましいなんて感想を抱くのは予想外だ。随分マシになったものの、物事に興味の薄い、感情の変化の乏しい彼女が、特にバスケに関してそう口にするのは珍しい。寧ろ初めてかもしれない。先程の歪んだ笑みとは違いうっそり答える姿に少々驚き、冗談めかして「花宮に惚れたか?」問うと首を傾げた、が。
「でも、ほんと格好良いです」
んんんん、ウソやろ?
花宮は「このペースで攻めましょう!」とそれはもう爽やかに笑っている。一見好青年な姿は確かに異性からすれば魅力的だろうが、本性を知るワシから見ればその笑みはどことなく嘲る色。結希にもそう見えている筈だが、ぎゅっとジャージの胸元を握り花宮を見ている。いや、見とれている。
「空気が……」
「空気?」
「いつもの薄ら寒い優男なのに、空気がキラキラしててドロドロしてて」
あぁ確かにそんな感じやな、と納得する。キラキラドロドロと表されるそれが何かすぐに解った……執着、だ。
“──花宮はなんでバスケやってん?”
“……なんですか急に”
“そない身構えんでも。なんとなく、なんでかな〜て軽く思っただけや”
“態々理由なんて要ります?”
“はは、それもそうやな! ほならなんでそこまでするん?”
“…………”
“あ、別に深い意味やあらへん。責めとるわけでも無いで”
“軽く疑問に思っただけ、ですか”
“おん”
“そうですね……バスケに青春かけて友情ゴッコしてる奴らが、無様に負けるところが見たいんですよ”
いつかそんな会話をした。悪びれず、愉快で堪らないと、まるで歌でも歌い出しそうな雰囲気で答えていた。
花宮はどんなスポーツでも器用にこなす。バスケである必要性はあるのかと、ただ『青春をかけた奴』ではいけないのかと思ったものだ。特にこの世代は『キセキ』が、彼も名を連ねる『無冠』が居る。彼も相当な実力者だが当たれば無様に負かす事は難しい、難しいどころか自分が無様な負け方をする事だって充分あるのだから。
「全身全霊で追いかけてる。ボールとか勝つ事じゃなくて、きっとバスケを追いかけてる。それがほんと楽しそうでキラキラドロドロしてて──……」
それでもコートに立つ花宮を、ワシはバスケに執着していると思っている。本人は否定するだろうが、バスケをする理由をただ単純に「好きだから」とさえ言えない、捻くれきった生き辛い性格。好き嫌いどうこうではなく、執着と表すのがぴったりだ。結希はその様子を感じ取ったのだろう。
「──それが、すてき」
声色が自棄に甘ったるく胸焼けしそうだ。その表情は花も恥じらう乙女も真っ青、見ているこちらが恥ずかしくなるほど可憐。贔屓目無しに可愛かった。知らず詰めていた息を、溜息にしてゆっくりと吐き出す。
ワシは鈍くないどころか、鋭い、鋭過ぎると自負している……結希は恋をしたのだろう。先程冗談めかして訊いた半分は本気、そして気付いた。惚れたのは「花宮」ではなく「花宮のバスケ」にだ。ほんの数時間前に塗り潰された青春を、踏みにじりぶち壊すプレイスタイルにスッキリしたのもあるだろう。そして何より、バスケに興味が無い彼女は、興味も好意も通り越した執着に惹かれたのだ。それはきっと、彼女には手に入れられない感情だから。
「もっと近くで見れたら良いのに……私も、あのコートに立ちたい」
「それは難しい願いやなぁ……」
自分からコートに立ちたいと言う程に。その言葉は稀、いや、ワシが知る限り初めてだ。バスケが好きな人間として、結希がバスケに積極的になるのはとても嬉しい。出来るだけその気持ちに応えてやりたい、叶えてやりたいと思う。だが性別の壁は越えられない。
「桐皇来てマネやってくれたら、ワシの格好えぇとこもいくらでも近くで見せれんのになぁ……」
もし花宮の、『悪童』の試合を見るタイミングが今でなければ、もし昼に帰していたら、もしもっと前に見ていたら、もし……今この時、この試合に出ているのが自分だったら。ワシが彼女に、何か影響を与えていただろうか?
たらればを考えて、絞り出すように吐いた言葉はまるで負け惜しみ。声は少し掠れてしまった。
眼鏡を外してゆっくり注意深く拭く。掛け直しても期待空しく、結希の様子は何も変わっていなかった。見間違いじゃなかった。普段さして変わら無い表情をくるくる変えて試合を見ている。コイをするとオンナノコはカワイクなる。
(あー……いや、あーもー…………なんやろ。なんちゅうか、なぁ……)
試合終了のブザーが鳴った。花宮率いる母校は見事勝利したが、ワシはなんだか負けた気分だった。