「で? なんだよ」
「健ちゃん二人になんか「してない、あれは自滅だな」
「自滅?」
「自滅」
クツクツと喉で笑う健ちゃん。お昼休み、いつもの屋上……の給水塔の影、梯子を登って二人で内緒話。原ちゃんに引っ張られてザキちゃんは食堂、べーちゃんはニヤニヤしながら珍しくそれに付いて行った。下にはまこちゃんと康くんが居る。まこちゃんはきっとこちらを見透かすように給水塔を睨み付けているだろう。
今日は朝からまこちゃんと原ちゃんが変だ。まこちゃんは苛々して何故か私に怒っており、原ちゃんはなんとも形容しがたい複雑な表情で私を見る。私は何もしていない、筈。二人は時折親の敵のように健ちゃんを睨むし、睨まれた彼は上機嫌だ。だから健ちゃんが原因かと思ったんだけど。
「なんで。なんかあった?」
「うん」
「何があったの」
「朝一にね──……」
朝練前、更衣スペースを出るとまこちゃんが不機嫌な顔で佇んでいた。少々驚きながら朝の挨拶をするが、彼は無言でこちらに寄り私の胸ぐらを掴む。そして顔を近付けて来た。何かしてしまっただろうか、頭突きでもされるかなと軽く身構えていると、鼻先が当たる手前で彼はピタリと止まり、
“チッ! テメーなんで掌底しねぇんだよ、バァカ!”
“はい?”
キレた。まこちゃん流石に理不尽過ぎるよ、よく解んない。
そして、そもそも小谷のおまじないがいけないのだと、道端でベタベタするなと全く予想しなかった事について叱られた。確かにおまじないは顔の距離が近いから、知らない人にはちゅーでもしているように見えるかもしれない。人目を憚らずいちゃつく恋人は見苦しいだろう。それは解る、解るけど。何故それが、頭突き→掌底コースになるのか謎である。
「『お前が掌底すると思ったから俺はああ答えたんだぞ、ふざけんな』って。よく解んないよね」
「へぇ?」
「なんの話か聞いても怒るし」
「クッ! なんの話なんだろうね」
「頭突きには掌底すべき?」
「あー……頭突きじゃなかったかもよ。オマジナイして欲しかったのかも知んないし、お前オマジナイはキスに見えるかも知れないと思ったんだろ? キスかも知んないじゃん」
「ないよ、ありえない」
「言い切るね」
「まこちゃんおまじないをくだらないって言うし、お付き合いして「あぁそっか。てかなんで頭突きだと思ったのに避けないかな……」
「痛くないし、青たん出来る程強くしないだろうし大丈夫。んでね──……」
更に朝練後、更衣スペースを出ると原ちゃんがぎこちなく笑ってソファーに座っていた。彼もやはり無言で、デジャヴを感じながら手招きされる侭に近寄る。「ユーキチャン、オレにもオマジナイしてよ」小谷の影響はここでも出ているらしい。少し悩んだ末、何かあったのか問うが何も無いと答える。だがおまじないは、小谷が緊張や不安を落ち着かせ安心するためにするのだ。実家関係だろうかと考えながら良いよと両手を取る……と、原ちゃんは右手は掴ませず私の頬に添えた。そっと顔を寄せ、
“顔近いけど良いの?”
“? うん”
“……やっぱり良い”
項垂れた。原ちゃん君もなの、よく解んない。デジャヴがすごい。自分から頼んで断って、それに落ち込むのか謎である。
「『ユーキチャンなら絶対避けると思っただけで深い意味は無いし……意味ワカンナイんですけど』って。こっちが意味解んないんですけど」
「へぇ?」
「避けるなら最初からしないって言っても違うって」
「あー面白、何が違うんだろうね」
「顔近いからやだって言うべき?」
「さぁ? キスされるかもって警戒されたかったんじゃない?」
「なにそれ謎。というか自滅って?」
「んぁー……それより気になってたんだけど、キスって口じゃないなら付き合ってなくても良いの?」
随分強引に話題逸らされたな。何かマズい話なのだろうか? というかなんか健ちゃん、
「自棄にちゅーに拘るね。思春期?」
「はは、思春期って! 年齢的にはそうだけど……ちょっと驚いたってか面白かったからな、昨日の小谷の」
「ビズはほっぺただし唇は触れないよ」
「ビズ? チークキスの事? ビズは唇触れないんだ?」
「ビズ、も、触れない」
「も? でもビズ然り、音すんじゃん」
はてなを飛ばす健ちゃん。解るよ、私も最初驚いたもん。「外国人は挨拶でちゅーしてるもんだと思ってた」そう言って小谷に言って笑われたもん。
「それは、」「?」くいっと健ちゃんの服を引いて右頬を合わせる。
「こう、して……」
「ッ、」
「音出すだけ」
びくりと固まり息を飲んだ健ちゃんに、小さく言って離れる。食事中にこれは行儀が悪かっただろうか。
「私リップ音? 出来無いんだけどね」
「お前ね……」
「呆れられても。出来無いもんは出来無い「そっちじゃない」
「ご飯中にごめん?」
「違ぇよ。あーもー癪だわ……なぁ」
「なに?」
今度は逆に健ちゃんから右頬を合わせられる。綺麗なリップ音、続いてそのまま「仕返し。これであってる?」と囁かれ、耳元で感じる吐息にぞわぞわした。離れた健ちゃんはしてやったりな表情で私を見る。
「顔赤いぜ?」
「小谷じゃないと慣れないから……こしょばさが二倍「絶対くすぐったいだけじゃないでしょ」
「なんかちょっと……は、恥ずかしかったの。慣れないし、健ちゃんは帰国子女でもハーフでもないじゃん」
「まぁね」
「に、日本人たる奥ゆかしさが少々足りないんじゃない「クッ! お前が先にしたじゃん」
「あれは説明!」
「俺のは確認」
うぅむ。
「まぁチークキスはさて置き。掌にされてただろ? オマジナイ」
「あぁ、うん」
「良いの?」
「良いんじゃないかな、口じゃないなら。掌は手汗が気になるけど」
「へぇ? 奥ゆかしさ足りてんの?」
「足りてんの。だって可愛いもんでしょ、ほっぺたとかおでことか子供でも親や親しい友達にするよ」
「じゃあ種田も友達──俺らにする訳?」
「さぁ……したくなったらするんじゃないかな、よく解んないけど」
そのタイミングは謎だ。
「はは、何処にしてくれんの?」
「何処? だから、ほっぺたとかおでことか? あ、でも……」
「でも?」
「まこちゃんは嫌がりそう。特に顔とかさ、ぶん殴られる気がする」
「なら何処なの」
「んー…………あしなら大丈夫かな?」
すると健ちゃんは爆笑した。珍しい。ひとしきり笑ってから息を整え、目尻に浮かんだ涙を拭う。
「ゴメンゴメン。あしって何処? なにそれ、面白いんだけど」
「ほら、『俺の靴にキスしろ』みたいな悪役感があるじゃん。だから」
「ふ、そのイメージはどうなの。つまり足の甲?」
「くらい離れてれば辛うじて大丈夫そう。顔はぶん殴られるよ、たぶん」
(キスする=殴られるは浮かぶのに、キスされる=掌底突きは浮かばないんだな。てか花宮が腿──支配で、種田は足の甲──隷属って)
「?」
「お前も大概だよね」
「なにが?」
「いや。まぁ殴んないでしょ、朝は花宮から顔近づけたんだし」
「それは頭突き「じゃ、無いと思うけどね。朝一で突然頭突きってなんなの」
「朝一で突然ちゅーもなんなのだよ。健ちゃん思春期かよ」
「クッ! もうそれでも良いぜ?」
ずーっと笑ってる。ほんと、今日の健ちゃんは上機嫌だ。
まだお昼休みは残っているがお互いご飯は食べ終わったので、梯子を下りてまこちゃんと康くんの近くに行く。
「健ちゃん、ないよ」
「ん?」
「モノは試し」
顔を近づけたら殴るか、首でも鷲掴んで私の顔を遠ざけるだろう。まこちゃんの近くに立って名前を呼ぶ。健ちゃんを睨み付けながら大量のパンを黙々と食べている彼は、聞こえていない筈が無いのに頑なに反応しない。ほんと、どうしたんだろうか。身を屈めて肩を掴む。「まこちゃんってば、」すると逆光、やっとこちらを振り返った彼は眩しそうに目を細めた。すっと顔を近づける。細められた目元、瞼の上。
「────ッ?」
一瞬、ほんの一瞬口元に触れた睫毛がこしょばい。すぐに口を、顔を離す。
「あれ? 殴んない?」
「は……?」
するりと触れた場所を撫でるように拭い首を傾げる。ぽかんとした表情は、綺麗な猫被りも、捻くれた悪い笑みも、不機嫌なしかめっ面も無い。いつもより幼くて、あまり見ない顔で少しおかしくなった。ぽてり、彼の手から落ちたパンさえ笑いに変わる。箸が転んでもおかしい状態。
「お……まえっ!」
「ふふ、私の負けだね健ちゃん。殴んなかった」
「ッはぁあああ!!? キメェ事やってんじゃねーよ、バァカ!!!」
「ッ〜〜!」
その大声は校内に響くよ、ばれちゃうよ優等生花宮クン。なんて。気を取り直したらしいまこちゃんは思いっきり私に肘打ちした。腿に入ってびりびり痺れて痛い。だが彼に戻って来た表情は不快や嫌悪ではなく困惑で。ちらりと見えた耳が気のせいか少し、ほんの少し赤くて。手加減の無い肘打ちは気が動転してる証。反応が面白くて、痛みと衝撃で堪らず座り込んで患部を撫でながら笑う。
「ふ、はは、まこちゃんもしかして照れてる?」
「あぁ驚いたし急に照れるよ……なんて言うわけねぇだろ、バァカ! お前何してんだよ解ってんのか? ぁあ゙!?」
「ちゅーした。口じゃないし仲良しだし別に良いじゃん、だめ?」
「『だめ?』じゃねーよ事後に確認取るやつがあるか、ったくよ……」
「というか、結局肘鉄来たから引き分けかな」
「健太郎の入れ知恵か? バカか? あ? お前らバカか? 春の陽気で脳ミソ蕩けてんのか? バカだろ、あ゙?」
「いや顔だと殴られるって種田が……俺も驚いてんだけど。両方に、」
「煩ぇよ」
「種田大胆だな」
大胆かな。先程健ちゃんにも言ったように、口じゃなければ、親しければ構わないだろうと説明する。
「てか瞼か……なんで?」
「さぁ。なんとなく?」
「へぇ?」
なんでと訊かれても困る。大して考えて無かった。なんとなく、まこちゃんは「ほっぺにちゅー」と言う可愛いらしい単語が似合わないと思った。結び付かない。そして目元が目に入ったのだ。「お前全部覚えてんのか? キメェな」「暗記が趣味なもんで」「……」「気になる? 憧憬だぜ?」「ふはっ、バカな奴」こちらを見て何故か鼻で嗤うまこちゃんだが、少し満足そうに目を細めていた。憧憬? 健ちゃんはニヤニヤしていたが、そんな彼の表情を見て苦笑する。
「種田、キスは口じゃなければしても良いのか?」
「? うん。口は恋人にすべき」
「そうか……ならちょっと鼻を咬ませろ、咬みたい」
「「ブフッ!」」
「? 鼻かみたい?」
「あぁ」
言い出した康くんに、ごそごそとポケットを探る。
「ほいティッシュ。花粉症? 早いね」
「ブッハ!」
「おい待てすまない意味が解らないんだが。なんでそうなるんだ……」
「? 鼻かみたいんでしょ?」
「これは間違って無い、種田間違ってねぇわ!」
「康次郎お前な……」
ケラケラ笑う健ちゃんと呆れているまこちゃんに首を傾げる。唸った康くんは差し出したティッシュは受け取らず、口をもごもごさせながら手招きした。近くへ移動すると両手で私の頬をつまみ、軽く引っ張ったり縦横に動かす。痛くはないけど、赤くなりそうでちょっと困る。一通り感触を楽しんだらしい彼は、ほんのり軽く口を開け顔を近付ける。
「ふとっふ」
「「お前本気かよ」」
「なんでだ?」
「なんか康くんこあい……なに?」
「鼻に齧りつかせろ」
「ひゃなにかいりふかへろ?」
「鼻に齧りつかせろ」
「なんへ?」
「鼻に齧りつきたいからだ」
「「ブハッ!」」
なんでも良いけど話し難い。手を離してもらおうと康くんの両腕を掴むと、ぎゅっと抓られた。「いひゃい」私が痛いってこれ絶対赤くなる、恥ずかしいじゃないかもう。「はなひて」「なんでだ?」「ひゃへれない」もの凄く不服そうに離してくれた。なんだか急に機嫌が悪くなったな。まこちゃんと健ちゃんは目を逸らしてぷるぷる笑っている。少しは助けようとかないの? ないのか、ないか。
「取り敢えずよく解んないから理由は置いといて」
「だから齧りつきたいって言ってるだ「必死か」
「苛ついてんな、どんだけなんだよ」
「昨日思い付いてから欲求不満なんだ、苛々もするだろ」
「「ブハッ!」」
「……取り敢えず理由は置いといて」
「怒るぞ。だから齧り、」
「置いといて」
「……」
「取り敢えずばっちいからやめなさい」
「ブフッ!」
「そこじゃねーだろバカ女」
「何回取り敢えずって言う気だ、そろそろ限界なんだが」
「三回取り敢えずって言った。康くんご飯食べた後だし……いや食前なら良いって訳じゃないけど」
「口を濯げば良いのか?」
「? あぁそうじゃなくて。顔って皮脂が多いらしいからばっちいよ、特に鼻」
「お前が顔を洗えば良いのか?」
「いやそもそもさ、齧るってなに?」
「そのままだ」
「ええぇぇ……『そのままだ』って胸張られても」
「そのままなんだから他に言いようなんか無いだろ」
「だーかーらー、」
「良いからさっさと齧らせろ」
「よく解んないってば。謎」
「お前が納得しようがしまいが関係ない」
「はい? 齧られるのは私の鼻なんですけど。だからさ、何? 齧る? 齧るって食べる? なんで? 私の鼻を食べる? 私の鼻を低くさしてどうしたいの? 康くんの顎の力なに? メガロドン? 私は食後のデザートでもなんでも無いんだけど。やっぱり君は天然さん? 寧ろアホだよね? 康くんアホ? アホの子?」
「……」
「……」
「お前……この状況で煽るとか俺をどうしたいんだ?」
「煽る? 私も康くんがどうしたいのかよく解んないんだけど?」
「咬みたい、咬み付きたいんだ。別に咬みちぎりはしない」
「噛みちぎりはしない。つまりちょっと噛みたい?」
「あぁ、咬みちぎりはしない。甘咬みさせろ」
「そう…………えっ? うん?」
「俺は何も気にしないからさっさと齧らせろ」
「花宮、俺にはつっこみきれない。任せた」
「俺に任せんなよ」
ちょっと噛みたい、なら良いのか? いやだめじゃない? ばっちいよ。
謎に包まれている間にお昼休み終了の予鈴が鳴った。かなり不服そうな康くんは、呆れたように咎めるまこちゃんに怒り返していた。おぉ、まこちゃんに怒るなんて本当に機嫌が悪いらしい。
「お前ちゃんと拒否しなよ」
「んー……うーん……」
「……まさか嫌じゃないとか言わないよね」
「なんて言うか謎過ぎて。意味不明で混乱して若干いらっとはしたけどさ……もうほんと、謎過ぎてどうしたら良いのか「よく解んないならちゃんと拒否しなさい」
「いやその。なんか機嫌悪そうだったし好きにさせた方が良いかなってのも少し?」
「お前もほんとどう仕様も無いね」
何故私が呆れられるのか。
教室に戻ると元八組トリオは既に席に着いていた。ニヤニヤしたべーちゃん、相変わらずぎこちない原ちゃん、憐れみの目を原ちゃんへ向けるザキちゃん。と、私の顔を見たべーちゃんは一転してしかめっ面する。「お花ユーキ引っ叩いた? 往復ビンタ?」「あはは、俺がそんな暴力的な事するわけ無いでしょ? ははは」いや思いっきり肘鉄食らったけどね。どうやら頬が赤くなってしまっているらしい。くそう、恥ずかしい。少し考えたべーちゃんは不機嫌な康くんを見る。
「古橋アンタか」
「引っ叩いてはいない」
「なら何してくれたワケ?」
「寧ろ何も出来無かった、どうしてくれるんだ……フラストレーションが酷い」
「クッ! 古橋どんだけなのほんと」
「はぁ? アンタのフラストレーションなんざ知るかよ。まぁユーキが良いなら良いけど……んで。お花ちゃんはなんでそんなに不機嫌なんですかぁ? え? おうおう」
「はは、なに、田辺聞いたの?」
「聞いた、超ウケる。特に原ね。お花は今迄の状況とお互いの性格的に、納得ってか逆にそれ以外何処にすんだよって話だけど、」
「ナベ煩いよ、さっさと次の授業の用意したら? それで、ヤマは一体何をナベに話したのかな?」
「えっ、俺はただ昨日の話をしただけで……えー」
「もっと面白い話出来たけど聞く?」
「聞く、超聞く」
「後でLINEする、」
「健太郎とヤマは今日の基礎トレメニュー倍で良いか」
「俺完全に飛び火じゃねぇか!」
「……仕方無いね、それでお前の気が済むなら良い、」
「健太郎は余裕そうだな、三倍にしようか」
「時間的に無理だろ、落ち着けって」
「昨日の話? それで二人とも変なの?」
言うとピタリと花宮瀬戸山崎が口を閉じる。これ絶対何かあったよ。追求しようとした言葉は、本鈴と入って来た教師によって阻まれてしまった。ほんと、なんなんだよもう。
朝の二人のあれこれと言い、それもこれも小谷の影響だろうか? 色々落ち着いたと思ったが、新年度からも平穏無事は遠いのかも知れない。