価値

「ねー花宮、ユーキチャン今日も休みー?」
「あ゙?」

 今朝だけで三度目、合計何度か数えるのも面倒な程聞き飽きたその手の質問に、低血圧で朝に弱く、元より性格が穏やかでもよろしくもない──性悪な花宮が凄み睨むだけで返したのは当然だった。

「ブハッ、こっわ! 教えてくれても良いじゃん」
「教えるもクソも知ら「知らない事は無いでしょ」
「な、絶対知ってるわ」
「ママ宮だからな」

 そして花宮の機嫌を察した部員達が早々に体育館へ逃げ、慣れているいつもの面々しか残っていないこの場に、原をたしなめ花宮を擁護する者が居ないのも当然だった。花宮が結希の保護者的立ち位置なのは言わずもがな、彼らもまた性悪だからだ。類が呼んだ友が味方とは限らない。彼らのようなたぐいは、特に。
 そんな性悪でも親しい相手を気に掛ける心はある、寧ろ妙な連帯感から強い……そこに思いやる心があるかはさて置き。

「お前らまでなんだよ、本人に訊け「花宮のが早い、目の前に居んだし。種田から連絡来てないの?」
「あいつが用事がなきゃ送らねーの知ってんだろ」
「でも様子は見に行ったんだろう?」
「だからって俺が毎日甲斐甲斐しく見舞いに行くオヤサシイ人間に見えるか?」

 皮肉たっぷりに薄く笑う花宮に、残る四人は首を横に振る。結希が一人暮らしなのも花宮が月曜見舞いに行ったのも、花宮が結希を特に気に掛ける事も知っている。だが花宮は流石にそこまでする人間ではない、

「今日は行ってねぇっつーの」

 と、思っていた。それを聞くまでは。

(今日 は ってお前……)
(つまり昨日までは毎日行っていたんじゃないか?)
(ソレ今日は ま だ ってだけじゃん?)
(もしかして昨日まで朝も放課後も行ってたの……)

 山崎は苦笑し、古橋は不思議がり、原はウケ、瀬戸は軽く引いた。それぞれ反応は違えど答えは一つ、花宮は十二分に甲斐甲斐しくお優しい、どころか最早過保護だ。そして四人は揃って「あれ?」と首を傾げた。
 その疑念は今まで散々スルーしていたもの。何故なら相手は有智高才で人心掌握にも長けた花宮真。浮かぶ度にまさか有り得ないと否定して、あいつは不器用だから素直じゃないだけだと納得し沈めて来た、そんな疑念。

「なんだよ?」

 急に静かになった四人を不思議がる花宮は、先の己の発言の矛盾に気付きもしない、なんて事ない顔をしていた。それを見て、彼らの積日の疑念はやっと確信に変わる。

 ──あっ、こいつ無自覚だ。

 四人は目頭を押さえた。今まで「不器用過ぎる」と生温かい目を向けていたが、これ以上どんな温度調節をすれば良いのか。これ言った方が良い? 言ったら言ったで面倒臭くね? まず認めないっしょ? 認めさせられるか? 無理!!! 視線で会話を交わした四人は満場一致で考えを放棄した。
 一方花宮はいい加減鬱陶しくなっていた。押し黙る四人が謎の目の運動を始めたのだ、しかも良く解らないが何と無くイラッと来る感じの。放っておいて先に部室を出ようと彼は扉を開いた。

「あ゙?」

 瞬間、前を横切った人物に花宮の機嫌は急降下する。

「どした? おー種田、おっす」
「ユーキチャン復活ー? おっはよーん」
「おいテメー病み上がりは朝練休めってあれ程言っ、」
「おはよ」
「ッおい!」

 制服姿を見る限り一応言いつけは守っているらしいが、勿論花宮の機嫌は治らない。しかし結希は彼に目もくれずおざなりに挨拶を返すと足早に去って行く。

「ワーオ……行っちった」
「随分急いでいたな」
「花宮を完全無視とはね。風邪は治っても反抗期はまだ続いてんの?」
「アレじゃん? 可愛い麻呂眉チャンの件でお小言が怖いからさー?」
「「「あー」」」
「へぇ? お前らがそんなにやる気に満ちてるなんて知らなかったな、今日からどんどんメニュー増やすよ」

 ニコリ、優等生然とした微笑みは柔らかい筈なのに酷く冷たい。件の可愛らしい過去を知った四人は、成長とは残酷だと心に刻んだ。

「待て俺は原からの画像を見ただけ「俺も」
「はは、連帯責任って言葉を知らないのか?」
「不条理……理不尽……「この世の真理だな。まぁ実際はそんなでもないけど」

 経緯は不純ながら、瀬戸の言う事は最もだ。
 二月の中頃から実質的な監督となった花宮の組むメニューは、基礎練習一つ取っても前監督と一線を画している。一見誰が指導しても変わらないように思えるが、基礎は全ての土台だ。効率的で各々に的確な指導は彼らの実力を底上げし、指導者の才などなくともメニューを見直す頃合いだと誰もが理解出来る程に、霧崎第一は目覚しい成長を遂げている。

「けど心情的にはね」
「不服だな」
「それな」
「そーそー「元凶お前らが言う?」
「だから俺は原に巻き込まれただけだっつの!」

 問題児筆頭二年二組の彼らは、文句は零すし理解しても納得はしないのだが。

「ったく、これでもギリギリ及第点だっつーのに」

 もっと早く部を掌握したかった花宮にすれば、現在の体制も選手のレベルも遅れていると言えた。一年の冬には現段階まで整える予定だったが、無能な前監督は予想より遥かに頑固で傀儡に出来ず、しかし切り捨てようにも早急に事を進めれば正式な後任を充てがわれ振り出しに戻る……あのタイミングが最大限妥協出来る落とし所だった。

「でも良いの、インハイ予選真っ只中だぜ?」
「問題無い。お前のお得意の暗記はどうした、トナメ表と対戦校のデータ見せただろ」

 そんな現状でも及第点なのは、偏に状況に恵まれたからだ。予選トーナメント決勝進出を確信した花宮は、それまでの試合を試行錯誤の良い機会だと考えた。逆に言えばその先──予選決勝リーグへ進む事は非常に厳しい……この夏は。
 着いた体育館の扉の前で花宮は足を止めて振り向くと、対する四人を──まだ測り兼ねている手駒を一つひとつ見据えた。

「今年の霧崎ウチの勝負所は今じゃない、秋から始まるウィンターカップだ……それまでには『使える駒』から『使いたいと思わせる駒』になれるよう、精々足掻き苦しんで俺を愉しませろよ?」

 尊大に告げられ四人は目を見張った。これも無自覚なんだろうか? 花宮らしい辛辣な言葉に隠された、確かな期待と鼓舞。瀬戸と山崎はニヤリと笑い、古橋が静かに頷きを返す。そして原は恭しく一礼した。

「お姫様の仰せのままに、ってねん?」
「「「ブフォッ!!!」」」
「…………殺す」





 朝練終わりの生徒で賑わう教室で、結希は真っ青な顔で途方に暮れていた。

(無い……なんで、どこ……)

 朝から家中ひっくり返して探し、通学路、教室、部室、体育館、屋上、廊下、トイレと思いつくまま辿り教師に訊ね、先週末訪れた予選会場やタクシー会社にも問い合わせた。それでも彼女が求めているモノは見付からない。

「おっすー、おひさユーキおは、」
「ッべーちゃん!」
「お、お?」

 朝の挨拶も飛ばして掴みかかる勢いで縋る結希に、田辺は何事だとその美しい眉を下げる。「朝からスゲェ焦ってたけどどうした?」「は?」しかし現れた山崎の言葉を聞いて、彼女は一転眉を釣り上げた。

「朝からぁ? ユーキ朝練来たワケ? 病み上がりに何考えて、」
「クラシックスポーツが無いの!」
「くらしっくすぽーつ???」

 珍しく声を荒げる結希は田辺の怒りを前にしても止まらない。田辺は勢いに押されるまま、一体何の話だと、少し落ち着けと結希の肩を叩くが「うん、家も学校も全部見てるのに無くて。どこ、どうしよ……」と彼女は一人項垂れてばかり。

「そうだ保健室! 見てくる!」
「え、ちょ、ユーキ!?」
「もうチャイム鳴るよ……って聞いてないな」

 かと思えばハッと顔を上げて瞬く間に走り去ってしまった。
 いつもの面々は少しばかり面を食らいながらもそのまま席に着く。結希が授業をサボるのはよく有るとは言え、出席を取り終えてすらいない今、優等生として声を掛けた花宮以外誰一人彼女を止めない辺り、彼らの性格がよく現れている。

「なんか失くしたっぽいけどなんだ「クラシックスポーツ、って言ってたね」
「ねー花宮ー、ユーキチャン何探してんのー?」
「くらしっくすぽーつとはなんだ?」

 結希の事は花宮に聞けば解る法則、を確立しつつある四人は早速彼にその疑問をぶつけた。

「……さぁ、なんだろうね」

 一呼吸置いた返答に、彼らの心はまたしても一つになる。

 ──これ絶対花宮知ってるだろ。

 である。更に猫を被っていても笑顔を見せず目も合わさず、お座なりに煙に撒こうとする姿に、彼が何かしら不本意に関係している事も安易に予想出来た。そうくれば興味は膨らむ。花宮が駄目ならもう一人の母親に聞くだけだと四人は矛先を変えた。

「田辺、思い出せ」
「花宮教えてくんないんですけど」
「クラシックスポーツっしょ? アタシも解んな……あ」

 ピタリ、と動きを止めた田辺は徐々にニタニタ厭らしい笑みを浮かべた。

「アレの事ならアタシよりお花のがよぉく知ってんよ、ねぇ? イジワルせずに教えてやんなよぉ」

 態とらしい猫撫で声に花宮はほんの一瞬無表情を見せ「そう気にする物でも無いよ。それより一限の現文で──……」と無理矢理話題を変えたが。

「って言われるとさー?」
「「「もっと気になる」」」
「……後で本人に訊けば良い「花宮のが早い、目の前に居んだし」
「この下り朝練前もしたな」
「『ママ宮だからな』だったか」
「ブハッ! まぁ自分からは言えないよねぇうんうん! いやぁ仕方無いなぁ仕方無い、この田辺サマが教えてしんぜよう」

 花宮を弄れて上機嫌な田辺の笑顔は残念な程に汚い。当の花宮は爽やかな苦笑に隠しきれない青筋を立てていたが、扉を見やると小さく鼻で嗤い前を向いた。田辺が声を潜める。

「アレはねぇ、」
「バカは休み時間にしろ田辺、チャイム鳴ってるぞ。委員長号令」

 しかし気になる真相は、入ってきた担任によって遮られてしまうのだった。






 保健医に追い返されショートホームルーム中戻ってきた結希が一限の休み時間に目をギラつかせて出て行き、肩を落として再び教室に現れたのは昼休みの事だった。

「結希昼メシ行こう? 行くよな? それとも今日抜く気か? 抜かないよな? 食べないと身体に悪いよ」

 水分補給だけしてまた慌てて教室を出て行こうとした結希を、花宮が質問の形をとりながらも有無を言わせない強さで引き留める。「花宮やめろ、怖ぇ」「瀬戸先生コレはアレ? 躾っつーか……調教「それも違うような」「脅しだな」「「「それだ」」」バカを言う四人を尻目に、花宮は結希の鞄を肩に掛け彼女の手を取る。

「さ、病み上がりだし今日は温かい温室で過ごそうか?」

 もう片方の手を結希の腰に添えてエスコートする花宮。その紳士な王子様っぷりに、周囲の女子はおろか男子まで顔を赤らめボーッと見惚れた。

「ま、まこちゃん……その……」
「ん?」

 口に手を当て目を泳がせる結希少女と首を傾げ微笑む花宮王子様は、まるで少女漫画のワンシーンのよう。

(やめてきもちわるい)
(ぶっ殺すぞ)

 実際は、結希は鳥肌を立てドン引きしていたし、花宮はそんな彼女の足をこっそり踏み、BGMに田辺の歌うドナドナと原の笑い声が響いていたのだが。
 猫を被る花宮は存外気障だ。顔の良さを自覚する彼は、都合の良い印象作りの為なら吐き気を催す演技だって完璧にこなす。その無駄に努力家な一面が、天敵である今吉に「随分生き辛い性格しとるおもろい後輩」と可愛がられ弄られる理由の一つだと彼は知らない。閑話休題。
 屋上への道すがら何度も探しに行くと逃げ出そうとする結希に花宮の機嫌は最悪だった。「良い加減にしろ、ウゼェんだよ」屋上に着いた途端結希の頬をつねる花宮は、思い通りにならない苛立ちに加え、病み上がりの彼女を少なからず心配していた。中々どうして素直でない生き辛い性格の男である。

「そんでさー、クラシックスポーツって結局なに?」

 原が結希にやっとの思いで疑問をぶつけた。うんうん頷く山崎瀬戸古橋。四人は休み時間の度に田辺に訊こうとしては花宮に妨害され、メッセージアプリを開く隙さえままならなかった。

「それは、」
「別に何でも良いだろ。言ったろ、別段気にするよーなもんじゃ「なら教えてくれても良いじゃん。それとも隠したい感じ? さっきから遮ってさ」
「……お前が言うなっつーの「はは、確かに」

 図星で決まり悪いのか、花宮は舌打ち一つで諦めたように食事に取り掛かった。「で。花宮が隠したい種田の探し物とは、」「別に隠してねーよどーでも良いからだ」とは言え気に入らなければピッと箸で指して瞬時に訂正は入れる。

「…………なら良いだろ。それで種田、なんなんだ?」
「……万年筆」
「丁度この前話したあの白い小せぇのか」

 言われて見れば結希の胸ポケットが寂しい。四人はあの時終始ご満悦だった様子を思い出し、捜索の必死さに納得がいった。「休む前に紛失したのか? 通学路は?」「朝来る時見たけど……」そのまま無言で首を横に振る結希。花宮の反応が面白くて悪戯に食いついていた四人も、余りに悲壮感漂う彼女に、同情はしないものの少々動揺する。ここまで落ち込んでいる姿を見るのは初めてだった。

「……あー言い辛いんだけど、よ、」

 しかし原曰く薄っぺらな偽善者感が嗤える──とどのつまりこの中ではマシなだけで結構アレな性格の山崎が、考え無しに非情な推察を投下する。

「もしかして盗まれたんじゃね? 花宮関連で……女子に」
「ぅえ!? そんなの見付かんない、女子って誰? 誰見たのどの人ザキちゃん教えて!」

 案の定山崎に詰め寄り縋る結希を見て、残る五人は「流石バカザキ」と溜息を吐いた。

「種田落ち着け、バカザキの話は可能性の話だ「って言っても確率はかなり低いと思うよ、バカザキの考えだし」
「盗むならもっと盗り易いの狙わない? つまりバカザキって事だよん、ユーキチャン気にするだけ無駄ムダ」
「アタシもバカザキの線は無いと思うわ。秋の騒動でその辺は完全に沈静化してるし、元々嫌がらせに盗難は無かったからね」

 フルボッコな山崎はと言うと、至近距離ゼロ距離な涙目上目遣いの結希に顔を赤らめテンパっていた。投下するだけしてフォロー無し、流石バカザキである。

「そっか……皆ももし見かけたら教えてね。じゃぁ私もう行くから、」
「まだメシ食い終わってねーじゃねーか。康次郎も言っただろ、ちったァ落ち着け」

 今日も珍しく弁当を持ってきていた花宮が、母の愛情てんこ盛り三段重の一段目を食べ終え結希に文句を垂らした。他の面子が「食うの速ぇよ……んでどんだけ食うんだよ……」と内心引いたのは言うまでもない。

「お前がそんなだと俺が担任にグチグチ言われんだぞ、ウゼェ」
「そ、れは……ごめんだけど……午後はちゃんと授業出るから、だから今のうちに探、」
「はぁ? 病み上がりのクセして朝から来て散々探したんだろ? んで見付からねーんだから無ぇんだろ」
「でもアレは初めてま、」
「しつこい、諦めろ」
「そんな事……まこちゃんがそんな事言わないでよ!」

 焦燥感と悲壮感に山崎の非情な投下とボロボロに凹んでいた結希が、花宮の追撃で悲鳴のような叫びを上げる。「お、落ち着こうユーキ、もうちょい食べてさ、したらアタシも手伝うから、ね?」「……」田辺のフォローも虚しく、結希は目元をぐっと拭うとフラフラ立ち上がった。

「おい何処行く気だ」
「探す」
「マジでしつけーな、もう見付かんねーよ。諦めて静かにオスワリしてろ、また熱出んぞ」
「やだ。見付け出す──……」

 ──絶対、諦めない。

 力強く放たれた言葉は、花宮が最も嫌悪する部類のモノだった。諦めないからなんだ、思うだけで事態が好転するか? 一際苛立つ花宮を結希は負けじと睨み返す。その強い意志を燃やす瞳は、花宮が相容れないイイ子チャン──特に、不屈の精神を持つある男にそっくりで彼は胸糞悪くなった。

(お前こそ……お前がそーゆー下らない事言うなよ)

 なんだか裏切られたような気さえした。

「ふはっ、あんなゴミ……この際捨てちまえ」

 だから結希が傷付くだろう言葉を冷たく吐き捨ててしまったのは仕方無い事だったし、花宮自身意図して吐き捨てた。だがそれ故に彼は、結希の爆弾だ地雷だと言われる彼は、結希の地雷を思い切り踏み抜いた。

「ッなんで! なんでそんな事言うのなんで探しちゃ駄目なの!? まこちゃんも探してなんて言ってない、私が探してるだけじゃん……大切なのに、まこちゃんはそうじゃなくても、あれは私にとって凄く大切なのに!」
「チッ! やめろウゼェ。新しいの買えよ、もっと良いヤツにすれば?」
「だめ……あれじゃなきゃやだ」
「あーはいはい。なら同じの買えよ、別に廃盤に成ってねーだろ、はぁ」

 地雷を踏んだと気付かない花宮は、仕方なさそうにスマホを操作する。結希は至って真剣だと言うのに、駄々をこねた子供を相手するような適当さに、何も解っていない彼に、彼女の怒りと哀しみはふつふつ煮える。

「ほらあったぞ、まだ普通に売ってるぜ? ったく、世話の焼ける、」
「違うじゃん、同じだけど同じじゃないじゃん!」
「はあ?」
「花宮が間違えると思えないが」
「マイナーチェンジとか?「それも花宮なら解るでしょ」
「お前ら解んねぇ奴らだなぁ。愛着とか思い入れとかあんだろそう言うの、なぁ種田」
「んなもん知るか、無ぇんだからグズグズ言っても仕方ねーよ。ほら結希携帯貸せ、ページ出してやるから、」
「違うもん!」

 違う違うと一点張りの結希に花宮は呆れを通り越して怪訝に首を傾げる。何が違う、どう違う? そんな彼を見て、結希はこれ以上我慢ならないと言わんばかりに激情で打ち震えながら悲痛に叫んだ。

「あれはまこちゃんが初めてくれたのじゃん全然違う!」

 瞬間、ピタリと場の空気が止まる。

「いらねー事言ってんじゃねーよ……クソが……」

 そろそろと注目を浴びた花宮は、頭を抱えて唸った。

「ワォ、そういう事かー」
「へぇ? 誕生日は違うよな、クリスマス?」
「おま……自分でやったプレゼント捨てろって騒いでたのかよ」
「煩ぇ、騒いでねーよ」
「ツンデレが過ぎるぞ花宮、伝わらない」
「煩ぇっつーの!」
「アンタら知らなかったの? てっきり先週自慢されたと思ってたわ、通りで万年筆って解んないワケだ」
「あ゙ークソ……自分で買いたくねーっつー事か? はぁ……なら買ってやる。ただし試し書き出来ねぇからネットはダメだ、面倒だが今度銀座行くぞ、あそこならあるだろうし丁寧に対応くれんだろ。それで良いな」
「良くない!」
「はぁ??? 一緒だろーが」

 この時も花宮は心底理解出来ていなかった、いや理解しているつもりだった。だからこそ買ってやると、文房具屋へ共に行こうと誘ったのだ。彼にしてはかなり甘い、譲歩した提案。だと言うのに何故か結希は拒絶する。優秀な頭脳を回してもさっぱり解らない違いに、彼女の必死さに、花宮は首を傾げ続けた。
 一人だけ、結希の主張が理解出来る田辺はそんな花宮に溜息つく。愛着──山崎の主張も正しいだろう、また花宮が買う──それも同じだ。しかしそれだけでは無い。

「一緒じゃない、なんで……ッ、もうちょっと探す、まこちゃんにとっては一緒でも違うもん……」
「あーマジ意味解んねぇ」
「良いよ、解らなくても。それは責めない、仕方無い、価値観の違い。でも……私にとってはあれじゃなきゃ違うから、『初めてのプレゼント』だから、それが凄く大切だから……例えまこちゃんが嫌でも」
「……諦めろよ」
「いくらまこちゃんが贈り主だとしても聞けない。探すのはそんなにだめ? なんで? 言ったでしょ、『一緒に探して』なんて私頼んで無い、なんで諦めなきゃなの……解んないよ、解ってよ……」
「ウザい、くどい、こっちこそ意味解んねぇ。なんだよそれ、『私が大切だと思うからお前も大切に思え』って? 価値観の違いだなんだ曰うなら、違う価値観を押し付けんな」
「違う! 違う……」
「そうだろ」
「違うよ……なんで……」

 ポタ

 軽くループする話に飽きてきた原達四人は、何かが落ちる音に顔を上げた。ポタリ、また静かに落ちる音がする。発信源を見ると、頭を垂れる結希の足元が雫で濡れていた。

「え、種田? ちょ……マジか!?」
「花宮がユーキちゃん泣かしたー、泣ーかしたーなーかしたー「泣く程の事だった? てかギャン泣きしないんだ?」
「見たい、種田顔を上げろ」
「ユーキ……! あーもーお花!!!」
「お、おい、結希」

 全員が様々な反応を示す中、花宮が焦った声を上げる。珍しいと興味深く彼を見ていた四人は、視界の隅で顔を上げた結希を捉えそちらを向き、

「「「「は……?」」」」

 予想外の光景に驚いた。
 結希は泣いてなどいなかった。その瞳には溢れそうな程涙が溜まっているものの、辛うじて泣いてはいない。代わりにきつく噛み締められた唇から、

 ポタリ

 赤が一筋溢れていた。落ちた雫もよく見れば赤い──血だ。結希は血を零していた。

「あーえー……結希、良いから落ち着け、冷静になれ、んでちょっとこっち来い」
「やだ……まごぢゃん、ぎらい……探じに行ぐ」
「解ったから、んな事より口切れてんぞ、ほら、」
「そんな事じゃないもん!!!」

 声を荒げる結希に、顎を伝った血がまた落ちた。

「なんで、全然解ってない! 私は『まこちゃんも大切にしろ』なんて言ってない、価値観も押し付けてない!」
「あ、あぁ解ったそうだな、だから結希、」
「ただ私は……私が、大切にしたいって気持ちを、否定しないで。その気持ちを理解しなくても良い、まこちゃんがそういうの気に留めないのも解んないの私解ってる、でも、私がその気持ちを持つ事は、それくらいは理解してよ……それはだめなの? それさえだめ?」
「いやダメっつーか……兎に角少し落ち着け、深呼吸だ息吐け、ちゃんと、息を、吐け。お前口切れてんだぞ、どんだけだ結構血出てんな……あーほら、顔拭いてやるからこっち来い、一旦ここ座れ」

 こうもしどろもどろする花宮は大変貴重だ。原は即座にスマホのカメラを起動し動画を回す。「種田の顔もアップで頼む」「任せてー」ちゃっかりする古橋と堂々とした原にもツッコミを入れられない程、花宮は焦っていた。

「万年筆もちゃんとまた買ってやるし、な?」

 そして良かれと思って付け足した言葉が決定打となった。

「もう良い……愚鈍過ぎ、まこちゃんの解らず屋」
「あ?」

 弱々しく主張していた結希の声が三つ程下がった。スウッと大きく息を吸った彼女は、花宮へ射殺さんばかりに鋭い視線を寄越す。

「捻くれ者、天邪鬼、へそ曲がりのつむじ曲がり、聞かん坊、子供か、駄々っ子、アホの子、アホ! アホまこちゃん!」
「ッはぁ!? 誰が捻くれてるって? 誰がガキだ!? 駄々捏ねてんのもアホもテメーだろうが、アホっつー方がアホなんだよバァカ!」
「煩いまこちゃんなんかもう知らない! まこちゃんのアホ! ドアホ!!!」
「煩ぇ俺だって知るかバァカ! バーーーッカ!!!」

 そうして低レベルな言い合いの末、結希は走って屋上から去ってしまった。

「ハァ、ハァ……あのクソバカ女……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「プッ……フ、フフ……」
「笑うなって……ブフッ!」
「ンン゙ッ、流石は親子な……罵倒だった「クッ! 親子ってか、ッどっちもガキでしょ」
「ば、罵倒ってレベルでも無いし、ッ!」

 笑いを堪える原達四人を、花宮は肩で息をして荒い呻きを吐きながら睨み付ける。普段なら即座に謝る強い怒気も、ツボに入った彼らには興奮した子猫の可愛い威嚇にしか見えない。
 花宮が息を整え四人が山を越すまで、長いようで短い沈黙が過ぎた。「お前らも喧嘩とかすんだね」まだ少し落ち着かない笑いを滲ませて瀬戸が言う。

「てか種田が花宮にキレたりすんだなって?」
「だな、血を流していたのも驚いたが。涙かと思ったよ」
「……変わりなねーよ」
「全然違ぇだろ。スゲェビビったからな、血!」
「アリ? 花宮もしか落ち込んでる? アホって言われたの効いた!? ウケる!」
「違「じゃあ『きらい』の方か」
「違ぇっつーの! ったく、口切ったまんまどっか行きやがって……あのバカ女」
「バカはアンタっしょ、ほんとお花バッッッカじゃないの? 何ユーキ泣かせてんの超最低、超最悪、超絶バカ……最っっっ低」

 一人、沈黙の間も冷たい視線を花宮へ送り続けていた田辺が怒りを露わにした。先週結希の体調不良の原因として彼をなじった時以上に、顔と言葉と空気でもって酷く責め立てる。「……煩ぇよ」流石に結希を泣かせて分の悪い花宮も、返す悪態に覇気が無い。

「いや泣いてなくね? 吐血? はしてたけどよ」
「あぁアンタらは初めて見るか……アレね、ユーキが泣く時のクセ」
「クセ?」
「つってもあの子絶対泣かないんだけど。『昔』っから泣きそうになったら我慢して我慢して、唇噛んで超我慢すんの。涙溢れたとこなんてアタシすら見た事無いから」

 だから結希は涙の代わりに血を流す、先程の彼女は確かに泣いていたのだと田辺は念を押した。
 田辺は知らないが、正確には結希は記憶を失ってからも三度涙を流している。それぞれ一度だけ見た事のある花宮と古橋は、己だけが知っている(と思っている)あの涙を、なんとなく訂正せずにひっそり心に留めた。

「泣かないから励ましもさせてくんないのよ? 解るこの気持ち、ほんっとお花超バカ!」
「あいつがバカなんだろ……泣けもしねーで自分に当たって。マジでバカ、バカクソチビ女」

 口を尖らせそわそわと、心無しか心配そうに結希が出て行った扉を気にする花宮を、原達四人はジトーっと見やる。

「なんだよ「自分で追い出したようなもんだろって言う」
「自分に当たらせたのも花宮じゃん……?」
「ちゃんと泣かせてやれよ……」
「良い案だな山崎」
「俺は泣き顔見たくて言った訳じゃねぇからな!?」
「で、ギャン泣き話は何処行ったの」
「……お前の聞き間違いだ「クッ、はは! そっかゴメンゴメン」

 瀬戸がニヤニヤ落とした話に、大晦日を思い出した三人は花宮へまたジトーっと視線を送る。先程の狼狽えようと苦しい言い逃れからして、花宮はただ単純に結希の泣けずに泣く姿に弱いのだろう、だから「餓鬼の様に煩く泣くからやめろ」と脅しを掛けたのだ。本当に素直じゃ無いと瀬戸と山崎は生暖かく苦笑した。「確かにあの泣き顔は心にクるものがあったよねん」「だな。因みにその心は」「加虐心?」「お後が宜しいようで」欲望に忠実な二人は漫才をおっ始めていたが。

「しかしあの万年筆、まさか花宮からとはね。てっきり今吉さんに貰ったもんだと思ってたわ」
「なんであの人が出てくんだ「種田が大事にしてたし褒められてめちゃくちゃ喜んでただろ? お前は相当不機嫌だったし」
「不機嫌じゃねーよ」
「それは無理があるぞ。にしてもクリスマスプレゼントか、バレンタインと言い案外イベント好きなんだな」
「シッカリチャッカリしてんじゃんマコチャン?」
「ウザ……」
「マジで器用か不器用か解んねぇな、自分が贈ったもん矢鱈貶して捨てろとかよ。お前クッッッソ面倒クセェ性格してるぞ」
「煩ぇ、自覚ぐらいしてるっつの」
((((してたのか……))))

 軽口を言い合ううちに少しづつ調子を取り戻す花宮。しかしそれを赦さない者がここには居た。

「ふっふーん、なんたってあの万年筆はお花の黒歴史、コンプレックスですからぁ? ねぇお花ぁ?」

 勿論田辺である。

「コンプレックス?」
「黙れナベ、死ね」
「は? ユーキ泣かせたんだから猛省してろ」
「……」
「あの万年筆ね、クリスマスじゃなくて誕プレ的な? 兎に角お花が初めてユーキに贈ったもんなんだけど、それまでもコイツ人にちゃんとプレゼントなんてした事無かったっぽくてさ」
「……だったらなんだよ」
「そこでお花少年は悩みに悩みまして──……」

 幼い頃から人気者の花宮の元には、誕生日やバレンタイン、クリスマスは勿論、お土産に差し入れと沢山の贈り物が届いた。甘い菓子に文房具やシール、小物、手作り感満載のチョコレートやクッキー等々……味覚にも趣味にも合わず、一部可愛い筈のおまじない付きの物も度と数が過ぎればただの呪い(それ故彼が少々潔癖の気を持ったのは当然だった)、例え不用品ゴミでも貰った以上何か返さなければいけないのも煩わしく、実用品は使えば厄介な想いを暴走させる。
 そんな贈り物に良い思い出の無い花宮へ、間近で見てよく知っている筈の今吉が田辺と共謀し、結希へサプライズプレゼントをしようと提案したのは彼が中学二年の春だった。

“誕生日なんもせんやったやん? 日付はぐらかされたし、そもホンマに覚えてなくて嫌そうやったしな”
“でもユーキにはもっと俗っぽいイベントに絡ませたいわけよ、楽しませたいわけよ。お誕生日会ー! とか特にいつかしたいイベントだったのにさぁ……”
“やから代わりに別の日にお祝いしよかって”

 しかし共謀している割に、今吉は結希が礼を言いに来た日を、田辺は結希に改めて話し掛けた日を、それぞれ「ハジメマシテ記念日」と主張し揉め始める。

“ねぇちょっとお花!”
“花宮はどっちがええと思う?”

 詰め寄る二人を面倒に思いながら、花宮は少しだけ考えた。どっちでも良い──どうでも良い、と答えればもっと面倒になるだろう。
 因みに、倒れる結希を介抱した花宮と今吉、運び込まれた保健室に実は駆け付けていた田辺──三人が『今』の結希と本当の初対面を果たしたのは05/31だが、それでは「記憶喪失記念日」になってしまうので避けるらしい。
 それでも。

“べつに……05/31で良いでしょ”

 ぶっきら棒な解答は、何も考えを放棄した出任せではない。花宮は彼なりに、少しながらも考えたのだ……過去の記憶が死に零へ帰したその瞬間は、同時に、新たな記憶が歩み始めた瞬間ではないか、と。記憶喪失日は『今の種田結希』の起点日でもある、この世界との「ハジメマシテ」はあの日で違いない筈だ、そう花宮は伝えた。

“お花…………天才!? 起点つまり誕生日じゃんつまりお誕生日会じゃん!?”
“それええな。じゃー結希は05/31も誕生日っちゅう事で。花宮もちゃあんとプレゼント用意しとけよ”
“え……はあ!? なんで俺まで、”
““言い出しっぺの法則〜””

 謀られたと気付いたが時既に遅し、二人は最初からそのつもりで花宮に選択を迫っていた。斯くして結希の誕生日(仮)は本人の預かり知らぬ所で決定され、花宮は初めて彼女へ贈り物をする事となる。
 花宮は悩んだ。今まで母親以外へ自分から物を贈った事なんて無ければ、お返しだって母親に見繕ってもらった物を渡しただけ。都合の良い優等生を演じて模範解答の更に上を、教師やクラスメイトの欲しい言葉をうそぶくのは得意だが、他人が欲しい物なんて興味も無ければ考えた事も無かった。しかも相手は記憶も感情も死んでいて、物事に関心の薄い結希である。

“適当にいつも通り母さんに、っつーのもなぁ。なんかやだ……結希のクセに生意気に『はぁどうも』みたいな顔されたらムカつくし、今吉先輩が渡したもんに負けたら最悪。んで先輩が『いやぁ悪いなぁ』とかって勝ち誇って笑ったらクソウゼー……うんウゼェ、それだ、ゴミやるなんて俺のプライド的が許さねぇな、やだ”

 素直に「結希の喜ぶ顔が見たい」とならない辺り、花宮はこの頃から花宮だった。
 しかし書籍やネット、同級生と市場調査をしても、結希が何を欲しがるか花宮は解らなかった。どれもこれもピンと来ない。

“……お前なんかくれるって言われたら何が良い”
“特には。あ、カカオ100%チョコ以外”
“喧嘩売ってんのか”

 最終手段と直球に訊いてもこれだ。
 寝る前にノートへ候補を書き連ねては斜線で消す日々、もう当日は来週に迫っていた。そして悩みに悩んで、悩み倒した結果、ふと持っている万年筆──中学の入学祝いで母親から贈られたそれが花宮の目に留まった。

「──シンプルイズベスト、お花少年は自分が貰って嬉しかった物を贈ったワケよ「意外」
「嫌がる物あげそうだよな」
「ヤダ、花宮少年見た目も中身もカワイー」
「その頃は純粋だったのか」
「別に嬉しかった訳でもそーゆーんでもねーよたまたま目に入って他に思いつかなかったからだ! あとあの時はもう成長期来てたっつーの!」
「はいはい、ツンデレマコチャン」

 花宮が小遣いと品質と結希のイメージを考慮し、文房具屋を梯子してネットを泳ぎ回りやっと見付けた六角形の小さな真っ白い万年筆を、結希は珍しい柔らかな笑顔で受け取った。早速彼女は制服の胸ポケットに刺して、それから全ての筆記をそれで行う。

「でもなんでコンプレックスなんだ? 黒歴史ってのは花宮的に解らなくもねぇけど」
「それはペ、」
「ッだぁーもう良いだろ、黙れナベ死ね!「はいはいツンデレ花宮、話進まないから」
「それはね……ペン先が合わなかったからよ!」
「ペン先?」

 万年筆は構造上ペン先の作りに個体差が出易く、また筆圧や当て方によってインクの出が変わる。誰かが使い辛いと投げた物が他の誰かにとってはしっくり来る事もある、ペンドクターと呼ばれる調整師さえ存在するニッチで繊細な代物だ。つまりペン先と書き手の相性が非常に重要になる。

“万年筆のコツってある?”
“は?”
“その……上手く書けなくて”

 花宮が贈った万年筆と結希の相性はすこぶる悪かった。
 不良品かと花宮や田辺が試し書きしても、結希の書き方が悪いのかと花宮の万年筆アルスターを触らせても問題は無い。だがその万年筆を結希が使えば二度三度なぞってやっとインクが出る始末。

“……それ捨てれば”
“なんで?”
“書けねーんだから使いようねーだろ”
“んー、私の書き方が悪いんだよ”
“…………”

 結希が四苦八苦して万年筆を握る度、花宮の胸には苦い鉛が蓄積した。誰しも初めは失敗すると言うが、なまじ結希が喜んでいるだけに花宮は開き直る事も出来ない。彼にとっての初めてのプレゼントは、プライドを傷付ける以上に、彼女へ要らぬ苦労を掛ける不用品ゴミを送ってしまったと言う後悔の象徴と成った。

「だから『捨てろ』『別の買え』か」
「本当は視界に入れたくもないかんね、コイツ」
「べつに……そんな事ねーけど?」
「はいはいツンデレ花宮。でも種田普通に使ってね「同じものを買い直した、ってのもさっきの様子からして無さそうだね」
「アンタら解ってねぇわ、ユーキだよ?」

 結希は気付いていた。花宮が最近悶々と悩み難しい顔で自分を見ていた事も、当日妙にそわそわしていた事も、包装を開く瞬間少し顔が強張っていた事も……喜ぶ自分にそっと安堵した事も。

“ふはっ、俺はやればなんだって出来んだよ”

 得意気に呟く彼が、初めて人にプレゼントを贈ったと言う事も。
 結希は嬉しかった。サプライズも誕生日プレゼントも記憶喪失の自分にとっては初めてだったし、万年筆は格好良くて可愛らしく気に入ったから。だがそれ以上に、花宮が初めて人に贈ったものであり彼に初めて貰ったものだと言う事実が、彼が自分の為を思って沢山悩んでくれた気持ちが、喜ぶ自分を見て薄く浮かべた笑顔が、とても嬉しかった。

“大事にする、大切に使うね。ありがと”
“……大袈裟なんだよ、んな大層なもんじゃねぇ”
“関係ない。ほんと嬉しい、ほんとに。ふふ、ありがと”

 物事の価値は本来非常に個人的なものだ。金は価値を可視化する尺度、値段はただの基準に過ぎない。だから「お金で買えないモノ」なんて言葉が生まれる。
 花宮がもう一本買ってやろうか、それとも別の何かを改めて渡そうかと諦めたその万年筆は、既に結希の掛け替えの無い宝物になっていた。結希は花宮が決め兼ねる数日の間に、図書館や慣れないネットで調べあげ試行錯誤し、更にペンドクターを訪ねていた。

“お前まだそんなもん使……あ? 書けてんじゃねーか”
“うん、インク変えて調整もして貰った。書き方も力み過ぎだったみたい。これで使える、私使い熟してます”

 結希はドヤ顔で嬉しそうに報告したけれど。

「──お花にとっては尻拭いされた気分でみみっちいプライドズッパシ、みたいな?」
「花宮らしいな。まぁ恩着せがましいと言えなくもない「んで種田らしいね、健気通り越して執念すら感じる」
「愛着っつったの訂正するわ……交通費修理代時間諸々考えたら同じの買う方が良くね?」
「ユーキチャン身内には結構重いよねん。オレらが贈ったモンならその辺の石でも喜びそう、今度やってみよん」

 なんとまあ彼等らしい感想に顔を歪める田辺を、花宮はほら見た事かと鼻で嗤う。

「あん時も言ったろ、そこまでするよーな代物じゃねーよ。まだヤマの言う通り買いなおした方が合理的だ……なのに何が違うってんだ、意味不明」
「だーかーらー! なんで解んないワケ!? それはお花だから、アンタらが類友だからよ! つか普通そこまでされたらこっちだって嬉しいじゃん!? 『贈り甲斐があるよ大切にしてくれて有難う』って感激するとこじゃん!?」
「えー無いわー」
「すまない意味が解らない」
「重いでしょ」
「演技してる花宮なら言いそう」
「ふはっ、ほらな」
「お前らが無いわ!!!」

 有り得無い、人の心が無いと叫ぶ田辺。一頻り叫んだ彼女は大きく溜息をついて、一転、真剣な顔で花宮を見据えた。

「まー良いわ、良い。ユーキが言ったようにアタシもお花が『そういうの気に留めない、解んない』って知ってっからね、んでアンタら類友だし」
「なんだそれバカにしてんのか? あ?」
「違うから。単純にさ、お花人に物貰っても要らない物はゴミっつって基本捨てるか売るじゃん、選んだ側が掛けた金額的コストや時間は考えても『気持ち』『想い』とか考えないし理解しないっしょ?」
「くだらねーからな」
「そ。それを言ってんの」

 花宮が結希に贈った万年筆は、花宮にとって「ただの」万年筆でしかない。或いは失敗、後悔の象徴か。しかし結希にとっては「花宮が自分の為に悩み尽くし、彼が初めて人に贈り彼に初めて貰ったもので自分が初めて貰った」万年筆だ。

「修飾語がでけぇ」
「ユーキにとっちゃそれだけデカい物って事、要は付加価値ね」

 万年筆自体も大切だろう、しかし結希が重きを置くのはその付加価値だと田辺は言う。付加価値こそが掛け替えの無い宝物足らしめていると。だから同じものを買っても、例え花宮に買いなおして貰っても、それは全く別のモノに成ってしまう。

「別にお花がそこ理解しなくても良いと思うよ? 無理だろうし、それこそ価値観は違うんだから」
「……」
「でもあの子が『大切に思う』っつー価値観は否定しないでやってよ。アンタは確かにゲスクズ野郎で下水道並みに超性悪だけど「おいコラ」そこまで腐ってないっしょ? 煮詰めた肥溜めまではギリ行ってないっしょ?「ギリかよ」他人の価値はボロクソに伸すけどユーキには『価値観押し付けんな』って言えるじゃん、『知るか』って切り捨て無かったじゃん、泣いたら取り乱すくらいには大事に思ってんじゃん」
「べつに……取り乱してねーし」
「はいはいツンデレ花宮、だからそれは無理があるぞ」
「朗報、マコチャンはユーキチャンを大事に思ってた「知ってた、まぁ普通に気付くよね」
「種田に対して面倒臭過ぎて逆に解り易いまであるもんな」
「「「ある」」」

 うんうんと頷く四人に田辺は白けた視線を送る。

「いやアンタらにも言ってるかんね」
「すまない意味が解、」
「いやアンタら類友じゃん、ゲスクズ野郎で下水道並みに超性悪の類友じゃん」
「悲報、オレらは煮詰めた肥溜め寸前だった「知っ……待って性善じゃないけど流石にそこまでは嫌だわ」
「コイツらはまだしも俺は違うだろ俺は!」
「いやアンタはそう言うとこだかんね、素で『俺はマシ』とか言っちゃうとこだかんねバカザキ」

 はぁ、と気持ちを切り替えるように田辺はもう一度大きな溜息を吐いて、また真っ直ぐ花宮を見る。

「まぁなんて言うの? ユーキの価値観全てを尊重しろとは言わないけどね、ほんと最初言った通りでユーキが言った通りよ。いくら自分が大切じゃなくても、ユーキが大切なモノを大切にしたいって思う事くらいは、それくらいは否定しないでやってよ。頭の隅で『コイツは大切にしてーんだな』って思う程度で良いからさ、それくらいの理解はしてやってよ──……」

 ──そうじゃなくたって、あの子が大切に思えるモノなんて少な過ぎるくらいなんだからさぁ。

 切なく呟くように締めくくった田辺の話を、花宮がどう受け止めたのかは解らない。ただ、不満気にツンと口を尖らせるだけで、彼が拒絶の言葉を吐く事は無かった。



 ∇ ∇ ∇



「つーか……優等生で人気者! 爽やかでお優しい王子様だけどとってもフレンドリーな皆の憧れ花宮クン☆ が出来るクセに、なんでそんな事も解んないワケ? 優男モードなら『贈り甲斐があるよ大切にしてくれて有難う』思考出来るっしょバカ? あぁバカだったねお花超絶バカ」
「…………テメーさっきから聞いてりゃ言いたい放題バカバカ言い過ぎだろ! あ゙? 死ねよ腐れクソ女、バカ「『バカって言う方がバカ』って? それやめた方が良いよ花宮、めちゃくちゃ頭悪そう、てか悪い」
「ッはあ!!?」
「なんて事言うんだ瀬戸、これは愛嬌だ、可愛らしいじゃないか。花宮、俺は良いと思うぞ。格好良さや優しさだけじゃ人気者にはなれないからな、アレだ、『ギャップ萌え』と言うやつなんだろ?」
「かわっ……気持ち悪ぃ事言ってんじゃねーよ! 鳥肌立つだろやめ、」
「ツンデレ感も出してんだよん。ねー、カワイーマロ眉マコチャン?」
「お前ふざけ、」
「可愛い通り越して小坊だけどな……いや小学生でも今時言わねぇか、親戚のガキとかクッソ口達者だからな」
「誰が小坊、」
「あぁ分かったお花アレか! 久し振りに来たユーキが万年筆捜索にかまけて自分の相手してくんないから拗ねてた感じ? そうっしょ!? ははん成る程なぁだから矢鱈探しに行くなっつってたのか、構ってチャンだなぁマコチャンは」
「ッ…………マジ殺す、テメーらぶっ殺す! 表出ろ全員ぶち殺す……!」
「いやここ屋上な、外、もう表だから……花宮落ち着けって……」
「なんかこの下りも前やんなかったっけ「『全員ぶち殺す』の下りは月曜やったね」
「だな。花宮、罵倒の語彙が『殺す』だけになっている、俺達を殺す前に語彙力が死んでるぞ」

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