卒アルや行事の写真が収められたアルバム、隣にあった文集を見て、花宮のカメラマンや生徒達からの絶大な人気と頑丈な猫被りを一通り笑い終えた。手持ち無沙汰にクローゼットを眺める。漫画や雑誌は殆ど無いが文庫本は沢山有る、寝具もある、服も鞄も勿論有る。でも何か足りない。
「何漁ってんだよ」
「だからザキに言われたくないんですけど。なーんか、こう……あーそっか」
「?」
「小学校のとかちっちゃい頃のアルバムとかさ、兎に角中学より前のが無いなって」
「そういやそうだな」
幼い頃に母親を亡くし、例え父親が忙しく家族で写真を撮る機会に恵まれなかったとしても、小学校の卒アルや文集さえ無いのは引っ掛かる。中学の分はここにまとめているので、別の場所で保管しているとは思えない。
「うん?」
足元の鞄で隠れた奥深くで黒い箱を見付けた。金属製でA3程の大きさ、上面は埃で灰色になっており、大袈裟な南京錠が三つも付いている。鍵は箱の上にあるので気分的なものだろうか。開けられたくないのではなく、ただ鍵を掛けていたい、みたいな。「なんか怖ぇな」「ヤバいもん入ってたり?」地雷臭は酷いが、持ち主は眠っているので遠慮無く不明瞭な箱を開ける。
「マジでブラックボックスじゃん」
「航空機じゃなくて種田成長の記録ってか?」
そこには小学校の卒アルと数冊のアルバム、母子手帳、お菓子の缶が入っていた。
鍵を掛け仕舞い込まれた記録とはなんだろう、好奇心の赴くまま卒アルを取ると何か落ちた。一年二組の看板を前に並ぶ、真新しい制服に着られたあどけない少年少女達。
「中一のクラス写真だけねぇと思ったらこっちに紛れてたのか……うわコイツスゲェ、オーラが違う」
「ヤバ、良いじゃん女子アナ座り最高。顔も普通に可愛いっつーか綺麗系? 余裕でヤりたい、ストッキング破きたいわ」
「直球かよ。大人っぽくても相手中一だぞ」
「こん時はオレも中一だからセーフ」
「今のお前は高二だからアウト。つか種田どれだ、田辺はこれだよな」
「んー居なくない? 休み?」
「欠席なら合成だろ…………うん?」
ザキが黙り込んで、目を引いた彼女を食い入るように見る。
「こいつ、種田じゃね?」
「ユーキチャンがいつもストッキングかタイツ履いてるからって単純…………うっわマジじゃん!」
椅子に座る最前列の端、黒のストッキングに包まれた両脚を揃えて流し、お手本のように微笑む少女。色付きのリップでも塗っているのか桃色の唇は美しい弧を描き、落ち着いたグレージュピンクの瞳は澄んでいて、同色の長い髪は耳の横でハーフアップに編まれ残りは春風に靡いている。
「俺よく気付いたわ、種田が女子だ……いや今も女子だけど女子感が違うっつか、こ れ ぞ 女 子 ! みてぇな」
「意味ワカンナイけど解る。しかもかなり良い所のね」
「それだ。良いとこの女子、The・お嬢様」
表情と髪型が違うだけで全くの別人だ。清楚で、上品で、可憐。血の気の無い青白い肌も、この写真では透き通る白磁色とでも表すべきだろう。まかり間違ってもハイタッチに「ちんちん」と返されて無表情なまま受け流す子には見えない。
もしかと思い卒アルを捲ると、時ににっこり愛らしく、時に楽し気に華やかに、時に薄く柔らかく……少女は常に笑顔だった。瞳と髪の色、造形、脚を包む黒は今となんら変わらないのに、可憐な笑顔と小学生ながら漂う気品に強く目を奪われ圧倒される。有象無象に囲まれ笑う姿はまるで皆の優等生花宮クン、学校広報用写真にさえ見えた。
「ほんと誰、なに……なんかスゴ……」
圧倒されたからか、あまりにユーキチャンと結び付かない表情だからか。イマヨシサンとの写真と同じく全て初めて見る表情なのに、不思議と嫉妬は湧かなかった。
「こっちもある意味スゲェぞ」残りのアルバムはグランドピアノの前で盾を抱えた写真に始まり、ヴァイオリンや書道、華道に茶道、バレエ、新体操、英会話? 果ては道着姿の物まで、様々な発表会表彰式の写真やDVDが収められていた。習い事漬けの日々を想像して顔が引き攣る。
「バスケはねぇのな。これ親父さんか? 厳しそ……」
「うわぁ躾エグそう、教育パパっぽいわ」
長い手足と青白い無表情がユーキチャンとそっくりなスラリとした長身痩躯の男。纏う空気の鋭さのせいか、仕立ての良いストライプスーツと磨き上げられた革靴は、その高級感より、厳格や完璧主義、神経質といった印象を抱かせる。
「男手一つで育ててりゃ大変だろうけど……娘とのツーショットとは思えねぇ顔」「ユーキチャンもねん」これくらいの歳で父親と一緒だと言うのに、隣の少女は幼さにそぐわないお手本のような微笑みを浮かべている。
「解った、正月だ」
不意にザキが、ピッと少女を指差して言った。
「婆ちゃんと話す種田、この顔だったろ。クラス写真のも見覚えあったんだよ」
「あー確かに」
嫉妬しなかった理由はこれか。改めて見るとどの笑顔も作り物に感じる、完璧過ぎるのだ。まさに花宮の娘、皆の憧れ優等生種田サンってワケね。
「親父さんにも婆ちゃんと話す感じだったのか?」
「まー写真用のキメ顔なら今もコレで写るっしょ。厳しいパパのお眼鏡に適う、理想のお嬢様してたり?」
「なら中一のクラス写真の後から違ぇのは……」
「必要無くなったんでしょ」
父親が死に完璧な少女で在る事から解放された、とか。
「複雑だな……種田本人はもっと複雑だろうけど」
「全部オレらの妄想だけどねん」
ただ正解に限りなく近いだろう。“──生きてて欲しいと思った事は、残念ながら無い、かな……死んで良かったとも思わないけどね”オレが知るユーキチャンの本音は、ホッとしたような、そんな自分に落胆したような、それこそ複雑な響きだった。
「どうであれこんな種田にマネされたら落ち着かねぇし、俺も……無理に笑う、とか……どうかと思、う……」
(も、ってなに『俺も』って)
「結果良かったのかもなぁ」
「親死んで? 他人がそれ言ったらアウトっしょ、一応、常識的には。流石バカザキ」
「ぅぐっ。でも解んねぇ想像もつかねぇよ、ウチはめちゃくちゃ普通だし」
山崎家については普段から話題に上がるし、母親と姉は会った事もあるから結構知っている。初めて家族の話を聞いた時、仲が良いと感心したら普通だろと怪訝そうに返された。羨ましかった。その有り難みに気付かない程ザキにとっては当然なのだ、当然にそれが与えられる。酷く羨ましい。
「もし同じ状況でも俺は種田じゃねぇ……結局他人の気持ちなんざ本気で理解出来ねぇんだから、下手に同情すんのは違ぇし意味ねぇよ。あんなもんする側の自己陶酔自己満足だろ」
「『同情するなら金をくれ』って?」
「おう。したら自分がどう思うかって話じゃね?」
無神経の正当化、冷血漢の開き直り。同情や共感で救われる事もあるのだから、ザキの持論は穴だらけだ。けど納得出来る部分も一理以上ある。
「俺は色々抜きにしても、今の種田のが単純に好、す…………良いわ」
「やだキモい。まーオレも今のユーキチャンじゃなきゃ絶対ツルんでないわ、花宮とキャラ被ってつまんないし」
「そこかよ」
そこだけじゃないけどねん。
「と、兎に角! 種田にとって親父さんの生きてた頃は見たくも見られたくもねぇ苦いモンなんだろ」誰得な羞恥心を誤魔化すように、そそくさアルバムを片付け証拠隠滅を謀るザキ。アイス食べたいしと乗じかけて、まだ手を付けていない一つに気付いた。
「折角だし全部見ようぜ」
「もう充分だろ」
逆らって取ったお菓子の缶は思いの外ずっしり重く、掛け鍵の輪にはまたしても南京錠が掛かっていた。しかし今回はダイヤル式で、番号を忘れたのか金具は捩じ切られ意味を成していない。
「あ……」
シワだらけの汚れた写真に思わず声が漏れた。共に写る二人が愛おしくて堪らないと言わんばかりに胸焼けする程甘ったるい表情の男、彼の腕に抱かた幼女。そして、二人に寄り添う背の低い女性。
「これ…………血か?」
暖かな幸せを文字通り塗り潰す、女性の肩から上に広がる赤黒いシミ。父親が唯一残した妻の写真──唯一遺った家族写真。
「……少なくとも、母親が死ぬまでは苦いモンじゃ無かったんじゃない?」
「だな……」
今まで見たどの写真より古いが、幼女が誰かなんて一目瞭然だ。クスクス笑い声が聞こえてきそうな無邪気な笑顔は、表情の乏しいユーキチャンが極稀に溢す本物のそれと同じだった。
「なら他もおふくろさんの写真か?」「それは……」無いだろう、と口の中で呟いてそっと家族写真を避けると、小さなポラロイドカメラが現れた。その下にはちょっとした日常を切り取る白い枠のレトロな写真が続く。「ぶっさいくな猫だな」「駄菓子のアタリ?」カメラが趣味だなんて初めて知った。ってアタリ券実物入ってるし……撮った意味。
「習い事以外の写真もあって安心したわ」
「あ、ボール持ってんじゃん。コレもコレも、こっちは1on1?」
「全部ストリートか。バスケは息抜きだったのかもな、もしかしたら親父さんに隠れて」
「それであの実力ってどんだけストバスで揉まれて来たワケ……つーか、」
ユーキチャン自身の写真は少ないが、全てが打って変わって本物の笑顔で溢れており、時に田辺を交え、
「 コ イ ツ 、 誰 」
「知るか何お前怖ぇよ……お、JBAチップスのキラカード、しかもレアな女子代表じゃん。荒木? 『96年代表時』っても解んねぇなぁ」
「 聞 け よ 」
殆どが見知らぬ少年と一緒だ。じゃれつくような至近距離は二人の親しさを、成長するにつれ嫌がる少年の滲み出る喜色は彼が抱く淡い感情を、明確に表していた。「幼馴染だろ」「あっそ」「答えたのに雑か」まー別に良いけど? 得意げに指でボールを回す少年を鼻で嗤う。いくら幼馴染でも、本物の笑顔を向けられていても、沢山の写真があっても。親しいのは五人、だからもう関係無い。
「なんで黒い箱なんだろな」
「何が?」
「缶。こん中のは無理して笑ってねぇだろ? 隠れてっけどおふくろさんの写真もあって親父さんも優しそうだし、出窓に置きそうなのに違和感ねぇ?」
「あーね」
「レアカードに当たり券、折り紙で作った金メダル、ビー玉……まず缶からして如何にも『ガキの宝箱』だろ」
子供が好みそうなカラフルでポップな缶。蓋に描かれた謎の生き物は、地元民なら誰もが一度は訪れる都内の寂れた遊園地のゆるキャラだ。「家族で行ったわ、懐かし」オレも家族と──親父と母さんと行った。遊園地、生前の両親、何気無い日常の喜び、本物の笑顔……虹色の缶は幸せな思い出で溢れている。
「……コイツが嫌いになったんでしょ。なんかウザそうじゃん、イイ子チャンっぽいしザキ並みに暑苦しそう「おい」肩組んだり頭に手ぇ置いたり馴れ馴れし過ぎっしょ「お前が言うな」顔はまーまーだけど花宮は当然オレにも及ばないし「自分で言うな」つーか何この表情、ガキが一丁前に照れてんの? キモ過ぎて燃やしたいんですけど」
「 女 子 か ! 彼氏の元カノとか女友達に嫉妬する女子かなんかかお前は!」
んなッ、
「はぁぁあ!? オレはただコイツの印象言っただけでユーキチャンに詰め寄ったりスマホチェックしたりもしてねーし全然違ぇよお前バッッッカじゃねーの!!?」
「ん……ぅう……」
「落ち着けって種田起きるぞ! こいつが嫌なら写真捨てるだろそれこそ燃やしてるっつの」
「あ…………テヘ☆」
「はぁ……まぁ今のは俺が悪かった」
仕方無さそうに溜息をつくザキ。生温くなんとも言えない妙な苦笑が送られ、かなりイラッと来て冷静になる。「じゃー燃やすために視界に入れるのすら嫌、みたいな?」「そいつ嫌い説から離れろよ」無理ですけど、コイツ去年既にユーキチャンのオトモダチじゃないし。
「あ。あー……バスケかも、ストリートコートでの写真多いし。嫌いまで行かなくても楽しめなくなって……好きじゃ無くなったのかも知んねぇ」
思い出すのはインハイ予選、淡々とプレーする姿と、花宮の──オレらの最低なバスケを愉しむ何処か残虐な色を宿した熱視線。写真の中のユーキチャンは無邪気に純粋にバスケを楽しんでいる、好きでたまらないと全身で訴えている。
「良いも悪いも含め捨てれねぇモン入れてるとか。未練つか、バスケも親父さんの事も割り切れねぇんじゃね?」
「未練て。コイツに片想いしてたっぽくてヤダ、却下」
「あーもー。ならこん中の奴は殺そうぜ、幼馴染も死んでて見たら辛くな…………いや田辺生きてるわ、ピンピンしてるわ」
納得出来そうで出来ない仮説に、答えを求めて缶をひっくり返す。オレに非難の目を向けたザキは散らばる写真とガラクタに呆れ、そして不意に動きを止めてじわじわと瞠目した。
「これ……こいつ……!」
「今度はなに」
ザキが拾い上げた一枚には、真っ赤な顔で不機嫌に口を尖らせ強張る少年と、その腕に抱き付いて笑う(多分無自覚小悪魔な)ユーキチャン。入学式後に落ち合ったのか、二人は紅白のリボンを胸に別々の制服を着ている。そう言えば中学のアルバムに少年の姿は無かった。
「俺こいつ知ってる、かも。いや違ぇか? でもこれ、この制服って……」
「何それ、ザキ気付くの遅過ぎ…………え?」
ふと視界の隅で捉えた別の一枚に、ザキの声が遠退いてオレも動けなくなった。
“──私、母の顔覚えてないの……写真だけは一枚も無いんだ、遺影さえも”
その写真は少し特別だった。白い枠は勿論無くクラス写真なんかと同じ大きさ、上質な紙で印刷は精細。そう、例えば観光地で売られる記念写真のような。
“父は……勝手に母の写真を捨て、勝手に事故で死んだ……唯一の家族写真を、血で汚して見えなくして”
背景の見事な花時計は、あのどこもかしこもボロくて寂れた遊園地の数少ない魅力の一つで、確かぼったくりな値段で記念撮影をしていた。
“最近古い知人に会って母の顔を思い出した、思い出せたの”
草臥れた着ぐるみに肩を抱かれ手を繋ぐユーキチャンと少年、その周りに四人の大人が並んでいる。一人はユーキチャンの父親、赤ん坊を抱いた男と妊婦は少年の両親だろうか。
なら残る一人は? この部屋の主に似た目元の、背の低い女性は?
“私も……私は──……”
グレージュピンクの瞳を穏やかに細め、同色の髪をふわふわ揺らす優しげな女性は、
“──目の色が母親譲りなんだ。髪の色も”
彼女の母親以外、誰だって言うの。
ガチャ
「「へっ?」」
「……あ?」
突如響いた音に思考が醒める。扉を見ると一、二時間程前に別れた人物が私服で、珍しいキョトンとした顔を晒していた。
「は、」
「花宮!?」
「…………」
パタン
「「いやいやいやいや」」
何事も無かったように部屋を出る花宮。コントかよ。「チッ、何で居んだよ」「こっちの台詞ですけど」チェーンが掛かる玄関、鳴らなかったインターホン、さっと仕舞ったキーケース……容疑者は涼しい顔で勝手口が開いていたと供述したが嘘臭い。合鍵内緒にしたいの? まさか黙って作ってたり? 何にしろ無言で入った時点で手遅れだ。
「お見舞い来るとかなんだかんだ心配してんじゃんマコチャン?」
「はぁ? 揃いも揃ってなんでそうなんだよウゼー……さっさと復帰させねーとナベも部活も怠ぃだろ、コイツの祖母にも面倒頼まれてるしな」
「ふーん?」
「なんだよ。んで何見てんだ」
「ほら、人の部屋行ってアルバム見るって定番じゃん」
「コイツの許可は」
「取ったよん。クローゼットの中って教えてくれたし」
「あれは中学の卒アルだろ……あっ」
うーん、安定のバカザキ。
墓穴を掘ってギクリと固まったバカはさて置き。てっきり小言か弱い忠告をされると思いきや、無言を貫く花宮は、意味深でいて何も考えてないような読めない無表情で黒い箱を見下ろしていた。「は、原、片すぞ」その様子にキレたと思ったらしい、焦るザキが強引に缶を奪いにくる。
「ちょっと、解ったってば、」
「ならさっさと、ッ!」
カラン、と甲高く一際大きな音を立てて缶が手から落ちた。
「ん……ぅ、う」
フローリングを滑る缶はソファベットの脚に当たって止まり、その上でユーキチャンがモゾモゾ動きだす。ズレ下がるタオルケットと転がり落ちるヌイグルミ、露わになった頭にオレも流石に焦る。黒い箱を見られたと知ってもきっと彼女は許すだろう。相手がオレらで、彼女が牙を剥くのは決まって身内の為だ。とは言え知られないに越した事は無い。
花宮は至って冷静だった。オレらの間を突っ切って最短距離でユーキチャンの元へ歩む……散らばる思い出を、躊躇いなく踏んで。
「寝てろ」
「ゃ、ま って」
「待つもクソも今来たんだっつーの」
「ご……なさ……ぉ と…さ、」
「ッ黙って寝てろ!」
「お ねが……めん ごめ、な……」
「良いから寝てろよ」
タオルケットを直してやり、慣れた様子で小さく声を掛ける花宮。繰り返される拙い謝罪と彷徨う青白い手に逡巡すると、何故か不機嫌と諦めを混ぜた表情でこっち──主にオレを睨んで、溜息をついてヌイグルミを拾い枕元に座った。
「いかな…で ……ごめ… ……ぃ」
「ここに居んだろ、ほら」
ぶっきらぼうな口調が、気の所為かと思う程だが柔らかい声音で思わず目を見張る。そっとヌイグルミを押し付けた手は、壊れ物に触れる手付きでぎこちなく彼女の頭を撫で、その袖は促したかのように青白い手に収まった。いや促したのだ、花宮は嫌な顔一つせず受け入れている。あぁ納得、普段ならデレたと言って速攻イジる所だ。そんな言葉も感情も、こっちまで苦しくなるようなユーキチャンと、静かにただ座る花宮を見れば湧く筈もない。
(花宮ってば、どんだけ捻くれてんのさ)
ヌイグルミは昨日辺り身代わりに持たせたんだろうけど、例えそばに居たって優しい言葉を掛ける事も手を握ってやる事も出来無いなんて。それでも、徐々に落ち着くユーキチャンに袖を貸す姿は、安堵の滲む穏やかな空気を纏っている。最低な本性を猫の皮で欺く器用な男の素顔は、どう仕様もなく不器用だった。仕方無いヤツ、と思わず苦笑が溢れる……ザキの事言えないわ。
暫くして音も無く缶が蹴り寄越された。今の内にと黙々と写真やガラクタを掻き集め詰め込む。
「カラスアゲハ……か?」
ポツリと落ちた疑問に顔を上げると、花宮が黒い蝶の翅の栞を拾い首を傾げていた。「さっき飛んだのかも、貸してー」「ちょ、シー!」「もう大丈夫っしょ……花宮?」聞こえもしないのか、花宮は心ここに在らずといった珍しい様子でぼうっと栞を眺めている。揺らぐ度その黒は青や緑に煌めいた。
「ねー花宮……花宮ってば」
「あ? あぁ、ん」
また床を滑らせれば良いのに、取りに来いと言わんばかりに栞が差し出される。ザキが腰を上げ受け取っても花宮の目は未だ栞に釘付けだ。「どったの?」「なんか……いや、別に」ほんと珍しいじゃん。いつも合理的で効率的で──酷く利己的な答えを瞬く間に弾き出す花宮が、意図せず物事を保留にするなんて。今日の花宮は珍しい姿ばかりで隙も多くて少し調子が狂う……まーオレらだから見れてんだろうし面白いから大歓迎だけど。
「花宮があげたヤツ?」
「何が」
「その栞」
「俺がやった物が黒い箱に入ってる訳ねーだろ、バァカ」
「やっぱり?」
「お前も見た事あんのな、こん中」
「ねーよ。ただ……予想はつく」
栞から漸く外した視線を黒い箱にぶら下がる南京錠へ戻した花宮は、また読めない無表情を作る。
「……見てみる?」
「スゲェぞ花宮、種田が種田だけど種田じゃねぇ、」
「見ねぇ」
オレの提案とザキのバカ丸出しの説明はバッサリと切り捨てられた。
「興味もねーよ、前のコイツなんざ」
「ん……」
髪を指に絡めて解いて、一束掬って散らして、梳いて撫で付けて。さっきの不器用さが嘘のようにユーキチャンの頭を愛でる手は、だけど甘い空気なんて程遠く、擦り寄る彼女を見下ろす薄い笑みは仄暗い。裏を返せば今の彼女には興味があるという言葉、満足気な表情、「もう手に入ったから良い」なんて副音声すら聞こえてきそうな余裕。それは、彼女の過去がどう在ろうと現状に揺ぎは無い──自分から離れはしないという、絶対的な自信。
(……スゲー過信)
確かにユーキチャンが花宮を拒む姿は微塵も想像出来ないし、本当に興味が無いだけかもしれない、誰よりも親しげだった少年の存在を知らないからかもしれない、けど。この傲慢とも呼べる自信の根拠は、彼女への過信だ。
「なんか花宮と種田ってアレな」
「ザキも思った?」
「思うだろ」
「……なんだよお前ら」
そしてそれは逆も然り。後ろに居ると過信し顧みず突き進む花宮と、彼に間違いは無いと過信し着いて回るユーキチャン、二人はこんな感じだ。互いを過信し合う関係。イイ子チャンなら絆とでも表すだろう、依存にも近い、強固な──……
「親子っつか、マフィアのボスと唯一可愛がってるペットって感じ」
──ペット愛。って、アリ?
「ブフォッ!!!」
「は? …………は?」
「そっ、ブフ、ぅ、あははは! そっちかよ! でもそっちかもマメシバだし!」
「だろ、親子っつかそっちだろ」
「そっちでも無いし! はは、ザキ最高!」
「そっちでもないそっちってどっちだよ? それ以外ねぇだろ」
バカな例えが嗤えて、だけどオレの考えより二人らしくてオレららしくて、しっくり来るのが更に笑えて。腹を抱えて転げるオレとドヤ顔のザキに、花宮は軽く引きながら頭にハテナを飛ばしている。自覚無いんだろうなーこの捻くれ者は。彼が素直にユーキチャンの頭を撫でられたのは、まんまペットとして見ているからだ。幾ら不器用でも、自分の所有物だという絶対的自信があれば手を伸ばす事は容易い。
「うん? っつー事は……」
「「あ?」」
さっきの魘されるユーキチャンを、花宮はどう見ていたんだろうか。
「はぁ……なんかスゲェ疲れたわ」
「そー? 面白かったじゃん」
「まぁな」
シレッと居座る花宮に半ば追い出される形でついた帰路はもう真っ暗になっている。
あの後、騒がしさに目覚めたユーキチャンは、花宮とオレら、そして開いたクローゼットを見て、熱で赤らんだ顔を真っ青に塗り替えた。アルバムを見たか問われ、バレたと背中を伝う冷や汗は、
“大丈夫、あれは違う、まこちゃん大丈夫だから!”
“?”
“まこちゃんは昔から170cm越えてておっきくて美人だったから大丈夫!”
“…………は?”
との叫びで一瞬で引っ込んで、代わりに笑いが飛び出た。どうも少女時代(笑)の花宮を見られて焦ったらしい。「ウンウン大丈夫、小さくて可愛い花宮ソックリの麻呂眉チャンなんて見てないよん」「ね、すっごく可愛いの! 見てないよね! まこちゃんは美人さんだから大丈夫!」ユーキチャンの必死な誤魔化しは、風邪で狂ったテンションによる支離滅裂で本音ダダ漏れの墓穴だったけど、花宮は美人の単語へ絶妙に微妙な顔をしつつ、暴れるな熱が上がると窘めるだけだった。帰り際に釘を刺されたものの、既に古橋と瀬戸へリーク済みのオレはその脅しに快く屈した。
「そう言やそっちでもねぇそっちってなんだよ」
「えー? マフィアのボスとペットのが合ってるし忘れて良いよん、本質は同じだし。はは!」
飼い主が己の犬に手を噛まれると考えないように、犬が己の主に付き従うように。根底にある感情は表現を変えようと違わない。過信し合う二人にあるのは、
「なんだよ気になるだろ。親子でもペットでもねぇって……あ、」
信頼、だ。きっと花宮は顔をしかめて、ユーキチャンは首を傾げるだろうけど。
「女王様と召使いか」
「ブフッ! そーだそれもあるじゃん」
「あいつらのあだ名飽和してんな、一個に決めようぜ」
そうと決まればと早速kurotterでアンケ作成。誰の話か名前を上げていないのに秒で古橋と田辺が食いつき、男バスからもリプが続く。花宮の本性を知らない筈の委員長やヲタクチャン辺りも心得たような引リツを飛ばすもんだから面白い。全員暇かよ。瀬戸は寝てるかな。因みに当事者二人は何度か誘っているのにkurotter自体していない。
「あ、オレも質問。写真のガキ誰なワケ、知ってる奴だったんだろ?」
「……お前も知ってると思うけど」
「知んないから訊いてんじゃん」
「んー……ぇーぁー…………花宮はこれ知ってんのか? 種田の事だし知ってる、よな? したらどんな気持ちで……いや似てるだけかもしんねぇし……」
「なに」
ぶつくさ呟くザキはワザとじゃないんだろうけど、こうも露骨に勿体ぶられると鬱陶しい。
「…………忘れろ」
「は?」
「俺も忘れるからよ」
「はあ?」
「やっぱ勝手に見たモンだし……花宮も言ったろ、興味ねぇって。種田が誰とバスケやっててどう思ってたとしても、興味持つ必要ねぇって事だろ」
「ふーん……バスケ関係者ってのは確定か、確かにストバスの写真多かったもんね」
「ッ、まず俺が思った奴が確定じゃねぇっつの」
そうは言っても。バツの悪い顔を見る限り、ザキの中で答えは確定している。バスケ関係でオレも知る可能性の高い人間、なら過去の対戦相手だろうか。花宮を気にする言葉を零していたし、花宮のライバルとか? そんなん居たっけ? と思いつつ、彼にライバルと言う単語が似合わなくて噴きかけた。あの性格やプレースタイルなら怨敵や因縁の相手が妥当だ。
「あのなぁ、」笑いを堪えるオレを諭すように、だけど淡々とザキは声を落とした。
「俺らは『笛を鳴らさねぇバスケ』してんだぜ。これからは多分もっと、ずっとそうだ」
丁度考えていた事を言われた。ラフプレーだ。
「昔の種田が大のバスケ好きで写真の奴とスゲェ仲良くて一緒にやってたとしても、花宮のバスケに惚れ込んで『笛を鳴らさねぇバスケ』のマネを好きでやってんのが今のあいつだ」
「まーね」
「多分……藪蛇だ。過去つついて出る蛇が思い出話ならまだしも、何かの拍子でご本人様登場なんて絶対面倒臭ぇぞ。昔がどうでも、今は霧崎のマネって事で充分だろ」
「うん、あーうんオレらのマネね。良いじゃんその響き」
「お、おぉそうか? とにかく無理に探んなよ」
ザキの言う事は最もだ。ラフプレーは基本非難の的、あんな暑苦しそうなイイ子チャンそうな奴なら間違い無く否定する、サムイ説教も唱えそうだ。もし出て来たら面倒極まりない。
そもそも事実を知れるなら耳に入れておきたいだけで、絶対突き止めたい程ではない。過ぎ去った人間と言えど備えあれば憂いなし、くらいの考え。それにユーキチャンなら、
「まぁ種田なら自分から言うだろ、必要な事は」
「…………」
「なんだよその顔」
「ヤバイ、ザキなんかと考えてる事被っちった……」
「お前最近酷過ぎだろ」
それに。ユーキチャンには秘密があって、必要な時に明かすと言われた。嘘の下手な彼女が態々そう言って自ら逃げ道を塞いだのだから、その時が来れば必ず明かすだろう。嘘が下手だからこそこれは本当の筈だ。
つまり今後も少年との過去が明かされないなら、それは秘密でも必要性も無い、不要品。オレとしては是非とも今すぐ、写真ごと手放して欲しいところである。
(じゃー……記念写真の事も忘れるべき?)
あの夜の、ユーキチャンの母親の話が嘘だとは思えない、とすれば仕舞い込んで忘れたのだろうか。一枚も無い、死んだ母親の写真を? 葛藤と疑念が湧き上がる。もし忘れているなら教えるべきだけど、教えれば黒い箱を見たとバレるし、何か事情が有るのなら話してくれるまで待っていたい……嘘だと疑いたくない、と柄にもなく思う。
(信じる? いや、)
いつかオレらには言えると微笑んだ彼女も、言いたいのなら聞くと答えた自分の言葉も。
(信じたい、か……はは、ガラじゃないわー。ガチのマジで青春じゃん)
約束したんだからさ、信じたいって思うのは勝手な期待じゃないよねん?
それくらいは訊いても良いだろうか。ユーキチャンが元気になったら訊こう、柄じゃない質問に、彼女はなんと答えるだろうか。
「明日は古橋と瀬戸と……一応田辺も連れてお見舞い行く? 花宮は誘わなくても居るっしょ」
「連日でその人数って絶対休まんねぇだろ」
「ほら、オトモダチの顔見たら元気になる可能性に賭ける的な」
「だからそれなら花宮のお姫……王子様写真だろ。俺が風邪引いた時は宜しく」
「バカは風邪引かないじゃん」
「おい」