(まこちゃんのアホ、まこちゃんのアホ、まこちゃんのドアホ! なんでそんなに探しちゃだめなの? こっちこそ意味不明だし!)
屋上を飛び出して、階段を何段もとばして跳ねるように降りる。目的地も無く、ただ怒りに任せて地面を蹴り続けた。
“──見付かんねーよ……あんなゴミ……捨てちまえ……諦めろよ”
一階まで降り切って足を止めると、言われた言葉の数々と己の独り善がりな疑問が頭をぐるぐる回った。また歪んできた視界に唇を噛み締めて目元を拭い、仕方無いと、駄目だと己に何度も言い聞かせる。まこちゃんと私の価値観は違うから仕方無い、解らなくても仕方ない、解らないから仕方ない。だから「なんでこの気持ちを解ってくれないの?」なんて思うのは駄目だ、そんな風に思っちゃ駄目だ、そんな我儘は駄目だ。だけど、せめて。
(違う気持ちを持つ事を解って、って思うくらい良いじゃん……)
あんなに嬉しかったんだ、色んな『初めて』が詰まっているんだ……例えくれた本人がどうでも良くたって。
「まこちゃんのアホ……」
大切にしたい気持ちまで否定されたようで哀しくて悔しくて、もう一度ぎゅっと噛んだ唇は妙に痛んだ。
本当は……少し諦めている自分も居る。きっと失くしたのは風邪で休む前、もう何日も前だ。それで落とし物に届いていないのだから、誰の目にも留まらず気付かれず、蹴り飛ばされ溝に落ちて流れて行きでもしたか、拾った誰かが捨てるなり自分のポケットに入れたのだろう。そうなったら見付かる筈もない。
「……絶対、諦めないもん」
自分に言い聞かせるように呟いて、まだ探していない場所は、探したけど見落としている場所はと目を凝らし続けた。
特別教室棟の一階を見て二階へ、渡り廊下を通りクラス棟の二階を見て渡り廊下を戻り、特別教室棟の二階を見て三階へ、渡り廊下を……そう順に辿り、今度は降りながら。それでも見付からず、もう一度紛失物の確認をしようと廊下の隅々へ目を配りながら職員室を目指した。
「──……ね……さん、たねださん、種田さん!」
「ッ、なに」
「どうしたの、大丈夫? て、え!? 口、血、く、血!」
随分集中していたらしい、叩かれた肩に反射的に振り向くと、ゴールデンウィークの恐喝被害者さんがあたふた自分と私の口を交互に指差し捲し立てていた。「あぁ」思い出して拭うと乾いた血が顎からパラパラ落ちる。鬱陶しいな。
「だ、駄目だよ擦ったら! 絆創膏、は口には貼れないし……と、取り敢えず保健室!」
「良い、大した事無……ちょっと、やめ、」
「保健室、保健室行こう!」
拭っていた右腕を引っ掴んで彼は強引に走り出す。今はそれどころじゃないのに、こんなのどうでも良いのに。“──んな事より結希、お前”まこちゃんの言葉がまたリフレインして、関係無い筈の彼まで探す事を、私の大切な気持ちを否定するのかと、見当違いな不快が膨れ上がった。そんな自分が鬱陶しくて、勝手に掴まれた腕が鬱陶しくて。あぁ、もう、ほんと。何かもかも鬱陶しくて嫌になって、聞く耳を持たずに引っ張る彼に流される様に引き摺られた。
「先生! 種田さんが! 口、血、血が!」
「…………」
「あらあら二人ともまた風邪? って種田さんどうしたの!? 誰ッ……いえ、何処かにぶつけたの?」
緩やかに出迎えた保健医は私を見てギョッとして、しかしすぐ様落ち着きを取り戻してタオルを取り私を椅子へ促す。拒んでは時間の無駄になるだろう、諦めた私はさっさと終わらすべく原因を話そうと口を開く……けど。
「いえ、単に、」
「先生早く診てあげて! 口!」
「ちょ、」
「口、血が!」
「落ち着、」
「山内君は少し落ち着いて」
「でも、血! 凄い血が!」
「周りが慌てたら本人が不安になるでしょう? ほら、深呼吸。種田さんは水道で口濯いで顔洗ってね」
「そっ、そっか! スゥー……ハァー」
「……はぁ」
あーはいはい山内さん、ね。
目の怪我の時と言い、突如現れて流れも空気もお構いなく厄介をもたらす癖に、彼が居ると話が進まない感が凄い。落ち着け、ほんとに。真面目に深呼吸を繰り返す姿を見る限り悪気は無いんだろうけど、だからこそやり辛い。純粋で丁寧と言う印象に、素直故の無鉄砲? 無謀? を加える。あと軽く頑固っぽい……馬が合わない訳では無さそうなのにな、原ちゃん達とは違う方向で言葉の意味そのままに良い趣味してるし、多分。
「唇だけ? 少し歯を診るわね、はいアーン」
「大丈夫です、ぶつけたんじゃなくて少し噛み切っただけなので」
「少しって度合いじゃないよ!」
「ほら山内君落ち着く。噛み切ったって……本当? また何か遭った訳じゃないの?」
保健医の探る目を静かに見返す。
面倒な事情を抱え面倒な家庭環境で部の掛け持ちに契約書を持ち出した面倒な私は、去年面倒事に巻き込まれ面倒にも階段から落ち面倒な解決策に打って出た。客観視すると私は紛う事なき問題生徒だろう。教員の中には、私が職員室を訪ねただけで「また何かやらかしたのか」と疑う色を隠さない人間もいる。
しかし今保健医の目は、純粋な心配一色だった。
「種田さん、私は養護教諭です」
「はい」
「生徒の肉体的、精神的トラブルをどうにかしてあげたいと思うし、どうにかするのが仕事よ。でも生徒間のトラブルに口を挟むのは私の分野ではないと思ってるの……だから、ただあった事を事実として話して? それで誰かを罰したり責めたりはしないわ、管轄外だもの」
「……」
「種田さんは少し抜けた所もあるけど、年齢以上にしっかりしてる。だからこそ大人を頼って欲しいの、私は頼られたいわ。去年の秋みたいに、貴女は自分で解決してしまうから」
「……べつに、全部自分で解決はしてないです」
「そうね、田辺さんと放送部と……花宮君もよね? 対して私達大人は頼りなかった?」
「……」
「知ってるかしら種田さん、大人って案外大人じゃないのよ? 子供に頼られるから大人で居られる、教師なら生徒が居るから、医師なら患者が居るから……立場があるから成り立っているに過ぎないの。勿論、私のような職種は暇な方が良いけど、隠れた傷を見過ごして暇してちゃ駄目なのよ」
「…………先生ってほんと、お人好しが過ぎて自滅するタイプですよね」
「あら酷い! 自分で言うのもなんだけど、私はホスピタリティ溢れる聖職者の鑑だと自負してるわよ? 今、種田さんが私にお仕事させてくれたらね」
「……大人はズルいですね」
「伊達に子供より長く生きてないわよ〜? まぁズルい大人にさせてるのは、子供かもしれないけれど」
卵が先か鶏が先か、じゃないけど。クスクスと笑いながら冗談めかしてここまで言われたら、もう言うしか無いじゃないか。降参と緩く首を振って、心に巣食う不満を紐解いた。
「噛み切ったのはほんとです、ほんとにほんと。でも……まこちゃんが悪い……」
「は、花宮君が!? 噛み、か、かかっ」
「……」
「山内君、悪いけど席を外してくれるかしら?」
「あっすみません! ごめんね種田さん……あの、僕……」
「いえ構いません、中途半端に聞いて勘違いして騒がれても困ります。寧ろ最後まで聞いて」
「そう?」
「ごめん……」
「いい。その…………まこちゃんが……悪い。でも悪くない、けど……解らず屋で……強引なんだもん」
まこちゃんはいつも強引で、自分の思い描いた通りにしようと手段を選ばず……寧ろ相手の嫌な手段で、自分の愉しめる手段で動く。私が必死で探す理由も聞かず屋上に引き摺り出して、苦手な人物像さえ装って他人を操る。知ってる、それがまこちゃんだ、でもそれでも許せなかった。
私の大切にしたい気持ちを解らなくても良い……いや、本当は解って欲しい、でも無理なものは仕方無いしそれは我儘が過ぎる。だけどせめて、私が大切にしたい気持ちを持つ事は解って欲しかった。堂々巡りだ。その思いが、彼と言い争ってからずっと頭でぐるぐる回っている。
「うーん、喧嘩したの?」
「喧嘩…………そう、かも」
言われてみればそうかもしれない。どちらも聞かん坊で、お互いの意見を飲み込めなかった……まぁ私はちゃんと理由話したけど? 理解出来ないのは仕方無いよねって譲歩もしてるけど? 理解してくれなんて無理強いしてないけど? なんだほら、やっぱり聞かん坊なのはあっちだと、むすーっと唇を尖らせたのは仕方無いと思う。
だと言うのに保健医は「あら、良いじゃない!」と顔を華やかに輝かせた。
「ええ先生!?」
「……何も良くないんですけど」
反論する私を柔らかく笑う、見守る様な表情はまさに大人のそれで。「だってね、」言いながら私の頭を優しく撫でる。
「種田さんもだけど……花宮君って喧嘩なんてしないと思ってたのよ、彼は貴女以上に大人っぽいから」
「まさか。ここだけの話まこちゃんは死ぬ程子供っぽいですよ、ぽいって言うか子供」
「信頼されてるのね」
保健医は嬉しそうにふふりと笑う。喧嘩出来るのは仲の良い証拠だと、子供っぽい部分を見せてくれるなんて信頼されている証拠だと、私が信頼するまこちゃんに怒るなんてそこまで譲れないモノがあるのは良い事だと。ありきたりな話、だけどそう言われて悪い気はしない。ほんと大人って、いやこの人はズルい。
まこちゃんへの怒りに膨れながらも保健医の言葉に緩みそうな唇、そして探し物が見付からない不安でまた潤む目と下がる眉。ごちゃ混ぜな感情を乗せたごちゃ混ぜな表情に、保健医は首を傾げてほんのりと困った顔をする。
「もしかしてまだ見付からないの?」
「……はい」
まだ、見付からない。もう、見付からないかもしれない。
保健室も既に二度探しに来ていたので、保健医は当然私の目下の悩みを知っている。「困ったわねぇ」「えぇ、ほんとに……」溜め息を吐き合って、唇の処置をされていると、山内さんがおずおずと声を掛けてきた。「な、何か探してたの?」「万年筆」彼は実物を見ているし、種類も言い当てたし詳しそうだった。もし見かけたら教えて欲しいと頼んだ。
「あれってそんなに……そんなに大切な物だったんだ……」
「うん。とても、大切な……大切な宝物、とっても」
例えプレゼントしてくれた本人が「捨てろ」と吐き捨てても。私にとっては沢山の初めてが詰まった大切な、特別な宝物だ。
「ッ、……ごめん」
「なにが?」
「ぇあ、いや……」
唐突に謝ってきた山内さんに首を傾げる……いや、謝られて当然では? 無理矢理保健室に引っ張って来て全く。なんて思っていると、謝罪の理由は正解だったのか、彼は視線をうろうろと下に揺らして僅かに右上をキッと睨みつけてから私を見据え「ぼ、僕も手伝うよ!」と力強く宣言した。
「…………心強いね」
「ッ!!! ほんと!? 大丈夫、必ず見付かるよ! 任せて!」
山内さんはパシられ慣れていても頼まれ事は珍しいのだろうか、頬を赤らめあからさまに高揚した様子で何度も頷く。その浮かれていると言っても過言じゃない表情は、とてもじゃ無いが頼りになる人間には見えない。
だけど。まこちゃんによって全否定されていた事を、こうもはっきりと手伝ってくれると言う事に、少しだけ心は浮上した。
正直、失礼な話期待はしていない。私一人とは言え、あれだけ注意深く探した後だ。周りが見えていないというか、素直で無鉄砲気味な印象の山内さんには荷が重いだろう。それでも、彼が実際に行動しないとしても、その厚意が嬉しかった。「任せるよ」そう力無く苦笑いの様な、変な笑顔をしているだろう私に、彼は何度も頷いてくれた。
「た、たた種田さん」
そうして山内さんに万年筆捜索を手伝ってもらい、二人で探してそろそろお昼休みも終わるだろうかと、一度彼を教室へ送り出そうかと思った頃。山内さんが何故か妙に緊張した様子で私に声をかけてきた。「何? 見つかった? ら良いんだけどね」私は大して期待もせずおざなりに返す。すると、
「その……これ、だよね?」
視界、目の前に差し出されたのは、白くて小さな六画の万年筆。
「見せて!」
「ッ〜〜〜!!! ごめ、あの、近、ち、近い……です!」
「あぁごめん……」
渡してもらいじっくりと見る。買い足して付けたクリップ、角に付いたキズ、中に入ったインク、全てが私の大切な、私の愛しいいとしい宝物だと物語っていた。
「うん、これだ、そう」
「そっか、よ、良かった……!」
「うん良かった、良かったあった、良かった……」
腰が抜けたようにその場で座り込んで、万年筆を両手で握り締める。
「有難う、ほんとに、本当に。凄く大切なの、とっても大事だから」
「……そっか、本当にごめんね」
「? 見つけてくれたんだから、感謝こそすれ責めるわけないよ」
万年筆からは目をそらせないまま、相変わらず謝ってばかりの山内さんにそう声をかける。謝るなら全く期待していなかった私の方だろう。少々申し訳なっていた所でお昼休み終了の予鈴がなったので、苦笑いで立ち上がる。「そうかも知れないけど……」何故か変わらず緊張した面持ちのまま山内さんはそうこぼした。何が彼の中で引っかかっているのか解らないけれど。
「改めて、有難う」
心配する事はないのだと、もう見付かったのだと、ふわりと笑ってそうお礼する。と、
「…………は?」
ボンッと音が聞こえるほど顔を真っ赤にした山内さんは、何も言わず走って去っていった。
(改めてお礼とかすべきかな……まぁ良いか)
教室へ向いていた体を保健室に向けて歩き出す。話も聞いてもらったし、心配も多分かけただろうし、保険医にも報告しよう。まこちゃんへの報告は……知らない。まだ許せそうにないから。