■ ヒーローっぽい守沢

その日名前はいつも通り、ホームルームが始まる15分前に登校し、下駄箱で靴を履き替えようとしていた。転校した当日に北斗が名前を書いてくれた上履きに足を通すと、ぐしゃりとつま先で何かがつぶれたような感触がして、なんだろうと首を傾げながら名前は取りだした。それはルーズリーフをちぎったもので、少し折れてしまっている。開いてみると、『名前さんへ 放課後体育館裏へ来てください。お伝えしたいことがあります』と男か女かわからない乱雑な文字で書きなぐられていた。裏返してみても差出人の名前が書かれておらず、少し不信感を募らせたが、まぁ行ってみれば分かるかと軽く考え、その手紙をブレザーのポケットにしまい、教室へ向かった。

放課後名前が体育館裏へ向かうと、そこには4、5人の女生徒が集まっていた。同じ制服を着ていたので、普通科の生徒だろう。ネクタイは全員緑色だった。名前はポケットから手紙を取り出し、その女生徒たちへ近づき、集団のうちの一人の背中をつんつんとつついて、声をかけると、振り返った女はひどく冷たい目で名前を見下ろした。

「あの、この手紙はあなたたちですか?」
「あぁ、来たのね。待ってたわよ」
腕を引かれ、名前は壁際まで引きずられる。集団にぐるりと囲まれ、逃げ場はなくなってしまう。顔を上げると全員が先ほどの女と同じような目をして名前を睨んでいた。突然見覚えのない人物に敵意を向けられるのは初めてで、あまりの威圧感と恐怖に名前は体が硬直してしまう。おどおどとした名前をよそに、派手な化粧をしたリーダーのような女が口を開いた。
「あんたさぁ、最近守沢くんとやたら仲いいらしいじゃない」
「…何のことですか?」
突然千秋の名前を出され、名前は混乱する。彼と色恋沙汰になったり、特別に仲が良いということもない。あくまでもプロデューサーとしての距離を保ったまま、彼に接しているつもりだった。まぁ千秋はパーソナルスペースがほぼゼロに等しいというか、スキンシップ過多ではあるが、それらはすべて千秋から行っていたものであり、名前から仕掛けたことはない。
「プロデューサー科だか何だか知らないけど、あんた馴れ馴れしいのよ!守沢くんは皆の守沢くんなんだから、今後一切守沢くんに近付かないで!」
女がそう言い放つと、周りの女生徒たちが、そーだそーだと賛同の声をあげる。その言葉に、自分が今まで必死にプロデュースしてきたことが否定されたような気がして、名前はふつふつと怒りが沸き上がり、つい言い返してしまった。
「私と守沢先輩は恋仲ではありませんので、勘違いしないでください。それに私はプロデューサーですから、守沢先輩と今後一切関わらないというのは無理な話です。プロデュースするためには会って話をしないといけませんから」
「…っ!口答えしやがって!」
怒りで頭に血がのぼったのか、真っ赤な顔をして女が腕を振り上げた。殴られる。反射的に名前は目をつむった。
…が、なかなか衝撃がこない。おそるおそる目を開けると、女の振りかぶった腕が誰かに掴まれていた。驚いてその人物を見やると、にっこりと笑みを浮かべた千秋がそこにいた。
「はぁ…間に合ってよかった。名前、無事か?」
こくこくと頷く名前の姿を見て、千秋はほっと胸をなでおろし、先程名前を叩こうとした女とその周囲にいる女生徒をじろりと見下ろした。普段怒ることのない千秋がめずらしく怒りを露わにしている。その形相は端正な顔立ちも相まってか、ひどく恐ろしい。
「…弱者を寄ってたかって責めるのは悪者のすることだぞ。ヒーローとして見過ごすわけにはいかない。何故このようなことをしたのだ」
「っ、うるさい!どうしてこの女をかばうのよ!私は守沢くんのことを思って言ってあげたのに!」
女は正気を失っているのか、あろうことか自分の想い人である千秋にも手をあげようとした。おっと、と振り下ろされた腕をよけると、その腕を掴んで引き寄せる。千秋は女の顔を覗き込んだ。
「俺のためを思ってくれたのは嬉しいが、名前を傷つけるのは感心せんな。もう二度と名前を傷つけないと誓ってくれるか?」
真っ青な顔で女がぶんぶんと顔を縦に振るのを確認すると、千秋はよしっと腕を解放した。

「すみませんでしたっ」
頭を下げて早々に走り去る女生徒たちを見送った名前は、力が抜け、壁にもたれかかりずるずるとその場に座り込んでしまった。あわてて千秋が膝に顔を埋めている名前の前に、膝をついて様子をうかがうと、乱暴にブレザーの袖で目元を拭った名前が顔を上げた。
「はーっ怖かったぁ。助けに来てくれてありがとうございました、守沢先輩」
目元を赤くしながら、それでもにこりと満面の笑みを浮かべてお礼を言う名前に、千秋はちくりと胸が痛んだ。痛々しく涙の跡が残った名前の頬に、千秋の大きな手のひらを重ねられる。そのまま優しくなでられ、名前の恐怖は水に入れられたラムネのようにしゅわしゅわと溶けていく。
「俺のせいで怖い思いをさせてしまってすまない。もう少し早く駆けつけていれば、こんなことにはならなかった…。俺はヒーロー失格だな」
「そんなことないです。先輩が助けに来てくれたとき、本物のヒーローだと思いました。格好良かったです」
しょんぼりとしてしまった千秋を励まそう思って言った言葉だが、それはまぎれもない名前の本心だった。格好良いというフレーズに照れたのか、そうか…と呟きながら頬を染める千秋にクスリと名前が笑ったとき、頬に添えられていた手のひらに力が込められ、千秋の方に顔を向けられる。やけに真剣な千秋の表情がそこにあった。どきり、と心臓が高鳴るのを感じた。
「名前。もしまた呼び出されるようなことがあれば、その時はすぐに俺に知らせてくれないか。俺の知らないところで名前が傷つけられるのは、もう嫌なのだ」
懇願するような切ない声色でそう言いながら、千秋は名前を壊れものでも扱うかのようにそうっと抱きしめた。もう二度とこんな思いはさせない、と心に決めて。
「…分かりました。次は先輩に報告します」
よし、と頷いて名前を離した千秋は、もうすっかりいつもの笑顔を取り戻していた。

「そういえば、先輩。もし呼び出されたとき、先輩がいそがしかった場合はどうすればいいですか?他の人に頼めばいいですか?」
「ダメだ!俺に、知らせてくれ!」
「えぇ…どうして」
「俺が、お前のことを守りたいのだ!」
「…はい、ありがとうございます」
にこにこと言い放ち、名前の手を握ったまま離そうとしない千秋に、名前の心臓はどくどくと激しく鼓動し、顔に熱が集まる。不整脈かなと首を傾げながらも、千秋の屈託のない笑顔をみればどうでもよくなった。

「あの、ずっと疑問だったんですけど、どうして私が呼び出されたってわかったんですか?」
「あぁ、そんなことか!部活に行こうとしたら、名前のにおいがしてきて、においを辿ったらお前が囲まれていた、というワケだ」
「へ、へぇ…そうですか…」
聞かなければよかったと後悔する名前だった。


[ prev / next ]

ALICE+